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黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
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薫り撒き

 ──なかなかいい口上だったぞ。そなたにしては上出来だったのではないか。


 上機嫌なシロガネの声が響く。


 それはどうも。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 お母様に恥はかかせまいと踏ん張った甲斐があったというものだ。途中から腹が立って興奮していたから、今思い返すと喋りすぎていたかも。


 それはそうと。

 ……考えてみたら、私よりシロガネの方がひっどい醜態を晒していた気がするんだけどどう思う?


 しばらく待ってみたが、返事は返ってこなかった。



 ちなみに私たちは今、神殿を背に外に立っている。

 ええ、危惧していた通り、ざざっと人々が左右に分かれてできた道を歩きましたよ。膝をついて頭を下げる人の前を歩くのがこんなにもいたたまれないものとは知らなかった。一生知らなくていいことの一つだと思う。

 優雅に歩くお母様の後に必死に続いて足を動かした。あんな中置いていかれたら泣いてたわ。




 いつの間にか日は傾き、もうすぐ夕方に差し掛かる頃だった。思っていたよりも祝福に時間を取られていたらしい。赤く染まり始めた建物を見回したお母様が「光の精霊と闇の精霊の出会う頃ね」と呟いた。

 いつだったか、兄様が聞かせてくれた創世神話。

 闇の精霊が光の精霊と出会い、そこから様々な精霊が生まれたのだ。

 私の感覚では昼間があって、その次に夜が来るのは当然のことだけど、ここではそれは精霊の存在があるからと思われていて、しかも実際に存在しているのだから不思議だ。

 しかも神話に出てくる精霊と同じ属性の精獣と契約するなんて……思いもしなかった。


「それにしても、まさか私の代で光の精獣とまみえるなんて思いもしなかったわ」

「……そういうお母様も風の精獣と契約しているじゃないですか」


 偶然にも同じことを考えていたようで、いたずらっぽく囁いてきたお母様にドキリとする。



 これからお母様はディーに乗って領地内の空を、私はシロガネと平地へ薫りを撒きに行く。

 ……ことになっているんだけど、シロガネの背中に乗ればいいのかな。

 まだ本来のホワイトライオンの姿になっていないシロガネに目をやる。

 まだ乗馬の経験はないし、手綱も何も用意していない私はどうしたら?


 ──必要ないだろう。


 いやいや、流石に掴まるとこもないまま走るあなたの背中に乗っているのはキツイと思うんですよ。

 ……そう言えば、用意しようとしたお父様に「必要ない」と首を振ったのもシロガネだったっけ。



「では、そろそろお願い致します」


 感情のこもらない声音でリカルドに促される。


 本当にシロガネの力を引き出せるのか、とリカルドの目が問いかけているようだ。

 できるのなら早く示してみろ、とも。

 初対面の祝福の時から、彼の思い描くシナリオに沿っていないのは確かだ。大々的に光属性の精獣だと知らしめたかっただろうに、精獣との契約だけを取り上げさせられて、おまけに想定外の料理コンテストなんて入れられて。

 面白くないだろうに、眼鏡の奥の藍色の瞳はそれを一切出さない。

 どこか試すような、観察するようなあの瞳は苦手だ。


 どう薫りを振り撒くのかなどという細かいことは、神殿には知らせていない。毎年しているお母様はともかく、今年初の私たちにマニュアルなんてないから。

 そもそも精獣の薫り撒きは精獣の本能に任せる云々……要するに精獣任せということらしいので特に突っ込まれることはなかった。


「何かあったらすぐにシロガネに言うのよ、ロゼスタ」

「はい、大丈夫ですってば。……お母様こそお気をつけて」


 薄絹を押さえて近づいてくるから何かと思えば、最後までお母様の心配は私だった。非常事態には私がシロガネに言えばそこからディーへ、そしてお母様に伝わることになっている。その反対はないんですか? お母様に何かあった時にはどうするんですかね?

 たしん、とシロガネが尾を地面に叩きつけ、口にしかけた疑問を言う前にお母様は背筋を伸ばしてしまった。



 スタートはお母様から、少し時間を置いて私が続くことになっている。

 薄絹に隔てられたせいで表情はよく見えない。紅をさした唇が数回開いたけれど、言葉は聞こえなかった。


 ちゃんと最後まで役目を果たしてみせます。だから、心配しないで。

 そう思いを込めて、ほっそりとしているお母様の手に触れる。

 自分で思っていたよりも緊張していたようで、冷たい手が温かい手に包まれる。優しく握り返してきたその手に数回ぎゅっぎゅと力を込め離した。



 ディーの元へ歩いていくお母様の後ろ姿を見送って、ふと気がついた。

 あんなにも艶やかに髪を結い上げて、首にも耳にも繊細な飾りをつけておいて、わざわざ薄い布で隠す意味は?

 他にもお母様に似合う色は沢山あっただろうに「この色がいいの。オルトヴァ様とロゼスタの色でしょう?……あ、あとディーもだし」と幸せそうに笑って見せてくれたドレスも、半分以上隠れてしまっている。あのドレスが上から下へ緑が濃くなっていく見事なグラデーションを描いているのなんて、ほとんどわからないだろう。

 花嫁のヴェールなら格好になるけど、すっぽり被った布は精神的に助かってはいるものの、見た目がいいとはお世辞にも言えないし。

 大体正装の時に薄い布を被るなら、ドレス姿じゃなくて神官が身につけるようなローブの方がまだ違和感がない。


 じゃあどうしてお母様はこんな薄絹を被ったの。

 領民たちに精獣との姿を見せつけるなら、美しく装った姿で堂々と顔を出していた方がいいに決まっている。

 薄絹を被った姿で変などよめきはなかった? 去年と違うという声が上がらなかったか、ついさっきの神殿の様子を思い浮かべるも何も思い当たらない。

 プラスに考えられることなんて何もないのに、敢えて薄絹を頭から被ったのは……。



 私の為か。

 誰に聞くまでもなく、答えがすぐに出る。

 いくらシロガネが全面に前に出るとは言え、私はどうしたって無関係になれない。むしろ二人セットで意味がある。

 公の場に顔を出すのはまだ早いと判断したのか。それとも大勢の人の前に出る緊張を少しでも解す為?


 ……お母様のことだから、どっちもだろうな。


 私が支えなきゃ、と気負っていたのと同時に、初めて人の前に立つ意味に怖じ気づいていた、私も自覚していなかったそれを見透かされていたようで。

 恥ずかしいのと申し訳ないのと、それでもこの薄絹に安堵していた自分がいたのは事実だから、言い様のないむずむずした気持ちに知らず知らずの内に背が丸くなっていく。


 ──ロゼスタ、姿勢だ。


 静かに響いた声に、びくりと体が動いた。


 私も正装している。

 精獣の背に乗ることを考慮した脹らみの少ないドレスは、シロガネの色に合わせた光沢のあるオフホワイトの生地。そしてあちらこちらについている金色と黄色の飾りと、耳に下がる魔力回復の魔道具。


 でも薄絹越しにそんなのは見えない。

 頭からすっぽり布を被った、ドレス姿らしき少女がいかにも自信のないように体を揺らして丸くなっていたら──。

 多分、ううん、絶対にみっともない。


『淑女らしく、凛として』


 はい、お母様。


 深呼吸して記憶の中のお母様に返事をする。

 まだ私は子供で、こうした庇護が必要だと思われていて、それは仕方がないけど、せめて領主としてのお母様の体面は傷つけたくない。



 お母様が元の姿に戻ったディーの背に乗った。相変わらず大きい。

 あの背に初めて乗せてもらったのが随分と前のことのようだ。

 淡く全身を緑に染めて、徐々に夕焼け色に沈んでいく景色の中、翼を広げたその姿は、まるで発光しているようにも見えた。


 ふわり、と風が渦巻いた。

 大きな羽で空気をかき、上体を浮かせたディーが静かに上を向く。

 熱心に人々が見つめる中、重さを感じさせない無駄のない動きで、お母様を乗せたディーが軽やかに舞い上がった。

 風に薄絹が靡いて、この時だけは綺麗だと思った。

 一拍置いて日だまりのような、森の奥で大きく息を吸い込んだような薫りが漂い始める。


 思わず手を振りそうになるのを堪えて、ただ見送る。

 背後からのリカルドの視線を痛いほど感じながら、次の自分のタイミングを測った。


 こうして下から見ると、もう既に上空彼方に飛んだディーがどう薫りを撒いているのかよくわかる。私以外の人が見えないのが勿体ないくらいだ。

 飛行機雲のように、風を切ってぐんぐんスピードを増すディーの翼から少し遅れて、精霊たちがふわふわと広がっていくのが見えた。

 多分、あれが薫りの流れ。

 空を覆うように高く飛んで思い思いの方向へ向かっている。声は聞こえないけれど、楽しげにくるくると回りながら下りてきた赤い精霊に薄絹越しに額を合わせられて、思わず頬が緩んだ。


 飛んでいくお母様に視線を戻すと、大分遠くまで行っているのが見てとれた。



 そろそろだ。

 ふ、と息をついて横目でシロガネを見る。


 問題ないわよね、シロガネ。

 冷たい指先を握りしめ、脳裏に浮かぶ白銀の毛並みの獅子に問いかける。


 お代わりまでして食べたんだから、もう一踏ん張りできるよね?

 ──言われずとも。この地へ魔物どもが近寄らぬよう、我らが威を示せば良いのだろう。一言命じてみればよい。


「──シロガネ、お願い」


 前だけ見据え、できるだけ凛とした声で呼び掛けた。命令? 私のイメージじゃないし無理。


 後ろのざわめきがどこか遠くの音に聞こえる。

 どのタイミングでシロガネが大きくなるのか、そして背をちゃんと屈めてくれるのかどうかで私のちっぽけな威厳が保たれるなんて、グダグダ考えていた私の悩みは一瞬で吹っ飛ばされた。


 瞬きをする度にシロガネの輪郭が淡く溶けるようにぼけていき、ググっと大きくなっていく。

 内側から発光するような、純白の毛並みをゆったりと波打たせて、獅子の姿に戻ったシロガネは私だけにわかるようにニヤリと笑った。


 ──今もふもふはしてくれるなよ?

「流石にしないよ!」


 思わず小声で突っ込んで、それどころじゃないと思い直す。

 さっきから後ろで悲鳴のような雄叫びのような声が飛び交っている。怖くて振り返れないんですけど。


 さぁ、どのタイミングで背中に乗ろう。大分位置が高いけど早く屈んでくれないかなと内心首を傾げた時。


 いたずらっぽい表情はそのままにシロガネがダン、と片足を地に叩きつけ、空を見上げた。

 その喉から、空気を震わせて遠吠えのような声を上げたシロガネはグッと背を屈め──溜めた息を長く吐くように一際大きな咆哮を上げた。


 ビリビリと肌に触れる空気が震える。

 舞っていた精霊たちが四方八方に散って、私たちの足元から波が立つように広がった。

 同時に吸い込んだ深い薔薇の薫りに、頭の芯がじんと痺れた。


 音もなく透明な『何か』がシロガネから放たれ一斉に広がっていくのがわかった。

 精霊たちが引く波を追いかけるように『それ』の後を飛んでいく。


 誰かがはっと息を吸った音がした。

 啜り泣きのような、祈りのような声が入り交じる。

 誰かが膝をついたのか、布が擦れるような音が重なったけれどそれでも振り返らずに前だけを、シロガネの魔力の広がりに目を凝らす。


 ──上を見てみろ、仕上げに取りかかったぞ。


 シロガネの声につられて見上げると、ディーが上体を起こし立ち泳ぎでもするようにその場で翼を羽ばたかせている。

 ……停止しているように見えるけど。


 ──留まっているんだろうよ。

 ちょっとちょっとちょっと! そんなアクロバティックな動きをするなんて聞いてませんけど?!


 ぎょっとして足を踏み出しかけて、そういえば私のことを監視してくれてる厄介な人たちがいたなと足が止まる。

 視線は上に固定したまま「頼むから早く戻ってきてくれって伝えて!」と内心絶叫した時。


 ディーが一層激しく翼を動かした。空気を混ぜるようなその動きに、ディーの後をついていた精霊たちが抵抗なく身を任せている。


 それはとても幻想的な光景だった。


 風の精獣の後をついていた精霊たちが花吹雪のようにふわりと散った。その下ではシロガネの咆哮に散らされた精霊たちが上空に向かう。

 薫りに色なんてついていないのに、薄い緑と金色が空中で一瞬混じりあったように見えた。

 互いに入り交じった精霊たち、そして森と深い薔薇の薫りは薄らぐことなく辺りを漂っている。


 薔薇園にいるような濃厚な薫りに包まれ、茜色に染まりゆく視界で色とりどりの精霊たちが風に散っていく。

 背後からの声は聞こえない。

 無事に風を隅々にまで届けたのか、優雅にディーが高度を下げながらこちらへ向かってくる。

 このまま何事もなく終わりそうで、いつの間にか止めていた息をゆっくりと吐き出した。



 ──どうだ、見直したか?


 どこか得意げな調子で鼻を鳴らしたシロガネ。私は黙って彼の喉元を擦り、洗練された仕草で地に降りたお母様へ布越しに満面の笑みを浮かべた。



読了ありがとうございます。

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