お父様の友人
令和5年4月18日、アルフォンスの指輪のシーン加筆しております。
「やぁ、やっと会えたな!」
広場の熱気もまだ冷めない中、突然お父様がよろめいた。どうやら思いきり背中を叩かれた模様。
たたらを踏んだお父様が顔をしかめて振り向き──そのまま動きを止める。
ひょい、と顔を覗かせたのは赤毛の男の人だった。
「その変装のパターン変わってないんだな。もうちょっと捻りを効かせた方がいいと思うな」
にやりと笑みを浮かべた彼は、茶目っ気たっぷりなウインクを寄越した。それが全然気障じゃなくて、かといって軽薄そうでもなくて、雰囲気によく似合っている。どこかで見たような色だと思いながら琥珀色の瞳を見上げたら、腰を屈めた彼に手を取られた。
「初めまして、小さなレディ」
囁かれ手の甲に唇を当てた仕草に鼓動が一つ、大きく跳ねた。ふわりと薫ったのは清涼感のあるミント。なんの心の準備もしていなかったから、勝手に頬が赤くなるのがわかる。
こ、こういう仕草には慣れていないんです……っ。
私の身近な男性と言ったらお父様、兄様、レイトスに……最近だとルーカス。誰一人として手にキスをしてくるような優雅な男性はいない。
私の反応におや、と眉を上げた彼に対して、お父様が不機嫌そうに声を上げる。
「おかしいな、目の錯覚か? 私はエリオットを呼んだんだが……シーリア様とは会えたのか? 全く変な時期に呼び戻して……」
「ああ。ちょうど取った宿の街が同じでね。色々と話ができたさ」
「え?」
「……ロゼスタ、こいつはグレーベル侯爵家当主だ。シーリア様の父親でもあるが、特によろしくする必要はない」
「エリオットにはちょっと急用ができてね、例の件は僕が担当するよ」
「なんだと、聞いていないぞ」
「今言ったからね。諸々の手続きしてやっとこっちに来れるようになったんだ。直接言った方が早いと思って」
「……お前にも手紙の魔道具を送ってある筈だが?」
「ふっ、直接言いたかったんだって」
「顔が笑っている」
グレーベル侯爵家って……この人がシーリアのお父さん?
そう考えると彼の目は彼女の瞳の色とそっくりだ。王都へ帰った彼女を思い出し、今どの辺だろうかと地図を思い浮かべてすぐさま放棄する。自分のいる位置を中心に地図を回してしまう私は典型的な地図の読めない人間だった。そもそも彼女たちがどのルートを辿っているのかすらわからない。
まだ王都に着いていないのは確実だから、手紙の魔道具が戻ってくるまではまだ日にちがかかるということかな。
一人頷きかけたところで、横を通った女性と目が合って一気に現実に引き戻された。
ものすごく、注目を集めている。
……ええと。一気に二人の世界を作って親しげに会話をしていますが。グレーベル家は侯爵家で、伯爵家の我が家よりも格式が高くて、そしてその家のご当主に向かってぞんざいな話し方をしているのはお父様で。──何よりここは往来だ!
「お、お父様お父様。ここは目立ちます」
くいくい、とお父様の袖を引いて路地に押し込む。ついでに侯爵様も。不敬だという言葉が頭をよぎったけれど、もう今更だ。今までの会話のやり取りほどのインパクトはない。
面白そうな表情でわりと素直に路地に入って下さった侯爵様に改めて向き直る。
「は、初めまして。ロゼスタと申します。お見知りおきを」
今着ているのはワンピースだから、ドレスの裾をつまむようにはできない。軽く腰を屈めて頭を下げると軽やかな笑い声が返ってきた。
「なんだいこれは。お前には勿体ないくらいの娘さんじゃないか」
「うるさい見るな触るな話しかけるな。減る」
減らないよ?!
「それで……そのバッグの猫が、例の精獣様かな?」
顔だけ覗かせたシロガネに、素早く気づいた彼は恭しく頭を垂れた。
苦しゅうない、とでも言うように鼻先を上げた精獣を腕に抱え直す。なんだか私にまで頭を下げられたようで落ち着かない。
むっとしたままのお父様が何も言わないってことは、きっとお父様から話をしたということだろう。
「……豊穣祭の後の討伐隊は率いなくていいのか」
「そっちには父上が行ったよ。久しぶりに腕が鳴るって笑いながら」
「相変わらずで何よりだ。──確かに例の件で来てくれとは言ったが……なんでお前なんだ。エリオットで十分な話だったろう?」
「それがそうも言っていられなくなってさ」
肩を竦めた侯爵様がお父様の耳元で何やら囁く。途端に、お父様の顔色が変わった。
「なんだと……っ?!」
「実際、他のとこではもう始めている。ここもじきに来るぞ。僕の方が適任だろう?」
焦ったような雰囲気のまま、お父様に「一旦帰るぞ」と抱き上げられる。
意味はわからなかった。
ただ、確かに聞こえた。
「とうとう転移陣が通じるぞ」と。
◇ ◇
本当はコンテストで上位を取った料理の味見に行きたかったところだったけど、シーリアの父親──アルフォンス・グレーベル様との対面でそうはいかなくなってしまった。
どこか慌ただしい空気の中、何故か直々におもてなし役に任命された私の前で、グレーベル侯爵は満足そうに頷いた。
「うん、流石ラシェル伯爵家。良い豆を仕入れているね」
私には紅茶が出されているが、彼の前にあるのは香ばしい香りを漂わせるコーヒーだ。ミルクと砂糖を入れたコーヒー牛乳なら私も飲めるが、彼が飲んでいるのはブラック。私に飲める日が来るのは当分先だ。もしかしたら一生来ないかもしれない。
「おや、ロゼスタはコーヒーを知っているのかい?」
不思議そうに首を傾げた彼に慌てて首を振る。
「知っていますけど、私はミルクと砂糖を入れないと飲めません」
「確かに、子どもには少々キツいね」
「でも、刻んだコーヒーを入れたチョコレートやケーキは好きです。いい香りなので」
「ふぅん……」
微笑んだ彼は、ちょうど今王都で流行しているのだと教えてくれた。
しかもブラックで飲むのが流行りだとか。拷問か。
「このくらい、普通だよ」となんでもない顔で飲み続ける侯爵様には脱帽するしかない。
「ところで、オルトヴァに聞いたよ」
改まったように膝に手を置いた侯爵様は「家の子が本当に世話になったね」と口にした。
さっきも言われたけれど、そんなに感謝をされるようなことは何もしていない。むしろ美少女と仲良くできて私の方が眼福だった。
「侯爵様?」
「いや、その呼び方はちょっと……。まだ爵位を譲られて日が浅いせいか慣れなくてね、ロゼスタには名前で読んでもらえると嬉しいな」
「はい……ええと、アルフォンス様?」
本当にいいのだろうか。でも本人がそう望んでいるし……とおずおずとした呼びかけに、侯爵様はより一層にこにこした笑顔になった。
「いやー、いいねいいね。ディアの黒髪にオルトヴァの緑の目。でも顔立ちはディアだな。まるであの頃に戻ったみたいだ」
「あの頃?」
「聞いていないかな? 僕たち三人は魔法院で一緒に学んでいたんだよ。学年は違ったけれどね」
王立魔法院!
聞き覚えのある単語にぴっと背筋が伸びた。
「あの、学年が違うというのは」
「僕が一つ上で、オルトヴァとディアが同学年だね。エリオットはその一つ下。二人ともよくも悪くも注目の的だったよ。優等生のオルトヴァに無邪気だけど活発なディア。でもあの笑顔にやられる奴らが続出してね」
「わかります! けど……お父様が優等生?」
非常に研究熱心なところしか見ていないせいか、教師をガン無視して自分の世界に没頭するシーンしか浮かばない。しかもお父様一つ年上の先輩にあの話し方って……それに、お母様が活発?
全く想像できなくて顔をしかめたら、アルフォンス様が声を上げて笑った。
「オルトヴァは講師たちには気に入られていたよ。自分が納得いくまで突き詰めて貪欲に知識を得ようとしていた姿勢がね。もちろん、出身を理由に距離を置こうとしていた者もいたけど、そんなことを気にする奴じゃない。ディアは……なんというか、見た目によらず大胆で、よく周りの人間の寿命を縮めていたよ」
ちょっとそれどういう意味だろう。
首を傾げかけてから思い出した。お母様の魔力の増やし方を……。
そりゃあ、周囲の人たちはビビりますよね! ってか、在院中からだったのねお母様!
他にも講師たちに隠れて魔法対決を複数回したり、精霊と契約し院内の池を溢れさせて溺れかけたりと話題の提供に事欠かなかったらしい。果たして大胆という言葉一つで表現していいものなのか。
頭を抱えれば、「まだ二人のことを覚えている者も多いだろうから、君も大変な思いをするかもしれないけど頑張って」などという、全く慰めにも応援にもなっていないことを言われた。
「入学時期が早まるにしろなんにしろ……今から荒れるオルトヴァ対策考えとかないとエライ目に遭うな……」
「は?」
「いや、こっちの話。それはそうと、これはほんのお礼だよ」
す、と右手の人差し指から抜き取られたのは指輪。それは私の指に嵌められて瞬時にサイズを変えた。え、すご……こんな魔法陣があるんだ。
思わず返すのも忘れてしげしげと指輪に見入る私に、アルフォンス様はまたウインクを寄越した。
「ちょっとした御守りと考えておいてくれ。少しだけどあの子からも色々と聞いている。特に魔力の薫りに関して、恥ずかしながら僕は全くの役立たずでね。随分とあの子には可哀想なことをした」
「あの……でも私、本当に何もしていません」
「本当に? 僕はあんなに自然に笑えるようになったあの子を久々に見たよ。あの子のを、大好きな香りだって言ったんだって?」
「事実ですから」
そうだった、唐揚げを知ってもらって終わりじゃない。豊穣祭で上位に食い込んだからと言ってそこで終わりじゃない。
あの美味しそうな香りも一刻も早く広めなくては。
嘘偽りない私の言葉に、アルフォンス様は眩しそうに目を細めた。
「本来ならば、それは僕たちが言ってあげなければいけなかった言葉だ。本人からも聞いているだろうが……あの子の薫りは周囲にとってあまり馴染みがないものでね、受け入れられるのに時間がかかった」
「それって……現在進行形ですよね」
肉親にもいい顔をされないと言っていたシーリアの顔が浮かんで、思わず口に出てしまった。
アルフォンス様が黙って苦笑する。
それってあまりにも切ない。
少なくとも魔力があればいいんじゃないの? あるのが当然で、尚且つ薫りも馴染みのあるものじゃないと、なんて。自分ではわからないし、選べるものじゃないのに。
不意に魔力が微量で魔法院へ行けなかったと言っていた人が浮かんだ。魔力が少ない者に存在意義があるのかと問うた青年の顔が。
「そういったわけで、あの子にとっての静養の為にもオルトヴァを頼ったんだ。彼は僕の最も信頼する者の一人だからね」
「そうですか……シーリア様にとって、少しでも休める場所になれたなら良かったです。またいつかお会いできるのを楽しみにしています」
周囲の反応に傷ついた彼女が少しでも前を見るきっかけになれればいい。
静養の理由がそんなに深刻なものとは思ってもいなかったけど、最後に見た彼女が笑顔だったから、大丈夫だと信じたい。
今度会えるときまでにはカレーを完成させておきたいな、と考えていると、アルフォンス様が身を乗り出してきた。
「それなんだけど……今度は君がこちらに来ないか? 王都に幾つか屋敷もあるし、もしよければ招待するよ。きっとあの子も喜ぶ」
「私が王都に、ですか」
「うん。精獣様と契約もされているし、今後様々なところに行くことになると思う。その前に、王都の施設や他の契約者たちと会ってみないかい? 数年後に君が通う魔法院も見学できるよ」
他の契約者たち、と言われて少し心が動いた。というか、魔法院に行くのが数年後ですか? もうちょっと後じゃないかな……。
社交辞令として取るにはやけに具体的だ。行きたい、と口にしたらそれだけで話が進んでしまいそうな……。
──遊びに行くにしてはそなたにしては遠い道のりではないのか?
冷静なシロガネの声が響いてはっと我に返った。
……そうでした。確か一週間以上かかったと記憶している。いやいや、ちょっと五歳児が行くにしては遠すぎやしませんかね。同じ距離をシーリアが来たのだと思っても、自分が同じことができるかと言われると自信がない。まだ家族と離れるのは不安だ。
「素敵なお誘いありがとうございます。でもちょっと王都は私には遠くて……あまり現実味がないと言いますか」
「あの子も辿った道だよ?……そう言えば今年は面白い試みをしていたね。料理コンテスト、だったかな。貴賤問わず料理を振る舞え、人気上位に残った者は祝福を与えられるとか……君の精獣様も祝福をするのかい?」
「はい、そうです」
「それはあまりにも精獣様を軽んじた行為ではない?」
「そう思われるのは心外です。シロガネたちが祝福を与えるのはそれに値する者たちへです。上位に残ったからといって祝福が与えられるわけではないし、もしかしたらコンテストに漏れた者が受けるかもしれない。けれど、誰が祝福を受けようと精霊精獣へ熱心に感謝と祈りを捧げている者だということに、変わりはないと私は思っています」
精獣様へ不敬だと騒ぎ立てる人ほど、敬意を払っていない傾向があると思うのは私の偏見だろうか。あのコンテストでそうした面を強く見ただけに、本当に思いの籠った──リアナの作ってくれたような料理がもっと増えてくれればいいのに。
アルフォンス様は顔を伏せたまま動かない。気分を害してしまったのだろうか。
不安になってその表情を見ようと覗き込もうとした時、彼は大きく肩を震わせ始めた。
「くっ、あはははははは!」
最終的に笑い出した。なんで?
目をぱちくりさせている私に、しばらく笑い転げたアルフォンス様は滲んだ涙を拭う仕草をしてようやく息をついた。
「いやー、そうか。君だったんだねぇ。驚いたよ。いや、あの二人の子だしねぇ……」
しみじみと言われているけれど、心当たりはない。なんなんだ、一体。
「本当に誰が参加してもいいコンテストなんだってわかっただけだよ。それをこの地で行うってのが面白い」
「はぁ……」
「ますます王都に来てもらいたくなったな。落ち着いたら戻るようにと言われているオルトヴァと一緒にはどうかな? きっと賑やかで楽しいよ。それにじきにこの距離もあってないようなものになるしね」
「は?」
妙な言い回しに眉が寄る。どういう意味だ。
「転移陣って言葉は聞いたことがあるかな。この領地にも存在しているんだけど」
「あります。ええと、王都に近い村に繋がっていると聞きました。確か、有事の際の物資の補給をメインに稼働しているんですよね?」
「その通り。よく細かく覚えているね。ここフローツェアは精霊、精獣の加護が多いせいか、魔物の発生も多くてね。国中のあちらこちらに陣を置いているんだ。今までは主に武器や食料などを送ることを前提としていたんだけど、今度から各地で精獣たちと契約をしている者たちをそこに含めようということが決まったんだ」
ええと……遠回しでもなんでもないのに理解が追い付かないよシロガネ!
──要するに、精獣と契約者たちも今後武器として見なす、という括りにしたのだろう。色々と策を巡らすものだな。
「あの、それって」
「僕は陣の調整の為に来たんだ。無機物だけを送っていたところを少なくない人が通ることになるからね。万全の準備を整えておきたい。小耳に挟んだんだけど、この地の転移陣に不具合があったようだしね。陣に必要な魔石を取り付けるだけの作業なら僕の弟が来ても良かったけど、細かい調整となるとね」
だからちょうど良かったよ、と微笑んだアルフォンス様にどう反応を返せばいいのかわからなくて、曖昧に肩を竦める。彼がどこまで知っているのか知らないのか、話していいのかダメなのか判断できない私は黙るしかない。
……確か二つある内の一つ、破損してなかったっけ?
「いつまで見つめているつもりだ。追い出すぞ」
じっと見つめられる中、お父様の不機嫌そうな声が響いた。
「相変わらず冷たいな」
「アルフォンス、久しぶりね。また会えて嬉しいわ」
「ディア、変わらず綺麗だね。領主として、精力的に動いていると聞いているけれど、体には気を付けて」
「ふふふ、ありがとう」
髪を結い上げていつもより艶やかな雰囲気を醸し出したお母様も来て、一気に心が軽くなった。そろそろお役ごめんのタイミングらしい。
「無理言って君たちの可愛い娘さんを借りて悪かったね。有意義な時間をありがとう」
「いいえ、アルフォンス様。私の方こそお話ありがとうございました」
きれいに会話を纏めたと思ったのに、不機嫌そうなお父様の声で立ち上がりかけた私はまたソファに逆戻りすることになった。
「何呼ばせているんだ」
「何って? 名前。ほら、堅苦しく侯爵様なんて呼び慣れていないからさ」
「何が呼び慣れていないだ! お前爵位継いで七、八年経つだろうが!」
「正確には七年と半年かな」
「なお悪い!」
ぽんぽん続けざまに交わされる会話を聞いて、ようやくからかわれていることがわかった。お父様が。
尚も言い募るお父様から一瞬こっちに目を移したアルフォンス様が、ぱちんとウインクをしてみせた。
お待たせしました。
読了ありがとうございます。




