発表日
お待たせしました…。
見上げれば広がる青い空。広場に近づくほどに高まる熱気と興奮した空気でうずうずしてくる。
露店や屋台の盛況ぶりは変わらず、楽しそうに飛び交う精霊たちの姿も日に日に増えていっているようだ。
いよいよ投票日当日。私といるのはお父様とシロガネのみ。魔石を見に行きたいと朝からそわそわしていた兄様とは別行動だ。
レイトスの護衛も断れて、万々歳である。
「それは君も含めて私に護れということか?」と笑っていない目で言われたレイトスにはちょっぴり気の毒だったが。
隣を歩くお父様は、それと知られぬよう茶髪のかつらに無地のシャツにズボンと気取らない格好をしているが、そんな地味な装いをしていても滲み出るオーラがあるのか、行き交う女性がしょっちゅう振り返り、たまに猛者が声をかけてくる。
その度に「連れがいる」と無表情で断るお父様。お母様への態度とのギャップが激しいです。今のところ重ねて声をかけてくる人はいない。
「そういえばお父様」
「なんだ、どうした?」
「あの時の話ってどうなったんですか? ほら、私が枯渇手前で休んでいた時、話していましたよね。私が契約していたのは……って公表する頃には、周りはそれどころじゃないって。あれってどういう意味なのかなって」
「ああ……」
行き交う人は皆上気した表情で、中央の祭壇を遠巻きに囲むようにして陣取ろうと押し掛けている。数日前この付近にあった露天や屋台の姿はなく、神殿を中心に人が集まれるようにしているらしい。
精獣との契約か、精霊との契約かはかなり意味が違うと思うけれど、その発表の時に周囲にそれどころじゃないと言い切れることって結構な爆弾じゃないですか?
特に私たちに注意を払う人はいないだろうけれど、声を潜めると、顎に手をやりながらお父様が頷いた。
「あの時は、単純に事態の収拾の目処がつくまではいかなくとも、牽制ができるだろうと言ったんだが……今は、なぁ」
それは思っていたより面倒なことがあったということだろうか。浮かない顔をしたお父様は困ったように眉を寄せると、ぽんと私の肩に手を置いた。
「まぁ、ロゼスタが心配することはない。まだ正式にはしていないが、もうすぐ私の友人が訪ねてくる。この五年間こそこそと動いていた奴らには充分衝撃を与えられるだろう。あとは──証拠が必要なだけだ」
「もう豊穣祭終盤ですけど……少ししか参加できなくて残念ですね」
「ふん、あいつはいつも動くのが遅いからいいんだ」
「そんな言い方……お父様、貴重な友人とも言える方なんですから、もっと大事にして差し上げないと」
「……それはどういう意味かな」
言葉通りですが。
ぶつぶつと何か呟くお父様の手を引いて前へ出る。「あら、そろそろ結果が発表されますね」と、繋いだ手にきゅっと力を込めて引けば文句は聞こえなくなった。
ついでに振り向き様に小首を傾げて、ちょっと上目遣いをして見せれば完璧だ。お父様は嫁と娘の笑顔に弱い。
証拠が必要なだけということは、騒ぎを起こしていた人物の見当はついているのだ。その人物──彼だか彼女だかわからないが、絞り込めたということか。
そしてその人物に衝撃を与えられるくらい大物のお友達が来る、ということですね。
一体目星の犯人は誰なんだ と口を開いたタイミングで、地鳴りがしたのかと思うくらい、大きな歓声が上がった。
──む。始まったか? 何も見えぬが。
シロガネが肩から下げた鞄からひょっこり顔を出す。
当然ながら私の身長では前の人しか視界に映らない。無駄な背伸びを繰り返す私を見かねたのか、お父様が抱き抱えてくれた。
中央の祭壇に黒髪のすらりとした女の人がいて、他にローブを纏った人が数人。右端の人が紙を手にしながら前に進み出てくる。
「あの中央にいるのがっ」
「領主様、だな……あまり興奮するな、落ちるぞ」
私の台詞に被せるように冷静な声が続いた。わかってます。大丈夫。ちょっと思わず言いそうになっちゃっただけだし。
今日表に出るのはお母様とディーだけとなっている。
当主としてとかなんとかかんとかお母様は言っていたけれど、つまるところ私とシロガネを見せるのを少しでも少なくする為だろう。
元々出る予定のなかった最終日に出ることにしたのもあって、神殿の方もそう強く出てくることはなかったそうだ。
だから私とシロガネが契約したと正式に発表されるのは明日。……どうしよう、なんだか胃が痛くなってきたような。
順番通りに儀式を進められるのかとか、もし顔を覚えられたら街に来にくくなって嫌だなぁ、と思ったところで、神殿を背に灰色のローブを纏った神官が被っていたフードを脱いだ。
現れた長く明るい髪色に、周りの女性陣からため息と興奮したような声が漏れる。
お母様曰く、エセ眼鏡は女性に非常に人気があるらしい。
あの外見だし無理もない。そういえば神官って結婚はできるのかな? 後で聞いてみよう。
「あれは何をしているんですか?」
灰色のローブを纏った数人の神官たちが天に向けて両手を挙げている。
「ここまで声は聞こえないが……恐らく精霊に祈りを捧げているんだろう」
──各々の得意とする属性の精霊に呼び掛けて契約を結ぼうとしているところだな。そら、火の精霊が応じたぞ。
シロガネが言い終わるのと同時に、突如祭壇の周りに火柱が五つ、上がった。
鮮やかな赤。煙もなく、高く高く一直線に空へ伸びた炎はぱっと散ってその色を明るい橙色に変えていく。
恭しく両手を下げた神官の肩先から、小さなオレンジ色の精霊がふわふわと離れていくのが見えた。
次に空中に現れたのは水球だ。まだ空へと伸び続けている火柱を螺旋状に包みながら、澄んだ水流がみるみるうちに上がる。触れそうで触れ合わないまま上へ到達した水流が、火花と絡み合いながら端から水蒸気になって徐々に溶けるように広がっていく。
「精霊と、こんなにピンポイントに契約ってできるものなんですか?!」
「その為に──と言うのも変だが、昼夜問わず修行していて心を通わせているからだろう?」
──神官になるには様々な資質が関係しているが、優れた神官の側にはいつも複数の精霊がいるものだ。契約するしないに関わらず。この場での精霊との契約が成れば、精霊が祈りと感謝を受け入れたこととなる。できうる限り属性の被らない精霊との契約を示すのが望ましいとされているな。
「今年は別の神殿で巫女姫が現れたしな。アピールに余念がないな」
「巫女姫?」
また聞き慣れない単語が飛び出してきた。
──神官の中でも複数の精霊と契約を結んだ経験を持つ者のことだ。力ある者の象徴として王都の神殿に移籍することが常だ。
「神殿に属していて複数の精霊と契約を結んだ者のことだな。最終的には王族やそれに準じた位の貴族の元に行くことが多いな」
相変わらずお父様とシロガネはお互いに言葉が聞こえているのかと思うくらいタイミングがばっちりだ。内容も補完し合っていて聞いている私にとってはありがたい限りである。
数えきれない程の精霊が空中に現れては消え、消えては現れてと目まぐるしい。声は一切聞こえないけれど、楽しそうな雰囲気から彼らもこの豊穣祭を楽しんでいるのがわかる。
……複数の精霊と契約できるなら彼らを対魔物討伐に、と考えるのは私だけだろうか。
「もちろん、有事の際の討伐に彼らは組み込まれるぞ……全員がそうではないが」
──精霊は気まぐれだからな。その時その場にいるとは限らんだろう?
「……今は豊穣祭で精霊たちへの感謝を捧げる祭りだから、比較的多くの精霊がいるという解釈で合ってますか?」
「そうだ。流石ロゼだな」
──と、会話をしている間に僅かな地鳴りと共に、祭壇付近の地面が盛り上がっているのに気がつくのが遅れた。
ずずず、と土埃を立てながら祭壇と側の神官たちとお母様の立つ地面が大きな円柱の形をして上がっていく。
足元の地面が揺れて視界も揺れているだろうに、お母様たちに慌てた様子は見られない──けど、ちょっとちょっとちょっと?!
慌ててお父様の腕から降りようとしたら、かえって強く抱えられた。
「降ろしてください!」
「落ち着きなさい、あれも演出だ」
「そんなこと言ったって……あれ?」
私以外誰も動いていない。
驚いてはいるものの、どちらかというと次に何が起こるか待っている、ような……。
それでもあんまりにも高く上がったらどうしよう、と一人気を揉んでいたが、結局神殿の半分程の高さまで上がったところで動きは止まった。
少し安心した。大丈夫、あのくらいなら大丈夫だ。ディーもいるし、万が一地面が戻らなくてもシロガネもいるしなんとか、なる。
──そなたが父親でもあるまいし。
一人動揺していた私の心中はお父様には気がつかれなかったが、シロガネにはバレバレだった。仕方ないじゃないか。心配なんだから。
──票を集めた料理を発表するからだろう。そら、まだ終わっていないようだぞ。
みるみる内に柱にぼこぼこと穴が開き、段差が現れた。階段だと気がついたのは、それがぐるりと円柱に沿って下まで続いていたからだ。
これも契約を交わした精霊の力だなんて言うから、契約した神官の制御がきちんとしているからだろう。よくよく想像していかなければこうはいかないだろう。
神官の一人が大きく手を挙げ、静かにするようにジェスチャーをする。少し人々の話し声が静かになったところで、リカルドが口を開いた。
「これより、料理コンテストの上位三十品を発表していく。名を呼ばれた者は、順に上がり端の段に立つように」
リカルドの口からコンテストなんて出るとおかしな気もするが、お腹に力を込めて笑うのを堪える。仰々しく精霊への感謝やその他の話をするのかと思いきや、あっさりと発表に移ったから拍子抜けした。
そういったありがたーい話は初日に神殿で話したらしい。
簡単にリカルドが選ばれた料理は精獣に捧げられると話し、ざわついた空気が徐々に収まる。
さぁ、誰が上位になったのか。ここはセオリー通りに最下位からだろう、と祭壇を見つめていたら。
「一番票を獲得した者の料理は、プレコット殿のものだ」
なんと順番通りに発表していくつもりらしい。
どーして一番の盛り上がりになるであろう順位をそのまま口にしているのかなリカルド。
わあぁ、と上がる歓声の中、堂々とした足取りで男の人が円柱の階段に足をかけた。一位の人が一番上へ行くようになっているらしいが、私は一人がっくりしていた。
二位、三位と続く人なんて、もう頭に入ってこない。
盛り上がりがなってない、と感じるのは私だけなのか。
……来年以降も続けるとしたら、せめて最下位からの発表に変えた方がいいかな。
それにただ淡々と順位と名前を言っていけばいいってもんじゃない。何故得票数を言わない。どのくらいの差で、どれだけの人が支持したのか言わないと投票の意味がないでしょうが。
「五位、マーサ……領主様のところの料理だ」
お?!
ここでちょっと気分が浮上。
流石唐揚げ。頑張ってたくさん揚げてくれたものね。
嬉しいんだけど……この発表の仕方に納得いかないことに変わりはない。
誇らしげに胸を張って歩くマーサに手を振りつつ──良かった、これは魔道具の宣伝に大いに使えそうだ──眉が寄りそうになるのを堪える。初めに得票数も言うとしなかった私の落ち度だ。
ため息が出そうになるのを堪えてお父様の服を引っ張る。
「もう発表されましたけど、一位のプレコット様ってどの料理を出していた方でしょう? 私味見した記憶がないんですが……」
「私も食べてはいない……装いからして、おそらく上流階級の者だろう。出店の場所が違ったのかもしれんな」
「へえぇ……」
確かに、ルーカスたちと街を歩いた時はどちらかと言えば賑やかな大通りの方をメインにしていた。
何気ない相槌を打ちながら、内心ガッツポーズする。
やっぱり貴族も精獣の祝福には無関心ではいられなかったようだ。しかも正々堂々と一位を取ったんだから、祝福はいただくぜ! みたいな熱意をバンバン感じる。
個人的にもすごく気になる。唐揚げが上位を取るとは踏んでいたけれど、それより上を取ったからには何かしらの工夫をしているはず。
「今日発表されても最終日まで料理は出品していますよね? 頑張ってお店見つけて食べてみます」
「そういう物を探す時こそ他の者を使うんだ。あまり一人で動くものじゃない。特に今の時期は」
「ええと……そう、ですね。ルーカスに頼んでみます」
兄様と一緒に食べられるだろうか。今頃きっと魔石を見つけてホクホクしているんだろうな。
「二十位、ディーチ殿」
「……はぁあ?」
順番に発表されていく上位者の名前を聞き流していた時、飛び込んできた名前に思わず声が出た。
いやいや、あれはないよ。と思いつつ、目を凝らして円柱に近づく人を見れば、祝福の譲渡を匂わせていたあの男が意気揚々と歩いていた。
……譲渡を期待した人が入れた票でここまできたのか、それとも純粋に料理の美味しさで得票数が伸びたのか、判断に迷うところだ。
そもそもあの中でどの料理が選ばれたのか不明だ。
「あの男か?」
「あの男です」
グラタン(仮)を巡ってのいざこざはお父様も知っている。
孤児院でのやり取りはもう報告してあるし、祝福の譲渡の件についてもちくりとお返しをするつもりだったけれど……これはちょうどいい機会だと考えていいのか。
あのニヤニヤ笑いを見ているとどうしても、アランの悔しそうな表情と、リアナの泣き声が脳裏に浮かぶ。
──ふん、明日の祝福の時の顔が見物だな。その後は思いっきり野を駆けて魔物共に縄張りを示してやろうぞ。
鼻を鳴らしたシロガネの背を撫でる。そうだ、お母様と一緒に役目を果たせば、彼らに一矢報いることに繋がる。
……今更だけど、ちゃんとできるかなあ。
何度か背中に乗る練習はしているものの、走るシロガネの背中には乗ったことがない。
──なんとかなるだろう。気合いで踏ん張るのだ。
私の気合いで踏ん張ってなんとかなるものなのか。むしろそこはなんとかなるようにしてほしい。
すました声に次いで、三十位の者の名前を口にしたリカルドが一拍置いて手を挙げる。
「今回選ばれた人気上位の者たちの料理は、明日精獣様に捧げられる。その中から食していただけるものもあるだろう。他、投票から漏れた料理に関しても、機会がないとも言い切れない。選ぶのは精獣様なのだから、一層の感謝と祈りを込めた料理を作るように」
コンテストで上位が発表されても、最終日まで屋台の出品はされる。選ばれなかったからといって料理の提供自体を止めてしまう人が出てくる可能性も考えられたけれど、リカルドの一言はその考えに待ったをかけるのに大きなものだった。
……これはちょっと救われたかもしれない。
投票で選ばれた三十品以外にも祝福の可能性があるかもしれない、と神殿のトップが公で口にしたのだ。
まだ自分の料理にもチャンスがあるかもしれないと頑張る場合と、上位に名前が入ったからと言って確実に精獣の口に入るわけではない、と焦るのとどちらに取る人が多いだろう。
勘違いしていた人がいたかもしれないし、これで上位に入った人たちも祝福がないのは何故だと言い出せなくなっただろう。
これは領民たちに精獣が選ぶのだからと発破をかける意味だったのか、暗に契約者の意図したものを選ばせるなという私たちに対する牽制なのか。どっちだ。
離れたここからでは全く彼の表情は読めなかった。
深読みしすぎかもしれない。それに私はシロガネの祝福にはノータッチだし。
ともあれ、初の料理コンテストの投票結果は、大きな反発や反対の声もなく無事に人々に受け入れられたのだった。
大分遅くなってしまいました。
読んでくださっている方々、いつもありがとうございます。