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黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
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美味しいは正義

 フライパンの肉をひっくり返す。ほどよく焦げ目のついた片面が見えふわりと香ばしく、嗅ぎ慣れた懐かしい匂いがした。油が勢いよくはね、ジュウジュウと美味しそうな音が一際大きく響く。

 うん、いい匂い。


「マーサ、少し火を弱くできる? 蓋をして蒸し焼きにしたいの。その方が中まで火が通るし、ふっくらするから」


 頷いたマーサは、手際よく火の勢いを落としてフライパンに蓋をする。

 賑やかだった油のはねる音が途端に小さくなる。そこで今まで鍋や皿を洗っていた音がしなくなっているのに気がついた。がやがやとしていた料理人たちの話し声も何故かピタリとやんでいる。


「……?」


 首を傾げながら振り向いて、こちらをじっと見ていた料理人と目があった。

 はっとしたように慌てて調理器具を片付けだした彼は、それからもちらちらとこちらを気にしている。他にも気になっている素振りの料理人たちがちらほらといた。


「美味しそうな匂いに皆興味津々なんですわ」

「それなら近くまで見に来ればいいのに」

「それは難しいでしょう……。お嬢様の想像されたお料理の再現はこのマーサが承っておりますから」

「そんな大袈裟にしなくていいのに」


 むしろ作れる人は増えてくれると大変ありがたいんですが。ほら、この体で何が作れるかってほとんどできそうにないし。


 ──これは……なんと言ったか?


 さっきまでの小馬鹿にしたような響きはどこかへ、恐る恐る尋ねるシロガネの声が届いた。


「ハンバーグって言うのよ」


 不自然でないようにシロガネを抱き上げ、蓋をしたフライパンを上から見せてあげる。

「嫌ですよお嬢様。まさか精獣様に召し上がっていただくなんて……まさかですよね?」とかなんとかマーサが言っている。

 嫌だわー、召し上がっていただくも何も当の本人が食べる気満々なんだから私に聞かれてもわかりません。無言で笑顔を返したら頭を抱えていた。なんでだ。

 シロガネは尻尾をぶわっと逆立てたまま、フライパンを凝視していた。



 ハンバーグを蒸し焼きにしている間に、唐揚げに挑戦だ。ちょうどいい具合に揉み込む時間も取れた。

 さっきからこちらを気にしていた料理人をこっそり手招きする。手伝ってくれそうな人は大歓迎だ。

 びっくりしつつも若干ワクワクしている様子の彼に、フライパンを見ていてくれるようお願いする。

 一旦揚げ物に意識をやってハンバーグが焦げました、じゃ時間を割いてくれたマーサに申し訳なさすぎる。

 ここで躓いたらもう手を貸してくれないかもしれない。そうしない為にも、彼らの興味を引く意味でも私の食欲を満たす為にも! この二品は絶対に美味しく仕上げねば。

 漂うハンバーグの匂いに目を輝かせながら、青年は快諾してくれた。


「よし。次は唐揚げね」

「この鶏肉ですね。どうするんです?」


 マーサが揉み込んだ鶏肉を掲げた。


「これは片栗粉と小麦粉を混ぜたものをよくまぶしてから揚げるの」

「揚げる?」


 聞き慣れないのか、マーサが首を傾げる。揚げ物を見ないとは思っていたけど、調理法自体知られてないのだろうか。


「油をフライパンに入れて熱してほしいの。ええと、このパン粉を少し入れた時にジュワって揚がるまで」

「油はこのくらい……って、まだ入れるんですか」


 いつもの量より多いらしいそれに、マーサがぎょっとした声を上げる。


「まだまだ……はい、このくらいで」

「これはまた贅沢ですが、油の強い料理になりそうですねえ」

「……贅沢なの?」

「そりゃあ普通はこんなに油を使いませんから。この味もお嬢様は夢の中でご存じなんですか」


 使いすぎたかな、とマーサの様子を窺ったけれど、特にそれ以上のリアクションは返ってこなかった。

 呆れたように肩を竦めたマーサといかにも「なんだそれは」と言っているシロガネの表情が同じで思わず笑ってしまう。

 聞くと庶民にも油は流通しているらしい。けれどその使用量は圧倒的に貴族が占めているとか。大量の油を使う料理は貴族のものと考えておいた方がよさそうだ。


 ……貴族、か。

 鍋とフライパンを交互に見る。思わぬところからもらったヒントはまだ断片的だ。頭の中で上手く繋がらないか首を捻りつつ、マーサに次の指示を出す。


「油はある程度まで熱さないと唐揚げが綺麗に揚がらないの。温度が高すぎても外は焦げて中が生になったりするから、そこに注意しないと。あとは結構周りに油がはねるから火傷しないように気を付けて」


 油を注いだ鍋を火にかけ注意点を挙げていく。あとは温度と実際に揚げていく様子から判断していくしかない。

 味の違いを分かりやすくする為に、モモ肉とムネ肉の両方をわざわざ用意してもらって、鍋も二つ出してもらった。

 さっきの青年と同じように、別の人に声をかけもう一つの鍋を受け持ってもらう。

 小麦粉と片栗粉を混ぜ合わせた衣を、これもまた手際よくマーサが鶏肉につけていく。手伝おうと両手を掲げたら「危ないので下がっていて下さいな」とさらりとかわされてしまった。あれー、混ぜるくらいならできるのに。

 そんなに危なっかしく見えるのか、私。


 ハンバーグの火の番を頼んだ彼が気を使ってくれて、腰掛けるイスを持ってきてくれた。これで揚がる様子が見える。

 わくわくしながら、マーサが次々に衣をつけていくのを見守る。


「このまますぐに入れてよろしいんですか?」

「パン粉をほんの少しだけ入れてみて。油の温度を知りたいから。すぐに音を立ててきつね色になって浮き上がってきたら入れ時よ。肉を入れると温度が下がるからゆっくり一つずつ入れてね」

「はい──まるでお嬢様、この料理を作ったことがあるみたいですねぇ」

「……ある訳ないでしょう、ここで」


 そう、いつもこの料理を作ってくれたのは母さんだったから。

 味付けもその時の気分で微妙に違っていたけれど、不思議なことにいつだって美味しかった。

 もう二度と食べられないあの味。二度と会うことの出来ない家族。

 もしかしたらもう一度食べたいだけじゃなくて、あの頃を再確認したくてこの料理を作っているのかもしれない。


「入れますよ……」


 鍋の縁からさっと鶏肉を油へ投入するのは流石だ。途端にジュワーッと激しい音を立てながら、鶏肉が油の中を踊った。


「マーサ、油の勢いを落とさないように次の鶏肉も入れて」

「は、はい」


 油の勢いに気圧されたのか、マーサの狼狽えが大きくなる。隣の彼もマーサと競うように鶏肉を油へ投入している。あちらで揚げるのはモモ肉だ。

「大丈夫。まだこのまま火を通してね」とゆったり語りかけるように二人へ指示を出す。


「──これはもういいんですか?」


 しばらくして激しくはねていた油の音が落ち着いたことで、マーサも慣れてきたみたいだ。

 少しずつ鶏肉に色がついていく。ほとんど沈んでいた肉が浮かび始め、油のはねる音が乾いたように軽くなってくる。


「なんだか美味しそうですね……」


 二又のフォークで器用に肉同士をくっつかないように離しながらの呟きが聞こえた。

 当たり前と言うか、ここでは菜箸なんて便利なものはない。スプーンフォーク、ナイフを使って食べるのが普通で、料理をする時は長い二又のフォークで食材を突き刺したりかき混ぜたりしている。


「でしょう? 美味しそう、じゃなくて味も保証するから」

「やけに自信がおありですね?」

「まあまあ、食べてみればわかるから……そろそろ温度を上げましょうか。火を強くできる?」

「はい」


 マーサがかまどに薪をくべ、より火力を出してくれる。ここまでくればもう完成は間近だ。

 油を吸うキッチンペーパーなんてものはないから、油が切れるように網を用意してもらってその下に大皿を置いた。


「あの、お嬢様……そろそろかと」


 躊躇いがちな小さな声がした方を見ると、フライパンの番を頼んだ青年がしきりにこちらを気にしている。


「火が通ればこれも完成なの。竹串……ええと、先の尖った細いものでハンバーグの真ん中を刺してみて、肉汁が透明ならもう火から下ろして大丈夫。濁っているようならもう少し蒸し焼きにしましょう」

「刺すのはこれで構いませんか?」


 青年が取り出したのも二又のフォークだ。マーサが使っているもよりも少し短い。

 頷いてお願いすると、彼はゆっくり慎重そうな手つきで蓋を取ってフォークを構えた。

 広がる匂いは濃厚で、バチバチと散る油の音すら懐かしい。

 不意に泣きたいような、叫びたいような胸の奥がぎゅっと締め付けられる痛みが襲ってきて、マーサに気づかれないようにそっと深呼吸を繰り返した。

 香ばしい匂いを胸の奥まで吸い込んで、吐き出す。


「と、透明ですっ」


 興奮したようにハンバーグをじっと見つめる彼に、他の肉の確認もお願いしてから、皿に盛り付けてもらう。

 白い皿に熱々のハンバーグが盛り付けられた。初めて作ったにしては焼き加減も形も良い出来だ。私指示しかしてないけど。


「お嬢様、こちらももう色が濃くなっていますよ!」

「いい頃合いね。バットに移して」


 しばらく油を切ってから大皿に移す。思ったより沢山できた。この分ならこの厨房の皆に行き渡るだろう。


「これで完成ですか?」


 ふう、と額を拭ったマーサはほっとしたようにエプロンで手を拭いた。初めての調理で、指示を受けながらで疲れたみたいだ。


「思った以上に随分な量になりましたねえ。皆様で召し上がるには多いんじゃありませんか?」

「ふふ。何言っているの。これはもちろん私も食べるけれど、ここにいる皆にも食べてもらう為の量よ?」

「な、何を仰っているんですか」


 ぎょっとしたようにマーサが下がる。

 自分たちが口にするより、お母様たちへ振る舞うのが先と考えたのかもしれない。


「こんなに油を多く使用したお料理なんて、滅多に庶民の口には入らないんですよ」

「そう言えばさっき同じようなことを言っていたわね」

「ですから私どもでこちらの料理を食べる訳にはいきません。どうぞこれはお嬢様と奥様方で召し上がって下さい。マーサは、初めて見る料理を最初に見せていただいただけで胸が一杯です」


 深々と頭を下げられる。

 でも私も頷けない。私は指示を出しただけで、実際に食材を切ったり揚げたりしてくれたのはここにいる人たちだ。

 一番初めに作ってくれた懐かしい味を、ここにいる人たちと味わいたい。


「ダメよマーサ。貴女は味もわからない物をお母様にお出しするの? 召し上がっていただくなら、貴女もまずは味見をしてみないと」

「味見……」

「そうよ。それに、私が思っていた味と違っていたら、記憶の味に近づけるよう工夫していかないといけないでしょう? もしお母様好みの味じゃなかったらそうなるように改良していかないと」


 まぁ、最初はただ単にお母様たちに差し入れしてそこで終わりのつもりだった。そのついでにマーサたちにも食べてもらって、これからも私の料理に付き合ってもらえるように話を持っていこうと思っていた。

 けれど、油を使用するのは貴族がほとんどだと聞いてから、ちょっと路線を変更することにしたのだ。

 マーサが遠慮なく食べられるようにわざと味見だと言ってみせたけれど、この二つが領主としてのお母様に通用するか、食事を実際に作っているマーサたちの意見が聞きたいから。

 まだアイデアそのものはきちんと形になっていないから、OKが出たら色々と相談をしながら案をまとめられそうだ。


 器に移したハンバーグは既に切り分けられ、唐揚げは二皿にこんもり盛られている。

 初めはモモ肉の唐揚げ。

 まだ躊躇っているマーサを置いて、ひょいと手でつまんだ。熱いけれど、構わず口に放り込む。レディーにあるまじき振る舞いだけど、今だけ見なかったフリをしてほしい。

 カリッとした衣が香ばしく、噛む度に油と肉の脂が溢れてくる。出来立ての熱さが歯にしみる。

 軽やかな油の香りが鼻から抜けていった。これはきっと日本で使っていた油と違う。

 残念だったけど、やっぱり記憶の味の再現にはならなかった。あの味はやはり醤油があったからなのか。もう少し下味をつけてもいいかもしれない。

 味見だと押し付けた理由に断る言葉が出てこなかったのか、ようやくマーサが恐る恐る唐揚げを口に運び──その目が、かっと見開かれた。


「な、なななな……」


 戦慄く口からは言葉らしきものが出ない。

 しばらく待ってみたけど何かに打ち震えているから、次にハンバーグに手を伸ばす。久しぶりすぎるハンバーグの味はほとんど日本でのものと同じだった。贅沢を言えばここにソースがほしい。大根おろしにぽん酢もいい。

 ゆるむ頬を押さえ、一人舌鼓を打ち、はふはふしながらムネ肉の唐揚げを口に入れた頃、目を丸くしていたマーサがようやく衝撃から立ち直った。


「あんなに油を使ったのに脂っこくなくて、それにこの味この食感! 今までにない料理ですわ!」

「そぅお? あ、マーサ、他の人たちにも食べてもらって。それに食べ過ぎると胸焼けはするわよ?」


 もう厨房は香ばしく揚がった唐揚げと蒸されてふっくらしたハンバーグの香りで一杯だ。

 私の声を合図に、お皿に次々とフォークが刺さった。上がる驚きの声と唸るような、感心したような言葉が続く。

 もうマーサも「本当に私たちで食べて宜しいんですか」なんて言わなかった。


 ──我には? 我には?!


 焦ったような、切羽詰まったような声が頭に届く。足元を見ると必死の表情でぐるぐると歩き回り、終いには私の足を前足でかいているシロガネがいた。

 おかしいな。猫科だとばかり思っていたけど実は違ったのかしら。

 生の方が良かったんじゃないの? と言うのはやめて、小皿に唐揚げとハンバーグをわける。


「……別にありがたがってほしいわけじゃないけど、丸呑みもどうかと思うよ?」


 なんと、シロガネは一気に一口で平らげてしまったのだ。それもあっという間に。


 ──匂いで旨そうなのはわかっていた。だが、なんだこの味この食感! 我が初めてを知るのは久しぶりだぞっ。


 さっきも耳にしたような感想とよくわからないことを何度も言いながら、再び催促される。早いわ。

 それにしても、カリカリカリカリと服を器用に引っ掻く仕草が可愛くて困る。


「……どっちが気に入ったの?」

 ──どっちも倍くれっ

「これで最後だからね?」

 ──わかっているわかっている。我をなんと心得る。そなたを守る、創世の精霊に連なる精獣だぞ。約束を違えることなどせん!


 きりりと上を向き声高らかに宣言された言葉は今のシロガネの外見とのギャップも凄まじかったけど、私はひそかに感動した。

 可愛いだけじゃなくて、私の精獣は格好よかったんだと。


 そう言えば、夢で初めて会った時も立派な獅子の姿だった。そうだよね、何年生きているか分からないけど、リカルドも言っていたじゃない、高位の精獣様だって。

 そんなシロガネをいくら外見がふわもこで可愛いからってからかったりしちゃ失礼だった。

 ごめんね、と胸でそっと呟いてお皿にサービスまでして取り分けた唐揚げは──前回と全く同じ結果を辿った。


 ──旨い! もう一回!

「ちょっと! これで最後だって約束したでしょ?!」

 ──もう一回! これで最後だ!

 

 結局要求されたお代わりは二回。これで本当に最後の最後だからと言い聞かせて宥めすかして最後はもう次食べさせないよと脅して、やっと落ち着いた。



 私の感動を返してほしい。




読了ありがとうございます。

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