表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
40/90

距離感

「ああああ、あの時の!」


 思ったよりも大きな声が出て、慌てて口を押さえる。いかん、びっくりさせてしまう。

 木の枝に優雅に立った白猫は、可愛らしく小首を傾げて私を見つめている。片方だけで惜しいと思っていた、左目の紫水晶のような硬質な輝きを放つ瞳もそのまま。


「兄様兄様! この子です! この子が私たちのことを助けてくれたんですよ!」

「にゃぁ~う」


 細く小さく鳴いたその声が、部屋に入れてと言っているようで、私は慌てて後ろへ下がった。けれど、白猫はじっと動かない。じっと謎めいた視線でこちらを見つめている。

 この子がいたから、あの時逃げることができた。

 いつの間にかいなくなってしまっていて、伝えられなかったけどやっと今言える。


「助けてくれてありがとう。本当にありがとう。おかげで私たちは家に帰ることができたよ」


 微笑んで、伝えられなかった言葉を他の三人の分もと頭を下げた。


「これが、ロゼスタの話していた白猫ですか……」


 考え込むように兄様がじろじろと白猫を見る。


「確かに魔力の薫りを纏ってますね。なんて言うか、この子は精獣ではなくて、もしかしてじゅ……」

「うにゃぁん!!」


 何か呟きかけた兄様の言葉を遮るように、白猫が鳴いた。その迫力に負けて兄様が口をつぐんだ。


「どうしたんですか? ……こっちに、来ない?」


 後半は白猫に向けて。おいでおいでと手招きしたけど、反応がない。野性だし当然かな。むしろどうして助けてくれたのかが不思議だ。


「何言っているんですかっ。誰か呼ばないと……!」

「だ、だめです!」


 焦ったように声を大きくした兄様の口に手を当てる。誰か来ちゃう!

 目の前でこんなやり取りをしたから、きっとすぐに逃げてしまうなと思ったけれど、お礼を言えただけでも良かった。

 そう頭の片隅で思った時、ぴょん、と窓枠に何かが飛び移ってきた。口に当てていた私の手を引き剥がして、兄様が私の前に腕を伸ばして動きを制してくる。


「ロゼスタ、下がって」

「え、どうしてですか?」

「よく正体のわからないものに近づくなって言っているんです! 部屋に招いてどうするんですかっ」


 怒られた。

 なぜってお礼をちゃんと言いたかったのともふもふしたかった──げふんげふん、窓越しにお礼を言って終わりだなんて恩人にそんなことできないじゃないですかー。

 もっと雷落とされるだろうから、黙っていたけど。


 せっかく部屋に入ってきてくれたのに、驚かせて出ていってしまわないように。

 美少女と白猫が見つめ合う──もとい、睨み合うのを大人しく見守る。バチバチと火花が散っているように見えたのは、きっと気のせいだ。


 警戒心丸出しで白猫の様子を伺う兄様の後ろから、そっと顔を覗かせる。……もういいんじゃないですか? 確認はまだですか? ほらほら、攻撃してくる様子もないし、あの瞳を見てくださいよ、こんな美人さん滅多にいないですよ。


 しばらくして飽きたように白猫が欠伸をしたことで、渋々と言ったように兄様が腕を下ろした。それでもまだ心配なのか、私より半歩前に出て白猫との距離を取っている。


「確かにこちらへの敵意はないようですが……」

「ですから、私たちを助けてくれたってお話しましたよね? それに絶対この子は私たちの言葉を理解してますよ! さっきだってじっと動かないで私の言葉を聞いていましたもん!」

「それはそうとして……僕にはどうもこの猫が普通の猫には見えないんですけどね……」

「それはそうですよ。普通の猫は魔法を使えません」


 何を言っているんだ、という顔で見られたけど、同じように見返す。


「この子は特別な猫ですよ! 突然変異みたいな!」


 相手を喰らう魔物の線はない。お母様の守るこの領地の付近にそう簡単に近寄ってはこないだろうし、あの時の奴隷商人たちに魔力はなかった。第一私たちは馬車の中で縛られていたんだから、襲うならその時が絶好のチャンスだったのに、この子はそうはしなかった。

 逃げる時も側にいてくれて、尚且つ追手を攻撃までしてくれて。

 今だってただ私たちのやり取りをじっと眺めているだけで、殺気すらない。



「そこで精獣だと言わないのがロゼスタですね……」

「え、この子精獣なんですか?」

「なんとも言えませんが、僕は違うと思いますよ」

「そうですよね。私も、精獣ではないと思うんです……勘ですが」


 何せ見たことがあるのはお母様と契約したディーだけ。判断材料は全く足りていない。

 でも。


「精獣ってなんかこう……神々しいというか。生き物の姿形を取っているけれど、どこか雰囲気が違うような、そんなイメージなんです」


 大体厳密に言うと生き物ではないし。ディーはうっすら緑がかっていたし、大きさも桁違いだった。

 それに引き換え目の前の猫は……。


「すごく綺麗だし、美人さんだし、いい薫りを纏っているけど、生身って感じがするんです」


 知性の低い魔物ではない。でも魔法を扱える、野性の猫。

 躍動感溢れた生き物そのものだ。

 我関せずの顔で伸びを始めた白猫は、紫水晶の瞳を細めてじっとこちらを見つめてきた。

 

「──あれから大騒ぎになったのよ。あなたが魔法を使ったと知られているから、精獣として探されているかも。一部の人たちが私があなたと契約したんじゃないかと考えているみたいなの。今はそう思わせておいた方が私たちに都合がいいから訂正も何もしていないけど、その分迷惑がかかってしまったらごめんなさいね」

「猫に話してどうするんです」

「だってこの子、きっと理解しているから」

「大体それも機密事項なのに、ほいほい他人に教えて……」


 ぼやいた兄様ががしがしと髪に手を突っ込んだ。そんな仕草をしても相変わらずの美少女っぷりだ。後ろに花が飛んでいる。


「あなたに名前つけてもいーい?」


 驚かせないように、そっと話しかける。ピクリと耳が動いて、尻尾がぱたりと振られたっきり、反応がない。……好きにしろってことかな。

 本当はぎゅってしたい。ふわふわな毛並みに手を滑らせたい。

 それに命の恩人にお礼は伝えたからと言って、はいさようならなんてできないよね。


 待っててね、と身振り手振りをしたあと、私はオルガを呼んだ。厨房に頼んでミルクの一杯でも持ってきてもらおうと思ったのだ。煮干しみたいに干した魚があればもっといいんだけど。

 待っている間、白猫は僅かに姿勢を低くして警戒していたけど、それでも部屋にいてくれた。


 開いた窓から吹き込む風に緩く毛並みが揺れて、光を受けた毛が白く輝いている。片目の紫水晶の瞳がきらきらと輝いて、夢の中のあの子とは、また違った美しさだった。




「あの、これお礼なの」


 脅かさないようにそっと近づき、器に注いだミルクを溢さないように置く。

 そこから後ろへ静かに下がり、白猫の様子を窺った。残念ながら魚はなし。でも、ミルクを出せただけでもよかった。例えこの子が飲んでくれなくても、私は満足だ。


 白猫はじっとどうしようか考えているかのように私と器を見比べて、……音もなく頭を垂れた。


 ピチャピチャ、と可愛い音が響く。桃色の舌がミルクを舐めるのを、私は密かに感動して見ていた。

 野生動物がほんの一時心を許してくれたような……いや、言葉通りだ。警戒心強いはずの野良猫が、近寄らなければ手が届かないとはいえ、目と鼻の先にいる。そして私が出したミルクを無心で飲んでいる。


 ご馳走様、とでも言うように、あっという間に皿の中身を飲み終えた白猫が一声鳴く。

 そして、唐突に窓枠に飛び乗った。風に煽られた薫りがふわりと広がった。


「あっ……」


 呼び止めようとは思っていなかったけど、すぐに行ってしまうのは少し寂しい。

 誰かに姿を見られるとまずいから、長くここにいない方がいいのはあるんだけど。


 思わず漏れた声に、白猫が振り返る。考えるように小首を傾げて。

 そのまま行ってしまうと思っていたから、まさか窓枠から飛び降りて戻ってくるとは思わなかった。想定外のことだったのか、流石の兄様も反応できていない。

 軽やかな足取りで素早く寄ってきた白猫は、なんと私の足元に寄ってきたかと思うと、ふわっふわな毛並みを擦り付けてきたのだ。


 ……ちょっと叫んでもいいですか? モフモフが欲しいと思っていたところにタイムリーにも白猫が側に寄ってきてくれるとか。撫でてもいいの? 触ってもいいの?


 逃げないかな、逃げないでねと念じながらそっとしゃがむと……案の定そこで離れてしまった。残念。


「ねえ! また来てくれる?」


 思わず叫んだ言葉は咄嗟のものだったけど、私の本音。できたらまた会いたい。会いに来てほしい。

 そう念じて見つめたら、ほんの数秒紫水晶の瞳と目があった。


 別に何かがどう通じたとかそういうのは一切なく、白猫は姿を消してしまった。来た時と同じように、あっという間に。

 風に揺れるカーテンと、一瞬だけ不自然に大きくしなった木の枝の動きがまた元に戻る。

 漂う甘い匂いと空になった器が、白猫がついさっきまでここにいたという証拠だ。


「……可愛い子でしたねー」


 ちょっと残念に思いながらもほくほくしながら振り返ったら、ため息が返ってきた。


「全く……どうなることかと思いましたよ。何事も起こらなかったから良かったものの……。もしあの猫が相手に捕まったら、師匠の時間稼ぎはできなくなるんですよ?」


 あの時人を呼ばなかったのは何故ですか、と冷えたアイスブルーの瞳に問われて、肩を竦めた。


「無理矢理閉じ込めればどうなるかなんて、すぐわかるじゃないですか。魔法が使えるんですよ? 隙をついて逃げられちゃいます。今度はこっちに被害が出るかも。私にとっては恩人ですし、そんなことはしませんが、もし万が一そうなったらもっと困ったことになります。事情を説明しろと突っ込まれても、できないでしょう?」

「それが人を呼ばなかった理由ですか?」

「結構警戒されていたと思いませんか? まあ、野性だから当たり前なんですけど。そもそも他の人を呼んだ時点ですぐに逃げてしまうだろうなって思って。それを言うなら、兄様も何故捕まえようとしなかったんですか?」

「いやあれは野性というより……。魔法を使える生き物に、僕だけじゃ何かできませんよ」


 僕だって室内ですぐに魔法を使えるほど長けている訳じゃないんですよ、と兄様は顔をしかめた。


「僕だけじゃ有事の際にロゼスタを守りきれないということを言っているんです。ロゼスタには人を信じやすいというか、無防備に自分を開けっ広げにしやすいところがある。それは美点でもあるけれど、ある意味とても危険なことなんですよ」


 兄様がそんな風に感じていたなんて知らなかった。そんなに私人をすぐに信用してたかな? むしろこの屋敷内の人に限っていたと思うんだけど……。


「……心配をかけてしまったことは謝ります。あの白猫に関しては、私の直感に従って接していたので兄様も不安に感じてしまいましたよね」

「いえ……いや、そうですね。ロゼスタはその直感で動くのを少し自重した方がいいです。して下さい」


 真顔で念押しされてしまった。いや、兄様にすればそれだけ心配だったってことね。


「初めからすごく警戒されていたから、それを増やす要因をなるべく減らしたかったんです。できれば不定期でもあの子の方からこちらに来てもらえるようにというか、そういう方向に話を持って行きたかったんです」

「……なんでまた来ることが前提なんです」


 来なかったらそれはそれ。もしまた来てくれたら……。


「私があの子を閉じ込めるようなことをすれば、撫でさせてもらえないじゃないですか」


 呟いた言葉は掛け値なく本音だったのに。


「貴女はもう少し警戒心を持ってください」


 唸りながらほっぺたをむに、とつままれた。

 でも全然痛くない。

 ──兄様、気がついている? 初対面から、書庫でのやり取りに比べて私たちのお互いの距離が少しずつ近づいていることに。


「ふふっ」

「……何をそんなに嬉しそうにしているんです?」

「だって兄様がこんなに接してくれるようになるなんて」


 初対面の時は一目散に逃げるし、その後も逃げるし、初めは目すら合わせてくれなかったよね?

 それが今では、こんなにも近くで親身になって勉強を教えてくれたり、叱ってくれたり。

 この距離が嬉しくてくすぐったい。

 胸の辺りがほんのり温かくなった。


「兄様が私に自然に接してくれるようになって、嬉しいんです。とっても」


 笑顔で伝えたら横目で見られたあと、不意ににっこり微笑まれる。不自然なくらいの満面の笑みで。


「お望みなら、もっと厳しくして差し上げましょうか?」

「えええええ! なんでそんな話になるんですかっ」

「ふっ、そんな遠慮なんてしなくていいんですよ」


 一瞬間が開いたあと、吹き出したのは同時だった。

 そんなじゃれあいをしつつ、お父様たちへ白猫の件を報告しに行く。

 いつかまた、あの白猫に会えるといいなあ、なんて思いながら。





 ──三日と空けず、例の猫が来るようになるのはそれからすぐのことだった。







読了ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ