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黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
37/90

ネーミングセンス

 ──また会ったな。


 短い一言でゆさりと体を振るわせた白い獣に、私は笑顔で手を振り返した。


 あの日からよく夢で会うようになった、このなんだかわからない生き物。……生き物で表現合っているよね、触ると温かいし。

 夢の場面はいつも同じだ。暖かな木漏れ日が射し込み、新緑と落ち葉が同時に存在する森。

 毛並みが白で瞳が金色、古風な話し方をするこの子とは顔を合わせる度に話すようになったけど、一番に驚いたのは会う度に外見が違っていることだった。

 初めて会ったホワイトライオンの姿は一度だけ。あとはしなやかな曲線を描く豹だったり、大柄で立派な熊だったり。

 最近思い始めてきたけど、どうやらこの子は私の一部ではないらしい。


 というのも私が知り得ない情報を、現実で話してお母様たちに驚かれるということが何度かあったからだ。

 一時期私には予知夢でも見る能力があったのかと悩んだこともあったが、それはないなと自分で却下。


 誘拐未遂の際私が契約した精霊の属性をピタリと当てて見せたのを最初に、お父様の情報収集が上手く言っていないこと、奴隷商人たちの目的地等々。

 残滓が絡み付いているとか言って、まぁよく考えるまでもなく、土の檻を作り上げたんだから土属性だとは想像がついたけれど、かなり上位の精霊だと、神殿の神官さんと同じことを言っていたのだ。

 あと、お母様とディンドルフ……ディーとの契約した当時の話を聞いてしまった。断片的にだけど。

 小出しにしてお母様に確かめたから間違いない。

 精獣の名前を言うのはかなり葛藤して、でも思いきって確かめた結果わかった。不敬だとフレッドが言っていたからどうなるかと思っていたが、お母様をびっくりさせて終わった。まぁ、ものすごい質問攻めはされたけど。

 奴隷商人たちの行く先はカドニス帝国だったと話された。本当かどうか確かめる為にも、タイミングを見てお父様たちに伝えないと。


 結果、ますますこの子の正体がわからなくなった。

 ……正確に言うと、もしかしてと思う存在が頭をよぎらないこともない。何せここは剣と魔法、と言うより精霊と魔法の世界だし。

 ただ、言葉を話すそうした存在がいるなんて聞いたことないし、どうして私の夢に出てくるのかわからない。

 誰かに話した結果もう会えなくなってしまうことを想像すると、本当のことを突き止めるのがちょっと怖かった。

 間違いなく現実世界で大騒ぎになりそうだし。そして私はもしかするとこのもふもふを堪能できなくなるかもしれない、と。やだー、良いことなしじゃないですか。

 そんなこんなで、私はこの宙ぶらりんの状態を敢えて維持している。



「なんだ?」という風に首を傾げる仕草が最高に可愛い。切れ長で金色の瞳が謎めいた色を映して揺らめく。

 この間なんて、二メートルくらいの白兎の姿だった。

 艶々ふわふわな毛先がきらきらと光を弾いてピン、と立った耳がふるふると動く。

 瞳は相変わらず金色で、薄桃色の鼻がぴくぴくと動いていた様子の可愛らしさと言ったらなかった。


 初めに会ったときは、触るのを止めた。

 二度目に会ったときは、近寄ってみた。見つめて見つめられて終わった。

 三度目に会ったときは、思いきってかなり近づいて風に揺れる毛並みを眺めていた。獣の臭いは全くなく、お日様によく干した布団のようなどこか懐かしいようないい匂いがした。


 もう何度目かわからない今、よく正体のわからないこの子に安易に触れない方がいいと決意していたにも関わらず、現在私の手は遠慮の欠片もなく輝く毛並みを撫で回している。おかしい。ああでも気持ちいい。ふわふわ。幸せー。

 ……何考えていたんだっけ……そうそう、毛並みがものすごく綺麗だってこと!


『名前を呼べないのは不便だと思うんですよ』


 自然と口調は丁寧語混じりになる。自分ではない他の誰かにタメ口で話す勇気はない。よく初対面で話してたな、私。

 ちなみに撫で回している手はノーカウント。この感触を知ってしまった今、とてもじゃないが触らなかった頃には戻れない。

 今回の姿は猫だ。尻尾の長さも入れると二メートルほどの大きさで、相変わらず全身は白。撫で上げる度に木漏れ日を弾いて艶々の毛並みの表面に淡く虹色が広がった。


 ──我に名をつけると言うのか。

『いや、名前というか、あだ名をね』


 誰に言うのでもないけど、見る度に姿が違うんじゃあ説明のしようがない。そしてなんて呼んでいいのか未だにわからない。自己紹介すらしていなかったことに、たった今気がついた。今まで何していたんだ……毛並みを愛でていただけでした。

 名前で統一すればいいかと思って口にしただけなのに、面白そうに目を細められた。


 ──聞くだけ聞いてやろう。

『え、ええと……私あんまりセンスないと思うんだけど』


 あだ名をつけてもいいかと聞いたくせに、候補を考えるのは今からだ。

 毛並みが白でしょ。ホワイトはありきたりだし、シルバーもなんか違う。銀次郎はやだし、ユキって雰囲気でもないなぁ。トーフ……いやいや。ミルクは可愛すぎるしなぁ。連想してミルクティー、レモンティー……あ、ティーなんてどうかな──ないな。白の欠片も残っていない。あとは……なんかいい案ないかな。

 残念すぎるネーミングしか浮かんでこない。ちくしょう。


 気がつくと、目の前で呆れたような眼差しがあった。どうやら口に出して呟いていたらしい。


 ──そのような名で呼ばれても返事はせん。もう少しマシな名前を思い付くことだ。


 ぺちり、と尻尾が地面を打った。

 途端にぐにゃりと視界が歪んだ。いつの間にか側に寝そべっていたはずの白猫が離れたところで伸びをしている。砂が風に舞うように森の端から鮮やかだった風景がさらさらと崩れていく。

 夢の終わり、覚醒への合図なんだけど待ってまってまって!


『まだ肉球揉んでない!!』


 次会うときはその姿じゃないのにひどい。

 叫んだ必死の願いは、無情にも叩き落とされた。ぷい、と横を向いた白猫はなんとも意地悪なことに前足を持ち上げてこれ見よがしに足の裏を見せつけてきたのだ。子供か。

 

 自分の唸り声で一人寂しく起きた私は、夢の中の感触を思い出しては悔しい思いで悶える羽目になった。

 おまけに自己紹介をまたし損ねていた。



 ◇ ◇



 体調が少し上向いて、お父様に言われた通り、シーリアとのお茶会がセッティングされた。

 蜂蜜色の髪を靡かせた彼女の瞳は、相変わらず冷めた色をしている。


「ロゼスタ様が精獣と契約していないこと? 初めから知っていましたわ」


 なんでもかんでも話すのはどうかと思うけど、全く触れもしないのはどうなんだ。どこまで話そうなんて考えつつ、手探りで恐る恐る話した結果。

 なんと既に悟られていた。


「契約したての精獣が契約主の側にいないなんて聞いたことがないもの。名前を覚えていないにしても姿くらいは見せてくださるはずよ。それがないなら、そもそも契約していないと思っただけ」


 す、鋭い……。むしろこれは下手に隠さなくてよかった。

 優雅に茶器をテーブルに置いたシーリアは、興味なさそうに肩を竦めた。


「何か事情があるのでしょうけど……。風の噂でロゼスタ様がどんな精獣と契約したのか大騒ぎになっているそうね。私のところにまでご機嫌伺いと名目の下探りに来ている方たちがいるわ」

「そ、それはご迷惑を……」

「いいのよ。申し訳ないことにお会いすることはないのだけれど、貴女と話したと広まればまたこちらも注目を浴びるのでしょうね」

「重ね重ねご迷惑をおかけします……」


 ちっとも申し訳ないと思っていない口ぶりでシーリアが肩を竦めた。

 淡々と喋るその表情には何も浮かんでこない。お父様の言っていた「私たちのことに首を突っ込まれる方ではない」というのはこういうことだろうか……。面会を求める人たちに会う気はない、とはっきり言うのは。

 そこまで考えて思い出した。この子はあまり体調が良くないんだった。静養に来ている、とお父様も言っていたじゃない。


「私ったらシーリア様のお加減を聞いていませんでした。父から聞きましたが、どこか具合の良くないところがあるんですか?」


 もしかしてこのお茶会も無理はしていないか、と思って聞いた言葉に、シーリアは目をぱちくりさせた。うっとりするくらい長い睫毛が震えて、琥珀色の瞳が色を増す。


「オルトヴァ様は今何をしていらっしゃるの?」

「何をって──よくわかりません。早く体調を治すようにとはお話しましたけど……? あの、体調は」

「あちらでは魔道具を熱心に作られていたから、こちらでもそうなのかと思っただけ」


 返ってきたとんちんかんな答え。

 実際お父様がどう情報を集めているか知らないし。

 何かを探るような視線で、シーリアにちらりと見られること数回。


「オルトヴァ様から……私のこと、何か聞きまして?」

「いいえ? 少し事情がある方だと。静養にいらしているんですよね?」

「別に…………少し胸が弱いの」


 見る限り顔色は悪くないし、特別小柄なわけでもなさそう。一つ年上にしては私よりも体格がいいし。

 重ねて尋ねた問いに、何か言いかけたシーリアは少し間を置くと、心臓の辺りを押さえてみせた。

 ……体の具合が悪いわけじゃなくて、精神的なものなのかな。


「大丈夫ですか?」

「ええ、平気。ここは空気がいいのね。大分息が楽ですわ。そう言えば……精獣と契約したしないがどうしてこんなに騒ぎになるのかしら。一言契約していないと言えば自然と収まるでしょうに」


 軽く微笑まれて、一気に得をした気になって危うく最後の言葉を聞き逃すところだった。が、なんとか私は持ちこたえた。日頃お母様や兄様で鍛えられていたお陰かもしれない。大分美形に慣れてきたものだ。不意打ちには弱いけど。


「ええと、ですね。お父様なりの考えがあってのことだそうです。実際には私、契約したので……体調のこともあってあまりお話できていないんですけどね」


 悟られてはいるものの、全部を話していいかは不安で曖昧にぼかす。何と契約したのかと聞かれたら正直に答えようと構えていたが、シーリアは「そうなの」とあっさりと頷いてそれ以上聞いてこなかった。


「精獣と契約したか否かがこんなにも取り沙汰されるなんてね。そう言えば、ラシェル領にいるのはクローディア様の精獣だけですものね」

「兄はここは魔力持ちが多いと話していたのですけど……それは関係ないのですか?」

「フローツェア全体で考えると普通か、少し少ないくらいではないかしら? 町に降りたわけではないから詳しくはわからないけれど、領主とは別に精獣と契約した者が数名いてもおかしくないのに、ここではいないのでしょう?」


 一つの領地に一匹の精獣とその契約者がいると勝手に思っていたから驚いた。お母様と契約している精獣もマーキングとして薫りを撒いていると聞いていたから、てっきりそうだとばかり考えていたけど、複数の契約者がいて縄張り争いしないのかな。

 ……ああ、精獣と契約したパートナーが領主に従っていれば特に問題ないのか。


 むしろ魔物への対抗策としてはなるべく多く精獣がいるのが望ましい、とシーリアは丁寧に教えてくれた。

 これでフレッドの盲目的なまでの精獣への敬いに納得がいった。他の領地では数人いるところ、ラシェル領ではただ一人の精獣との契約者であるお母様にそうした感情が集中しているんだろう。そしてその感情が今は私に向けられる、と。


 ……お父様、私精霊と契約したと発表してがっかりされるだけで済みますかね。


「王都ってどんな場所ですか?」


 現実逃避ぎみに精獣騒ぎから目を背け、新しい話題を探す。王都から来た少女は「賑やかなところです」と答え、クッキーを品よくかじった。


「ここ数年地方へ繋がる道の整備が進められていますの。王都はその先駆けで町中も整えられて。陛下のお膝元ということもあって、そういえば最近精獣との契約者が移ってくることが多いともお父様が仰っていたわ」

「シーリア様は精獣を見たことがありますか?」

「ええ。狼の精獣だったかしら。属性は忘れましたけど。あとは蜥蜴や鳥の姿を取った精獣がいましたわ」


 このくらい、とシーリアが胸の前で手で大きさを表す仕草をしてくれる。……あまり大きくない。むしろ小さい?

 夢の中のあの子は軽く二メートル越えている姿が多かったのに。夢だから、なのか。


「ええと……精獣って大きさは自在に変えられるんですよね?」

「そうですね、元々の大きさはあるようですけど、契約主と一生を共にするんですもの。ある程度の大きさの変化をする精獣が多いんじゃないかしら」

「……外見も変わるんですか? 例えば、獅子が兎へ、とか」


 聞いたのはほんの出来心だった。誰にも聞きようがないから、話のついでのように今まで気にかかっていたことを、なんでもない世間話の風を装って口にして。

 眉をひそめたシーリアの反応に、嫌な予感がした。


「クローディア様と契約している精獣は鳥の姿をしていると聞きましたけれど、他の姿をしているところを見たことがあるんですの?」

「ない、ですけど」

「私が知る限り精獣が一度取った姿を別の姿にするなんて聞いたことがないです。大きさの違いはあっても同じ姿をしているのが普通で……そんなことができるのは、魔物くらいじゃないかしら」


 ガン、と頭を殴られたようなショックが来た。


 あのふわふわな毛並みを持った子が。

 つれない口調だけど古風な話し方が妙に似合っていたあの子が。

 私の知らない情報をどこからか入手してきて、得意気に話して聞かせてくるあの子が。

 ……魔物?



「魔物って言葉を話すんですか」


 気がつけばそんな言葉を口走っていた。

 精霊に属しているのだと、勝手に思っていた。それ以外の可能性を全然考えていなかったから。夢の中の姿と人伝に聞いた人を食らう魔物のイメージが噛み合わない。


「いいえ? そんな発表は聞いたことがないですわ。精獣自体、そんなに知られているわけではないですから。もしかしたら、今後言葉を話す精獣が現れるかもしれませんね」


 顔色が変わった私に怪訝そうに首を傾げながらシーリアが答えてくれる。聞いたことがない、ということは……夢の中のあの子は魔物じゃない、と判断していいのかどうなのか。


 ぐるぐる回り出した頭の中で、シーリアの言葉を繰り返した。

 まだ知られていない、と彼女は言った。神聖視にされているに近い精獣の研究をする人間がどれだけいるのか。言葉を話す精獣が発見されていなくてもおかしくない。

 魔物が言葉を話すなんて、そもそも伝わっていないし。


 まだ嫌な想像をして大きく跳ねる心臓を宥めながら、夢の中のあの子を思い浮かべた。

 つん、とすました顔を思い出したら少し落ち着いた。そして、夢の中でのやり取りを何気なく思い出した。


「その、精獣はなんて名前で呼ばれていたか覚えていますか?」

「確か、一体の精獣はレグニー……だったかしら。多分そう呼ばれていたと思いますわ。それがどうかしました?」


 記憶を辿った彼女がさらりと口にした名前は、私を撃沈させるのに十分な威力を持っていた。こういうあだ名を考えろとか、私には無理な話だ。しかもおそらく本名はもっと長いはずだ。逆立ちしたって思い付く気がしない。


 うん、あんな人間臭い感覚を持っている子が魔物だなんて、ないな。

 万が一、億が一にも魔物だとしたら、呼び名に拘るなんてしないだろうし。


 きょとんとした彼女に落ち込みつつ、なんでもないんだと私は何度も首を振った。何も聞かないで。頼むから。



「また会ってお話してくれますか?」


 お茶会の終わり、クールな印象の少女に問いかける。

 スパイシーな薫りを漂わせた少女は、少し考えたあと「喜んで」と微笑み返してくれた。





読了ありがとうございます。

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