閑話:兄の悩み
僕の妹は変だ。
何がどう変かは上手く言葉にできないけれど、とにかく普通じゃない。
「兄様兄様、そもそも魔道具は生活魔法を組み込むにしてはちょっと範囲が限定的だと思うんです。刻んだ陣の動きしかしないというか、オーブンとトースターの違いと言うか。もっと応用を利かせることができたら便利になると思いません?」
「兄様、魔法は攻撃魔法、防御魔法に特化していると記憶していますが、初級魔法をきちんとイメージできたらお風呂を沸かせたり、料理の火が使えたり、洗濯物を乾かせたりすると思いません? それとも魔法陣を作らないとダメなんですか? え、生活魔法を大っぴらに口にするなですか? 兄様が黙っていてくれたら大丈夫ですよ!」
「兄様兄様、教わっているこの魔法、魔物が来たときの為の対抗策とは思いますが、対人で争いに利用はされていないんですか? ……あ、なるほど、各国魔物の発生と襲来に備えることに忙しくて、そんな余裕はないんですね。ある意味国家間の連携は、共通の敵でもある魔物のおかげで保たれているのですね」
「兄様、光魔法が体力の回復魔法ということはわかりました。では闇魔法は? 回復の反対で……もしやドレイン系? もしくは眠らせるとか?」
繰り返される突拍子もない言葉と、考えてもみなかった発想を次々に口にする子に対してなんて返せばいい?
魔法陣を新たに作るなんて、城仕えの魔導師が一生を研究に費やしてできるかできないかの問題だと思う。そもそもオーブン、トースターって何。組んだ陣が完成形なんだから、魔道具に応用も何もないんだけど。
ロゼスタは闇魔法について不思議がっていたけれど、闇魔法については、実はその存在そのものが隠されているといっても過言ではない。どんな魔法なのか、書物すら残されていないという。神殿が隠匿していると聞いたこともあったけれど、真偽は定かではない。──と師匠から聞いたことがある。
……今更だけど師匠はどこでそれを知ったんだろう。我が師匠ながら謎だ。そしてドレインって何。僕の妹もやっぱり変だ。
そしてどこに「魔物との戦いがいつ起こるかわかりませんから」という一言で、国家間の連携にまで考えを巡らす五歳児がいるんだ!
ある日突然、手紙で師匠にラシェル領に行けと言われた日を思い出す。
──王都で仕事をすることになった。私の代わりにクローディアの側に行け。しばらく帰れそうにないからな。好きなだけ、できる範囲で研究をしていて構わん。内容は……まぁ時々送れ。気が向けば返事を返してやる。それから。
──娘に手は出さないことだ。
一番最後に付け加えられた一文で、一気に冷えた緑の瞳が目に浮かぶ。
「出しません……」
まだ命は惜しいですから。
むしろ手を出されているのは僕の方だと思う。嫌だって言ってあんなに突っぱねたのに、結局あの子の一番側で研究そっちのけで魔法を教えている。
──あ、これ僕詰んだかも。
実は妻と娘命の師匠を差し置いて、しがない弟子の僕が一番側にいるという矛盾。……大丈夫かなぁ。師匠禁断症状出ていないかなぁ。
家族が一番大事な師匠だけど、この国の陛下に呼ばれては──それが陛下の為の魔道具を作るという一部の人間にしか知らされていない大かがりなもので──研究大好きな師匠として行かないという選択肢はなかったらしい。
問題は機密漏洩阻止の為に完成するまで王都から出られない、ということだ。僕もどんな魔道具を作っているのか、詳しく知らない。
初めの手紙で触れられていたそれに、師匠はどれだけ我慢できるんだろうと思っていたけど、なんとか持ちこたえているみたいだ。出す手紙は全てチェックされた上でラシェル領へ送られているし、師匠が受けとる手紙もそうだろう。
こんなに離れていてもまだキレてもいないということは、あの魔道具完成したのかな……師匠やけに一時期鳥に拘っていたみたいだし。
ということは、僕が今更青くなっても師匠は全部知っているということだ。……もう諦めよう。
「心配しなくても、ロゼスタは立派に師匠と血の繋がった娘さんですよ……」
突拍子のないことを、次から次へと考え付くという点に置いては特に。だから大丈夫。
なんの保証をしているのか自分でもよくわからないけど、多分遠い地にいる師匠に家族のことをそんなに心配しなくてもいいということを伝えたいんだな、と自分を納得させた。きっと、いや絶対師匠が心配した方がいいのは、家族の心配じゃなくて、ない信用をどう築くかだと思うから。
冷え冷えとした師匠の瞳と端から見ると同じ色なのに、くるくると表情を変える妹の姿を思い浮かべて、僕は数度目のため息をついた。
遠い空の下から師匠の無事を祈ってますから。
一応誤解は頑張って解きましたけど、もしかしたら完璧じゃなかったかも。むしろ有り余って溢れ出ているあの愛をなんで僕相手に発散しますかね?
流石に家族への愛の言葉は弾かれないと思うんでちゃんとクローディア様宛に書いて下さいよ。考えに考えた理論について送った返事が奥さんと娘への言葉だなんて僕が可哀想すぎる。
そんな当の娘のロゼスタからは、師匠信頼されてませんからね。
師匠に言ったらぶっ飛ばされそうだと思いながら、届いたばかりの魔道具を見下ろす。
ロゼスタには一方通行だからと説明したけど、本当にこんなの連絡を取り合っているなんて言わない。僕は手元に届いた魔道具をおそるおそる開いた。今度こそ上手く展開できた論理への意見が書いてあると淡い期待を抱いて。
──今日も夢を見た。クローディアの艶やかで柔らかな黒髪がふわりと舞って風に靡いて……
あ、これダメなパターンだ。
最後まで読まずに閉じる。
っていうか、ロゼスタのあの不思議な文字の書かれた魔道具もうそっちに行ったでしょうよ?! 研究大好きなら真っ先にそっちに飛び付いてすぐ返事くれないと僕が困るんです!
あの二人を僕が抑えるにはもうなんていうか……ともかく研究を好きなだけしていていいって言われたけど集中してできません!
痛む頭を押さえながら、僕はクローディア様の元へ向かった。また前回と同じような内容の手紙が来たら見せてほしいと頼まれていたからだ。
……本人に見せるつもりのない手紙が実は読まれていたと知ったときの師匠の反応が怖いけど、ラシェル家当主の言葉に僕は逆らえないし。
初めからもっと意志疎通が出来ていたら……とは思うけど、無理だな。師匠だし。
◇ ◇
僕はしがない商人の次男坊だった。僕が魔力持ちだということを、一番最初に疑いはじめたのは父親だったと思う。
五歳のときに僕は父親の手によって、魔力持ちだと証明させられた。
フローツェア国は一夫多妻か一妻多夫、ランティス国は魔力持ちが少ないから一夫一妻だという認識だけど、厳密には違う。
ランティス国は魔力持ちに限っては公の妻、夫が一人なだけであってその実婚姻を結ばない、いわゆる愛人を持つことが暗黙の了解となっているのだ。
息子が魔力持ちであることを証明した父親は、嬉々として有力貴族や名門商家の娘との顔合わせを次々に持ってきた。
何人かは魔力持ちというか、うっすらと薫りを感じる娘もいたようだけど覚えていない。
僕の魔力の薫りは相当強いらしく、会わせられたどの娘たちもうっとりとしていた。そして目を輝かせてすり寄ってくる。おまけに僕の外見はそこそこ女の子受けのいいものだったらしい。肌の白さは生まれつきだし、金髪も母親譲り。そこに薄い青い瞳と貧相な体つきが加わるとどうも少女めいた印象が強くなるらしい。
大抵の会う人間は一瞬「おや?」と目を見張り、それから男に多い、ねばついた視線で僕を舐めるように見る。
会う娘たちは皆年上で、同じように人を値踏みする視線を寄越してたあと、ひどい時だと手を伸ばしてくる。そのときの手つきと視線と、香水の匂いが混ざったなんともいえない臭いに、僕は何度も吐きそうになった。
ねっとりとした色を含んで呼ばれる名前、鳥肌が立っているにも関わらず我先にと伸びてくる無遠慮な指先。香水の匂いとあるかないかの薫りか体臭かが混じりあって鼻をつく。
体に手を這わされて、僕の匂いを嗅いではうっとりしたように息をついてくる娘たち。──この娘たちは僕のことなんて見ていない、ただ僕の魔力が目当てなだけなんだ。
こんな風に人を寄せ付ける魔力がほしいなんて願ったことはない。魔道具が作れるだけの量で良かったのに。ただ自分が思い描いた陣を組み込んだ魔道具を作っていけたらと、そう思っていた。
それなのに。
終わりの見えない日々が続いたある日、何かがパン、と弾けたような気がした。
気がつけば、その日席についていたのは僕一人だった。
その後会わせられる娘たちの様子から、僕が何をしたかわかってきた。
虚空を見つめ、ぶつぶつと魔道具の理論について話し続ける。
創世神話から見える職人の在り方と今の職人たちを論じて、何故他国に魔道具が受け入れられないのか。魔道具職人が技を磨いているなか、潜在的に魔力の少ない国民性ゆえか魔力持ちへの強いコンプレックスを抱える矛盾。この国の魔道具の品質を保ち尚且つ新たな魔道具を作っていかなければこの国は立ち行かない等々。
ひたすら僕一人で話し続けていた。魔力目当ての娘たちに、口を挟ませない勢いで。
乾いた笑いが込み上げてくる。
思い付いたことを片っ端から抑揚のない声音で話していれば、あの娘たちは寄ってこない。理解できない者を見る目で人を眺めて、体を押し付けてこない。
話の通じない、研究にしか興味のない男の子だと思ってくれて構わない。実際その通りなんだから。
女なんて、僕の魔力の薫りに引き寄せられているだけなんだ。こんな薫り、なくていいのに。僕はただ魔道具の研究ができたらそれでよかったんだ。
それからしばらくして、機嫌の悪かった父親が妙に嬉しそうに話しかけてくるなと思ったのが、僕が覚えている最後の家族の姿だ。「好きな相手を選べるんだから羨ましいくらいだ」と言った兄とはあれ以来会っていない。
七歳の時に僕は子爵家に引き取られた。
師匠の家で、僕は夢のような日々を過ごした。書物を開いていても怒られない、怒鳴られない。もっと少女たちの流行りを勉強しろと理解できないドレスのデザインを頭に入れなくていい。
僕を引き取ってくれた師匠は年こそ若いけれど、様々な魔道具を作り上げて他の職人とも共同で魔法陣を研究したりと、精力的に動いていた。
何より驚いたのはその薫りだった。甘いような、仄かにすっきりとするようななんとも言えない心地いい薫りが、師匠が身動きをする度にふわりふわりと指先から絶えずする。
……あの娘たちも、僕の薫りを同じように感じていたんだろうか。ちら、と思ったけれど、鳥肌が立ってきたから考えるのを止めた。
引き取られてから丸二年経ったとき、師匠に突然言われたのが、ラシェル領へ行くということだった。
『フローツェア国のですか? あそこへ何をしに?』
魔力持ちの者が多いあの国で、ランティス国の魔道具は受け入れられることが難しい。選民思想が強いと聞いているから、苦手に感じていた国の一つだ。
『結婚をすることになった……相手はラシェル領の当主、クローディアだ』
『は? 結婚……ですか』
年を考えればそうだ。でもいくら魔力を持っているとはいえ、ランティス国の貴族とフローツェア国の貴族が結ばれるなんて今まで前例があっただろうか。
しかも、よくよく聞けばラシェル領を治めているのは若い伯爵令嬢で、精獣と契約しており、加えて信じられないことに師匠と恋愛結婚らしい……。
『師匠恋愛ってわかります? ちょっと師匠の認識を聞きたいような聞きたくないような……いえ、その外見に寄ってくる女性は今までも数えきれないほどたくさんいたでしょう、女性と結婚と言う言葉が師匠から聞けるとは思ってもいなかったので……。いやいや、研究のためですよね? ……え、相思相愛? ソウシソウアイってなんでしたっけ……あた、あいたたたたっ』
思わず心の声が駄々漏れになり、これでもかとほっぺをつねられたけど、後悔はしていない。
今までの恋愛事情が物を言うんです。僕以上の女嫌いで、魔道具と手を取り合って神殿に駆け込むと半分以上信じていたのに予想違いもいいところだ。
『ついでにお前は養子になっているからな。数日後城へ出向く。結婚の後も色々と口を出されては敵わない。お前もついて来るんだ』
『は、え、ええ?』
相談も何もなしに、僕は子爵家の単なる居候から財産分与もある養子になっていて、あれよあれよと言ううちに師匠はいつの間にか作り上げていた二つの魔道具の権利と引き換えに、堂々と国を出た。
『あの国はお前の研究を続けるには環境が悪い。しばらくはここで学んでいる方がいい。何かあったらすぐに呼ぶから来るように。私はもう戻る予定はないが、研究所の作製途中の魔道具もその他の道具も全て国が引き取るそうだ。その代わり戻された本はお前が持っているといい』
その言葉通り、師匠とは手紙で細々と連絡を取り合っていた。師匠が交渉したおかげで、僕には女の子たちが寄ってくることもなく、没取された魔道具以外の大抵戻ってきた本を片手に、魔道具の研究に浸る日々が続いた。
そして五年経ったある日、大至急フローツェア国に来るようにと呼ばれたのだ。
呼ばれて来たのはいい。何かあったら呼ぶと言われていたし、いずれこの国に来るとは思っていた。いたけど……まさか魔法を教えることになるとは思っていなかった。
だって師匠の娘さんだ。師匠本人が教えるとばかり思っていたからかなり狼狽えた記憶がある。
初めて顔を合わせたロゼスタは小さくて、色の白い肌に黒髪と、師匠によく似た緑の瞳の映える儚げな少女だった。
格好は僕が会った娘たちが着飾っていた姿とは裏腹に、シンプルなもので装飾品もほとんどつけていなく好感がもてた。
それにあの薫り。濃密なトロリとした蜜のように甘くて、師匠からも薫っていたスッキリするような清涼感がある。
──だから先生役を依頼された時、がっかりしたんだ。この子も結局僕の薫りが目当てなんだって。
結局あれから逃げても逃げても追いかけられ、掴まった挙げ句根負けし、一人で研究を続ける予定だった魔道具のことまで教えている。
本当はいつも心のどこかで用心していた。魔力の薫りの強い者に殺到する異性。薫りに興味はありませんという顔をしているこの子も、いつかの娘のようにすり寄ってくる日がくるんじゃないかって。
もしそうなったら断るいい理由になるとも思っていたのに。
でも、いくら日にちが経ってもそんなことを口にする気配はなくて、むしろ毎日熱心に質問をして学ぼうとしている。
僕が女の子が苦手な訳を女装させられたからだとか思いもしなかったことで笑わせてくれたり、異性と距離を近くするのが苦手なのを、自分から察して距離を取ってくれたり……こんなに疑うのは申し訳ないくらいだと思いさえもした。
だからあの子に言われたときは、一瞬何を言われているかわからなかった。
『何か言ってくる人間がいたら、兄様こそ胸を張って言ってやって下さい。ロゼスタ様にねだられてやむなく教えているって。相手がそれでも固辞するべきだとかごねたら、貴方からロゼスタ様を諭して下さいとか適当に言いくるめて、私の方に来るようにして下さいね』
『そんなお馬鹿な人が来たら、魔道具に興味を持って何が悪いのか、王都で陛下から頼まれた仕事をしているお父様の一番弟子である、兄様以上に私に相応しい先生はいないって、啖呵切ってやりますから』
真剣な表情から、そして「指切り」から彼女が本気なのだと知る。
年下の女の子にねだられているからというのは、むしろ胸を張って言えることなのかと思考が逸れたけど、少女の視線は揺るがない。
思わず胸が震えた。
今まで僕を守ろうとしてくれた人がいただろうか?
師匠は別だ。僕をあの環境から救い出してくれた恩人だ。ぶっきらぼうで、優しい言葉をくれる人ではなかったけれど、僕の望んでいた平穏な日々をくれた人。
その娘のロゼスタが、僕の年の半分にも満たない義理の妹が、僕を守るために「約束ですよ」と小指を差し出してくれている。
なんだか無性に泣きたくなって、それは流石に格好悪いから堪えた。
小さな妹の気持ちが嬉しくて、ただ指を添えるだけでは気がすまなくて、僕はすがるように小さな手に自分の手を重ねていた。
「私たち、変わり者同士で似た者同士ですね」
この言葉も嬉しくて──頷こうとして気がついてしまった。
ロゼスタと師匠はそっくりだ。突拍子もない──要するに変わり者で変な発想をする点に置いて──とてもよく似ている。そのロゼスタと、僕が似ているということはだ。
僕と師匠も似ている…………?
一瞬で脳が拒否をした。
それはない。僕は常識人だから。
君はよく僕に感謝の言葉を口にするけれど、むしろ救われているのは僕の方だってことを君は知らない。
だから今度は僕が君を守ろう。
きっとそれは師匠がしたかったことだろうから。そして、これから僕が君にしてあげたいことだから。
ありがとう。相変わらず女の子は好きになれないけど、君の隣で過ごす日々は悪くない。
読了ありがとうございます。
兄の悩みの種はつきないという。




