自己分析
「大丈夫ですか?」
「……はい」
すん、と鼻を鳴らして頷く。それを見てほっとしたように兄様が体の力を抜いて、少し申し訳なく思った。
あの時兄様に大声で助けを求めれば、とは思うけれど……でもそう言えば大きな声出してたんだった。あのまま兄様呼んでいれば……!
考え始めるとムカムカしてくる。あんな顎クイ、されたことないよ!
面白そうにこっちの反応を眺めていた彼の姿を思い起こして、頭の中でこてんぱんにしてやった。
今思うと顔立ちは整っていたように思うけどだからなんだっていうんだ! ……次会ったらぎゃふんと言わせてやりたい。……いや、やっぱりもう会いたくない。
むーっと口を尖らせ手にしたコップを傾ける。ほんのり甘味のある飲み物は温かったけれど、兄様の優しさがじんわり染みるようでほっとした。
「やはり随分と人がいますね」
同じようにコップを手にした兄様が言う。
ここは町中の広場。沈んだ私を兄様が気にして連れてきてくれたのだ。
中央にある大きな建物は、神殿だと教えられた。
装飾が刻まれた丸い柱が幾つも並んで神殿全体を支えている。その前に祭壇のようなものがあって、時々静かに頭を下げる人たちが印象的だった。何に祈りを捧げているんだろうか。
「あの神殿では何が祭られているんですか?」
白く輝く神殿は町の建物とは受ける印象が全然違う。同じ白でもここまで違うのかと思うくらい、なんというか、硬質的だ。
日の光を受けてキラキラと輝いて見える。綺麗だけど近づきがたい。
「祈りを捧げられているのはもちろん、闇の精霊と光の精霊ですよ。全ての精霊の祖ですから。ここでは始まりの巫女も祭られているようですね」
広間の中央にある祭壇へ、手を組んで祈っている風の人が目立つ。
祈っている時間はまちまちだけど、よくよく見ると祭壇の前に立つ人から、薫りが漂っていることに気がついた。
「ラシェル領ではクローディア様が精獣と契約していますからね。精霊、精獣に敬意を払う人が特に多いと思いますよ。あとはやはり王都が多いと思います。別に祈れば精霊や精獣と契約できるという訳ではないですけど、気持ちの問題ですね。あやかろうという」
……敬虔な思いで手を組んでいるのかと思いきや、煩悩まみれとか。
思わず冷めた視線になった私に「全員がそうという訳ではないですよ!?」と慌てた様子で兄様が手を振った。
そのやり取りに少し笑って、気が紛れたと思ったところでふと思い出してしまった。
『──父親に捨てられたくせに』
確かにそう聞こえた。
正確には相手は口の中で呟いただけだったけれど、耳に届いたその単語はそれだけで私を打ちのめした。
やっぱりお母様が私に話してくれないだけで、もう二人の中では話はついているのかもしれない。
だからお父様は王都に行ったっきり帰ってこなくて、お母様は新しい人と結婚をしようと準備しているのかも。
どうしてランティス国のなんとか夫人がこちらに来たのかはわからないけど……自分の存在を知らせたかったのかもしれない。
そうするとあのほっそりとした人が、お父様の次の奥さんってことだ。
「それは嫌だなあ……」
ポツリと呟いた言葉に、兄様が振り向いたような気がしたけど、私は顔を上げなかった。
ポロリと出た言葉に、私が一番驚いていた。
私、お父様とお母様が別れるのは嫌なんだ、って。
なんだろう、このもやもや。この気持ち。
前世の「私」を思い出してから一度も会ったことのない人が、いつの間にかお母様と別れて別の人と結婚しても関係ない。今までと全く変わらない日常が続くだけなのに。
実の父親としては会いたくないけど、魔道具の先生としては会いたいと思っていた。それだけだと思っていたのに。
どうして私は今更ショックを受けているんだろう?
さっきからこちらを窺っていた兄様に声をかけられる。一回目の声には反応できなくて、二回目の呼びかけにのろのろと顔を上げた。
澄んだアイスブルーの瞳が、静かに私を見つめている。
「何があったんですか?」
遠回しに探るでもない、率直な言い回し。でも子供らしい興味の示し方じゃなくて、言いたくないなら話さなくてもいいって目が言ってくれている気がする。これで十代前半とか、もうアーヴェンス兄様ったらイケメン街道まっしぐらじゃないですかー。
わざとおちゃらけて考えて、笑おうとして笑えなくて。
いつもの私だったらきっと、笑顔で誤魔化した。誤魔化せた。心配をかけたくないから。
でも、さっきの男とのやり取りでかなり精神力を削られていたこともあって、つい呟いてしまった。小さな小さな声で。
「……お父様ももう新しい奥さんを迎えているんですか?」
沈黙。
返ってこない間が怖くて、また顔を伏せる。
肯定でも曖昧に濁されても、どっちでも私は傷つく。……傷つくってどうしてだろう。ああ、そっか──。
あまりにも返事がないからそっと顔を上げると……ぴしりと石のように固まってこちらを見ている兄様がいた。
「……も?」
眉を寄せ発せられた単語に私は何かおかしなことを言っただろうかと思い返す。……ううん、特に変なことは言っていない。
お父様とお母様が別れるんだったら、お母様は新しい相手を見つけるだろうし、お父様もそうするはず。高い魔力を持っていて精獣と契約までしているお母様と、この国ではまだ認められていないけれど国王陛下の下で魔道具の研究をしているお父様。きっとどちらも周りが放っておかない。
オルガだって言っていた。お母様の相手の候補は何人かいるって。
そこまで考えてまたダメージを食らったけど、本当のことを知りたい。
あの男が言っていたように、お父様に捨てられたかどうかなんてわからないけれど、私が一度もお父様と会っていないのは事実。隣国のなんとか夫人が私に会いに来て、まだこの国にいるのも確か。
お父様の近くにいた兄様なら何か知っているはず。もう憶測で傷つくのは嫌だ。知らない人から事情を聞かされるのも嫌。
きちんと話を聞いて、頭を整理したい。時間はかかるかもしれないけれど、ちゃんと受け止めるから。
そう思って告げたのに、兄様はまだ隠そうとしているみたいだった。
「何をどうやったらそんな勘違いを? あと今のロゼスタの言い方だと、クローディア様に別の縁談があるように聞こえますけど……?」
勘違いも何も今までの事柄を繋げるとそうなるんですよ。あと、質問に質問で返さないで下さいね。
「勘違いなんかじゃありません。実際、お父様は一回もここに来ないじゃないですか。仕事が忙しいのは理由にはなりますが、それは免罪符にはならないんですよ」
「き、厳しいですねロゼスタ」
「茶化さないで教えて下さい! お父様はお母様と別れる準備を進めているんでしょう?」
詰め寄ったけど、兄様の困惑げな表情は変わらない。どうしてそんなことを言い出したんだろうって顔をしている。
「……ロゼスタは一体誰からそんなことを? 屋敷を出る前はそんな顔をしていませんでしたよね? 誰に何を言われたんですか?」
「……誰かはわかりません、名乗らなかったし」
「知らない人から言われたことをそのまま信じては駄目ですよ。確かに不安に思うかもしれませんが、師匠はクローディア様のことも、ロゼスタのことも大切に思っています」
小さい子に説明する言葉そのものを言われるとは思ってもいなかった。信じられるわけがない。
……その言葉をそのまま信じられたらいいのに。でもね兄様、信じられないんだよ。
「大切に、ってどこがですか? 子供が生まれても顔も見に来ない、会いに来ない、手紙すら寄越さないで、どうやって大事に思われていると思えるんですか?」
捲し立てるように言えば、途端に兄様の勢いが弱くなる。あったり前だ。反論できないだろう。事実なんだから庇いようがない。
「そう思うのはもっともです……でも」
「でももへちまもないです。全てとは言いませんが、人の言動は受け取った相手が思ったこと、感じたことが肝心です。なんの気なしに言った言葉が相手をひどく傷つけた、なんてこと耳にしたことはないですか? お父様が私たちにしていることは、私にすれば、そういうことです」
「へちま……?」と首をかしげているけど大事なのはそこじゃない!
大切に思っていると言うのなら、態度で示してほしい。会いに来れないのなら、せめて手紙を送ることはできないの? 兄様には魔道具で連絡をしているのに、私たちには何もないなんてなんとも思っていないと思われても仕方ないじゃない。
「……ロゼスタがそう思う根拠はなんですか?」
頑なな私に焦れてきたのか、兄様が聞き方を変えてきた。根拠も何も今言ったことが大半なのに、まだ認めないの? こっちの質問にきちんとした返事がこないことにイライラしてきて、投げやり気味に返す。
「ランティス国から……お父様の愛妾になりたいらしい? 女の人が私に会いに来たんです。それが私がお父様とお母様のことを変に思い始めたきっかけです」
「……はぁ…………はあぁ?!」
一回頷いて、それから目を見開いてすっとんきょうな声を上げた兄様。……こんなところで家族の話を始めた私が言うのもなんですが、ちょっと声大きい。
「あ、あああ愛妾?! こここ、ここにですか? ランティス国、から?……ありえない!!」
あ、久しぶりに出た。兄様の吃り癖。本当ですよ。今考えても非常識、娘にわざわざ存在を知らせるとか。陰湿だわー。
いかにも愛人の考えそうな行動だ。本妻への牽制と自分の存在のアピール。今思うとお母様に会いに行くより娘の私に会った方が両方にダメージを与えられると踏んだのかもしれない。
その思惑かどうかもわからないけど、彼女の行動にムカムカして振り回されているのも面白くない。
頭を抱えて呻いた兄様に、もう一つのオルガからの情報を教えて上げた。
「クローディア様に、なんですって……?」
恐る恐る聞き直す兄様。何度聞いても内容は変わらないですよ。尊敬している師匠の奥さんに次の相手がいると聞くのはショックだろう。
「オルガが言っていましたけど、お母様に次の結婚相手の話があるみたいです。既に何名かからお話をされているとか。どなたが候補に上がっているかまでは知りませんけど……兄様?」
一声、呻いたかと思ったら、頭を抱えて動かなくなってしまった。
「兄様?」
ちょっとショックを受けすぎじゃないか。
なんとなく勢いを削がれてしまって、項垂れた兄様の肩をポンポンと優しく叩いてあげたら、何か呟かれた。
……聞こえない。
「すみません、もう一度……」
「……それをどうして今言うんですか。ロゼスタがそんな顔をするきっかけは、今日、それも僕が離れてしまった間に何か別なことがあったんですよね?」
きっかけ。
考えるまでもなく、大通りで見た女の人とあの変な男の言葉だけど、ショックを受けつつも始めの疑問に拘る兄様は流石と言うべきかどうか。
特に男の人に言われた言葉でショックを受けたけど、ダメージ自体は前からちょこちょことあった。ヒビが入っていたところにより強い衝撃が入ってとうとう砕けた、といったところか。
「兄様が魔石を見ているときに……見たんです」
「何を?」
「ランティス国から、私に会いに来たという女の人が乗っていた馬車を……そこから降りてきた女の人が多分、本人だと思います」
目を閉じるとそのシーンが浮かぶ。
馬車から降りてきたほっそりとしたシルエット。なんとなく雰囲気から美人なんだろうなと思った。
「それと……変な男の人に絡まれました。母親と髪の色は同じだけど髪質は違うんだな、とか今まで閉じ込められてきたのにとか……失礼なことを色々」
「っ誰ですかそんなことを言ってきたのは!」
「だからわかりませんってば。見たこともない人でしたし」
「どんな外見をしていましたかっ?」
「焦茶の髪の毛で……短髪でした。あと、瞳の色が薄い緑でしたよ。身なりは悪くなかったです」
男の格好を思い起こして首を捻る。他にこれといった特徴のない男だった。ただ私に対して悪意があっただけで。
流石にそれは口にできなくて下を向いた私は、兄様が「まさか……」と顔色を変えたのに気がつかなかった。
「──すみません、僕が目を離したせいですね。本当にごめんない。魔道具関連になると夢中になってしまって……ああもうくそっ!」
いつも穏やかに話す兄様が、珍しく乱暴に言い捨てて顔を歪める。
「ロゼスタ、お願いです。お願いですから、早とちりをしないで。僕の言うことを今すぐ信じられないのはわかります。でも本当なんです。師匠は本当に、お二人のことを大切に思って、お二人のことを支えに王都で魔道具を作っていたんですよ」
「そうなんですか……」
ぼんやりと気のない返事になってしまったのは許してほしい。言葉だけで納得できる時期はすぎてしまったのだ。
そこではっとした顔で兄様が振り返った。
「まさかと思いますが……クローディア様もそんな勘違いをしているんじゃないで……しょうね?」
「……」
むしろこの流れでそんな希望を思い描ける兄様を尊敬します。私の表情から答えを読んだ兄様の表情が絶望一色に染まった。
すみません、と兄様が小さく再度呟いた。
「魔道具の店に連れていくと言っていましたが……次の機会にしてもいいですか? 一旦お屋敷に戻りましょう」
「──いいですよ。また次に連れてきて下さいね」
もう少し、気持ちを整理してからまた来たい。むしろ今帰ろうと言ってくれてほっとした。またあの人に会うんじゃないかって思うと怖いから。
兄様に引かれた手はそのまま。私たちは来たときとは反対に暗い表情で町を後にしたのだった。
読了ありがとうございました。