表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
15/90

初めてのお出かけ

 剥き出しの土に賑やかに行き交う人たち。

 赤茶けたレンガと白の組み合わさった背の低い建物が並んで、時々客寄せなのか、威勢のいい声が飛び交う。香ばしい匂いと肉を焼くような食欲をそそる音が耳に飛び込んでくる。

 大通りらしき通りをリズムよく馬車を轢く馬が通りすぎるのを、私はため息を共に見送った。


「賑やかですね」


 中世ヨーロッパのような雰囲気が漂う町。やはりというべきか、魔法の類いが使われている様子はなくて、時折井戸から水を汲み出す女の人や洗濯物らしきものを運ぶ人を見かけた。

 初めて目にする町中の様子にキョロキョロしていると、兄様が「市が開かれているみたいですよ」と前方を指差す。

 なるほど、それでこの人の波なのか。


 あれからすぐにお母様に許可をもらって、善は急げと街に繰り出した私たち。ちょっとびっくりされたけど、意外とあっさりOKが出て、おまけに二人にとお小遣いまでもらった。


「覗いてみますか?」

「はい!」


 笑顔を向けると苦笑される。

 何も言わず差し出された手を握る。

 ……女の子苦手って話してくれたけど、この距離は平気なのかな。そっと目線を隣に向けたけど、凪いだ薄い青の瞳に無理しているような色は浮かんでいなかった。

 流石に屋敷で身に付けているドレスはやめて、動きやすいワンピースを用意してもらった。兄様は変わらずローブ姿。流石に被り物をしたりはしていないけど、前髪で顔を隠すのはそのままだ。これ、見る人によっては兄様も女の子に見えるかもしれない。姉妹に見えても……まあ、いいか。


「ロゼスタ、もうできていますが念の為。薫りを振り撒かないように、注意してくださいね」


 久しぶりの注意が来た。時々気が弛んで球の形が崩れるときがあるけど、基本頭の上に集めている。


「大丈夫ですよ。でも、油断しないように気を付けますね」


 流石にオルガ曰く蜂蜜の薫りをこの人混みの中でばらまく自信はない。一人立ちをしたいとは思ったけど、物理的に人の注目を集めたいわけではない。


「薫りの強さが魔力の強さと直結するわけではないですが、一つの判断基準となります。……初めて来たときも思いましたが、さすがラシェル領、魔力を宿している人が多いですね」

「わかるんですか?」

「ロゼスタもそろそろわかるはずですよ。ほら、あの通路を横切る女性に集中してみて。何か感じませんか」


 囁かれて目の前の人を注視する。

 こんなに食べ物の薫りが漂っている中本当にわかるのか、と思ったけれど、買い物なのか、籠をぶら下げた女の人が横道に入ろうした時、なんとも表現しにくいものが感じ取れた。

 これがそうなのか、な? それだったら……。


「兄様の方がいい薫りですね」

「は?」


 やっぱりあれが魔力の薫りだったんだ。お母様のもきっとそうだ。一人納得して頷くと、隣を歩く兄様を見上げて困惑している青の瞳に笑いかける。


「兄様と、お母様の方がとってもいい薫りです」


 タイプは違うけど、どちらの薫りも好きだ。最初っからそうと教えてくれたらよかったのに。にこにこして言うと、ぷいと顔を逸らされてしまった。


「あ、ロゼスタ。あそこのお店覗いてみましょう。果物がありますよ」


 慌てたように早口で言った兄様が指した方向を見ると、出店でおばさんがイチゴを並べていた。──ふわあああ、美味しそう!


「可愛らしいお嬢さんだね。一つ食べてみるかい?」

「良いんですか!?」

「小さい子が遠慮なんてするんじゃないよ。ほら、そのままお食べ」

「いただきます!」


 大きく口を開けてかぶり付く──貴族の子女としてちょっとはしたなかったかもと思ったのは一瞬だけで、あとは口の中に広がる酸味の強い味に目を細める。

 やっぱり品種改良されていたのは甘かった。でもこれはこれで美味しい。


 この世界の食べ物は幸運にも前世のものと殆ど同じ。香辛料は高価なものらしく、調理方法や味付けはシンプルだけど、食べられないというものに当たったことはない。

 まぁ和食は流石にないけど。時々白いご飯が恋しくなるときがあって困る。

 もぐもぐしている最中にも、おばさんはどこそこの村で作ったもので安くしとくよ、なんて兄様と話している。


「兄様兄様、お母様にお土産に買っていきましょう」


 袖を引いてつんつんと合図する。ちょっと貨幣の価値がまだわからないんだけど、市だしそんなに高くないと思うんだ。

 どうでしょう? と首を傾げるとにこりと笑顔が返ってきて、兄様が交渉してくれる。……兄様が財布を広げているから、私は出さなくていいな。さっき見たとき明らかに金色のものしか入ってなかったし。


 無事に買えてまた市の見物に戻る。

 どちらを向いても人、人、人。

 屋台を組んで品物を並べている人が大半で、果物や野菜、工芸品のようなアクセサリーを並べているところもあった。

 時々鼻を掠めるものがあって、その都度確認すると魔力の薫りだと教えられる。

 生臭い、とまでは言わないけどそれに近いような。魔力の質や量に関係するんだろうか。


 相変わらず手を繋ぎながら、兄様に「そろそろ魔道具のお店に行きませんか」と声をかけようとした時。

 ぴたりと兄様の足が止まった。


「どうしまし、」

「ちょっとロゼスタここに寄っていいですね」


 それ言葉変。

 と突っ込む間もなく、兄様が小さな路地に身を寄せた。大人二人が肩を並べて歩けるほどの幅の道に、敷いた布の上で若い男が座っていた。さっさと通りすぎて行く人が大半で、時々明らかに冷やかしに覗かれる程度の寂しさだ。

 何が兄様の気を引いたんだろう。

 後ろから覗いていてみてわかった。


 ──ここ、きっと魔道具関連のお店だ。


 四角い箱に幾つか仕切りが入っていて、大きさの違う色んな色の石が分かれて入っている。

 鍋やペン、水差しに皿、カフスらしきものが統一性なく並べられている。


「この魔石はどこから?」

「『最果ての森』近くです。この品質はなかなかないですよ」

「そのわりには色が濁っていますね──」


 目付きが鋭い人だったけど、気後れすることなく質問を続ける兄様。道行く人は寄らない代わりに兄様も遠慮なく眺めていって、ついでに私に目を止めて顔をしかめた。

 中には「お嬢ちゃん、あんたみたいな子が興味を持つものじゃないよ」と声をかけてくる人もいて……私が魔力の薫りがわかるってことは、他の人もわかるってことだ。さっきからじろじろ見られているのはそれが原因かも。


 でもそう思われるのも無理はない……私はもう一度魔道具の店の屋台を振り返った。

 薄汚れた印象を拭えない、何に使うかよくわからない道具。そうした物を利用しなければ魔力の少なさを補えないのかと嘲笑されることに繋がるからなのか。

 それとも魔物から取られた物を利用して作られたから忌避しているのかもしれない。

 ゲームだったら、魔物を倒すと残された体の一部や牙などが取引の材料になったり武器や防具に加工されていたけれど、ここでは大抵魔石だけを残して消滅してしまうらしい。

 なんで魔石だけが残るんだと聞けば魔力の保有量がなんたらかんたらと兄様の専門分野の話が始まってしまって……結論、よくわからない。


 そんな兄様はといえば、さっきからお兄さんを質問攻めにしている。魔力の含有量の調べ方や魔石の入手先──兄様が知りたいのはあくまでその魔石はどの場所でどの魔物から取られたかものだった──などどんどん話が専門化していっていた。


 うーむ、わからん。

 研究とはこういうものなのか。私もついていけるのか。そして話はいつになったら終わるのか。

 ちょっぴり不安になったとき、目の端を何かが横切った。


「え──?」


 思わず目で追って、一台の馬車が視界に移った。

 何故かその馬車を遠巻きにしている人たちとか、やけに馬を引く人たちが大声で誰かの名前を口にしていたけど、耳鳴りがしてよく聞こえない。

 ドクドクと血液が流れる音がする。脈が早くなっているのがわかる。


 私の目は、馬車から降りてきた一人の女の人に釘付けだった。

 ほっそりしている人だった。抜けるように白い肌に、結い上げられた亜麻色の髪、細身で鮮やかなブルーのドレスがふわりとたなびいた。

 どうしてかわからないけど、なぜかその馬車の周りを人は避けているようで──だから、彼女が最低限の供しか連れていないこともわかった。

 顔立ちは遠目で見えない。それよりも。


 彼女が降りてきた馬車に刻まれた紋様。あれを、私は見たことがある。

 あの日、この世界の貴族は一夫多妻、一妻多夫が普通だと知った日。


 わざわざ隣国から私に会いに来たと言う、お父様の愛妾希望の人がそこにいた。


 多分私の顔色は真っ青だったと思う。さぁっと指先の温度がなくなって冷や汗が出てくるのがわかったから。

 視界の端から景色が色をなくして、ちかちかと白い斑点が散る。

 脈の激しい音がやけに大きく聞こえて──。


 どん、と誰かとぶつかった。

 衝撃で視界がぶれる。そのまま倒れると思った時、素早く誰かに腕を取られた。


「おっと、悪いな」


 軽い口調で謝られ、くるりと向きを返られた。人通りに流されそうになっていた私を、その体を盾に庇ってくれたのだ。

 けれど、それと同時にくい、と顎を上げられる。


「ん? お前……」

「すみません、あ、ありがとうございます……?」


 耳鳴りのようにどくどくと鳴っていた音が遠くなって、周囲の音が戻ってくる。

 視界もクリアになって景色の色が感じ取れるようになった。

 それはいいんだけど、何故この男の人は私から手を離さないのか。


 覗き込んでくる薄緑の瞳にお礼の言葉が尻すぼみになった。

 居心地が悪い。なんでこんなに見られてるの? というか、この手はなんだ。やけに近いし痛い。あ、匂い嗅がれてる!


「へーえ? こんなところでお姫様がなんの用だ?」


 すん、と鼻を鳴らして焦茶の髪をした青年に尚も匂いを嗅がれる。

 お姫様? 

 魔力の薫りを嗅がれてるんだと一瞬遅れて理解したけど、いい気分がするものじゃない。思わず顔をしかめた。

 倒れかけたのを助けてもらっておいて失礼かもしれないけど、その前にそもそもぶつかってきたのは貴方! っていうか、いい加減手を離して!


 にやついた笑いを張り付けた青年を睨みつつ、いつの間にか頬を辿っていた手から逃れようとしたけど遅かった。緩く結んでいた髪が、あっと思ったときにはほどかれる。


「へぇ、母親と同じ色でも髪質は随分違うんだな」


 ぞんざいに髪を鋤かれて、手に取られた一房をしげしげと見つめられる。そのまま髪の匂いを嗅ぐように口元に持っていかれてぞわっと鳥肌が立った。

 着崩したラフな格好をしていたけど、細身の体は見た目より力があるみたいだ。また顎を押さえるために戻ってきた手の強さに、内心唇を噛んだ。

 相手の雰囲気に飲まれてしまっている自分がいる。

 表情はにこやかなのに猫の目のような薄緑色の瞳は笑ってなくて、獲物を観察するような視線から目を逸らせない。……怖い。


「お母様を……知っているんですか?」


 掠れた声の疑問に、青年が唇の端を持ち上げて応えた。


「貴方、誰ですか」

「ずっと屋敷に籠っていたのに物見遊山か? まあずっと籠の鳥みたいなものだったもんな」

「なっ……!」

「大事に大事に囲われてきたんだな。身のほどを知るって実は大事なことなんだよ。真実を知らされずに……可哀想に」


 わざとこちらの神経を逆撫でするように無遠慮な言葉が降りかかる。

 わけがわからなかった。

 可哀想になんて思われる筋合いはない。優しいお母様がいて、衣食住が確保されていて、そりゃ知らされていないこともあるけど、閉じ込められている意味ではなく、大事にされているのはわかる。放っておかれているなんてこともない。なのに。

 顎は強く掴まれたままだし、目の前の青年は薄笑いを浮かべて目で威嚇しつつ、目一杯の悪意をぶつけてくる。これ普通の五歳児にしたら泣くぞ。

 現実逃避気味にそう考えたとき、すとん、とそれが胸に落ちてきた。


 そっか。

 この人、私が泣くのを待っているんだ。


「──貴方はどなたですか? お母様のことを知っているんですね。私のことはどうして知っているんですか?」


 相手が誰かもわからない。でも、私が何を質問してもきっとこの男は答えない。

 それは私を侮っているからか、答える必要性を感じていないからか、それともわざとか。

 どれでもいいけど、私ができるのは時間稼ぎだけだ。


 気を抜くと上ずり、甲高くなりそうな声を押さえつけて、声だけは周りに聞こえるように、張り上げる。

 意地でも、涙だけは見せない。無邪気に見えるように、殊更目を見開いて見せて、震える手を握りしめながら。

 兄様まだ魔石に夢中ですか!? 貴方の可愛い妹は何故か喧嘩売られてますよ!


「お名前を教えてくれないのはどうしてですか? 私のことを知っているのは何故ですか? ここには何をしに来ているんですか?」

「ちっ」


 舌打ち一つ洩らし、青年が顎から手を離す。我慢していたけど、本当に痛かった。

 猫のような薄緑の瞳を細めて、苛ついた言葉を口の中で呟くだけで、彼は結局私の質問には一切答えなかった。一つくらい反応してくれてもいいのに。

 ここでほっとした顔を見せちゃ駄目だ。つけいる隙を見せたら最後、こいつは私の強がりを見抜いて余計に絡んでくる。

 いっそ悲鳴を上げたら? いや、口を塞がれて路地に引きずり込まれて終わりだ。さっきの悪意と手の強さを忘れるな私。

 噛まないように、でも子供らしいあどけなさと無邪気さと適度な無神経さを混ぜて、同じ質問を何度も繰り返した。


「っ、可愛くねえガキだな。面白くねー」


 行き交う人々の怪訝そうな視線に居心地悪くなったのか、顔を盛大にしかめて、彼は素早く人混みに姿を消した。

 ……いっそのことその背中に向かって「どうして逃げるんですか?」と言ってやろうかと思ったけど、そこまで喧嘩は売れなかった。

 ……プライド高そうな相手だったしね、本当に戻ってこられても困る。

 戦わずして勝った? そんな感じ。

 へたりこみそうになった膝を叱りつけ、壁に身を預ける。今になって、恐怖が戻ってきた。

 相手は私のことを知っていたのに、私は何も知らないというのが一番気持ち悪い。どうして、あんなことを言われなきゃいけないのか腹も立つ。

 それから、あの言葉。小さく吐き捨てられたあの台詞に一番ダメージを食らっている。

 そこで唐突に思い出した。


 ぱっと顔を上げて脳裏に焼き付いた馬車を探した。馬車から降りた女の人がいないか視線を走らせたけれど。

 あのほっそりとした姿は、いつの間にかいなくなっていた。どこかのお店に入ったんだろうか。馬車もどこかに行ってしまっている。

 遠巻きにしていた人たちも何事もなかったように行き来していて……一気に気が抜けて力なく下を向いた。


「すみません、ロゼスタ! つい夢中になってしまって……」

「いえ……」


 本当だよー!

 やっと満足したのか、表情を綻ばせて駆け寄ってきた兄様。前髪でしっかり隠されているけど、一緒に過ごすようになってから彼の機嫌の良し悪しが大体読めるようになっている。ちなみに今はかなり機嫌がいい。ちゃっかり荷物を下げてるしね。


「ロゼスタ?」


 近づいて私の様子がおかしいことに気がついたのか、兄様の声が抑えられて、俯いた顔を覗き込まれた。

 私に兄様の機嫌の良し悪しがわかるということは、その反対もあり得るということで。

 我慢できたのは数秒間。あとは視界が滲むのを止められなかった。


 押さえ込んでいた恐怖と怒りが表面に出てくる前に、兄様に抱きつく。一瞬硬直したように動きが止まったけど、震えが止まらない私の様子を変だと思ったのだろう、おずおずと背中に手が回りぎこちなく撫でてくれた。

 今更になって震えが来た自分が情けないけど、これまであんなに明確な悪意を向けられたことなんてなかったから。

 いつも目の高さに屈んでくれるか圧迫感のないように距離を取ってくれる人しかいなかったから、見下ろされて脅されるのがあんなに恐怖を感じるものだとは知らなかった。

 ぐりぐりと兄様の胸元に顔を擦り付け滲んできた涙を拭いた。


 それからしばらく黙って兄様はローブを私の涙拭きに提供してくれた。

 そのおかげで落ち着いたけれど、代わりに鼻が痛くなった。



 どうしてローブの下に本を入れてるのかな……。いつの間に買ったの? 謎。



読了ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ