5
日がすっかり暮れ商業街に職人達が食事処を求めて街をうろつく時刻。気の早い酔っ払いの騒ぎ声まで聞こえてくるが誰もかれもが気にすることなく今日の食事処はどこにするのか楽しそうに語らいながらら次々と店を決めていく。
そんな中、ルチアの酒場だけはガランとしていた。外の喧騒に比べて店内には客が一人もいない。
絶賛開店休業中だ。
「これはどういうことだ?」
周りの店に客が入って行くのに未だにルチアの店には客がやってくる気配がない。まるでここだけ陸の孤島のごとく客がやってこない。その様子をアッシュは店の入り口で不可解そうに眺めていた。
「……ああ、やっぱり今日もか」
アッシュとともに客の様子を眺めていたルチアは力なくため息を吐く。
「やっぱり?」
「……うん。昨日からバッタリお客さんが来なくなっちゃったんだよね。なんでだろう」
「昨日から? それはクソマズイ料理が原因か」
「うわっ! ひどいアッシュ。そこまで言っちゃうの!」
「俺は事実を言ったまでだ」
悪びれた様子もなく言うアッシュ。
「もう、アッシュはデリカシーがないなぁ」
一方のルチアは頬を膨らませて文句を言うがその表情はあまり怒っていないどちらかというと拗ねているのだろう。
「あーでも料理が不味くてお客さんが減ったってのも事実だしなぁ」
「そこは認めるんだな……」
「けどこんなバッタリ人が来なくなるなんてことはなかったよ。昔からの顔なじみのお客さんだってお酒だけだけ飲みに来てくれたし、冒険者の人が来ることもあったの」
「なのに来なくなったのか」
アッシュは何か理由があるのだろうかと勘繰る。
そこへちょうど一人の人物が来客する。
「よう嬢ちゃん」
「あっバッカスおじちゃん」
やってきた客はルチアの知り合いだったようでルチアはその客の顔を見ると顔を綻ばせる。
バッカスと呼ばれた男は頑固爺といった風貌で厳つい形をしているが背は一五〇と低く白い髭をたくわえていた。その見た目からわかるとおり彼は炭鉱族として知られるドワーフだ。力が強くそれでいて無骨な指のくせに手先が器用で職人街にはドワーフの職人も多い。
「昨日は珍しくこなかったよね? どうかしたの?」
「がはは。まあ色々あってのう。それよりもいつもの酒をくれんか」
「はーい。いつもの火竜の火酒ですね。すぐに持ってくるからアッシュ、バッカスおじちゃんを席に案内してあげて」
「お、おい」
料理人に案内を押し付けてルチアは嬉しそうに酒をとりに行く。
「客が来ては浮かれすぎだろ」
やれやれとあきれつつもルチアの喜びようを見ていたら文句も言う気が失せたアッシュはバッカスを席に案内しようとするが、バッカスがアッシュに殺気を向ける。
「お前さんは何者だ?」
ピリリと背筋が凍りそうになる殺気を受けながらアッシュはなんてことのないように受け流す。
「今日から雇われることになった料理人だ」
「料理人? テメェはどこの差し金だ。どっからきやがった」
アッシュの態度にさらに殺気を強めて凄むバッカス。
「あんたの言いたいことはよくわからないが強いて言うならゴミ捨て場から来たな」
「はぁ?」
凄んだバッカスだったがアッシュのとんちんかんな解答に困惑する。
「昨日ゴミ捨て場に転がってるところをルチアに拾われたんだ」
「ゴミ捨て場で拾われた……?」
その言葉の意味を噛み締めながら聞いていたバッカスは自身の頭をガシガシ掻く。
「ったく、嬢ちゃんも得体のしれないやつを拾いやがって」
とそこへ酒を持ってきたルチアが戻ってくる。
「はいお待ちどーさん……ってアッシュ! バッカスおじちゃんを席まで案内してって頼んだじゃん」
「すまん」
「もうしっかりしてよねー」
ぷんすかぷんと可愛らしく怒るルチア。
「嬢ちゃん、料理人を雇ったんだってな」
「そうなの! 昨日ゴミ捨て場に転がってたから雇ったの」
「ゴミ捨て場からってよ……犬や猫じゃないんだぞ。もうちっと考えて雇ったらどうだ」
「えーそれほどでもー」
「褒められてはないと思うぞ」
「ガビーン!」
「なんだリアクションは……」
奇妙なポーズをとるルチアにアッシュは憐れむような視線を向ける。
「えー? 面白くない? 流行ると思ったけど」
「流行らんだろ」
「おいおいふざけとらんで早く席に案内してくれよ嬢ちゃん」
ルチアには孫に向けるような優しい視線を向けるがアッシュには警戒しているようで敵意を向ける。
「おっとそうだったね。こっちだよバッカスおじちゃん」
「おう」
ルチアはバッカスを近くの席に案内するとトレイに乗せていた火竜の火酒とコップをテーブルに乗せる。
「何かおつまみとかいる?」
「じゃあ何かもらおうか。もちろん嬢ちゃんは作らんよな?」
「ご要望とあらば作りますよ」
ニコリと満面の笑みを浮かべるルチア。初対面の人間ならその笑みだけでおつまみを頼みそうになるほどだ。
「……儂はまだ死にたくはないから遠慮しよう」
しかしバッカスはルチアの料理を知っているため謹んで遠慮する。
「ちぇっ、残念」
ルチアは料理を披露できなくて唇を可愛らしく尖らせる。ルチアは料理は致命的に下手なのだが料理が嫌いと言うわけではないのだ。むしろ好きな方だろう。ただ材料が無駄になるで作らせてもらえないのだ。
「じゃあアッシュが何かつまみになりそうなものを用意しますよー。お願いアッシュ」
「ああ。何かつまみの要望はあるか?」
「そうだな……。ならこの火酒に合うものを頼む」
バッカスはこの店の料理人となる男の実力を計ってやろうと考える。
「わかった」
そんなバッカスの注文にものともせず厨房へと移動するアッシュ。
バッカスはそんなアッシュの後ろ姿をジッと見据える。
「どうしたのバッカスおじちゃん?」
「あの男が何者なのか気になってな。嬢ちゃんは何か聞いてないのか?」
「さー?」
「さーってな。よくそんなんで雇おうって思ったな」
「うーん。何でだろうね? 外から来たんだろうけどそんな悪い人じゃないって感じがしたからかな?」
「また随分と適当だな。そういうところは母親に似たのかもな」
ルチアとルチアの母親と姿を重ねて無警戒な二人にバッカスはため息を吐く。
「あーでも、アッシュが生まれて初めてあたしの料理を完食してくれたってのもあるかも」
「なん……だと……」
ルチアの料理を完食したと聞いてバッカスは今日一日で一番の驚きの表情を浮かべる。
「そ、それは本当かルチア。お前のあの殺人料理を完食できる人間がこの世にいたのか!」
「もー大袈裟だな。そこまで驚くことないでしょー。ってか殺人料理ってひどくない」
「大袈裟でも何でもない。嬢ちゃんの料理を食った人間がどうなったか知っているだろう。泡を吹いて倒れてしばらく昏睡状態に陥るものでるくらい不味いのだぞ。かくいう儂も昔食べたがあの味を思い出すだけでも手が震えるわ。トロルを前にしても震えなかった儂がだ」
「もー言い過ぎだよ。それ以上言うとさすがのあたしでも怒るよー」
作った料理をそこまでコケにされてルチアも不満そうだ。
「おっとすまん。ついトラウマが刺激されてしまってのう」
「それ謝ってないよね」
「しかし嬢ちゃんの料理を完食してのけるなどあの男ただ者ではないな」
「その判断基準おかしいよね? バッカスおじちゃん謝罪する気ゼロだよね」
むーっとルチアが怨めしそうにバッカスを見ているとバッカスが少し真面目な口調で問いかける。
「それより嬢ちゃん。昼間にダイモスが店に来たって本当か?」
バッカスの言うダイモスとは昼間ルチアに借金の返済を迫った巨漢のことだ。
「どうしてそれをバッカスおじちゃんが……」
「こんな街だからな。すぐに噂が流れる」
「そうなんだ……」
「それでやつは何しにきやがったんだ」
「実はダイモスさんが三カ月以内に父ちゃんが残した借金を返済しろって。出ないと店を売ることになるって」
「借金か。いくらなんだ?」
「三〇〇万オーラム」
「三〇〇万オーラムだと……。ルーファスのやつは本当にそんな多額の借金なんてしていたのか?」
「わかんない。父ちゃんは借金のことなんて一言も言ってなかったから……」
「そうか……」
これについてはルチアに問いただしても意味がないと判断し次のことを聞く。
「返す当てはあるのか?」
「ううん。父ちゃんの薬代で店にはほとんどお金がないの。でも大丈夫。きっと返して見せるから」
「返して見せるって……いくらなんでもこの店の今の状況じゃ三カ月で三〇〇万オーラムを稼ぐなんて無理だぞ。儂とて嬢ちゃんに金を貸すだけの余裕はない。貸せても一〇万オーラムが限界じゃぞ」
「いいのバッカスおじちゃん。アッシュがね。任せろって言ってくれたの。だからあたしもアッシュを信じて最後まで抗ってみようと思うの」
「アッシュ……あの男がか」
ルチアが信頼するアッシュが本当に信用できるのか訝しむバッカス。借金返済に困っていたルチアにタイミングよく手を貸すアッシュがバッカスとしては何か都合がよすぎるような気がしてならなかった。そして同時にいったいどうやって借金を返済させる算段なのか興味を持った。
とそこへ厨房からつまみを作ってきたアッシュが戻って来た。
「ほら、つまみだ」
ぶっきらぼうに言うとアッシュはテーブルに作ってきたつまみを置く。
アッシュが作って来たつまみはゆで豆ときゅうりの塩揉み。
「これがつまみか……まあ随分と普通だな」
ってきり何かすごいものが出されるのかと期待していたが思っていたよりも普通のつまみだった。
「何を期待しているのか知らないが俺はその火酒に合いそうなつまみを作っただけだぞ」
「そうだったな」
一応納得してみるもののこんなので本当に借金を返済できるのかと疑うバッカス。借金を返済すると言うのだからってきりバッカスはアッシュが物凄い料理人なのではないかと予想したのだが違うのだろうか。
ともあれ実際に食べてみたら違うのかもしれないと思いバッカスはゆで豆を食べる。
「……こ、これはっ!」
ゆで豆を一口食べるとバッカスは目を大きく見開く。
「普通だな!」
「だからそう言ってるだろ」
「確かに火酒には合うががつんとしたインパクトがないのではないか。この程度のゆで豆なら他の店でも食えそうだ」
不服そうにそう言ってバッカスはきゅうりの塩もみも口にする。
「……やっぱこれも普通じゃの。美味いには美味いが感動するものではない」
「だからあんたは何を期待してんだよ」
「だってこんな料理では他の店と大差はないではないか。こんな料理で本当に借金など返済できるのか?」
「ああそのこか。俺の料理の腕なんかたかが知れている。そんなの俺だって重々承知の上だ。だから俺は美味い料理を作って借金が返済できるとは思っていない」
「なんじゃと? ではどうやって借金を返すつもりなのだ?」
「それは追々わかるだろう」
どうやら何をやるのかはまだ話すつもりはないようだ。
「ふむ。気になるが仕方あるまい。そういうことをベラベラ話す輩に限って大したことのないやつらばかりだからな。だがお前が何をやるのかわからんが嬢ちゃん泣かせるようなことをしたらただじゃおかぬぞ」
バッカスはそう警告すると火酒をグイッと飲み干す。




