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下準備を終えてようやくランチ営業を始めた初日。
「たくさんお客さんが来てくれるといいね」
ここ連日お客が来なくなったことを危惧しているルチアはランチを始めることでお客がどっとくると身構えているようで珍しく緊張していた。
「ピピーピ」
そんなルチアをスーが大丈夫だ問題ないと励ます。
「そんな気張る必要はないと思うんだがな……」
一人と一匹の様子を見ながらアッシュはポリポリと頭を掻く。
そしていよいよランチ営業がオープンする。
……。
…………。
………………。
「……あれっ? ……来ない……ね」
「だな」
「ピー」
開店してから二時間経ちお昼のピーク時間を過ぎてもお客は一人もやってこなかった。その事実にルチアは落ち込み緊張でピンッと張っていた猫耳も元気を失いペタンと項垂れている。スーも散々な結果に床にべたーっと力なくだれていた。
唯一アッシュだけはこのことを予想していたようで特に気に留めていた様子はない。
「まあ初日だしこんなもんだろ。ランチを始めたからといってすぐに客が来るほど世の中甘くはないからな」
「そうだけどさー、やっぱりちょっと期待はしちゃうじゃん」
人差し指と人差し指を当てながらルチアはいじけるように言う。ルチアとしても不安が全くないわけではない。このままお客がこなかったら両親との思い出がつまった店がなくなってしまうのだからどうしても初日で大盛況までは言わないがそれなりの結果が欲しかったのだ。
「一応昼過ぎに客が来るように自警団の連中には宣伝してくれるように頼んだがすぐに効果は出ないかもな」
いくら王室に献上されるような高級品でもそう簡単には受け入れられはしないだろう。むしろそんなものをタダで飲ましてくれるなどおかしいと怪しまれているのかもしれない。なのでアッシュの見立てではランチを始めてすぐに結果が出るとは思ってはいない。早くても一月はかかるだろうと予想している。
「……そっか」
「なんじゃ? 客がまったくおらんではないか」
「あっ、バッカスおじちゃん」
しょぼくれるルチアの元にやって来たのはバッカスだ。バッカスは客が一人も入ってこない店内を見てやれやれと肩をすくめながら言う。
「あれだけ威勢よく言っていた割には大した成果は上がっていないようだな」
「そういうあんたは昼間っから店に顔を出すなんて暇なんだな」
「ほっとけ。儂らがとってきた葉っぱがどれくらい人気が出とるのか確かめに来てやったのだ」
昨日バッカスは孤児の子供を連れて街の外に出てアッシュが指示した葉っぱを集めてきた。その成果が気になるようでわざわざ足を運んできたようだ。
「だというのに全く成果が出てないではないか」
「何でもかんでもすぐに結果を求めるのはよくないと思うけどな」
「口だけは達者な男だ」
「まあまあ落ち着いてバッカスおじちゃん。まだこれからだよこれから」
そう言ってバッカスを宥めるルチアだったがそれは同時に自分自身にも言い聞かせているようでもあった。
バッカスもそのことにすぐに気が付いて失言だった反省する。
「ふー。確かに嬢ちゃんの言う通りじゃわい。まだ始まったばかりじゃしすぐに結果を求めるのはよくないの。わかったか若造」
「それはこっちのセリフだ」
ルチアのためにあっさりと意見を変えるバッカスにアッシュはほんの少しあきれながら返す。
「そういえばバッカスおじちゃんはもうお昼を食べたの?」
「そういえばまだじゃな。さっきまで工房に籠りきりじゃったからのう」
「ならよかったらうちで食べて行ってよ」
「うーん。いいのだが嬢ちゃんのところの料理は野菜を遣ったらサラダとやらを中心にオムレツやらサンドイッチと言った軽いものばかりじゃからなぁ。儂としてはガツンと胃に来るような肉が食いたいのじゃが……」
ルチアの店がランチを始めるにあたって考えられたメニューは全て他の店にはないようなヘルシーな料理ばかり。男のバッカスには物足りないと感じるのは当然のことだった。
「野菜には身体の調子を整える効果がある。肉ばかり食っていたら身体に悪いんだ。これを機にもう少し健康に気を遣ったらどうだ」
余計なお世話じゃいとアッシュに文句を言おうとするバッカスだったがその前にルチアに畳み掛けられるようにお願いされると無碍にはできなかった。
「そうだよ。バッカスおじちゃんには長生きしてもらいたいし少しは健康に気を遣ってほしいな」
「んっん! 嬢ちゃんがそこまで言うのならたまになら食べてやらんこともないがのう」
孫娘のように思っているルチアにここまで言われたらさすがのバッカスも抵抗する気はないようでにやけた顔で了承する。
チョロいなこのおっさんと思うアッシュだったがそこまで口にはしない。
そしてしばらくして運ばれてきたサラダをもしゃもしゃと口に運ぶバッカス。始めは作り手に文句を言っていたが思いのほかドレッシングが気に入ったのか残さず全部食べていた。
ちなみにバッカスが食べていたポテトサラダだ。ジャガイモと色とりどりの野菜にマヨラー帝国の国民が愛飲しているマヨネーズという調味料をかけあわせて作ったシンプルなもの。ジャガイモは安価で大量に仕入れられるので孤児にも葉っぱを取って来た報酬として差し出した。
食事を終えたバッカスはやはり肉気が足りないせいか物足りなさそうではあったがそれなりに満足したのか完食してからは文句を言わずに帰って行った。
「バッカスおじちゃんも納得の出来だったみたいだね」
帰って行ったバッカスを見送ったルチアが誇らしげに微笑む。
「そうか? 文句ばっかり言っていた気がするけど」
「そんなことないよ。食べる前は文句を言っていたけど食べてからは文句を言ってなかったら少しはアッシュを認めてくれたってことだよ」
「ふーん」
それからバッカスが帰ってしばらくすると新たに来客がやってきた。
「あのー」
店内には入らず店の入り口で自信なさ気な声の来客にルチアが笑顔で出迎える。
「いらっしゃいませ」
「ど、どうも。ここでアッシュさんって人が働いているって聞いたんですけど……」
「アッシュ? アッシュ! アッシュにお客さんが来てるよ」
「俺に客だと?」
ルチアに呼び出されて厨房にいたアッシュが店の入口へとやってくる。
「……ん? あんたは……」
アッシュは来客者の顔に見覚えがあった。以前住宅街で冒険者に襲われそうになっていた胸の大きな少女だ。
アッシュに覚えてもらっていたことが思いのほか嬉しかったのか少女はパァーっと表情を輝かせる。
「先日はどうも。アッシュさんに危ないところを助けていただいたストルルカです。自警団の隊長さんからここで働いているって伺ったので訪ねてみたのですけどご迷惑でしたか? 改めてお礼を言いたくて」
「礼なんて言われるほどのことはしてないけどな」
「そんなことないです。アッシュさんがいなかったらどうなっていたか……」
アッシュとしては大したことなどしたつもりはないのにここまで仰々しくお礼を言われる扱いに困る。どうしたものかと考えたアッシュはストルルカにある提案をする。
「そこまで言うのならうちで煎茶でも飲んで行ってくれ」
「煎茶? 煎茶って今話題になっているやつですよね。何でも王様とかも飲んでいるすごいものだとか。もしかしてそれを一杯だけタダで出しているお店ってアッシュさんのお店だったんですか?」
「正確には俺の店ではなくそこのルチアの店だけどな」
「そう……なんですか……」
少女はルチアの顔とアッシュの顔を交互に見る。
「礼をしたいって言うのなら煎茶を飲んで周りの連中に宣伝してくれればいい。もちろん一杯目はタダでサービスする」
「は、はい! 任せてください! みんな興味はあるみたいで本当なのか半信半疑でなので私の方からも勧めておきます」
「そりゃあ助かるな。だがそれは飲んでからにしてくれ」
「はい……」
飲んでもいないのに他人に進めようとしたことに気が付いて先走り過ぎたと反省するストルルカ。
アッシュはそんなストルルカの前から去りお茶を入れるべく厨房へと向かう。
「じゃあこちらへどうぞ」
奥に引っ込んだアッシュに代わってルチアがストルルカを店内へと案内しようとする。
「あ……あの!」
ストルルカは先を行くルチアに緊張した声音で話しかける。
「どうかしましたか?」
話しかけられたルチアは接客用のスマイルを浮かべて首を傾げる。
「……その……ルチアさんとアッシュさんの関係って……夫婦……なんですか? ほら店の名前とあれですし……」
ストルルカはなけなしの勇気を振り絞っているようで声が若干かすれていた。おまけに自分は何て恥ずかしいことを聞いているのだろうと羞恥のあまり顔が真っ赤になっていた。
「あー、あたしとアッシュは別にそういう関係じゃないよ」
ルチアもストルルカの言わんとすることが理解できたようでなんて答えていいのかわからず困惑するように答える。
「……強いて言うのなら雇い主と従業員って感じかな。でも今はどっちが雇い主かわかんないかもだけど」
「そうなんですか……」
ホッと胸を撫で下ろして安堵するストルルカ。
「……?」
安堵するストルルカの表情を見てルチアは何だか妙な気持になる。その正体がよくわからないが胸がモヤモヤとする感覚だ。だがルチアはそんな気持ちを面に出すことなく接客に集中する。
「こちらへどうぞ」
「は、はい」
あまりこういう店に入ったことがないのかストルルカはおっかなびっくり店内に入って行く。そして席に着くと落ち着かないようで緊張した面持ちでお茶が出されるのを待つ。
そこへアッシュが陶器のマグカップを持ってやってくる。
「待たせたな。これが王侯貴族が愛飲するお茶の煎茶だ」
「これが……煎茶ですか……」
白いマグカップの中には透き通るような緑色の液体が湯気を立てながら揺らめいていた。
ストルルカは恐る恐るマグカップを口に運ぶ。煎茶は熱いが沸騰するほど熱々ではないのでストルルカが思っていたよりもすんなりと飲めた。
「ほぇー」
煎茶を飲んだストルルカは思わずそんな擬音を口にする。
それと同時にさっきまで緊張で強張っていた頬がだらしなく緩み、まるで世の中のありとあらゆるしがらみに解放されたかのような安堵感がストルルカを包み込んだ。これは王様や貴族様が愛飲する気持ちもわからなくはない。
「どうだ?」
「ひゃい!」
アッシュに声をかけられ現実に戻って来たストルルカは再び緊張する。
「そこまで驚かなくてもいいだろう」
自分が声をかけただけでカチコチに緊張するストルルカにアッシュはあきれつつもお茶の感想を聞く。
「で、お茶の方はどうだ?」
「す、すごいです! 味はちょっと苦かったんですけどその後にふわっと甘味が広がって……でも味よりも飲んだ時にホッとする安心感があって自然と頬が緩んじゃいましたよ」
「だろうな。このお茶には疲れを癒す効果があるらしいからな。だがこのお茶のすごいところはそれだけじゃなくて飲むだけで病気の予防になったり老化を抑えて美肌効果もあるらしいぞ」
本当ですか? とストルルカがアッシュに問いただそうとするが、その前にルチアが食いつくようにアッシュに問いかける。
「本当なのアッシュ!」
「ああ、本当だ。だから王侯貴族がわざわざ海の向こうからわざわざ取り寄せて飲んでいるらしいぞ」
「あっつっ!」
「ピー!」
アッシュが肯定すると一人と一匹は熱々の煎茶を急いで飲んだようで舌を火傷したようで口元を押さえていた。
「何してるんだお前ら……」
「だって美肌になるって聞いたから女の子としては聞き捨てならないでしょ……」
「ピー」
そうだそうだと言わんばかりにスーも賛同する。
「あのなお前らはそんなに急がなくてもいつでも飲めるだろうが……というかスーって女だったのか?」
「うわっ! ひどいよアッシュ。いくらなんでもそんな言い方したらスーちゃんも傷つくんだよ」
「ピー」
スーはアッシュに女だと思われていなかったことがショックだったようで身体がデロっとさせながら落ち込んでしまった。
「あー、悪い悪い」
アッシュも一応は謝るものの、女性陣が思っていたよりも美に対する拘りが強いことを改めて認識させられた。そしてそれを上手く利用すれば思ったよりも早く成果が出るかもしれないと考えた。




