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 雨が降っていた。


 篠突く雨のような激しい雨ではなく肌にまとわりつくようなしとしとと降る地雨だ。


 そんな雨が降る中、一人の男が路地裏で朽ち果てるように転がっていた。歳はまだ若く一〇代後半から二〇代前半くらいだろうか。背は一八〇と高く鍛えていたのか肉付きもいい。しかし男の顔には覇気がなかった。目が虚ろでまるで死人のような顔をしていた。


 このまま放っておけば男は間違いなく朽ち果てるだろう。


 男もそのことを十分理解している。なのに男はそれを理解しても動くことはなくやがて来る死を待っていた。


 ――これで楽になれる。


 男は死を期待していた。生きるのが辛いのなら死ねばいい。そう思い男はこのまま朽ち果てることを願っていた。


 だがその男の願いはあっさり裏切られる。


「あれっ? うちのゴミ捨て場にまた誰か寝ている。もー誰ですか? うちのゴミ捨て場はベッドじゃありませんよ」


 建物の裏口から出てきた少女は男を見ながら困ったように半ばあきれるようにぼやくと男に声をかける。


「ほら、起きてください。こんなところで寝たら風邪ひきますよー」


 朗らかな少女の声に男は突き放すような声音で返す。


「ほっといてくれ。俺はこのまま死にたいんだ」


「ダメですよ。ここはうちのゴミ捨て場なんですからそんなところで死人が出たら縁起が悪いじゃないですか」


 少女は死にかけの男の言葉にまるで靴の紐が切れたかのような感覚で言う。


「縁起が悪いか……ははっ」


 場違いな少女の言葉に男は久しぶりに笑った。愛想笑いではなく心の底からおかしいと思った。こんなことはいつぶりだろうか。


 今まで元気出せとかくよくよするなとか自分への慰めの言葉をかけられたがこんな言葉を投げかけられたのは初めてだった。男には逆にそれが心地よかったのだ。


 しかし言われてみればこんなところで死なれたら少女に悪い。死体が出て喜ぶような輩はいないのだから。


 考えてみれば当たり前でそんな当たり前のこともわからないほど自分は腐っていたのだ。


 ぐぅ。


 笑うと急にお腹が鳴りだした。


 今までろくに食事をとっていなかったのだから当然だった。


 当然なのだがさっきまで死のうとしていたのに今は胃が生きるために食事を求めていることが滑稽に思えた。


「あー、もしかしてお兄さんお腹が空いての行き倒れ? もーしょーがないなー。店に来て」


「お、おい」


 少女が男の腹の音を聞くと男の返事など聞かず建物の中へと強引に連れ込む。少女は身長一六〇センチと小柄ながらも力が強く男を軽々と連れて行く。頭をよく見れば茶色の髪に混じって猫耳があった。彼女は獣人だったのだ。それなら人間の女性よりも力強いのにも納得できた。


「こっちこっち」


 男が連れてこられた建物の中はどうやら大衆酒場のようで男が入って来た入り口は厨房の裏口のようだ。


 少女はそのまま厨房を通り抜けホールにやってくると男を椅子へと座らせる。


「ほらここに座って待ってて。すぐに食べられそうなものを持ってくるから」


 男を座らせると自身は厨房へと戻る。


 男はきまりが悪そうに辺りを見渡すと客は一人もいなかった。


 一体自分は何をしているのかと思うが、仕方なく男は少女の言われたまま料理が出来るまで椅子に座って待つ。


 しばらく待つと少女は男の元へと戻って来る。


「はい、どうぞ召し上がれ」


 少女は男の目の前に木の器に入ったそれを置く。


 木の器の中には白いスープが入っていた。普通ならスープだけでは物足りないがしばらくまともな食事をしていない男にちょうどよかった。


「うちの店名物の特製クリームシチューです」


「……」


 男は無言で備え付けられた木で出来たスプーンを手に取り一口すする。


「……っ」


 男はクリームシチューをすすると目を見開いて固まる。そして次の瞬間男は大きく息を吸ったと思ったらクリームシチューを一気にかっ込む。


 がつがつという擬音が聞こえてきそうなほど勢いよく男はクリームシチューを平らげる。


 机の上には空になった皿が乱雑に置かれる。


「すごい食べっぷりですねー。美味しかったですか?」


 空になった器を見ながら少女は嬉しそうに訊ねる。


「美味いかだと?」


 少女の問いにさっきまで死にかけていた男はどこへやら、男はドンッと机を叩き覇気を漲らせながら怒鳴る。


「不味いに決まっているだろう! 下処理のしていないせいか肉の臭味は強くて最悪だし食材の煮込み具合も中途半端で素材本来の味を一切引き出せていない。だが百歩譲ってそれらは許せてもこのスープだけは解せない! クリームシチューなのに口の中に入れた瞬間に広がるのは甘味ではなく苦虫を噛んだような苦味、そして次に襲い掛かってくる胃液のような酸味。なんだこの料理は! いや料理と呼ぶのすらおこがましい。どう調理したらこんなものができるんだ!」


「いやーそこまで評価されると照れますなー」


 男の酷評を受けて獣人の少女ははにかむように笑う。


「褒めてないぞ」


 奇妙なリアクションをする少女に男は冷静に突っ込む。


「でもおかしいなー。今回は白い色になったから成功したかと思ったのに」


 少女はそんな男の言葉など気にせずどこがダメだったのだろうかと心底不思議そうに首をかしげる。


「おい、判断基準が色というのはおかしいだろ」


「だって死んだ父ちゃんがお前の料理は死ぬほど不味いから絶対に味見するなって言ってたんだもん。けど前は紫色だったから大した進歩だと思うよ」


 なんだか色々とおかしいことを言う少女。


「そんなものを食わせたのか」


「だって死にたいって言ってたから気にしないかなーって思って」


「そういう問題か?」


「けどよく倒れずに全部食べれたねー。前に私の料理を食べた人は泡吹いて倒れちゃったのに」


「当たり前だ。そんじょそこらのやつらとは鍛え方が違うからな」


「なるほどー」


 少女はポンッと手を打って納得すると空になった皿を嬉しそうに眺める。


「どうかしたのか?」


「あっ、うん。やっぱ誰かに完食してもらうのって嬉しいなーって思って。今まで作った料理を全部食べてもらったことなんてなかったから。残された料理を片付けるのって結構心にくるんだよねー。だから空になった皿を見ると思わず顔がにやけちゃうの。おまけにちゃんと味の感想まで聞けたしね。今日はついてるよ」


 少女はニッコリと無邪気な笑顔を浮かべる。


「……」


 理由はどうあれ少女の笑顔が眩しくて男はつい視線を逸らすとさっきは少し言い過ぎたと反省する。味はひどかったが少女は自分のことを気にかけて料理を出してくれたのだ。味はひどかった……。


 そして男は視線を逸らしながら店内を見渡す。


「この店はあんたの店か?」


「うーん。あたしの店というよりも死んだ両親の店かな。二人が冒険者をして苦労して貯めたお金で建てた店だし。あたしはただこの店を継いだだけだから」


「死んだ両親……。じゃあ今はお前一人か?」


「そうだね。このお店って結構大きいでしょ? だから一人で切り盛りするのは大変で大変で」


 大変といいつつもその表情に悲壮感はない。


「……そうか。強いんだな」


 男は一人でも必死に生きていく少女の強さをうらやましく思う。


「全然強くはないよ。毎日生きていくのに必死なだけ」


 少女は強いと言われて笑って受け流す。男はそういうところが強いのだと口には出さないが思った。


「それよりもお兄さんって料理に詳しいの?」


「別に詳しいと言えるほど詳しくはない。色んな国を周って色んなものは食ってきたがな」


「へー、色んな国の料理を。じゃあお兄さんは冒険者なの?」


 冒険者という言葉に男は一瞬だけ苦々しい顔を浮かべる。


「……違う。今はただの死人だ」


「そうなんだ。じゃあちょうどいいかな。お兄さんうちの店で働かない?」


「はぁ?」


 少女の提案に男は困惑する。


「何を言ってるんだあんたは」


「実はつい最近父ちゃんがポックリ死んじゃって料理を作れる人がいなくても困ってたんだよ。うちってほら酒場じゃん。父ちゃんが死んでからはお酒だけを出してきたけどお酒にはおつまみがつきものでしょ? だから最近客足が遠のいてきたうえにお酒の値段もあがってきちゃってこのままじゃ上手くやってけないんだよね。もしよかったらうちで料理人をやってくれない? お給料は出せないけどちゃんと二食寝床つきだよ」


 お願いっと両手を合わせて頼まれては男としても断りづらい。


「……」


 男はどうしようかと考え。


 今の自分は何もかもを捨てたただの死人だ。他人と関わるようなことはさけたい。


 さけたいのだが、困っている人間を見捨てるほどこの男も人として落ちぶれてはまだいなかった。いや、正確には落ちぶれなかったというべきか。


「……仕方がない。飯の借りもあるしな」


「ありがとうお兄さん!」


 男の返事を聞いて少女はパッと顔を輝かせる。


「ただし食事は俺が作るからな。毎日あんなのを食わされるのは勘弁してほしい」


 男はさっき食べたクリームシチューを思い返しながら言う。


「えー残念だな。けどわかったよお兄さん」


「俺はお兄さんじゃない。俺はアッシュ。ただのアッシュだ」


「あたしはルチア。ルチア・ノーマン。よろしくアッシュ」


 ルチアはそう言ってアッシュに手を差し出す。


「よろしくなルチア」


 アッシュはその手を握り返す。


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