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後編

波乱含みで始まったボクの海外遠征第2試合“World University Open Golf 2007”、初日のスコアは72だった。7215ヤード、パー72、難攻不落のスタジアムコース「TPCイーグルピーク」をイーブンパーで回れたのは自分でも上々だったと思う。


同組のレイノルズJr.は評判通りの天才ゴルファーでこの難コースを70の2アンダーでまわって単独1位。ヴァンダイクは凄まじい飛ばし屋だけど精度に欠けるショットで72、ボクと同じく12位タイだった。因みにカッちゃんの初日のラウンドは76で51位タイだった。


合宿しているヴィラに帰ってチーム全員でその日の試合レポートをテレビで観ていると、ゴルフ専門局のリポーターにマイクを突き付けられているボクが映し出された。


『「“キリュウ君。そんな華奢な身体なのによく男の子たちと渡り合っているね? なにか秘訣はあるのかな?”」』

『「“それはボクも男の子だから、じゃないですか?”」』


しらっとした表情で笑顔も見せずにボクは答えた。スタジオに戻るとビデオを見せられたキャスターが大笑いをしている。


『“あははは! こいつはいい! スマッシュヒットだよ!”』

『“でしょう? 女神のように美しい顔と天使のような可愛い声に似合わずクールに斬り返してくれましたよ”』

『“アラシって言ったっけ? 先週のハツダレディースではベストアマチュアを獲ったし、ゴルファーにしておくのが惜しいくらいの美人だし、このレディボーイからは目が離せないぞ!”』


コーナーが終わって画面がCMに切り替わると、全員が振り返ってボクを見た。


「Because I am a boy, alsoか。クールな言い方がとてもいい。アラシ君おみごと! これでキミもテレビの人気者の仲間入りだよ」


チーム・ディレクターの菅井さんが言った。


「ボクは人気者になんかなりたくないです」

「わかってるって。でも、アラシ君の夢を実現するには強力な武器になるはずだよ」

「ボクの夢・・・って、オーガスタのことですか?」

「ああ、そうとも。マスターズ・トーナメントの創設者、球聖ボビー・ジョーンズが生涯アマチュアだったことは知ってるね?」

「ええ」

「メジャー大会優勝者や世界ランキング50位以内などマスターと呼ばれるに相応ふさわしいプロゴルファーが出場するけれど、主催者のマスターズ委員会にとってはアマチュアで秀でたゴルファーは特別な存在なんだ」

「アマチュアで・・・秀でた・・・ゴルファー」

「そう。過去にも特別招待枠で選ばれた中にはその時代注目のアマチュア選手がいるんだ。だから、アマチュアのアラシ君がこうしてアメリカで知られた存在になることは、とっても重要なことなんだよ」

「そ、そうなんだ・・・ボク・・・マスターズは・・・もっとずっと先の・・・プロになってからのことかと思っていました」

「意外と目の前に夢があったな、アラシ」


いつもボクから夢の話を聞かされては「モデルみたいな美少女がオーガスタに出られるわけないだろ」って茶化している美咲が言った。少し感動しているみたいだ。


「うん」

「だからアラシ君は人気者になることを決して躊躇ためらってはいけないんだよ」

「分かりました」

「よし、それじゃあこのクールビューティー路線を続けることにしよう」

「?」

「ハツダレディースで魅せた明るい笑顔との落差だよ。男子ゴルフの世界で男として戦う真剣な姿がそこに現れていると思うんだ」

「そう言えばアラシ、今日は1日笑わなかったよな? わざとか?」

「違うよ。ぜんぜんそんな余裕ないし、自然にそうなっちゃったんだ」


そう、今日のラウンドは二人の飛ばし屋に挟まれて、飛距離で負けている分を寄せとパットでリカバーするしかなかったのだ。守りのゴルフに撤したからこそなんとかイーブンで上がれたのだけど。それと、エスタブリッシュメント独特の口には出さないけど嫌味な感じの上から目線、東洋人を小馬鹿にしたような言い回しをするダッチマン。そんな同伴競技者たちにムッとしていたせいもある。






「アラシ。ここからだと250ヤード。風はフォローだ。打ち下ろしだしギリギリ2オン狙えるかどうか・・・だな」


予選2日目、ボクたちは17番ホールのセカンド地点にいた。


「ここを入れて残り2ホール。いま1アンダーということは、ここでボギーを叩いても予選カットラインはこのままいけば2オーバーなので問題ない。問題なのはグリーン手前の小川クリークを超えられるかどうか・・・」

「だな」


ボクは、美咲が手渡した3番ウッドを手にするとグリップの感触を確かめながらグリーンまでのルートをもう一度確認する。


「手前を斜めに横切る小川の向こう岸はグリーン方向に傾斜している・・・あの傾斜面に落とすことができれば回り込んでピンに寄る・・・パワーで負けているボクがグリーンを高い球で直接狙うことはできない以上は地形を味方につけるのみ・・・よし」


ボクは小さく深呼吸するとターゲットに向けてクラブを構えた。そしてゆっくり引き上げると一気に振り下ろす。


≪パシーーーーン≫


勢いよく飛び出した球は、フェアウェイを取り囲む林より低い弾道でグリーンへと向かった。そして小川の手前で落下しはじめる。


≪短いんじゃないか?≫

≪これは危ない≫


球筋を見たギャラリーから声が出る。


≪トーン≫

≪おおっ≫


球は向こう岸をギリギリ越えたところに落下した。そのまま傾斜面を利用して加速するとグリーンへと向かう。


≪トントントン ツツーーーーッ≫

≪おおおおおおっ≫


グリーンを駆けあがるとピンに向かって弧を描きながら回り込みピン横2メートルで停止した。


『おいおい・・・』

『このロングを2オンしてくるとは・・・』


前方で、ボクのショットを見ていたレイノルズJr.とヴァンダイクが驚いた表情をしてつぶやいた。いくら体格で負けている上に難コースだったとしても、練習ラウンドから3度目ともなれば多少自分なりに攻め方だって分かってくる。


『となると、こちらも本気を出すしかないか』


そう言うと、レイノルズJr.は3番アイアンを引き抜いてスタンスに入った。残り200ヤード。


≪カシーーーーン≫


美しいフォームから打ち出された球は、ホップしながら急速に高度を上げた。そして林の頂きを越えたあたりで上昇を止める。


≪ブワッ≫


そのとき 風が吹いた。まっ直ぐピンに向かっていた球が風にあおられて逸れていく。


『ステイ!』


思わずレイノルズJr.が叫ぶ。


≪トーントン ツツーッ≫


バックスピンがしっかりかかっていたお陰でグリーンから飛び出さず、ピン横8メートルで止まった。


『危なかった。あそこで風が吹いてくるとは』

『でもさすがですね。3番アイアンであんなにスピンをかけられなんて。うらやましいですよ』


近くまで来ていたボクは声を掛けた。レイノルズJr.はチラッと見たが無言のままグリーンへと歩き出した。


『よく見とけよ! ネエちゃん』


向こうでボクを威嚇するように太い人差し指を突き付けヴァンダイクが叫んだ 。さすが飛ばし屋だけあってボクのティーショットより60ヤード先、残り180ヤード地点からの第2打だ。

8番アイアンをキャディから受けとると、すぐに構えに入る。ボクならば4番ユーティリティの距離なのにショートアイアンとは・・・。


≪スパーーーーン≫


火を噴くようなショットで打ち出された球は、猛烈な勢いで飛び出すと高々と舞い上がった。


≪ビュオーーーッ≫


林より上に飛び出た瞬間逆風が吹きつけた。


≪ああっ!≫

≪こいつはまずい!≫


グリーン周りで観戦していたギャラリーの声が風に乗って聞こえてきた。


≪パシャッ≫


『くそーっ!』


失速して勢いを失った球は、ヴァンダイクの叫びとともにグリーン手前の小川の中へと落ちていった。


ヴァンダイクは次のショットも寄せられずボギーでトータル1オーバー、レイノルズJr.は2パットのバーディーで4アンダー、ボクは1パットで沈め見事イーグル、トータル3アンダーとした。


『今日の俺は風にたたられっぱなしだぜ』


ティーグラウンドで前の組のプレーが終わるのを待ちながらヴァンダイクが言う。18番はパー3のショートホールで、グリーン上の様子がよく見える。


『どんなに飛ばしても、次のを高い弾道で攻めるんじゃな。頭を使えよ』

『うるせえ。そんな技持ってたら苦労はしてねえ!』

『ここは203ヤードだが?』

『前のホールとは違って追い風だからショートアイアンで十分だ。で、ネエちゃんはドライバーかい?』


ヴァンダイクが嘲った口調でボクに向かって言った。


『ドライバーかあ、低い球が出る分いい選択かも。おっと、グリーンが空くみたいだ』


そう言うと、ボクは美咲の差し出した5番ウッドを手にした。


『ロフトのあるフェアウェイウッドか。ま、お手並み拝見ってところだね、オナーさん』


それを見てレイノルズJr.が言った。ティーショットの打順は前のホールでスコアの良かった順だからだ。


『さて、この気まぐれな風の中でどう攻めるか・・・』


ボクは球を低めにセットすると、ハンドファーストに構えてクラブフェイスを立てた。ゆったりとしたタイミングでクラブを引き上げるとトップポジションから一気に身体を振りほどく。


≪カシーーンッ≫


低めに飛び出した球は、そのまま高さを保ったままピンを目指す。ちょっとした渓谷になっている流れを飛び越えるときにふわりと高度を上げた。そしてグリーン手前に着地するとそのまま斜面を駆け上がりピン手前3メートルで停止した。


≪パチパチパチパチパチ≫


『なるほどね。キミは見かけに寄らず思慮深いゴルファーだ』


レイノルズJr.が言った。


『どう見えていたんです?』

『パワーのないひ弱なアジア系トランスジェンダー』

『ふっ。こう見えてボク理系なもんで』

『参考にさせてもらうよ』


次に打ったレイノルズJr.も3番アイアンをシャットフェイスに構え、低い弾道で攻めてピン横3メートルにつけた。


『オマエら、ピンをドーンと攻めずチョロチョロ手前から転がしやがって。見てろよ』


ヴァンダイクはそう言いながら8番アイアンを構えると思いっきり振り抜いた。


≪スパーンッ≫


球は打ち上げロケットのように空高く舞い上がる。追い風にのってピン方向に向かっていく。と、そのとき横風に変わった。


≪あああっ≫


右に逸れ始めた球は、スピンが掛かっている分曲がりが大きくなっていく。

そしてグリーン奥へと周りこむ渓谷の中に消えていった。


『上空は風が巻いているんだよ。やっぱり頭は使わないと』

『くそーっ!』


こうして2日間の予選は終了した。






決勝の組み合わせは5アンダーでトップを走るレイノルズJr.、最終ホールでバーディーをとり1打差の4アンダーで追うボク、同じく4アンダーのエルビス・ユンの3人だった。


『まさか決勝ラウンドの最終組まで君といっしょになるとはね』

『いけませんか?』

『いけないことはないが、歴史あるこの大会を支えてきた関係者たちにとっては少なからずショックだろうと思ってね』

『?』

『全米学生アマチュアの猛者が集まってNo.1を決める大会なんだ。女の子みたいな奴がトップ争いするとは考えてもいなかったろうからさ』

『別に、ハンデをもらっている訳じゃないからいいでしょ?』

『それが不愉快だろうなっていうの。ま、キミは生まれながらの女ではないらしいし、派手なウェアや化粧を武器にしているわけじゃないから、僕は一応認めているけどね』

『俺は認めないぜ』


ボクたちが話しているところに割り込んで来たのがユンだった。韓国系アメリカ人で高校時代に地元の郡大会で3連覇し、大学にはゴルフ推薦で入学したとプロフィールに紹介されている。


『なぜですか?』

『オマエの身体には子宮があるそうじゃないか。だったら女だろ。第一オマエは日本人だ。認めるわけにはいかない』

『言っている意味がわからない』


ボクが不愉快そうになったのを見て、レイノルズJr.がわざとらしく笑いながら言った。


『英語が苦手な東洋人同士の会話だものね。ハハハ』

『東洋人だが俺はペラペラだぜ』

『そうか? 合衆国で生まれたのなら“v”と“f”の発音くらいはクリアにな』


ユンがムッとした顔をする。


『ともかく女が男の勝負に出しゃばるんじゃない。分かったか、왜놈!』


そう言い捨てると自分のキャディの方へ離れていった。


「あのさ美咲。ウェノムってどういう意味?」

「ウェノム? 聞いたことないな。英語かい?」

「どうだろう。ユンがボクに向かって言ったんだけど」

「ははあ、そりゃ韓国語だな。それも間違いなく悪口だな」

「どうして?」

「声は聞こえなかったけど、アイツの表情がそんなだったもの」


なんか嫌な感じの同伴競技者だった。


3日目決勝ラウンド初日は、昨日からの気まぐれな風に加えて途中から雨模様となった。選手たちは皆、どんどん悪化するコンディションに苦しみなかなかスコアを伸ばせずにいた。


16番ホール終了時点でトップは変わらずレイノルズJr.だった。しかし彼も今日はここまでパープレーで5アンダーのままだ。ユンは出入りの激しいゴルフでボギーが先行し1つ落として3アンダーで6位グループ。そしてボクは1打伸ばして5アンダー、なんと1位タイに浮上した。


以前は“張子の虎”で極端に雨に弱かったボクだったが、それは強い刺激のアルカリ性雨が降る惑星ハテロマでのこと。地球では問題はない。逆に強い雨風はボクに有利に働くのだ。パワーヒッターは飛ばすだけにミスショットで大きく失敗しやすい。早いグリーンも雨だと転がりにくくなるから長いクラブで攻めているボクにとっては球が止めやすくなるのだ。


「アラシ。これから2ホールが勝負だな」

「ああ。このコンディションの中で1つでも伸ばしておけば明日は楽になるからね」


ボクは女性用の軽めの雨傘を差しながら美咲に言った。さすがに雨具までは男っぽいのを入手していなかったのだ。


『オマエ、そういうのをさしているとイイ女だな』


ユンがボクを見ながら言った。でも少し意地悪そうな口調だ。


『それはどうも』

『このラウンドをあがったら、メシに付き合ってやるぜ』

『はあ?』

『いつだって日本女は韓国男に惚れるもんなんだろ? 俺に遠慮はいらねえぜ』

「こ、このやろう・・・」

「アラシ! おさえておさえて」


あわてて美咲がボクを抱きかかえて制止する。ボクはユンの言ったことで二重に腹が立っていた。ひとつは日本人として侮辱されたこと、そしてひとつはボクを女として扱いその上侮辱したことだ。以心伝心美咲はボクの心理状態なんかお見通しだから、すぐに何が起きているかを理解したのだ。


『あんまり感心しないな。善きゴルファーなら口ではなくスコアで勝負しろよ』

『うるせえ! だいたいオマエも気にくわねえんだ。偉そうに』

『この子と違って僕らは同じアメリカ市民だろ? 偉いも偉くないもないよ』


レイノルズJr.は白い歯を見せて鷹揚に笑った。


『そんなことはねえ! 白人と俺たちの間には見えない壁がいくつもあるじゃねえか』

『東洋系の連中は仲間内でひと塊になってツルんでやがるから・・・昨日のラウンドでいっしょだった奴が言っていたっけ。壁作ってるのは君たちの方なんじゃないのか? お、セカンド地点が空いたようだね。じゃあ、参りますか』


そう言うとレイノルズJr.は、いきり立っているユンなど眼中にないといった表情でスタンスに入った。


≪カシーーーーーーン≫


鋭く打ち抜かれた球は軽くホップすると上空で少し流されながらもフェアウェイで止まった。レイノルズJr.は人気選手なので昨日までなら拍手が起きたものだが、今日は悪天候でギャラリーの姿がなかった。


『アラシ君。だんだんキミとの勝負が楽しくなってきたよ。明日もいっしょにラウンドしよう。だからしっかり付いてきたまえ』


レイノルズJr.はボクに向かってそう言うと、ティーペグを拾い上げてティーグラウンドを空けた。


そうか・・・彼はボクを落ち着かせるためにそう言っているんだ。ユンがボクに仕掛けてきたことで心穏やかじゃないと見て、バランスをとってくれたに違いない。スノッブで嫌味な奴だけど善きスポーツマンなんだ・・・ボクは小さくひとつ深呼吸をして微笑むと言った。


『そう、ボクも楽しいんです。今できる自分の全てを駆使して勝負しあえるんですから。付いていくだけじゃ物足りないですよっと』


≪カシーーーーーーン≫


力まずヘッドを利かせたコンパクトなスイングから打ち出された球は低い弾道で飛び出すと、途中からホップして舞い上がった。タイミングよく吹いてきた追い風の乗って勢いを増すとフェアウェイの中央に落ちた。停止した真横にはレイノルズJr.の球があった。


『ハハハ、なかなかキミもやってくれるね』

『おら、どけっ! 邪魔だ』


ボクが球の行方を見ているのを押しのけるようにしてユンが割り込んできた。


『いちゃついてるんじゃねえ! ドライバーショットってえのはこう打つんだよっ!』


≪グワシーーーーーーン≫


大柄な身体をめいっぱい使って打ち抜いたフルショットは高く上がりながら左に少し旋回していく。


『いいドローボールだ、ユン君。丁度フォローウィンドも吹いてきているから320ヤードあたりまで飛んでいるよ』

『ふん!』


ビッグドライブを見ても悔しがらず平静なレイノルズJr.の評価に、ユンは不愉快そうに返した。


セカンド地点に行くとユンの球はボクたちより20ヤード先のフェアウェイに止まっていた。


『見たか? オマエらとはモノが違うんだよ!』

『ユン君、問題はここからだ。ゴルフは上がって何ぼ、と言うからね。さてと、ボクの球が手前だね。キリュウ君お先に打ちますよ』


≪カシーーンッ≫


まったく力みのない完璧なスイングから打ちだされた球は軽く右に旋回しながらグリーンに落下するとピン横5メートルに停止した。


『素晴らしいフェードボールでしたね。ロングホールのセカンドで止める球が打てるなんて羨ましいですよ。ボクはそうもいきませんから違う攻め方で参ります』


≪カシーーンッ≫


ボクは美咲から渡された3番ウッドを短めに持つと、いつもよりボールを右寄りに置いて構えコンパクトに打ち抜いた。


≪トントントン ツツーーーーッ≫


ボクの球は低めに飛び出すと左に旋回しながら小川を越え、グリーン右手前に着地すると勢いを増しながら斜面を駆けのぼりピン手前8メートルに停止した。


『なるほど。風は昨日と同じフォローだが距離が短い。小川に落ちるリスクがある左傾斜を利用せず、ドローボールでトップスピンを掛けて右から転がしてのせたわけだ。ふふ、お見事』

『ありがとう』


≪スパーンッ≫


ボクたちなど眼中にないとばかり直ぐにユンが打った。


≪ドン ツツッ≫


高みから急降下するように落下した球は、バックスピンが利いてワンバウンドで止まった。ピン横2メートルだ。


『どんなもんだ! ロングのセカンドを8番アイアンだぜ』

『運がよかったね、風がないタイミングで。グリーンも雨で止まりやすいし』

『くそっ』


グリーン上では3人のなかで一番遠かったボクが最初だ。


「アラシ、これはスライスラインだな。下からだから強めに打てばそれほど曲がらないと思うけど・・・」

「だね。ただ雨で相当重くなっているから・・・」


と美咲に言いながらボクはラインを確認すると、強さをイメージして何度もパターを振り子のように動かしタイミングをはかる。これだ・・・。


≪コツンッ≫


球はまっ直ぐカップを目指す。


≪カッコーン♪≫


そのまま曲がらずにカップの中に吸い込まれた。


『ナイスイーグル! キミはパットが上手だね』

『ありがとう。飛距離がない分、寄せとパット頼みですから』

『さてと、並ばれた以上これを入れ返さないと』


≪コンッ コロコロ カッコーン♪≫


レイノルズJr.も1パットで決めてイーグル。


『・・・』


ユンが無口になった。ラインを慎重に読むとスタンスに入る。


≪コンッ カッコーン♪≫


『どうだ?』

『いいパットだ』

『ナイスイン!』


これでレイノルズJr.が7アンダー、そしてボクも7アンダーとなった。ユンは5アンダー、

18番の長いショートは、ますます強くなった雨にたたられて3人ともスコアを伸ばせずパー。そのままのスコアで最終日を迎えることとなった。






『“それでは決勝ラウンド最終日最終組の選手をご紹介します!”』


スタートホールでトーナメント・アナウンサーがスタンドに詰めかけた大勢のギャラリーに向かって声を張り上げた。


『“初日からトップを走り続けるゴルフ界のニュージェネレーション! ラリー・レイノルズJr.君! スタンフォード大学1年”』


≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫


『“同じく7アンダーでトップタイ! 日本から来たジェンダレス・ビューティー! キリュウアラシ君! 麗慶大学1年”』


≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫

≪ヒュ~ヒュ~♪≫


『“ライバルがどんどんスコアを落としていく中ひとつ伸ばして5アンダー! 見事単独3位で最終組なったエルビス・ユン君! カリフォルニア州立大学4年”』


≪パチパチパチパチパチパチパチパチ≫

≪홧팅!힘내!최고!≫


そう、結局昨日とまったく同じ組み合わせとなったのだ。


「美咲。ファッティン、ヒムネ、それからチェゴだったかな。それってどういう意味?」

「韓国語はわからんが、肯定表現だろうな。あの叫んでる顔を見りゃわかるよ。少なくともアラシに向かっては使わない言葉だから気にすんな」

「うん」


そう美咲は言ったが、ユンの家族や友人親戚と思われる韓国系のギャラリーが最終ホールまでついてまわることになった。






『静かに! 選手はプレー中です!』


レイノルズJr.が16番でセカンドショットを打とうとスタンスに入った瞬間、ビニール袋がガサゴソ音をたてたのだ。キャディが口に手を当てて音のした方に向かって叫ぶ。

最終組ということもあって大勢のギャラリーがついているのだが、観戦マナーの悪い人が何人かいてずっとプレーに集中できない状況が続いていた。なにしろ一旦気をそがれると集中し直すのに骨が折れる上、打つ瞬間に再びガサゴソ音をたてられるのではないかと疑心暗鬼に駆られてしまうのだ。


仕切り直しをしてレイノルズJr.はもう一度プレーに集中する。最終日ということでピンは2段グリーンの上の段の落ち際崖っぷち、上につけても下につけてもやっかいなパットを残すことになる難しい位置に切ってある。


『残り180ヤード・・・すでにセカンドを打ち終わっているキリュウ君はグリーン手前の花道。これまで3日間あそこからうまく寄せてパーだった。残り2ホールはロングとショート。突き放すとすればここしかないか・・・』


≪スパーンッ≫


完璧なスイングから放たれたレイノルズJr.の打球は綺麗な放物線を描いて2段グリーンの崖際に着地、そこからサイドスピンがかかってピンハイ真横2メートルで停止した。


≪うおおっ!≫


若手スター選手のベストショットにギャラリーから歓声が上がる。

そして次はユンの番だ。大勢のギャラリーがシーンと静まり返る。そう、彼のプレーのときには邪魔が入ることはない。


≪スパーンッ≫


個性的なスイングだが体格を活かして力強く振り抜かれたユンの球は、青空に高々と舞い上がった。


≪아자!아자!≫


アジャアジャ、と韓国語の歓声が一斉に飛び交う。拳を握りしめたり、突き上げているところを見ると応援しているみたいだ。


≪トーン ツツッ≫

≪아자!아자!≫



アジャアジャ、ピン方向に真っ直ぐ飛んでいた球はグリーン上段の奥に着地、しっかりバックスピンがかかってピンに戻り始める。崖際でゆっくり停止するかに見えた、が


≪ツツ・・・コロコロコロ≫

≪아이고~!≫


アイゴー、悲鳴が上がる。そしてユンのセカンドショットは崖の急傾斜を転がり落ちて下の段、ピンから10メートルの位置で停止した。ユンはクラブを地面に叩きつけて悔しがる。


「さて、ボクの番だ」


第3打地点でボクはピンを見つめた。16番はパー4のミドルホールだが470ヤードと、女子ゴルフだったらパー5になる長さだ。飛距離で負けるボクは、無理して2オンを狙わず寄せでパーを拾う手しかない。


「アラシ、残り30ヤード。最終日だけあって難しいピンポジションだが、花道だからしっかりスピンをかけられるぜ」

「うん。グリーンに落としてトントンツーでピンハイって感じだな」


行き過ぎれば崖に向かって打つような下りパット、足りなければ崖の下の段に転がり落ちてしまう難しい力加減だ。ボクは何度もワッグルしてショットの強さを確認する。


『お静かに願います!』


美咲がギャラリーに向かって叫ぶ。一瞬の静寂。ボクは慎重にバックスイングした。


≪ガサッ≫


球にコンタクトしようとしたまさにその瞬間、またビニール袋が大きな音をたてた。


≪カツーン!≫


ボクの球は低い弾道で勢いよく弾きだされてしまった。


≪ああ!≫

≪トップした!≫

≪このタイミングでミスするか?≫


ギャラリーから嘆声が漏れる。そしてピン横を勢いがついたまま転がり抜けると2段グリーンの奥、カラーにかかるところでようやく停止した。


≪パチパチパチ≫

≪꼴좋~~다!≫

≪ハハハハハッ≫


ギャラリーの一角から拍手と嘲るような「コルジョッタ」という言葉に続いて下品な笑い声があがった。ボクは自分の球をみつめたまま下唇を噛む。声のした方へ口の端をあげてユンがニヤッと笑いかけた。レイノルズJr.がジッと声のした方を睨みつけている。


『勝たせるためには手段を選ばないようだな、君の身内は』


そして視線も交わさず静かな口調でユンに向かって言った。


『集中力をなくす奴が悪い。우리を大事にするのは当然だ!』

『ウリ、とは?』

『われわれ。身内のことだ』

『正々堂々戦ってこその勝利の喜びではないのか?』


レイノルズJr.が思わずユンの方に振り返るとあきれたように言った。


『負けてしまっては元も子もない。俺たちは孔子の教えに忠実な儒教の民なのだ。お前たち華外の奴らに劣ることは絶対許されない』

『負けたくないなら、試合に出なければいいだけのこと』

『それじゃあ俺たちの優秀さを見せつけることができなくなるだろ!』

『勝手な理屈だな。いずれにしろ、もし次にプレーを妨害する行為があったら競技委員に君の失格を申し立てる』

『失格? 俺が何をやったというんだ!』

『マナー違反だ。ゴルフは紳士のスポーツなんだよ。君の “ウリ”にもよく言っておきたまえ』


そう言うと、レイノルズJr.は静かに歩み寄りながらボクに声をかけた。


『さあ、キリュウ君。僕に最後までついて来るんだろ? 見事これを切り抜けてみたまえ!』


言われなくてもそんなことは分かっている。ここまでレイノルズJr.もボクもスコアを思うように伸ばせず今日のスコアは1アンダー、ギャラリーを味方につけているユンは3つ伸ばしている。つまり最終組の3人は8アンダーで横並びのトップタイになっていた。

レイノルズJr.はピンそばだから間違いなくバーディーを取る。ユンは崖下からの難しいパットなのでよくてもパー。残りは17番18番2ホールしかない。ここで落とせばそのままレイノルズJr.に勝たれてしまう・・・。


「アラシ。真っ直ぐの下りラインだが・・・」

「ああ、カップまで16メートルあるしカップを過ぎれば断崖絶壁。最後まで言わなくったって分かってるって、美咲」

「お前は本当によくやっているよ。残り3ホール悔いのないプレーをしようぜ」

「うん」


美咲が念入りに拭いてくれたボールを受け取ると、ボクは打ち出すラインに向けてセットしてマークを外した。寄せてパーを拾う手はあるがこれを外せば勝つチャンスはない。ならば・・・


≪コーン≫


強めにしっかり打った球がカップに真っ直ぐ向かっていく。

10メートル・・・5メートル・・・勢いを保ったままカップに近づく。この勢いで崖を下ればグリーンの外まで出てしまうスピードだ・・・3メートル・・・1メートル・・・


「入れ!」


美咲が叫ぶ。


≪カッコーン♪≫

≪おおおおっ!≫

≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫


ボクの球はカップの淵に当たって1度大きく跳ねたが、そのまま穴の中に吸い込まれて行った。


『ナイスパー』

『ありがとう』


レイノルズJr.が大きくうなずきながら言ってくれた。


『くっ。悪運の強いやつだぜ。さてと俺もこれを決めなければ・・・』


そう言いながらユンは自分のラインを慎重に見る。カップまで10メートル。2段グリーンの下の段から崖を駆けあがらせなければならない難しいパットだ。


≪지지마!≫

≪이겨라!≫


チジマ、イギョラ、ギャラリーの一角から声援が送られる。ユンは構えに入ると何度もワッグルして強さを確認する。そしてパットした。


≪コーン≫


行き過ぎれば難しい下りパットを残すのでカップに届く強さで打った。5メートル・・・3メートル・・・急坂をユンの球が駆け上がる・・・1メートル・・・50センチ・・・急に勢いを失った球はカップの手前5センチで停止した。


『くそっ! ついてねえ』


≪コロン♪≫


タップインしてユンもパーを拾った。レイノルズJr.は難なく2メートルのバーディーパットを決めて9アンダー、これで単独トップとなった。







『キリュウ君。いまのパットはお見事。それにしても君はパットが上手だね』


17番のティーグラウンドでレイノルズJr.が言った。


『ストレートラインだったので後は自分を信じて打っただけです』

『顔に似合わず強い精神力だ。さてと前の組がセカンドを打ち終えたみたいだから行こうか』


前のホールでバーディーだったレイノルズJr.が球をセットした。


≪カシーーーーーーン≫


軽いドローでフェアウェイ中央310ヤード。


≪グワシーーーーーーン≫


続いて打ったユンのティーショットも320ヤード、右サイドのファーストカットで止まった。


≪カシーーーーーーン≫


飛距離で劣るボクの球は、目一杯打ったけど280ヤード。追い風がなければこんなものだ。


「アラシ、残りは250。フェアウェイのいいライからだし狙うよな」

「もちろん。残り2ホールで1打差がついている以上勝負するしかないよ」


この試合、ボクのセカンドショットは大抵ディボットのない荒れていない芝生からだった。プレーヤーの中で一人だけ飛ばないなりに何がしかのメリットはある訳だ。

ここからだとボクの飛距離では直接グリーンに落として止めることはできないから、また手前の傾斜を利用するしかない。今日は追い風を利用することもできない。となればわざで切り抜けるだけだ。ボクは右寄りに球をセットすると鋭く振り抜いた。


≪カシーーーーーーン≫


打ち出された白球は途中からホップして高度を上げると少し左に旋回しながら小川クリークを越えた。


≪トーン≫


グリーン方向に傾斜した斜面を利用してさらに勢いをつけて転がり出す。


≪トントントンツツーーーッ≫

≪うおおおお!≫


ギャラリーから歓声があがった。ピン手前1.5メートル、イーグルチャンスだ。


「アラシ。やったな」

「うん」

「これであいつらにプレッシャーがかかったぞ」

「レイノルズJr.はプレッシャーなんか関係ないかもよ」


とボクと美咲が話している間に、レイノルズJr.が美しいフォームでセカンドを打った。


≪スパーーーーーン≫

≪トントンツツッ≫

≪うおおおお!≫


「ほらね」

「ほんとだ。ピン横1.5メートルにつけやがったぜ・・・」


ユンがグリーン上に並ぶ2つの球を凝視している。


『くそっ! いいところに付けやがって。俺だって見せてやる!』


そう言うとユンは方向を確認しながらスタンスをとった。何度も何度もワッグルする。どうやらボールのライが悪いのが気になっているみたいでいつもより時間がかかっている。やはり4日目の最終組ともなるとコースは相当に荒れて来ている。

そして意を決したのかユンはトップポジションまでクラブを引き上げると渾身の力で振り抜いた。


≪カスーーーーーン≫

≪あああっ≫


ハーフトップした球は低い弾道で飛び出した。小川の手前でバウンドしたのが幸いして、ハザードに落ちることなく向こう岸に渡ったが停止したのはグリーンサイドのバンカーだった。


「あ~あ。やっちまったぜ、あいつ」

「力が入っていたからね。でもバンカーにつかまってよかったかも。奥のOBまで転がっていたかもしれないから」

「そういう意味では、あいつもまだツキが残っていたか」


美咲が納得したように頷いた。結局17番ホールは、バンカーから寄せたユンが1パットで沈めてバーディー、ボクとレイノルズJr.はイーグルだった。これでトータルスコアはレイノルズJr.が11アンダーで1位、ボクが10アンダーの2位、ユンは9アンダーで3位となった。


『いよいよ最終ホールだ。いろいろあったが、今日は一日楽しくプレーさせてもらったよ』

『・・・・くそっ』


今日のラウンド中ずっとレイノルズJr.に突っかかっていたさしものユンも返す言葉がない。最終ホールのパー3では2打差を追いつくことは無理だからだ。


『まだ勝負はついてませんよ』


ボクはクールな表情で言い返す。


『ほう? たしかにキリュウ君とは1打差だ。僕のショット次第では追いつくことも可能だろうけれど』

『ええ』

『次は僕からだ。ショットを見てから同じ台詞セリフを言ってみたまえ』


と言うとレイノルズJr.は完璧なアークを描いて球を打ち抜いた。


≪スパーーーーーン≫


ぐんぐん伸びて行った球がグリーンに落下する。


≪トーン ククッ≫


ピンそばに着地した球は、3番アイアンで打ったとは思えないバックスピンで急停止する。


≪おおおおおっ!≫

≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫


ピン横3.5メートル。悪くてもパーで上がれる近さだ。


『お見事です。でもまだ勝負は終わっていませんよ』

『ほう・・・』


ボクは球をティーペグの上にセットすると後方に下がってピンを見つめた。

もはやここまで来たらボクとレイノルズJr.とのマッチプレーだ。マッチプレーで言えばこのホールは引き分けても負けるドーミーホール。マッチプレーは嫌いじゃない、いやむしろ得意だ。なにしろボクは女神杯チャンピオン、惑星ハテロマのNo.1プレイヤーなのだ。

マッチプレーで氷の女王スジャーラを倒し40年ぶりにアビリタに女神杯を奪還した勝者、それがボクなのだ・・・マッチプレーは心理戦だ・・・これをベタピンに付けられれば必ずチャンスは生まれるはず・・・ボクはスタンスに入ると自分を包みこむ球体をイメージした・・・風は・・・ない・・・グリーンの芝目は・・・左からの順目か・・・見えた。


≪スパーーーーーン≫


5番ウッドで打ちだされた打球は高く舞い上がった。軽く右に旋回しながらグリーン左サイド方向に向かう。


≪トン トントン≫


ガードバンカーを越えグリーン手前のスペースに着地した球は2度跳ねてグリーン左サイドにオン、さらに傾斜に沿ってピンを目指して転がる。


≪ツツツツーー≫

≪おおお!≫

≪これは!≫

≪ラインにのってるぞ!≫


ギャラリーがざわめき始める。6メートル・・・4メートル・・・球足が遅くなってくる・・・3メートル・・・2メートル・・・止まりかける・・・1メートル・・・止まった。


≪ああ、惜しい!≫

≪いや、まだ動いているぞ!≫


カップの左斜め上で止まったように見えた球は、傾斜と芝目にのって再び転がり始める。


≪おおお!≫

≪これは入る!≫


しかし、球はカップの中を覗きこむように淵を回り込みながらゆっくり停止した。あと1センチ内側を通過していればホールインワンだった。


≪うわあああああ!≫

≪パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ≫


ボクはグリーンを取り囲む大勢のギャラリーの歓声に応えて軽く手を挙げた。笑顔を見せずあくまでクールに。


「アラシ見たか?」

「?」

「すまし顔のあのレイノルズJr.がギクッとしてやがったぜ」

「ほんと?」

「ああ。さすがにキンタマ縮んだんじゃないか?」

「美咲も言うねえ・・・」


ボクは思わず苦笑してしまった。


「あは、おひんが終わるうございましたでしょうか姫様、ってか?」

「ふふふふ」

「お、やった! ついにクールビューティーを笑わせたぞ」


美咲もよほど嬉しかったみたいだ。


3番目に打ったユンはグリーンオンしたがピン奥12メートルだった。


『お先に』

『・・・』

『・・・』


グリーンに上がったボクは、同伴競技者が頷くのを確認して先に30センチのバーディーパットをタップインした。これで11アンダー、トップに並んだ。レイノルズJr.もだがユンまで無口になってしまった。


ユンはすでに現時点で優勝の目はないのだが、ボクの今のショットに少なからず衝撃を受けている様子だ。これまでと違って動作がぎこちない。


≪コツン≫


打ち出しが強過ぎだ。


≪あああっ!≫

≪아이고~!≫


アイゴー、下り坂で勢いを増した球はグリーンの外へ転がり出てしまった。結局そこから寄せて4打目をタップイン、通算8アンダーで単独3位から3位タイに順位を落としてしまった。


その間、レイノルズJr.はそんなユンの一人相撲を腕をこまねいて見ているしかなかった。


≪頑張れ!≫

≪ファイトだ!≫

≪これを入れれば優勝だぞ!≫


優勝をかけたバーディーパットに挑むレイノルズJr.にグリーン回りを埋めつくしているギャラリーから声援が飛ぶ。


カップまで3.5メートル。レイノルズJr.は何度もラインを確認し振りの強さをチェックする。そして動きを止めた。構えを見つめる数千の目。グリーンはすっぽりと静寂に包みこまれる。1秒・・・2秒・・・打てない。


『・・・ふう』


レイノルズJr.の口から小さく息が漏れる。そしていったん構えをほどいた。


≪・・・ふう≫


周囲から数千のため息が一斉に漏れる。

天性の素質に恵まれたレイノルズJr.といえども、このパットの持つ重味には相当プレッシャーを感じている。ギャラリーにもそれが伝わっているのだ。


再びスタンスに入る。そして再び訪れた静寂のなかでレイノルズJr.が静かに腕を動かした。


≪コツッ≫


強い! 球足が速すぎる。ツツーッと転がった球は左側から勢いよくカップにぶつかるとクルッと縁を回って上に跳びはねる。そして中を覗きこむようにカップ際1センチで止まった。


≪ああああああああ~≫


思わずギャラリーから嘆声が洩れる。打ち終わった姿勢のまま微動だにしないレイノルズJr.・・・2秒・・・3秒・・・4秒


≪コロン♪≫


傾斜面で止まっていた球は重力に抗えずカップの中へと転がりこんだ。


≪うおおおおおおおおおおおおおおおお!≫


大歓声が上がる。そのままの姿勢でレイノルズJr.は膝から崩折れた。


『おめでとう。見事なラストパットでした』


歩み寄るとボクはそう言いながら右手を差し出した。


『あ、ああ。ありがとう』


レイノルズJr.はようやく自分を取り戻した様子だ。そしていつもの貴公子然とした鷹揚おうようさで立ち上がると、いま気がついたようにボクの差し出した手を美術品みたいに優しくつまんだ。


『キリュウ君。君と戦ったこの4日間は僕のゴルファー人生でも特別な意味を持ったよ』

『?』

『アスリートゴルフがパワーに勝るだけでは決して勝てないことを再認識させられたからね。これからもライバルとして君に注目しているよ』


ライバル・・・全米学生ゴルフチャンピオンからの思ってもみなかった言葉・・・ボクは・・・ボクは、男子ゴルファーとして認められたんだ!


「アラシ!」


優勝の歓喜に包まれているレイノルズJr.を取り巻く集団の向こうから懐かしい日本語が聞こえてきた。カッちゃんが手を振りながらこちらにやってくる。


「アラシ、お疲れ様」

「負けてしまったよ」

「なに言ってるんだ。惜しくも優勝は逃したけれど、この大会で準優勝になるなんてとんでもなく凄いことなんだぞ? 俺は3オーバー46位タイでまだまだだが、在学中にしか出場機会のない限られた中でなんとか上位になりたいと思っているんだ。それをオマエって奴は、やすやすと成し遂げちまうんだもんな。参っちまうよ」


そう言いながらも笑い顔だ。目が潤んでいるところを見ると、最後の攻防にひどく感動しているみたいだ。自分で言うのもなんだけど、ミラクルショットの応酬で確かにシビレる状況だったとは思う。


「ともかくアラシ、オマエは凄え。スゲエよ・・うう~っ」

「おいおいアラシ、オマエのカレシって泣き上戸だったのかい?」


美咲があきれたように両手を広げ肩をすくめてみせた。


ボクの海外遠征はこうして幕を閉じたのだが、アメリカはもとより日本のゴルフ界でも相当なインパクトをもって伝えられたことは言うまでもない。





「ちょうど海外公演をやっているからついでに立ち寄らないかい?」


お誘いがあったので、初の海外遠征2試合を無事終えたボクは、チームアラシ一行と別れ単身ニューヨークに向かった。ひとりで大丈夫かって? こう見えてもボクは立派な大学生。少しだけど英語なら話せるし、海外旅行はヤーレ連邦共和国を親善訪問しているから惑星ハテロマで経験済みなのだ。


ボクは地下鉄を乗り継ぎマンハッタンのハドソン河に面した公園内に建てられた仮設の芝居小屋に着いた。立ち並ぶのぼりの向こうに「平成山村座」の大看板が見える。


楽屋口を教えてもらって訪ねていくとそこには香盤が掲げられ、その筆頭に座長の八代目山村蒼十郎の名が輝いていた。


「よお、ランちゃん。よく来てくれたね」

「八代目、本日はお招きいただきましてありがとうございます」

「かたいことはぬきぬき。いやあ、ますます美しさに磨きがかかったねえ」

「あはっ・・・」

「歌舞伎は観たことあるのかい?」

「はじめてなんです」

「食わず嫌いで観たくないってえひとが多いけど、もとは江戸時代の大衆演劇さ。気楽に楽しんで行ってね」

「はい」

「そうだ、こんな日本美人が観に来てくれているんだから、客席でも日本情緒を味わってもらおうじゃないか」

「?」

「ランちゃん、着替えてくれるかい? これ、この子に合う衣装を大至急持ってきておくれ!」


ボクの返事も聞かずに八代目は弟子に向かって指示を出してしまった。さすが歌舞伎の楽屋だけあって床山さんも衣装さんも心得たもの、すぐに和装に仕立てられてしまった。


≪wow!≫

≪So beautiful!≫


ボクが客席に姿を現した途端、場内から賞賛の声があがった。八代目が見立てた吉祥紋様の見事な大振袖に艶やかに結い上げた日本髪。綺麗に露出した色白のうなじと鮮やかなコントラストになって、ニューヨーカーたちにはエキゾチックに見えるみたいだ。ボクは客席係に案内されて最前列の席に腰かけた。


演目は「隅田川続俤すみだがわごにちのおもかげ」だった。夏らしい納涼歌舞伎の古典だが、時おり英語も交える軽妙酒脱なやり取りに大いに観客が盛り上がる。そして幕間インターミッションに入る直前、気がつくとボクの隣に幽霊が立っていた。


「さあて、こちらにおわすは姫の生まれかわりか?」

「?」

「恐ろしゅうて口も利けぬか。えええい、間違いないわ! いずれも様にもご照覧あれ」

「えっ・・・」


と言うなりボクは幽霊の腕に抱かれてそのまま舞台に引き上げられてしまった。


「美しいよのう。たおやかよのう。今宵はこの女子おなごさらい霊界の我が屋敷で月見のうたげとしゃれこもう。いざいざ、参らん。しからばおのおのがたもご休憩遊ばされよ。Now,intermission! 」

≪clap! clap! clap! clap! clap! clap! clap! clap! clap!≫


ボクは大拍手のなか幽霊にお姫様抱っこされながら花道を下がっていった。


「ランちゃん、ありがとうな。お陰さんで外人さんたちも大喜びなすっていたよ」


花道から舞台袖に入ったところで、ボクを抱っこしたまま幽霊が笑顔で言った。


「八代目もひとが悪い。言っておいてくれればちゃんと演技したのに」

「おや、ランちゃんは芝居心がおありかい? でもさ今日のところは素のまんまのランちゃんでよかったんだよ。どうだいびっくりしたかい?」

「ええ。でもとっても楽しいサプライズでした」

「世界大学オープンで最終ホールまであきらめず戦いぬいた健気けなげで可愛い友人への私からのプレゼントなのさ」


と山村蒼十郎丈は言ったけど、ことはそんな個人的な話では終わらなかった。ニュヨーク発の外信ニュースとなって日本に逆流したときには、すっかりボクが舞台にも出るものと認識されてしまったのだ。






「アラシくん。韮川幸雄にらがわゆきお事務所からオファーが来たけど、どうする?」


東京に戻ったボクを世間の喧騒が待っていた。チーム・ディレクターの菅井さんがボクの意思確認をするために自宅まで来てくれている。


「えええっ? あの韮川? シェイクスピア芝居の? それで役がらは?」


そばで話を聞いていた母さんが驚いて言った。


「11月公演のハムレットで、オフィーリアだそうです。お母さん」

「す、すごい」

「すごくはないですよ。アラシ君を是非にって打診してきているのは他にも、二谷幸喜にたにこうきでしょ、野間秀樹のまひできでしょ、それからミュージカルの岩本亜門いわもとあもんからも来てますし」

「そうなんですか!?」

「アラシ君と別れて日本に戻ってみると演劇界は大騒ぎ。いまやチーム・アラシは芸能事務所状態ですよ」

「ごめんなさい・・・」

「いや、アラシ君が悪いんじゃないから。で、どうする?」

「お断りしてください。ボクはゴルファーです。試合もあるし大学の研究室もあるので時間的にも無理です」

「そうか。それを聞いてホッとしたよ。だけど内心残念ではあるね」

「?」

「個人的には韮川演出でアラシ君のオフィーリアなら観てみたいもの」

「あらそうよね。母さんもアラシのお姫様だったら観てみたいわ」

「母さんまで! ハムレットかレアティーズならともかく・・・ううっ」


こうしてボクの18歳の夏は過ぎていった。


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