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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第一章
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ミッション遂行? 再び、勝利の歌は聞こえるのか

 ふと、オレは親らしいことを考えた。

「おい、正人。お利口にしたから、一つだけなんか好きなもん、買ってやる。お菓子でもアイスでも、さっきのチョコでもいいぞ。ただし・・・・」


「夜のご飯を食べてから、でしょ」

 正人は満面の笑みを浮かべ、どこかへ走っていった。

 お菓子の大袋でも持ってくるかと思ったら、三個入りの安いプリンを手にしていた。やはりそれはオレの好きなものでもある。

「それでいいのか?」

と聞いた。

「うん、これ、大好き。パパも好きなんだよ、知ってた?」

と得意げに言った。

「あ、でも今日はパパ、いないんだよね。パパの分、取っておこう」


「ママも食べていい?」

と一応聞いた。

「うんっ、だって僕たち三人家族だもん」

とはじけるように正人は言った。

 それが嬉しくて仕方がないという表情だった。その三人家族という言葉がなぜか、ズンと胸に響いた。


 忘れていた。オレ達は家庭内別居をしていたことを。後ろめたさがあった。オレは、子供を産ませるだけの夫だった。そんなオレでも家族の一員に数えてくれるのか。

 

 オレがそんなことを考えているとは知らない正人は、うれしそうにプリンを見つめる。

「あ、でも赤ちゃんが生まれたら、一つ足りない?」

 たちまち顔が曇る。


 かわいい、と思った。子供ってこんなに無邪気に考えて、物事を言うのかと実感していた。

「じゃあ、今度は二つのセットを買えばいい。残りはお利口さんにしている正人に、もう一つは内緒でママが食べちゃっていい?」

とおどけて言った。嬉しそうにうなづく。


「あ、でもパパも欲しがると思う。僕の分を半分、パパにあげるよ」

 どきりとしたセリフだった。

「パパはね、本当にうれしそうに食べるんだよ。その顔が一番好き」


 それを聞いて、オレは胸がいっぱいになっていた。なにかが喉の奥にこみ上げてくる。目も潤んでいた。

 オレは正人の言葉に感動して、泣こうとしているらしかった。これはただ、素直な反応なのか、それとも涼子である女性の部分がそうさせるのか、わからない。しかし、上を向いて涙がこぼれないようにする。そんな白黒の歌があったな、と思う。


 買い物を済ませ、袋を両手に下げると正人の手がつなげないことに気づいた。すぐに正人は察し、言った。

「僕、一つ持つ。男の子だから」

 レジのお姉さんがそれを聞いていた。

「あ、お客様。井上様ですよね。ご自宅までの配達サービスがございますよ。どうぞ、ご利用ください」

と言ってきた。


 へっ、そんなサービスがあるのかと思った。世の中を見直していた。世間は弱者にやさしい。

 正人も知っている様子だ。

「ママ、いつもたくさん買うと頼んでるよね。でも今日は僕が持つ。大丈夫、男の子だから」

 きっといつも涼子に、男の子だから、と褒められていたのだろう。

 よし、心を決めた。レジのお姉さんには丁寧に答える。


「ありがとうございます。でも頼もしいこの子が、一つ持ってくれると申しますので、今日は結構です」

 正人の顔が誇らしげになった。お姉さんもすごい、偉いねと褒めてくれた。


 正人にはプリンと焼き鳥の入った袋を持たせた。

「いいか、この袋にはお前の好きなものばかりが入っている。これを無事に家まで持って行くことが正人の任務だ。これを無事に遂行できれば百ポイントがもらえるぞ、いいな」

 ゲーム感覚の言い方に、正人もわくわくしているようだ。うなづく。大事そうに袋を抱えて歩いていた。これなら無駄に走ることはしない。手を繋がなくてもおとなしくオレの横を歩いていた。


 子供なんてチョロイ、と思っていた。ゲーム感覚でやれば簡単にコントロールできる。やっぱ、オレはゲームの天才だ、今夜こそ正人が寝たらゲームをするぞ、とほくそ笑んでいた。


 しかし、・・・・・・。


 その帰りのことだった。順調にマンションまで歩いていた。鼻歌まで歌っていたオレ達だった。それがマンションの手前で一変していた。


 興奮状態でやりたい放題で遊び、昼寝をしなかった三歳児の集中力が五分と持たないことを目の当たりにしていた。

 オレの下したミッションは、あっけなく強制終了していたのだ。


 眠い、疲れた、もう持てない、挙句の果てには歩けない、抱っこ、とぐずり始めたのだ。

 マンションはすぐそこだ。頑張れ、と散々なだめすかしたが、そんなことはまるで聞いていない様子だった。

 冗談じゃないと思った。こんな腹で、涼子の細腕で、買い物袋も下げ、正人まで抱きかかえられるかっていうんだ。

 しかし、敵は頑として動かなかった。泣きたいのはオレの方だった。しかし、意を決して正人を横抱きにした。

 母は強し、だ。

 喉の奥からグオオオオという呻り声を上げ、マンションへたどり着いた。エレベーターに乗り込んだ時はゼイゼイと肩で息をしていた。喉も痛い。


 そして当の本人の正人はというと。

 家へ戻ったとたん、元気を取り戻し、散らかったままのおもちゃを壁に投げつけて遊び始めていた。あんなわずかな休息で、正人はエネルギーを満タンにしていた。ゲームの主人公よりも優れているといえる。

 オレは一時、勝ったように思えたが、一番の勝利者は欲しいものを全部手に入れ、思うように休息までやり遂げた正人だったと感じていた。


 その晩、正人を寝かしたらゲームをするつもりだった。

 しかし、食べる物を食べ、正人とテレビをぼうっとして見ていたらウトウトしていた。オレも疲れていた。

 風呂に入り、正人を八時に寝かせ、オレもその横で寝入っていた。

 妊婦の体は疲れる。実感だった。


****


 翌朝、五時半に目が覚めた。

 きっと涼子の体がそうセットされているのだろう。この時間に起きないとオレの朝食と弁当が作れない。今朝はそんなことをしなくていいのに、と再び目を閉じた。


 ああ、夕べはせっかくゲームをやろうと思ったのに寝てしまった。

 貴重な一晩を無駄に使った感じがする。今夜はもうオレが帰ってくる。もし、《涼子のオレ》がゲームをしたら、《オレの体》は何と言うだろう。いつものオレのように、あっちへ行け、だとか言うのかもしれない。いや、中身は地蔵だから一緒にやろうっていうかな、とそんな予想のつかないことを考えていた。


 今日はのんびり過ごすつもりでいた。大体正人の扱いはわかっていた。食べる物も買ってある。今日は出かけずにいられる。

 

 オレはそんなことを考えながら、ウトウトしていた。眠りにまどろむ最高に気持ちのいいその瞬間、正人がオレを起こした。

「ママ、ねえ、ママ」

 くっそ~、またしてもお主は邪魔立てするか。

「なんだっ」

と言いながらもオレは掛布団を頭からかぶる。もう少し寝かせろ、と思う。


「おしっこ・・・・」

「トイレへいけ」


「出ちゃった」

「そうか」

 思わずそう答えたが、ぎょっとしていた。


 え? なんだ、なんて言ったんだ。

 オレは布団から顔を出す。正人が申し訳なさそうな顔で座っていた。

「おしっこ、間に合わなかった」

「ええっ」


 飛び起きようとした。しかし、体が・・・・・・、忘れていた。

 オレは妊婦だった。また足が攣れそうになったが、ふっと力を抜いた。かろうじて今回は免れる。何とか起きて、正人の布団をめくった。


 布団の真ん中に、大きな世界地図が描かれていた。三歳児とはそんなにまだ小さかったのか、と実感させられた。

 もう眠気は覚めていた。さっさと始末をしなければならない。布団なんてどうやってきれいにするんだろう。わからない。

 おふくろに聞こうかと思ってやめた。また余計な小言を言われるのに違いなかった。その上、しつけが悪いだの、そして自分がいかに完璧で素晴らしい母親だったかを語るのだろう。昨日で懲りていた。


 素晴らしい母親なら、なんでオレみたいな家庭内別居させられる男に育ったんだ。オレは自分の悪いところを全部、母親のせいにしていた。


 オレはゲームばかりやっている引きこもり気味のダメな夫だと実感していた。今まで父親なんて、仕事をして、晩御飯を一緒に食べる、それだけで役割をはたしていると思っていた。しかし、家族としてのことは何もやってこなかったことに気づいていた。正人の父親だなんて良く言えたものだ。子供のことを全く知らなかったのだ。


 オレは濡れたシーツをはがした。

 とりあえず、これは洗える。問題は布団だった。濡れた布で拭いて、根気よく尿を取り去るしかないだろう。そうしないともう臭いが取れず、棄てるしかない。

 しかし、シーツの下にはタオルが敷かれ、それは濡れていたが、さらにその下にはゴム製の別のシーツが敷かれていた。

 オレはその存在を知っていた。おねしょシーツだった。

 そう言えば、涼子がオレに、ネットで買ってくれというから、検索して買った覚えがあった。

 その下の布団は無事だった。被害はシーツとその下のタオルだけだった。


 賢い、涼子はなんて賢い母親なんだろうと実感していた。オレは正人だけではなく、涼子のこともちゃんと見ていなかった気がする。

 涼子だけが親として一歩も二歩も前進し、成長しているようだった。オレはいつまでたっても親になりきれないでいる。たぶん、精神的に大人にもなり切れていない中途半端な存在なのだ。

 子供と向き合ってお互いに成長していくのが親子なんだ。オレはその家族の輪から外れていることに気づいていた。


 そんなことをぼうっとして思ったが、今はまず、正人を着替えさせることだ。

 パジャマをたくし上げ、脱がせる。そして箪笥の中から取り出したティシャツを着せようとした。正人はそれを首を振って、阻止した。

「それ、いや」


 なんだ? じゃ、別のもの。

 他のティシャツを手にした。正人はそれにも首を振った。

 次々と出したがどれも着るのを嫌がった。

 三歳児が何をいうのか。何を考えて、その服が嫌だというのだろう。色か? それともファッションか? そんな選択の余地などないのに。もう箪笥の中には何も入っていなかった。


「もう着替えがない、これを着ろ」

と怒鳴っていた。

 正人に振り回されているオレは敗退者のようだ。


「嫌だよ。昨日着てたのがいい。それって・・・・」

 正人は一度、言葉を切った。

 涼子のオレの顔を覗き込む。こんなことを言ったらどんな反応をするだろうかという値踏みするような顔だ。


「ママが昨日、洗濯しなかったから着るものがないんだよね」

 かっとした。ぬかしやがった。またオレの怒りのボルテージが上がっていた。

「お前が汚すからだろうっ」

 本当に洗濯物がたまっていた。たった一日洗濯をしなかっただけなのに、ランドリーバスケットからはみ出ていた。


 どこかでオレの声がしていた。


《洗濯機が洗濯するんだ。機械へ放り込めばいいだけのこと》


 それはオレが、涼子に言った言葉だった。

 正人の言葉が追い打ちをする。


「朝、洗濯して干さないと乾かないよ。干す所せまいし」

 もう勘弁ならんと思った。オレは正人に拳骨をくれるつもりでいた。

「それに・・・・・・」


 え? まだ何かあるらしい。正人の自信に満ちた言い方は、完全にオレを打ちのめす力があると確信しているのだ。



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