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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第一章
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人は、人によって、その態度を変える

 オレがコーヒーをあきらめた時、リビングからガッシャンという激しい物音がし、正人が困った顔をしてやってきた。


「ママ、ごめんなさい。ちょっとパワーレンジャーの人形を取ろうとしたら、おもちゃ箱、全部ひっくり返しちゃった。どうしよう。お婆ちゃんに叱られるね、ごめんね」

「え? 叱られるってどういうことだ」


 それも疑問に思ったが、座ったまま、体をそらしてリビングを覗き見た。

 大きなテレビとソファが見える。その床には正人の言う通り、おもちゃが散乱していた。

 思わず息を飲む。

 どうやったらこんなにまんべんなく散らすことができるのか。


「お婆ちゃんさ、前に来た時、押入れを見てたでしょ。ちょっとお布団が曲がって入っていただけで、ママ、叱られてたじゃん」

 聞いてない、そんなこと。


「今日なんてさ、まだお布団敷きっぱなしだし、お皿も流しに置いたまま、パンくずは床に落ちてる。僕の洗濯ものは廊下に出しっぱなし、おもちゃは散らかってる。ねえ、どうする?」


 ギリりと歯を食いしばっていた。

 黙って聞いていれば、いい気になりやがって。言いたい放題の正人の口をガムテープで塞いでやりたい気持ちだった。

 せっかくのんびりしようと思っていたのに、なんでこいつがあれこれ言うのだ。おもちゃと着替えはこいつのせいだ。

 片づける気はなかった。こんな腹を抱えて何ができるって言うんだ。立つだけで体力がいる。


 おふくろに叱られる? 鼻で笑っていた。

 自慢じゃないが、オレはおふくろに叱られた記憶はなかった。いつも何でも許してくれた。オレが言い張れば、雨でも晴れと認めるほどだった。そんなおふくろがオレを叱るなんてありえない。

 それが例え、涼子であってもそんなことはないと思っていた。温厚で物わかりのいい姑のはずだ。もし涼子が叱られるとしたら、よほど反抗的な態度で何か言ったに違いなかった。

 オレはおふくろなど怖くはなかった。ドアのベルが鳴るまで椅子に座ってふんぞり返っていた。


 ところが、・・・・・・。


 おふくろは、オレの知らない顔を持っていた。そのこともショックだった。

 まず、別人かと思うほど険しい顔をしたおふくろは、いきなり入ってきて各部屋を開けていた。

 オレの部屋は夕べ脱ぎ捨てた洋服が床に散乱し、ベッドも毛布はぐしゃぐしゃだし、シーツも乱れていた。

 それを見ておふくろは、《涼子のオレ》の顔を睨みつけた。


 次のリビングへ行く。

 足の踏み場のないほどおもちゃが散乱している様子をあんぐりと口を開けて見ていた。おふくろの筋張った握りこぶしに力が入ったのに気付いた。何か言いたそうだが、言葉にならないらしい。


 洗面所も水が飛んで床を濡らしている。歯磨き粉のペーストがべったりと流しにくっついていた。


 そして奥の和室。

 もちろん、敷きっぱなしの二つの布団が乱れたままだった。そしておふくろは台所へ向かう。

 もちろん、台所も全く片付いてはいない。


 おふくろは表情のない顔で、《涼子のオレ》を見た。上から下まで、ゆっくりとなめるようにして見ていた。

「涼子さん、これは私への仕返しのつもりなのね」

「へっ」


 オレがそう気のない返事をしたのも気にくわなかったらしい。

 おふくろはものすごい剣幕で、散らかったままの各部屋のコメントを言う。チラリと見ただけなのに、何が曲がり、何が落ちていたのか、よくもまあ、細かいことを覚えている。

 最後には《涼子のオレ》がまだ、ネグリジェのままだったこと、そして髪もぼさぼさのままだったこと、当然化粧もしていないから、女性であることの流儀のようなわけのわからないことまでマシンガンのようにまくしたてていた。


 その時のオレは、小言よりも眉間に深いしわをよせ、キツイ目のおふくろを見てショックを受けていた。いつもおちょぼ口で控えめに笑うその口は、口端に泡が吹いていて、蟹のようだと思った。

 オレの知っているおふくろとは全くの別人がそこにいた。


 弁解しようものなら、声が二倍、大きくなる。しかも口をはさめるほどの息継ぎをしない。

 おふくろの話はドンドン古くなり、自分が嫁に来た時の話になっていた。自分がどんなに献身的に姑に尽くしたか、優れた嫁であったこと、延々と続いている。すっごいパワーだった。


 正人はリビングで、関係ないとばかりにテレビを見ていた。しかし、時々こっちを見ている。その目は、だから早く片付ければよかったのに、と言っていた。なんてしたたかなガキ。


 そんな騒ぎで午前中は終わっていた。おふくろは文句を言いながらも片づけてくれるかと思ったが、全く手を触れずに言いたいことだけ言って帰っていった。


 嫁に対してこんなにひどい言い方をするおふくろだったとは、夢にも思わなかった。涼子は一言もそんなことを言わなかったからだ。とっくに諦めていたのかもしれないが。


 腹が減っていた。とりあえず、昼飯は昨日の残り物のカレーを食べた。タバコを吸いたかったが、これはさすがのオレも遠慮した。妊婦はだめだ。普段のオレでさえ、家では吸わなかった。


 午後はほんの少しリラックスできた。

 家の中はそのままで散らかり放題だったが、正人はそれも楽しいらしく、おもちゃをソファに投げてキャッキャッと笑っていた。レゴのピースも犬のぬいぐるみも放り投げられる。そのうちにパトカーのおもちゃも投げ、ソファに跳ね返って床に落ち、タイヤが外れていた。

 エスカレートし、高かった英語教育の機械も宙に浮いた。もちろん、そういうものも床に跳ね返り、中の電池が飛び出していた。


 もう叱る気も失せていた。どうでもいい。このまま早く三日が過ぎればいいと思っていた。

 夢の主婦ライフは、このとてつもなく重い腹と野生の猿(正人)によって、打ち砕かれていた。


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