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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第二章
38/45

女子会と男子会

 翌日のこと。

 中野にメールをして、早速今夜、ちょっと一杯やりませんか、という誘いをした。

 オレも連日うちにいると、たまには世間に触れている人と会って話をしたくなっていた。正人ともいろんな話をするが、子供とではなく、同じくらいの世代と係わりたい欲望が膨らんできていた。昨日の朝、中野と少し話をしたからかもしれない。


 昼頃には中野からOKの返事を受け取った。次は涼子を説得する番だ。

 今日はいつもの公園をパスして、マンション内の遊び場にいた。子供にとってはどこの公園でも構わないらしいが、大人にとって毎回同じところはつらい。ここはマンション住人以外の人は来ないし、ベンチに座っていても、公園すべてが見渡せるから、少しくらいスマホの画面を見つめていても平気だった。今はもう、オレが育児休暇をとっていることをこの辺界隈の母親なら知っているから、ちょっと挨拶するだけで特に気を使うこともなかった。


 涼子が清乃を連れて出てきた。正人が遊んでいる様子を見ていた。

「そろそろ清乃も少しづつ外に出した方がいいみたい。日光浴はさせていたけど、世の中の騒音とか、別の空気に触れさせてもいいかなって思ったの」

 オレが清乃を抱っこする。正人の近くに涼子が寄り添う。日曜日でもないのに、夫婦そろって子供を遊ばせているのはうちだけだ。正人はいつもよりずっとうれしそうだ。オレ達の視線を交互に確かめるようにして見ている。

 こういう両親からの関心がいいのだろう。なにも言わなくても、親が見守るこの視線こそが愛情だとわかっているかのようだ。

「正人、今日は特にうれしそうだな」

 そういうと涼子も満足そうにうなづいた。

「うん、本当に。よかった、あなたに育児休暇をとってもらって。この瞬間は今だけだし」


 オレもそう言ってもらえるとうれしい。こんなオレでも役にたっていることを実感していた。子供に愛情を注いで、その返礼としての満面の笑み。親にとっての値段の付けられない最高の報酬。



 ふと、今夜のことを思い出した。ちょうどいい。オレはさっそく涼子に話して、今夜の許可をもらおうと思った。

「なあ、今夜、ちょっと出かけてきていいかな。正人を寝かせたら出るからさ」

 今までのオレは、夜一度帰宅してから外へ出ることは殆どなかったから、涼子が驚いた顔をしている。

「中野さんとちょっと飲んで来ようと思って」

 中野と聞いて、涼子が納得した顔をした。以前にも一緒に飲んだことのある同じ階に住む人だとわかったからだ。

「もちろん、いいわよ。あなたたち、気が合いそうね。正人のお風呂をすませたら出かけてきてもいいわ」

 ああ、それなら七時半ごろには出られるだろう。中野は事務所から直接、あの居酒屋へ行くと言っていたから七時にはあそこにいるだろう。あまり待たせても悪いと思っていた。中野にとってはあの居酒屋はくつろぎの場だから、構わないのかもしれないが。

「じゃあ、私は中野さんの奥さん、誘っちゃおうかな」

「ええっ」


 中野さんの奥さん、つまり翔子ちゃんだろう。

「中野さんも琴美ちゃんを連れてうちに来ればいいの。そのまま子供を寝かせられる支度をして。正人もいつものテレビを見ているはずだし、私達、それでも話はできるから。そうだ、久しぶりにビールも飲んじゃおうかな」


「えっ、だって、涼子は授乳中の飲酒はしないって言ってただろう。大丈夫なのか?」

「私もいろいろ調べたの。ライトの缶ビール、一本だけにする。そして飲む前に搾乳しておくから。そして今夜の授乳はしない。明日の朝のお乳も搾乳して捨ててしまえば、清乃には影響ないと思う」


 実際の授乳期の飲酒は複雑だと思う。一杯だけなら大丈夫とは誰にもいえなかった。涼子のように飲んでもそのアルコールが体内から出てしまうまで待ってから、授乳をすればそのリスクは少ないと思う。それでも百パーセント、大丈夫とは言い切れないが。

「あ、でも中野さんの奥さんは? 」

「あの人はもうおっぱいじゃないの。離乳食と粉ミルクになってる。旦那さんが飲んで帰ってくると一人で飲んじゃうって言ってた。だって、不公平じゃない」


 まあ、それを言われると何も言えない。子供を産むのも、お乳をあげるのも全部母親の仕事になる。これは父親が手を出したくてもできない領域だ。オレはそれを破って体験したが。その後はもう母親に任せる他はない。

「じゃあ、買ってきてやる。なにがいい?」

「バドワイザーのライムライト。ついでにスイスチーズとクラッカーもね」

「はいはい。わかりました」

 そうだった。涼子は輸入ビールが好きだった。


 そう言って、オレは昼ご飯を食べたあと、近くの酒屋へ足を運んだ。

 涼子も家で楽しむなら、オレも気兼ねなく出られた。言われた通りのバドワイザー・ライムライトとつまみを買う。

 ここの酒屋は最近、昔の店の構えから近代的な店構えに改装し、所狭しと世界中の酒が置いてある。さらに週末はワインテイストとして、飲み比べができる講座のようなこともしている。三十代の息子が後を継いで、どうすれば酒屋として生き残れるか試行錯誤をしている様子だ。

 さらに、つまみを買うために、他のスーパーへ行かなくてもいいように、冷凍だが、マグロ、イカなども売っていた。


 そこで知った顔に会った。

 スーツ姿の松田だった。こんなところでこんな時間に何をしているんだろう。

「あ、井上さん。こんにちは」

 少し高額そうなワインを手にしていた。


「こんにちは。今から出勤ですか」

「いえ、一度出勤したんですけど、取引先の社長へのプレゼントを探して来いって言われて、すぐにおもいついたのが、ここの店。いいワインを選んでもらいました」

「はあ」

 

 店主と目が合う。

 松田はオレの抱えているビールとつまみを見た。

「ご自分の晩酌の買出しですか」

「いえ、これは妻に。オレはちょっと出かけるものですから、妻も人を呼んで久しぶりに飲みたいっていうんで、お使いに出たんです」

「へえ、井上さんって本当に理解、あるなあ。」

「いえ、そんなこと。たまには夫婦以外の顔とつきあわせて、飲みに行きたいって思ったんで」


 松田はレジでお金を払っていた。そのワインをきれいなギフト用の袋に入れてもらう。

 次はオレの番。涼子用のビールをカウンターの上においた。

「ねえ、もしかすると、もしかします?」

 松田がそう言ってきた。

「はい?」


「もしかして、中野さんと一緒に飲みに出掛けられるんじゃないんですか」

 松田の予想は正しい。っていうか、オレがこの辺で飲みに行く相手はそれほどいないから、この予想はそれほど難しくはなかっただろう。オレは思わずうなづいていた。

「やっぱり。そうだったんだ。いつだったかな。僕、見たんです。井上さんが中野さんを抱えて歩いていたところ。ああ、二人はいい友達になったんだって、ちょっとうらやましかったから」


 なんとなくオレは、その話の先には松田も声をかけてもらいたい願望に気づいた。現にもう用事が済んだ松田は立ち去ろうともせず、そう言ってくれるのをにこにこして待っているみたいだった。

 いつものオレなら、そんなことに気づかなかったことにして、じゃあ、と去っていくだろう。けど、この松田も憎めないのだ。まあ、誘ってもいいかなと考えた。


「あ、松田さんももしよろしければ、今夜ですが来ませんか」

「えっ、いいですか。はいっ、ぜひ、ご一緒したいと思います。でもいいんですか。突然、僕が仲間に入っても」

 一瞬、中野がなんていうか考えたが、まあ、この松田なら大丈夫だろうと思い直した。

「じゃあ、今夜七時半に、マンションの玄関で待ってます。一緒に行きましょう」

 松田とは酒屋の前で別れた。


 オレはすぐさま、中野にメールした。松田も来るということ。中野は別に構いませんとの返事。安心した。

 涼子に松田とのことを話すと、涼子は破顔して、じゃあ、松田さんの奥さんも誘うと言っていた。

「夫たちが三人なら、その妻たちも三人と子供を連れてくればいいんだし。帰りにうちへ寄って、迎えに来てくれればいいんじゃない?」

「うん」

 そういうことで、その夜は女子会と男子会となった。


 正人も留美ちゃんがくるから一緒にアニメの映画を見ると大喜びしていた。皆が楽しめるってことはいいな。

 その日の夕食は軽めにしておいた。涼子は子供たち用に甘口のチキンカレー。

「松田さんも中野さんもなにか一品づつ持ってきてくれるから、うちはこれだけでいいわ」

 涼子お勧めのチーズ、クラッカー。なんだか、こっちの方が盛り上がりそうだ。


 松田の奥さんは、公園主婦軍団の中でもかなりの幹部的存在だ。新米ママたちは必ず公園にくると松田の所へ行き、挨拶をすませてから子供を遊ばせている。あの恐ろしいくらいの主婦軍団も一人一人として見れば、それほど怖くなく、いい人なのだ。けど、五、六人が揃うととんでもないオーラを醸し出す。


 正人が風呂から出ると、いつもの洗いざらしのパジャマではなく、新しいものがおいてあった。

「いくらパジャマでも留美ちゃんがくるの。ピシッとした格好で正人もいたいだろうって思って」

 そういう涼子。さらにオレにも目を向けた。

 なんだっていうんだ。オレもなにか新しいものを着ろっていうんじゃないだろうな。


「ねえ、あなた。あのラベンダー色のポロシャツ、着て行って」

 そう言われてもピンとこない。そんなシャツ、持ってたっけ。ぽかんとしていると涼子がじれったそうに洋服ダンスから取り出していた。

「これよ」

「ああ、これか」


 結婚してすぐの誕生日に涼子が買ってくれたものだ。その頃はよく来ていたが、今は少し派手すぎる気がして、ずっと最近はタンスの中に入ったまま。

「それ、良く似合ってた。けど最近全然着てくれないから」

 不満そうだ。

「もう年だから、派手だろう」

 おしゃれとか面倒くさい。そう思って、頭をくしゃくしゃとかきあげる。

「そんなことない。あなただって、こういうのを着てきちんとすれば、捨てたもんじゃないって私が一番よく知ってる」

 涼子がムキになってそう言った。少々意外に思う。

「実を言うと、私があなたになった時、これをよく着ていたの。そして髪を大学生みたいに降ろすとよく似合う」

 ぎょっとする。まさか、涼子のやつ、オレに成りすまして女の子をナンパしてたんじゃ・・・・・・。あ、それはあり得ない。オレはすぐに否定した。涼子はオレの妻だし、女だ。いくらオレの体の中へ入っていても女の子をナンパしようとはしないだろう。

 言われた通り、そのシャツを着て髪を整える。

「ほうら、いい感じ。このルックスだったら松田さんとも張り合える」

 なに言ってんだ。こんなオレがあの派手な顔立ちのイケメン、松田と張り合えるわけがない。涼子がオレの戸惑いを読む。


「女性はみんな、イケメンタイプが好きだとは限らないの。あなたもきちんとした格好をして、そんなだらけた顔じゃなくて、もっとしゃきっとすれば素敵なの」

 くっそ~、涼子のやつ。どさくさに紛れて、オレの顔をだらけた顔だって言いやがった。

「目に力を入れてみて」

 心の中で毒づきながら、言われた通り、目を見開いてみた。

 すると涼子がキャハハと声をあげて笑う。

「そうじゃないわよ。ああ、もういいわ。あなたには無理なことだったのね。ああ、おかしかった」

 なんだよっ。目に力を入れろって言うから、見開いたんだ。それを目の前で大笑いしやがって。こんなオレだって傷つくんだ。


 ぷいと横を向いて、玄関の方へ向かおうとした。

「やあね。怒ったの?」

 そう言って、オレの腕を掴んできた。

「顔が可笑しいって大笑いされたら誰でも怒るだろうがっ」

 少し腹はたったが、本当はそれほどではない。それでも拗ねたふりをしていた。

 涼子はオレの腕を引っ張って、振り向かせた。そして、そのオレの腕の中へ入りこむ。自然とオレは涼子を抱きしめるような形になっていた。

 えっ、なんだ。

 それは一瞬のこと。涼子が背伸びをし、ぼうっとしているオレのくちびるにキスをした。

「ん?」

「行ってらっしゃい。楽しんできてね。やっぱり、あなた、こうしてみると素敵に見える」

 そう言われた。背中をポンと叩かれる。素敵と言われて気を良くしていた単純なオレ。

「行ってきます」

 玄関を出ていた。


 エレベーターに乗る前に、スマホのメールをチェックした。

 中野から一件入っていた。なんだろう。都合でも悪くなったのか。

 メールを開けてみると笑える文章が書かれていた。


【すみません。今夜一緒に飲むっていう松田さんって、どなたでしたっけ?】


 思わず吹き出した。筋金入りの自己ワールド、閉じこもりだろう。


【たぶん、毎日のようにエレベーターで一緒に会っていると思いますよ。大丈夫。すぐに思い出せますから、じゃあ、今からそっちへ向かいます】


 そう返事を送った。そしてオレはエレベーターへ乗った。


授乳中の飲酒は、赤ちゃんに直接影響が出るようです。ここでは涼子がライトのビールを飲むということにしていますが、あまりお勧めはできません。これは架空の話ですので、ご了承ください。

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