育児休暇の申請
涼子が言ったように、部長の長岡がこの休暇に好意的だったことが意外だった。
長岡は四十代半ば、高校生と中学生の父親だ。オレはそのくらいの上司が、一番理解してもらえないと思い込んでいた。しかし、《オレの体》に入った涼子が、育児休暇の相談をしてきて、自分の中の、こうすればよかったのかもしれないという、後悔の念に気づいたという。
長岡は、オレ達と話していた時、育児は女の仕事だと力説していた。しかも、共働きならともかく、専業主婦のために育児休暇をとったりしたら、妻のやることがなくなるだろうと笑っていたのだ。それこそが部長の本音だと思っていた。
今回、このような休暇届けを出して、いびられないかと心配していたくらいだった。しかし、長岡はいつもと態度が変わらず、オレの仕事の引継ぎの協力的だった。
育児休暇届けを提出してから、一週間後、オレは長岡に飲みに誘われた。
その時長岡は、自分の家庭の事情を話してくれた。オレにとって、今まで部長は亭主関白で、それを支える奥さんとの理想的な家庭を築いていたと思っていた。そう言うと、表向きだけのことだとオレに告白してくれた。
長岡は、子供が生まれたことはうれしかったが、子供という存在をどう扱っていいかわからず、その世話は全て奥さんに任せていたという。子供を風呂に入れてほしいと言われると、仕方なくやったが、一番困ったのは遊んでやってほしいという要求だった。どうやって遊ばせればいいのか、我が子を前にして、途方に暮れたという。
それは同感だった。具体的にどうしろこうしろと言われたのなら、その通りにできるが、大まかにただ、遊んでやってほしいというのが一番困る。子供のやりたいことがわからない。どうすれば子供が喜ぶのかわからないのだ。
その子の年齢でできることに限りがあるのに、小さい子にその年齢不相応のジグソーパズルをさせてしまったとか、ビデオゲームなど、とんちんかんなことをさせ、飽きられたり、できないと怒っていた。こっちが遊んでやっているという意識があるからだった。終いには子供が逃げていってしまう。そんな悪循環だった。
部長も思うようにいかない、そんな毎日に、家に帰るのが嫌になり、仕事が忙しいからと言い訳して、わざと子供が寝入る時間まで帰らないこともあった。
幸い、奥さんの実家が家から近かった。なかなか帰ってこない夫に見切りをつけて、向こうに入り浸りだったようなので、表立った波風はたたなかったらしい。そんな生活で数年が過ぎた。
ところが、長男が中学の頃、ちょっとした騒ぎがあった。転校していった生徒が最後に、自分はいじめられていたと、その加害者である生徒たちの名前を学校に公表したのだった。その中に長岡の長男の名前もあった。それで両親共々、学校に呼び出されることになった。
長岡は、自分の子供がそんなことをしたことが、信じられなかったという。それでも学校へは平謝りをし、もう二度とこんなことをさせないようにすると言い、家へ帰った。
長岡の怒りは、母親である自分の妻に向いた。
「母親のお前が何していたんだっ。信行がこんなことになったのは、お前がしっかりしていなかったからだろうっ」
つい、そう怒鳴っていた。
学校に呼び出され、先生たちにペコペコ頭を下げなければならなかった自分を恥じていた。長男が、そんなことをしていたことを知らなかった、としか言わない妻に対して、猛烈に腹がたっていた。そしてさらに、長岡よりも背が伸びて、父親を見ても何も言わず、無視する長男にも腹が立っていた。それらをすべて妻のせいにしていた。妻はひたすら泣いていた。泣くだけだった。
怒りだすと怒りに拍車がかかる。再び「母親のお前が・・・・」と口走っていた。
しかし、次の瞬間、激しく突き飛ばされていた。その勢いで襖に激突し、襖ごと畳の部屋に投げ出されていた。長岡はなにが起ったのかわからなかった。
振りむくとそこにはものすごい形相の長男が睨んでいた。ハアハアと息を切らし、母親の前に立ちはだかっていた。
「お母さんを責めるなっ。全部、僕がいけないんだ。お母さんが悪いんじゃないっ」
信行が続ける。
「母親がなにしてたって? じゃ、お前はなにをしてくれたんだよっ。父親っていうだけで、なにもしてねえだろっ。ただ外へ出て、金を稼いでくるだけじゃねえか。確かにいじめはよくない。僕が悪かった」
そこで言葉を切り、妻を見た。それは妻にだけ、謝ったように見えた。
「でも、お前だって、お母さんのこと、いじめてただろっ。お母さんがパートの仕事をして疲れていても、お前は帰るなり、メシ、風呂としか言わなかった。ちょっと晩飯の支度が遅いと、もう文句たらたらだったし、好きじゃないおかずは全く食べないか、クドクド小言を言ってただろう。僕たちは全部、知ってる。後片付けも手伝おうともしなかった。お母さんが熱を出して具合が悪い時も、お前、気づかなかっただろ。そんなときでも、お母さんは、僕達が寝るまで宿題を見てくれたり、学校のこととかをちゃんとしてくれた。お母さんはよくやってくれていた。いや、お前が何もしねえから二人分をずっとやってくれていたんだ。僕のやったことで、責められるのはお母さんじゃないっ」
長男が、そうまくしたてていた。ずっと口を利かず、目も合わせなかった息子、信行が口を開いたと思ったら、ダメおやじへの抗議だった。
「建前だけの親なんていらねえんだっ」
その言葉はかなり応えたらしい。
長岡は、他人の話をするかのように、淡々と話してくれた。もう過ぎたことだから、こうして言えるようになった。でも、その時の言葉はさぞかし痛かっただろうと思う。自分の息子にそんなことを言われたら、オレは一体どうするだろう。完全に打ちのめされて、立ち直れないかもしれない。
しかし、息子の立場から考えてみると、その気持ちもわからなくはなかった。父親が子供たちに無関心で、全く歩み寄ってくれないことに、自分の存在価値を疑ってしまうかもしれない。オレは、親父にとって、要らない存在なのかもしれないとか、嫌われているかもしれないと考えるだろう。信頼関係などみじんもない、自業自得、そういう言葉が浮かんでいた。
それでも長岡部長は、すぐには自分を変えられなかったという。いまさら家事を手伝いたいと思ってもできないのだ。手を出せば、返って妻の手をかけることになるからだ。妻も億劫がって、何もしないで座っていてくれと哀願されたらしい。
恥を忍んで、奥さんに、どうすればいい父親になれるのかって聞いたこともあるんだと長岡は告白した。勉強なら、頑張って勉強すれば成績はあがるけど、親子関係のことは少しづつ時間をかけて、時間をシェアするしかないだろう。
奥さんの助言は、休みの時に子供につきあってあげて欲しいということ。最初は子供たちもどう父親に甘えていいかわからず、相手にしてもらえなかったらしい。けれど、テレビアニメやテニスなど子供たちの趣味、興味あることに合わせて、自分も勉強をしたらしい。教えてもらいたいと言ったそうだ。そんな態度がよかったのだろう。初めは億劫がっていた子供たちも、徐々に心を開いてくれたそうだ。
今は一応、普通の親子の会話をし、たまには父親らしいことも言うとのことだ。
「あの時、育児休暇をとる奴を否定したのは、昔の自分を無理やり肯定していたんだろうな。育児をこなす奴をけなすことで、自分のプライドを守っていた。けど、井上くんが休暇を取ろうと思ったと相談された時、わかったんだ。うらやましかった。俺ももし、そんな休暇をとっていたら、いや、子供たちと一緒にいることができたら、子供たちはもっとのびのびと育っていたかもしれない。俺は育児に係わらなかったことで、子供たちに取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないかってな」
「子供って強いと思います。オレも小さい頃、全然父親にかまってもらえませんでしたよ。でもオレも親になって最近やっと、親父のことがわかってきた気がします。不器用だったんだなって。今からでも空白の時間が取り戻せるんじゃないでしょうかね」
そういうと長岡部長は少し救われたような表情を浮かべていた。




