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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第二章
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マジで?

「長岡部長、喜んでくれたの。男性社員の育児休暇に対して否定的だと思っていたあなたが相談してきたこと、ものすごく驚いていたけど、もしあなたが取ったら、他の妻帯者もその気になってくれるだろうって。家庭円満の社員は溌剌としている、特に営業はその影響が顔に出るから、いい方向に持っていかれるだろうって」

「オレを社内の宣伝用につかうなっ」

 かっとしていた。涼子も涼子だが、長岡部長も無責任だろう。以前、昼飯を食べていた時、育児休暇の話題になった。その時部長はオレ達と一緒になって、育児休暇を取った奴らの悪口を言っていたんだ。その態度をコロッと変えて、今度はオレを宣伝に使おうとしやがって許せない。

「ねえ、とってよ。育児休暇」

「・・・・・・」

 返事につまる。でもその返事はノーだ。オレが言わなくても涼子にはわかったみたいだ。

「何が嫌なの」


 言ったら怒られるとわかっていたけど、正直に言った。

「カッコ悪い」

 その答えに、さすがの涼子も息を飲んでいた。でも、それが本音だ。ギロリとにらまれた。

「妻が寝不足で頑張ってんのよ。あなたは育児と正人の面倒、家事も完璧にやれっていうのっ。それが誰にでもできるっていうのね」

「う・・・・」

 オレにできるわけない。涼子なら・・・・、頑張ればできるんじゃないかと思う。まだ、それを言ったら絞殺されそうだ。


「まさか、私にはやれよっと思ってるんじゃないでしょうね」

 しまった。オレの心、筒抜けだった。お願いだ。オレの顔で、オレを責めるのはやめてほしい。

 大体、女ってやつは男を容赦なく言いくるめられるようにできている。危険なくらい強いのだ。だから、女は男よりも体が小さくできているんだ。もし、女たちが男よりも体が大きかったら・・・・冗談じゃない。女に、男の体を明け渡してはいかなかったのかもしれない。

「男性が仕事に専念して、家庭の事情を仕事に持ち込まないってことがそんなに美徳だっていうのっ。むしろ、仕事も頑張るけど家庭を大事にする人の方が人として尊敬されるんじゃないのっ。家庭のことが疎かになっている人の方がカッコ悪いじゃないっ」

 そうだけど、それが簡単にできれば誰も苦労はしないんだ。男は一つのことしか集中できない。それが世間の目の中の仕事ぶり。


 そんな事を思っていると、ふいに涼子はこわいほどの優しい声を出していた。

「ねえ、主夫を三か月やってくれたら、ううん、正人の担当をしてもらえたら、正人が寝たその後の時間、何をしようと口出ししない。そして一週間の内、一日丸々お休みをあげる。朝から晩までゲームも映画もやりたい放題、見たい放題を約束するわ」

「えっ」

 ゲームのやりたい放題、映画の見たい放題だと・・・・。それをやっても絶対に文句を言われないと言ったか?

 エサだとわかっていた。それでも極上のエサだ。わかっているけれど、単純にオレは心が動いていた。今までもゲームをやりたい放題やっていた。でもどこかで後ろめたさを感じていた自分がいた。それが公に正々堂々とできるということ。それに部長も休むことを認めてくれるような発言をしていたらしい。それを断る必要があるのか。

 さっきまで部長に対して反抗的な思いがあったはずなのに、それを逆手に取り、猛烈に心が動いていた。

「まじで?」

「うん。約束する」

 オレはまだ多少は引きずっていたが、決めた。

「よしっ、三か月だけだぞ」

「決めたのね。男に二言はないわね」

 そう《オレの顔》が念を押す。

「二言はないっ。決めたぞ」


 《オレの体》の涼子が、ニンマリと笑った。そしてすぐに一枚の用紙を持ってきた。

「すぐこれにサインして」

「えっ」

 見ると、それはオレの会社の育児休暇届けだった。既にこんなものをもらってきていた。すべて巧妙に涼子が仕組んだことだとわかった。承知させ、有無を言わさず、そのまま署名、捺印させられていた。

 後でオレの気が変わることを見越しての対策だった。敵もさることながらやることが抜け目ない。

「ありがとう。すぐに部長にメールしておく」

「明日は休みだ」

「いいわよ。月曜日にあなたが持っていけばいいことになっているから」

 

 こうしてオレは、一か月の仕事の引継ぎの後、三か月間の育児休暇をもらうことになった。


 妻が専業主婦でも夫が育児休暇をとることができるんだと。オレの職場では実際に取った奴は三人いるが、他の会社ではほとんどいないだろうと言われていた。精々休みをとったとしても二週間未満程度の休みというのが現状らしい。退院する時などに一日、二日ほど休みをもらう、そんなことも含まれているそうだ。

 オレは、とんでもないものにサインをしてしまったような気がしていた。営業を三か月も休んで、その後今のような仕事に戻れるのか。クライアントにも何か言われそうだった。そんな腑抜けな営業マンは断るなんて言われたらどうしよう。育児は母親の仕事だろうという考えがまだ根強く浸透している社会。復帰したその後が怖い、そんな気がしてきた。

 オレはまだその時、「パタハラ」(パタニティ・ハラスメント)という言葉を知らなかった。

 

男性の育児休暇の取得は極めて低い数値になっているようです。それが認められていても、現場では「パタハラ」というパタニティ(父性)・ハラスメントを受けたか、受けそうな現実だからだそうです。


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