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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第二章
23/45

授乳

 なんだか、泣いている清乃が無性にかわいそうになっていた。

 こんな父、いや母でいいのか。


 不思議なことに、その泣き声を聞いていると、パンパンに張った胸がさらに張りつめるような気がしてきた。すごい。母親は赤ん坊の泣き声に反応しているんだ。赤子が泣いた、さあ、もっと乳を出せと言うように。

 かなり時間がたった気分だった。しかし、十分くらいしかたっていない。やっと涼子がなにかの器具を持って現れた。

「保護器よ。正人の時、使っていたの。この子は大丈夫かなって頑張ってたけど仕方ないわ。消毒したの。これを胸にあてて」


 ガラスのスタンドのような先っぽに、哺乳瓶の口の部分がついていた。それを胸に当て、清乃に吸わせると間接的に授乳ができた。

「これならいい?」

「うん」

 これなら、乳首はただ、吸引されているような感触だけだ。これならオレでも耐えられる。

 あれだけ興奮状態で泣いていた清乃がやっと大人しく飲み始めた。

「お腹、空いてたんだね」

 ものすごい勢いで吸っているのがわかった。


 《オレの体》の涼子は、傷ついた方の乳首に軟膏を塗っていた。それもゾクゾクしてきたが、何も言わないでいた。そんなことを言ったら、また小突かれるだろう。

「これで血が止まる。これは赤ちゃんが口にしても害のない薬なの。でも、朝になるまでこっちは使わない方がいいわね。搾乳って方法もあって、搾ったお乳を冷凍保存しておけばいい」

「へえ」

 関心するよりほかなかった。オレの知らない世界はまだまだ奥が深そうだ。


 やがて、清乃は満腹になったのだろう。いつのまにかオレの腕の中で寝ていた。それでも時々、思い出したようにチュッチュッと口を動かすが、眠気には勝てないらしかった。

「寝ちゃったみたいね」

 そう言って、《オレの体》が頃合いを見計らってベビーベッドに寝かせてくれた。


「この三日間、私が思い切り休ませてあげる」

 涼子の頼もしい発言。そうしてくれ。苦しゅうないぞ。

 すぐにオレ達はベッドに沈んだ。きっと二、三秒もしないまま寝入ったにちがいなかった。



 そして再び、朝方になって起こされた。しかし、今回、オレは清乃の泣き声で目が覚めたんだ。これだけでもものすごい進歩だろうと思う。

 今度も同様に保護器を使って、授乳ができた。

 それをみて、《オレの体》の涼子は、安心した顔を見せる。やはり夕べの騒ぎで不安だったのだろう。オレが授乳できなかったら、どうしようって。


「なあ、もし、オレが授乳ができなかったら、入れ替わりのキャンセルってできるのかな」

 前回の授乳の時、そう思った。自分の体に戻らなければならなくなった時、どうすればいいのだろう。

 涼子も同じことを思ったらしい。ぼそぼそと言う。

「強制的にキャンセルするんだったら、袱紗に入った水晶地蔵を取り出せばいいの。でもそれは生命の危険、緊急事態のみだって。そう、諭された。その時、感じたの。もし、キャンセルしたら、たぶんもう次はないってこと」


「それは、もう身代わりができなくなるっていう意味なんだな」

「そう、水晶地蔵がもう二度と係わりを持ちたくないっていう拒否かもね」

 元々身代わりができるって知らなければ、自力で何とかやれるもんだ。でも、こうして入れ替わると、助かることもある。そうじゃなきゃ、オレ達の場合、まだ家庭内離婚のままだろう。


 涼子の親は、遠い九州にいる。年の離れた兄二人、その末っ子だった。年老いてきている母親が、赤ん坊のためにこっちまで来てくれることは難しかった。だからオレ達が頼れるのはオレのおふくろしかいない。それでも正人の面倒や家のことをしてもらうのにも限界があった。だから、自分の体を休め、オレの体を使って家のことができる身代わり地蔵は打ってつけのアイテムだった。


「授乳、終わったらまた寝ててね。私はもう起きる。正人を連れて実家へ連れて行くわ。仕事から帰ってきてから夕飯の支度をするから気にしないでね。お昼は冷蔵庫に用意しておく」

「うん」

 そう言って、《オレの体》の涼子は、清乃の顔を覗き込む。愛おしそうに見ていた。


 その日は涼子達が出かけた後も授乳し、寝て、また起きて授乳を繰り返した。

 保護器は三個あり、使ったら洗って、沸騰消毒をした。このくらいならオレにだってできる。

 昼間もできるだけ清乃と一緒に寝るようにしていた。そんなわずかな時間でも体を休めるとずいぶん楽になった。


 

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