身代わり最終日 2
《オレの体の涼子》は、昼食の用意をしていた。
その間、ずっと考えていた。
なぜ、涼子とオレが入れ替わったのか。身代わりとなる水晶地蔵はどこへ行ったのか。オレの手順に何か不備があって、たまたまこうなってしまったのか。いや、オレは言われた通りにやったと思う。
そこへ、《オレの体の涼子》が来た。
海苔、酢飯、みそ汁の和風の香りだった。
「今のうちに少しでも食べておいて。お産は体力勝負なんだから」
そう言われて、オレも気を引き締めた。
やはり、今日中に生まれそうだと思った。真夜中過ぎに持ち越すことだけは避けたい。体が入れ替わるのはその頃らしいし、涼子も突然、出産間際に入れ替わったらたまらないと思う。
オレはこの出産を引き受ける覚悟をしていた。正直言って、怖いと思う。しかし、このわずかな時間、妊婦をやってきて、母性本能というものを感じていた。お腹の中で育っている生命をこの世に送り出す、重要な役目を担おうとしていた。
ツナマヨ(ツナ缶とマヨネーズで和えたもの)とレタスを手巻き風にして巻いてくれた。レタスのシャキシャキ感とツナが最高にうまい。味噌汁もいつもの涼子の味だった。
「なあ、涼子。お前、身代わり地蔵のこと、知ってたんだろう。だから、すんなりオレの体に入って出かけて行った。普通、そんなこと知らないで体が入れ替わってたら、パニックになるよな」
オレ自身、そうなると言われていたのに、戸惑っていたのだ。
「私? もちろん、知ってたわ。今、私はゴールド会員なの。レンタル料二千三百円。二十回分の回数券、持ってるもの」
《オレの体》がいたずらっぽく笑ってこっちを見ていた。
絶句していた。
身代わり水晶地蔵に回数券なんかあるのか。しかも超割引き価格。ってことは、つまり、涼子は以前からあの身代わり地蔵を使っていたってことになる。一体誰の体に入っていたんだ? まさかだよな。でも、あいつが手軽に入れる相手って・・・・・・、やっぱ、オレか。
「オレの体を使ってたな」
「そう。異性の体に入るなんて、あなた以外、考えられなかった。私ね、切羽詰ってたの。いつの間にか笑うこと、忘れちゃってたみたい。正人に言われた。いつも悲しそうな顔をしているねって。ママは僕のことを好きじゃないからなの?って」
オレもその言葉に反応していた。オレも仏頂面をしていたからだ。
家へ帰ってくると、機嫌も悪くないのに、わざとそうしていた気がする。オレはここへ帰ってくることが苦痛なんだ、でも帰ってきてやる、生活のためにな、というあてつけだったんだろう。
正人はきっとそんなオレの顔も見ていたんだと思う。あんなに幼いのに、オレ達のつまらなそうな顔を見て、自分は嫌われていると小さな心を悩ませていたのだ。
《オレの体の涼子》は、続ける。
「あの時のあなたの言葉が痛かった。でもその原因を作ったのはわたし自身。どうしても次の子が欲しくて、勝手にピルをやめていた。ちゃんとあなたと話し合ってからそうするべきだったって、落ち込んでた。でも、その落ち込むことも、この授かった子が不憫に思えて」
オレにはなんとも言えない。
「あの頃の私はどうしていいかわからなかった。正人のために笑おうと思った。必死に笑顔を作ろうとしていた。けど、無理して笑顔を作っている自分が空しかった。なんでこんなことになっちゃったんだろうって。そんな時、身代わり地蔵を知った。私自身が取り戻せるまで身代わりをしてもらいたかった。そんな気持ちでレンタルしたの」
そうだったんだ。涼子も心を痛めていたのだ。オレにとってもあの時が一番つらかった。
「私、その三日間、あなたの体に入って出勤したの。あなたが営業に回されて苦労していたのはわかってた。でも、想像以上に大変だったことがわかったの。営業成績も最下位だったし、なかなかお得意先にも顔を覚えてもらっていなかったし」
と、くすくす笑われた。バカにされた気分だ。
久しぶりに涼子と話したのに、いつもの喧嘩に発展するのか。
その間、陣痛が起り、また去っていた。
「正人が産まれる前まで私、ずっと営業だったでしょ。あなたのクライエントの半分以上は知ってたの。だから自信満々だった。あなたの体で、絶対にあなたよりもうまくやってみせるって」
そうだ、涼子はいつも溌剌としていた。男勝りで、気の強いところもあったが、だからこそつき合いやすかったんだと思う。ぐいぐいオレを引っ張っていってくれる、そんな感じ。
「でもね、すぐに自信を失くしてた。あなたの男の体では、かなり努力しないとダメなことがわかったから」
「え? どういうことだ」
「私、女だからって言われないように、他の男性の同僚よりも努力していた。だから営業成績が良かったって思ってたの。でも、悔しいけど、そのうちの半分は、女性ということが有利になっていたんじゃないかって気づいた」
《オレの体の涼子》は少し淋しそうな表情をする。
「だって、女性っていうことだけで向こうに与える印象は強いでしょ。あなたの顔って地味だったし、先方に全然覚えてもらえないの。私の話術で何とか頑張ろうって思ったけど、それほど効果はなかった。女性だからって言われることが嫌だったけど、知らず知らず、その女性ってことで恩恵を受けていたのね。」
そんな事を思っていたんだ。女性が男性と同じように仕事をすること、性差別を目の当たりにし、それにも打ち勝とうとする強い意志も必要。でも、女ということも有利になっていたことに気づいた微妙な心。
「それからよ。一時は毎週のように身代わり地蔵にお世話になってた。もう正人のためとかじゃなく、どうやってあなたの体で、営業成績が伸ばせるかという私への課題だった。もう意地よね」
その気持ち、わからなくもない。しかし、その間、オレはどうしていたのか気になっていた。
「なあ、オレは? その身代わりの間、もしかして・・・・」
「あなたはお地蔵さんの中で眠ってたはず。元の体に戻るとあなたって機嫌がすごくよくって、嫌がらずゴミも出してくれたし、正人を連れて近くのコンビニとかにも出かけてくれたし」
うっと言葉に詰まった。それはオレが唯一家庭に貢献していることだった。それでさえ、地蔵の効果、癒しから来ていたのか。
「私の体、段々重くなっていて、正人は思い切り外で遊びたがってたし、あの身代わり地蔵は重宝したの。私があなたに成り代わって遊べばいいんだから。あなたとはずっと家庭内別居だったし」
なんとなく、オレには居心地のいい話じゃない。
「今回の身代わりは、元々私が使うつもりでいた。あの「クマの手」クリニックの院長を手なずけたのは私だったから。もちろん、あなたの体でね。あの旅行での接待は、重要だったの。あの院長、女の身の私を覚えてもらうのは簡単だった。でも男の私にはまったく関心を寄せなかった。どうすればあの院長を落とせるか、考えた。あのライバル会社の竹内と正反対の行動をすることにしたの。地味だけど誠意を持って接すること、クリニックの技師や看護師にも同じように対応していた。時間はかかったけど信頼されてきたと思う」
なるほど、と思った。オレに成り代わった涼子が、あの院長を・・・・。そうだったのか。そうだろうな。
「で? まだ肝心なこと、聞いてない。なんで今回は、オレと涼子が入れ替わったのか」
「あなた、あの夜、私の髪の毛を抜きに来たでしょ。私、起きてたの。もうその行動で、あなたも身代わり地蔵を持っていることがわかった。でも沖縄旅行は私が行きたかった。だから少し焦ってた。水晶地蔵があなたの体でどこまでやれるかわからなかったから。イチかバチかで私も同時に使うことにしたの。どうなるかわからなかった。下手をすれば、私達の体にはお地蔵さんが入って、私達の意識は水晶の中で眠ることになる。でもうまくいけば・・・・」
「オレ達の体が入れ替わるってことだな」
「そう。朝、目覚めて、やったって思った。あなたも私の体で苦労していたけど・・・・」
「でも、お前、いつオレの髪の毛を抜きに来たんだ。寝入ってからか」
全く気付かなかったからだ。
「私、常連なのよ。あなたの髪の毛、まだ十本以上常備してんの。わざわざ夜中に抜きに行かなくても、あなたの体に入った時、ごっそりと抜いておいたわ。そして、私の魂の一部が入り込んでるお地蔵さん、まだ三体持ってる。いつでもすぐに使えるために」
開いた口が塞がらないとはこのことだろう。呆れる。あの水晶地蔵を三体も用意しているなんて。それにオレの髪の毛、どれだけ抜いたんだ。
本当に呆れるほど先を考え、準備している。女っていう奴は・・・・まったく、いつも一枚上手だ。
やっと食事を終えた。《オレの体の涼子》も一緒に食べていた。
傍から見れば、何の変哲のない夫婦のオレ達だけど、お互いの中身が入れ替わっているって、変な感じだ。




