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身代わり地蔵  作者: 五十嵐。
第一章
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嫌な接待と家庭内別居

先日、テレビで「家庭内別居」が増えているということを知りました。想像できる範囲で、ドロドロ劇を書いてみました。

この一話は後味が悪いと思います。

 オレは井上いのうえ秀成ひでなり、三十歳。

 医療機器、医薬品などを手掛けている会社の営業マンだ。以前はずっと製造企画の方で頑張ってきたが、突然、一年前から営業課に回されていた。


 普通の人なら卒なく、うまくやれるだろう。しかし、口下手で自称引きこもりのオレが営業をするのは、かなり努力が必要だった。よくこの一年間、やってこられたと自分ながら不思議に思う。それだけ必死だったのかもしれない。


 しかし、・・・・・・。

 今度ばかりはそうはいかない。自信がなかった。

 オレの最も苦手とする「クマの手クリニック」の院長から、一泊二日の沖縄慰安旅行に誘われていた。

 なぜ今回、オレが選ばれたのかはわからない。まあ一応担当者だったからだろう。営業先の慰安旅行に招待されるということは、泊りでの接待ということになる。二日間もあの院長を相手に持ち上げて、つきあわなければならないのだ。それを想像しただけでめまいがしていた。地獄のようだった。


 おまけに今日、うちの社長に呼ばれた。

 「クマの手クリニック」は近々改装が行われるらしい。それを機会に医療器具をすべて新調するということを聞きこんでいた。わが社から購入してもらえればものすごい収益になる、と社長が興奮していた。

 社長がオレの手をとり、わが社の運命は君の接待にかかっている、と唾を飛ばしながら言ってきた。一応、はあ、と気のない返事はしたが、自信がないといえる状況ではなかった。かなりのプレッシャーを感じた。


 クリニックの慰安旅行はわが社だけではなく、ライバル社も参加するらしい。あそこにはゴマすり竹内と呼ばれている営業マンがいた。

 絶対に無理だ。あんな歯の浮くようなお世辞を連発する奴に勝てるわけがない。

 それにあそこの院長はいい年した親父のくせに、子供みたいなところがあって、かなりの気分屋だった。自分が常に皆の中心にいないと機嫌が悪くなるのだ。自分が人の顔を見て、目が合わないとにらまれる。院長を見ていないという証拠だから。

 以前、接待で料亭に繰り込んだ時、ちょっとぼうっとしていたら、どやされた。オレは院長に嫌われているに違いないのだ。


 いよいよ明日だった。

 同僚たちは同情していた。もし、院長の機嫌を損ねたら、いや、今回の大型注文がもらえなかった場合、オレが責任を取り、地方の工場へ飛ばされるかクビになるか、という無責任な噂が飛び交っていた。


 地方行きかクビか・・・・・・。

 地方ならいいのだ。しかし、クビは困る。

 中古だがマンションを購入し、まだまだローンが残っている。そして、映画スクリーン並みのテレビを買ったばかりだった。この画面で、ゲームをすると一日の疲れ、ストレスがぶっ飛ぶ。仕事のことも家庭のことも忘れられた。これを手放すことは絶対に考えられないことだった。


 あ、言い忘れたが、オレには腹ボテ九か月の妻、涼子と三歳になる正人がいる。

 オレ達は社内結婚だった。新婚当初はラブラブで、涼子は正人を生むぎりぎりまで営業の仕事をしていた。頭の切れる頼もしい妻だった。

 しかし、正人が生まれてからあいつは変わった。 

 そこら辺の甘ったれた主婦たちに感化されたのか、一日の仕事を終えて帰ってきたオレに、育児の大変さを訴え、子供と二人きりで過ごすその時間は、自分が世間から疎外されているかのように孤独だなどと抜かしていた。


 オレに言わせれば、専業主婦とはずっと家にいて、子供の面倒さえ見ていればいいだけのこと。そしてちょっと家事をする。それ以外は好きなことができるのだ。テレビを見たり、お菓子を食べたり、ちょっと出かけてきたり、昼寝まで上司の顔色も見ずにできるのだ。そう考えただけでも天国のように思える。

 おまけにオレのおふくろが家のことを手伝いに来てくれている。これこそ、至れり尽くせりというものだろう。

 それなのに、あいつは帰宅したばかりのオレに、夕飯の支度をするから正人の面倒をみろ、と言う。難色を示すとたちまちふくれっ面になり、どうせ、ゲームしてるんでしょ、と減らず口を叩いた。


 当然、大喧嘩になった。

「冗談じゃないっ。お前は何様のつもりだっ」

と叫んでいた。

 今までたまっていた感情がもろに出てしまった。自分の発した罵倒の言葉に興奮し、ますます拍車がかかる。もう止められなかった。


「オレの稼いだ金で遊んでいるんだ。稼ぎのない奴が文句を言うなっ。メシの支度も一日中、ヒマがあるんだろっ。なんで要領よくできないんだ。昔のお前はもっと利口だったぞ」


 そしてオレは、気まぐれにいい父親になろうともする。腕白盛りの正人が洋服を泥だらけにして帰ってきた。もう今日は二回目だったらしく、涼子がグチグチと文句を言っていた。

「正人は男の子なんだから、汚して当然だよな。どうせ洗濯機が洗うんだ。そんなに言うなよっ」


 またある時は、正人がお菓子を食べたいと言って泣き、ご飯前だから駄目だと涼子が叱っていた時も、

「少しくらいあげたっていいだろう。そんなもん、ちょっと食ってもご飯くらい食べられるよなっ」

 その日の夕食、正人は大好きなハンバーグでさえ残した。

 あとで大目玉をくらったのは言うまでもない。


 そんな大喧嘩も二、三日すれば忘れたかのように、また元の夫婦に戻っていた。しかし、オレ達の間に、決定的なことが起った。

 オレは、涼子の颯爽とした姿が好きだった。だから、一日も早く仕事に戻ってほしかった。二人目なんかどうでもよかった。大体、子供なんておふくろが早く作れと囃し立てるから、しぶしぶ作ったようなものだ。

 しかし涼子は、女には産める年齢があるの、と二人目の存在を告げた。

 そんな大事なことを当然という態度で言ってきた。それもかっとした原因だった。それでつい、怒鳴っていた。


「お前が勝手に産むんだからなっ。オレは知らんぞっ」


 そして、涼子が悪阻で寝込んでいた時だ。

「妊娠とか悪阻だとか、昔から病気じゃないって言うよな。それで寝ている奴って甘えてるんじゃないのかっ」


 さすがの涼子も真っ青になっていた。いつもなら何か言い返してくる勝気な奴が何も言わなかった。

 オレもその台詞は言い過ぎたと思った。しかし後の祭り。もう取り戻せない。


 その晩から涼子は、正人と二人で奥の部屋へ寝ることになった。その日が家庭内別居の始まりだった。

 あの夜、奥の部屋から涼子の嗚咽が聞こえていた。ぐっと胃がせりあがってくる思いだった。それでもオレは謝ろうとしなかった。あいつのしたことも許せなかった。


 そんなひどいオレだが、せめてもの罪滅ぼしとしてゴミ出しや近所のコンビニへ行くときは正人を連れて行った。これだけで献身的な夫だと思っていた。

 そして、そんな家庭内別居であってもオレ達は正人の手前、最低限の挨拶だけはかわしていた。

 ありがとう、おはよう、おやすみ、行ってらっしゃい、ただいま、などは人間として最低限の相手への言葉だと思うから。

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