共に、過ごす
翌朝の校内は、先日よりは若干抑え気味だが、ほぼ同様のざわつきに似た喧噪で溢れていた。
例のコアが尾を引いているのかと考えた秋春だったが、垣間見える表情が昨日とは異なり、やや興奮を抑えているように見える。
秋春は別の話なのかもしれないと考えたのも束の間、昨夜と今朝もTVや新聞を見ていなかったことを思い出し、考察を放棄した。
聞こえてくる単語は「交流」「女学院の女子(またはお嬢様)」「蓮大の男子(または御曹司)」。
なんとなく予想できてしまった秋春だったが、頭の中はそれどころではない。
視線の先にいるのは音々だ。
彼女が孤立するのを避ける、という理由は嘘ではないにせよ、その動機を名目に自己保身を図った自身の弱さ、汚さは嫌と言う程後悔した。
(今日こそは、自分から挨拶するぞ!)
改めて決意して覚悟を決め、焦らず普段通りの速度で自身の席へ向かう秋春。
「おはようネオン! 聞いた? 交流戦!」
「おはようユナ。元気いっぱいだね」
衝突する勢いで音々の席に駆け付けたユナに、音々は呆れつつも楽しそうな笑顔を返す。
「……」
そんな光景を目の端で捉えながら、秋春は肩を落としながら席に着いた。
その椅子を引く際に極力音を立てないようとした彼の挙動を誰が咎められようか。
「あ、ニスエ君だ。おはよ~」
勿論、音々のほぼ正面にいるユナには丸見えである。
「おはよう」
振り返った音々も挨拶を重ねる。
その表情には、昨日のことを気にしている色はない。
もう誘われないだろう。
もしかすると、挨拶もしてもらえないかもしれない。
そんな不安が杞憂だったと解ったことに安堵しつつ、秋春は何の気なしに笑顔を浮かべるユナにどぎまぎしていた。
ユナ・マティアス。
ショートカットの黒髪やその快活な態度が彼女にボーイッシュな印象与える。しかし、とろんと眠そうな垂れ目や、瑞々しく振るえるような唇、挙動に合わせて揺れる胸部が男子生徒を魅了する。
勿論、秋春が耳にした男子クラスメイトたちの総評である。
「お、おはよう、マティアスさん、式敷さん」
「あはは。驚いてる驚いてる」
秋春の戸惑う表情がどこからくるものなのか理解しているのだろう。
彼女もまた笑顔に苦さを加えたのを見て、音々もユナの表情を仰いだ。
「いやー、もうニスエ君って変だし」
ショックで愕然とする秋春に、「違う違う」ユナは慌てて両手を振る。
その際、数人の男子の目線が彼女の一部に釘づけにされたが、ほぼ同時に彼女の鳥に似た守護者の視線によって散らされた。
無害とは解っていても、罪悪感は刺激されるのだろう。
「何ていうか、型にはまらない所? 守護者は殴っちゃうし、守護者は女の子だし。あ、制服姿似合ってるよ。そういえば下着ってどうしてるの?」
「ユナ」
脱線し始めたユナを音々が窘める。
「あ、えーっと、だから、気にしたら負けかなって。これからよろしくね」
そう言って浮かべる笑顔に、不純なものは何も見受けられない。
「……そっか。ありがとう。こちらこそよろしく」
秋春は込み上げる感動を抑え込むのに必死だった。
しかし、直後に語られた「秋春は守護者をヒト型にできる程の変態だから、女子の制服を着させるのも無理はない」とクラスメイトたちが納得し、そのおかげで昨日は何も反応が無かったのだという事実に、失望で意気消沈したおかげで冷静さを取り戻すことができた。
むしろ下がりすぎた。
現実を受け入れることができたのが四限目、物理の授業中だった。
気付けば、デスクの上には教科書とノートが広がり、モニターには講義中の重力加速度についてのモデリングが動いている。
一応受けてはいたらしい、という安堵の溜め息に、すぐ斜め後ろから同様の含みを持った吐息が聞こえた気がした。
が、直後に教師から指名され、それを確認することはできなかった。
※※※
そして午後の部。
一限目は、昨日説明されていた守護者戦のうち、模擬戦についての解説だ。
本日の教官は先日の鬼教官風壮年男性ではなく、若い士官風の青年だった。
「模擬戦には、大別すると二つの項目があります。まず第一が個人戦、第二が集団戦ですね」
物腰が丁寧で、柔和そうな表情、そこはかとなく旅行ガイドのような口調は、普段から見学案内などの広報を担当しているのかもしれない。
「そしてそれらにそれぞれ、状況戦、無差別戦と分かれます。状況戦は空中戦、平野戦、海中・海上戦、密林戦、雪上戦、市街地戦の戦況でどう戦うか、という状況制限がつきますので、その状況に適した守護者が出場することになります。勿論空中戦は有翼種以外にも飛行に準ずる能力を有していれば出場は可能です。ですが、勿論」
と言いかけて、あ、と青年は表情を苦笑に変えた。
「守護者の能力開発に関してはまだなんでしたっけ。……まぁいいか。守護者の能力が発露するのは二年次からなので、貴方がたは我慢してください、って言いたかっただけなんです」
照れたような笑いに、嘲笑ではない含み笑いが教室のあちこちで聞こえた。
弱みを曝すことで心の緊張を解す。
狙ってやっているにしては、彼の表情は自然過ぎた。
「無差別は、そのままです。貴方たちがこれから常連になるアリーナで、種族を問わずに出場する形式です。状況戦でわざわざ有翼種が海中戦に出たり、両生種で海中戦以外に出ることは普通ありえませんので、状況戦は一般的に種族戦、なんて言われているのは皆さんもご存じかもしれませんね」
長所を伸ばし、最も適した戦場に派遣する。
そんな効率性重視の野暮な事情は、可能性に目を輝かせている生徒たちに言うのは無粋だろう。
青年は端末を操作し、動画の再生を準備する。
「集団戦は、そのまま多数対多数で行うだけです」
その説明は淡泊なものだったが、教壇に展開されたディスプレイと各自のモニターに映し出された動画に、全員が息を飲んだ。
「これは、対校戦の前回大会、蓮華大学付属高等部とリンス女学院、集団模擬戦三年の部の決勝です」
それは、まるで神話の映像化だった。
空中を舞い、地を駆け、異能を揮う異形達。
ただ黒い雪崩のようなレギオンの戦争とは違い、華麗にして優雅。
しかし壮絶。
少年少女の心が奪われたのは、その光景への羨望か、はたまた自身の守護者が持つ可能性に対する歓喜か。
「我が学園は前大会、芳しい成績を残すことはできませんでした。今年はこの二校に負けぬよう頑張りましょう」
青年の今一つ覇気に欠けた締めの言葉に、しかし生徒たちの見返す視線は強い。
※※※
先日のレギオンに関する講義は、守護者に関して説明するための下準備である。
核が同じなのだから当然といえばそれまでだが、それ程に両者は酷似している。
「……守護者は、三段階の成長過程が存在する」
先の講義の後には意気高揚していたクラスメイトたちだったが、咋に不機嫌そうに振る舞う講師が目の前にいるのでは、そのテンションを維持することはできなかったらしい。
午前中の秋春程ではないにせよ、彼らは意気消沈して講師の言葉に耳を傾けている。
「第一段階。貴様らの守護者のような生成されたばかりの守護者がこれに該当する。例えばそこの馬」
教鞭を指されたのは、通路際にいる女子生徒の守護者だ。
体型は確かに馬に見えるが、足に蹄は無く、イヌやネコのような爪が生えている。
そして特にことなるのはその頭部で、猛禽類のような嘴の上顎、額から頭頂部、そして目を保護するように、骨に似た質感の皮膚に覆われている様は、フェイスガードをつけているようにも見える。
「胴体の皮膚や頭部の保護骨格は見た目の質感通りの強度ではない」
数人の生徒は、内心でその言葉に異を唱えた。
その反応は表に出さずとも想定内だったようで、講師は「ただ」と言葉を続ける。
「直に触れてみた者は知っているだろうが、生成者自身が触れてもその表面は質感通りの感触を得る。何故か。それはレギオンが幼生体で既に得ている物質加工によるものだからだ」
誰に問うこともなく講師は続ける。
「普段から守護者は皮膚を加工、硬度と靱性を強化している。モース硬度で言えば、どれだけ脆弱な守護者でも7は確保している」
脆弱、と言った瞬間に講師の視線は冬夏を捉えていたが、資料に気を取られていた秋春がその視線に気づくことは無かった。
「……では、なぜ生成者が触れる際にのみ強度を緩めるか。それは、守護者の目的が生成者を守護することだからだ。人は往々にして安心感を求める。誰もが強い味方を望み、そして同時に優しさを求めるのはその為だ。その是非はここでは割愛するが、その安心感の確保を守護の一環として捉えているに過ぎない。断じて生成者への気遣い、などという非合理ではないということは覚えていてほしい」
その物言いにむっとした秋春だったが、向けた視線に返された講師の視線。
その淀み具合に言葉を失う。
隠そうともしない憎悪に晒されたのは、随分と久しぶりだった。
「……もう耳にしているだろうが、君らが心待ちにしている能力解放は第二段階からだ。第一段階ではそれぞれの身体能力の長所を伸ばすことが目的になるだろう。機敏性や強靭性、瞬発力といった初期能力は、第二段階における身体的成長にも引き継がれるのが大半だからな。翼が生えようと巨体になろうと、その個体の特性は変わらないということだ」
身体的成長。
その単語で、秋春の脳裏には様々な可能性が渦巻いていた。
巨大な冬夏。
(着るものどうしよう。……いや気にするべきはそこじゃない)
羽の生えた冬夏。
(なにこの天使)
妄想は止まらない。
「第三段階では、その特徴が更に強化される。能力は強化されるか幅が広がるか、もしくは別系統が増えるかだな。能力の系統については別の講義で説明されるだろう。身体的特徴は様々だ。上半身が人間のような体になった馬型もその逆もいる。有鱗種に第二段階で手足、第三段階で翼が生えて応龍、なんて呼ばれて有頂天になって死んだ馬鹿者もいる。第二段階が些細な変化だからといって希望は捨てないことだな」
そう言って笑みを浮かべる講師は、それなりの冗句のつもりだったのだろう。
しかし、人の死を冗談にできる者の心情を生徒たちが察することができる筈もなく、反応の無いことに講師がさらに機嫌を損ねるだけだった。
「……つまり、身体的特徴、能力の成長がそのまま第二段階、第三段階とされている。現在個体の能力差、変化要因に関しては研究段階だ。成長特性がほとんど変わらないことから、最終的な個体能力・形状は第一段階から決定しているという説と、蓄積された外的要因により決定される説があり……」
二段階の変化。
龍と言う単語のせいで、天使のようだった冬夏に竜のような尻尾が生えてしまっていた。
(……ないわー)
しかし、その直後である。
尻尾から逆連想された部位が、秋春の脳に電気を走らせたような閃きを齎す。
猫耳、そして猫尻尾である。
(………………いいっ!)
秋春がデスクの下で拳を握りしめたのと、それはほぼ同時だった。
「弐季トキハル! 聞いているのか貴様!!」
教室はおろか、学園中に響くのではないかとさえ思える怒声。
(あ、やべっ)
身を竦ませる他の生徒とは対照的に、当の本人が平然とした様子でいることが、更に講師の頭に血を上らせる。
行使は教壇を降りて、秋春の元へ大股で向かって行く。
「さっきから貴様、私の話も聞かずに……! この程度の知識は必要ないとでも思っているのか!? そんなもの知っていると!! それとも、私如きの話など聞く必要はないと博士から言われたか!?」
鼻息荒く、のべつ幕なしに喚き散らかせる講師。
対する秋春は、酷く冷めていた。この人もか、と。
「母は関係ないでしょ」
「っ!!」
博士を意識し、比較し、被害妄想を膨らませていた自分。
認めて尚、認められぬ自身の小ささに、講師は怒りに任せて秋春へ拳を奮い、
「な、ぎ、ぁっ……!?」
突き出した拳が秋春に触れるよりも冬夏が早くその手を取って捻り、痛みから逃げるように冬夏へと向けられた講師の背を蹴って地面に押し付ける。
掴んでいた腕を引き、地に這う体に反し掴まれた腕は天へと伸ばされる。
そして、ゴリッ、という鈍い音が、講師の怒声が止んで静寂に包まれていた教室に響いた。
それらは全て、悲鳴と同時。
一瞬のことに反応できたものはいない。
「冬夏!」
まさに一瞬遅れて、全てが決してしまった直後に響いた静止の声。
冬夏は痛みにもがく講師を見遣る。
男は痛みで泡を吹き、声にならないうめき声をあげている。
その様から攻撃の意思の無いことを見て取り、解放して立ち上がった。
「……折ったのか」
秋春の小声で問う言葉に、冬夏は答える。
「いえ、脱臼です」
その声は、普段となんら変わらない。
「……治せるか」
「はい」
「治してくれ」
「はい」
淡々と交わす言葉。
冬夏が講師の上半身を起こして腕を取り、引き上げる。
悲鳴に被せて届く鈍い音に、秋春は眉を顰めた。
仮面に隠れて窺えない彼女の表情。
しかし、その下が変わらぬ無表情であることは、火を見るより明らかだった。
「は、ははっ……流石、博士の息子の守護者だな……」
冷や汗と唾液に塗れても、秋春を見るその眼差しは尚も暗く、敵を傷つけようとする害意を放つ。
「人を傷つけるなんてな」
無理に作ろうとした笑みが一際醜く、秋春は堪らず視線を逸らした。
※※※
講師の怒声に駆け付けた教師に講師は「怒鳴りつけようと近づいたら躓いた」と説明した。その発言には生徒全員が驚愕したが、講師の断固とした態度に教師も折れたのか、そのまま講義は続けられた。
その後は何事もなく放課後へ。
音々とユナが気にかけてくれたことが嬉しかったが、秋春は礼を言ってすぐ帰宅することにした。
「……」
「……」
それは、冬夏と話すためだ。
「……」
「……」
講師の言葉が、頭から離れない。
あの言葉の意味が、今の秋春には解る。
守護者は人を守る。
それは、生成者以外の人間をも、だ。
優先順位は生成者が最上位にいることはわかる。
しかし、普通の守護者は、生成者を守る際にも人間を傷つけない。
傷つけるとすれば、犯罪者のような、生成者が傷つけても法に問われない者だろう。
それ以外は自身を盾にするのが常であって、傷つけることで無力化を図ろうとはしない。
勿論生成者が命令すれば攻撃するだろうが、秋春はそんなことを命令した覚えも、これから命令するつもりもない。
「……」
「……」
しかし、全て秋春の為であることは解っている。
だからこそ、秋春はなんと問えばいいのか、いや、問うて返された言葉に何と言えばいいのか、それが解らず、沈黙が続く。
盾になるだけでいい、とは言えない。
彼女が傷つくところを見て、平気でいられる確証はない。
守らなくていい、とも言えない。
それは、守護者の在り方に反するという。
では、彼女は何だろうか。
命にかかわるものでなければ防ぐ必要はない。
今回の件はそれで解決できたとしても、実際にそうなる現場に居合わせて、彼女が盾になってしまったら。
堂々巡りの思考に嫌気がさして、秋春は頭をガリガリと掻いて気を紛らわせようとした。
「あ、シャンプー買わなきゃ……」
不意に思い出してしまった不備。
引き返して薬局で購入し、同じ地点に着く頃には空では逃げる赤を紺に似た黒が飲み込もうとしていた。
明かりの燈る住宅。時折漏れる、笑い声。
「……」
「……」
僅かにずれて歩く二人の間に会話はない。
暖かな光のない我が家に着いて、玄関を抜ける。
「ただいま」
たどたどしい声が聞こえて、秋春は跳ねるように振り向く。
仮面を外した冬夏。
その顔に浮かぶ表情には、何の感情も窺えなかった。
「…………おかえり」
それだけの言葉を、上手く言えた自信が無かった。