共に在る風景
第二保健室のドアには立入禁止の掛札がぶら下がり、来訪者を拒んでいる。
「で、殴り掛かったと」
ベッドを仕切るカーテン越しに聞こえる遥菜の声は、やはりというか、呆れが含まれているように秋春は感じた。
「馬鹿ね」
想定内でも、今回ばかりは秋春もすねたように口を尖らせる。
「あーはいはい。どーせ馬鹿ですよ」
「冗談じゃないのよ」
「え……?」
返ってきた声は、ふざけた調子を一切含んでいなかった。
守護者の着衣を整えながら、遥菜は言う。
「守護者は、生成者を守るために存在する」
その為に生まれ、そして死ぬ。
弱いことは、その存在意義に反することになる。
「守る能力のない守護者に、価値はない」
「……」
言い切る遥菜を、少女の守護者は見詰めていた。
「でも!」
案の定、返ってきたのは反発。
背を向けていた彼女が振り返ったのか。その声が大きさ以上に先程よりもはっきりと聞こえた。
「でもも何も、一つの答えではあるわ」
そして、模範解答でもある。
「それを、貴方は以前思い知ったんでしょう?」
「……」
管理局の守護者を相手に大乱闘。
それは、今回の件と同じだった。
ことの発端は不法滞在者の取り締まりだった。
国家に認められた者で無ければ、守護者も持つことはできない。
銃火器を所持していようが武道の達人であろうが、管理局の守護者は第三段階。赤子の手を捻るような、簡単な作業の筈だった。
しかし、どういう訳か相手も守護者を所持し、戦闘となった。
結果的に管理局が勝利し、全員を逮捕することができたものの、その被害は少なくなかった。巻き込まれた住人の中に、当時中等部の秋春もいた。
そして目撃する。
逮捕された不法滞在者の命令で無抵抗になった守護者を、惨殺する光景。
そして、管理局員の一人の行動。怪我を負った局員の一人が、自らの守護者の叱責し、罵り、鞭のようなもので打ち付け、やがて拳銃を向けて――
それ以降の記憶を、秋春はぼんやりとしか覚えていない。
ただ、彼が殴りたかったのはその管理局員で、守護者を相手にしたかった訳ではなかった。
それでも、その男を守ろうとする守護者に阻まれて、困惑とともにさらに激昂したことも分かっている。
そして、自分がどれだけ常識を知らなかったのか、思い知らされた。
守護者は、人を守るために存在すること。
しかし、守るべきではない人間には必要がないこと。
生成者たる管理局員を守れなかった守護者にこそ、責められる謂れはあっても擁護する謂れは無いのだと。
とは言え、その答えに至るまでにも、多くの筋道がある。
今回の場合も然り。
「リヒター君の言った動機はともかく、考え方は間違いじゃない」
「それでもっ……」
秋春は苦渋の表情を浮かべ、再びカーテンの向こうにいる遥菜から顔を背ける。
「正しいとも思えない……!」
言い返す言葉を持たないことが、情けなく、悔しい。
「割り切りなさい」
「!」
言うと同時にカーテンが開かれる音がして、遥菜が姿を見せる。
その眼差しは、突き付けはするが、突き放しはしない。
「……それが出来ないなら、決めなさい」
一拍置いて、言葉を続ける。秋春の耳にきちんと届くように。
「この子をどうしたいのか。この子と、どう付き合っていくのか」
さらにカーテンを開放。
「貴方と、この子の関係を」
顕れた少女は、ただ秋春を見詰める。
(関係って…………)
安寧を得るための駆除。敵を屠る剣とするか。
政となれば、敵は内にある。故にその名の如く主を守る盾とするか。
内にも外にも敵を作らず、ただ無聊を慰めるための愛玩動物とするか。
それとも――
守護者の視線を見返して、秋春はその色を窺う。
しかし、その視線は何も求めず、何も訴えては来ない。
逸らすように、無意識に下げてしまう視線。
(っ!!)
視界には、女子の制服であるスカートと、まばゆいばかり白さと肌理細やかな肌を湛える生足があった。
頬を染め、目を背ける少年。
遥菜は、溜め息を一つ。
「あんた、やっぱり変態?」
「ぐっ……!」
遥菜の突っ込みに、否定する術を今の彼は持ち得なかった。
「そうそう」
衣類の詰まった袋を3つばかり秋春に差し出しながら、思い出したように連絡事項を伝える。
「明日正式登録するから、その子の名前、考えといてね」
その言葉は、学園の査定を通り、正式な守護者と認められたことを意味しているのだと気づき、秋春は我知らず安堵の溜息を吐いた。
※※※
夜のコロニーは、上空から見れば光る花のように美しい。
また一つ、花弁に小さな光りが点る。
「ただいまー……」
予想外に重い袋を玄関に置き、靴を脱いで再び持ち上げる。
ドアの閉まる音がして、無言でドアの前に佇む守護者を見付けた。
自分で運ぶことを主張した彼女だったが、秋春が拒否するとそれを命令と受け取ったのだろう。その後は何も言わなかったが、足取りで不承不承なのだと分かった。
「もう取っていいよ。仮面」
「あ、はい」
表情を見ればそれもわかるだろうと考えたが、ある意味予想通り、彼女の表情からは何も窺い知ることはできなかった。
仕方ないと今は置いておくことにして、もう一つ大事なことを秋春は彼女に告げる。
「帰ったら、ただいま、だよ」
「え、あ、はい……ただいま……」
意味は理解していないのだろう。一般常識以前の話なのかもしれない。
だが、そんなことはどうでも良かった。
「おかえり。って、迎えた側は言うんだ。それが礼儀っていうのかな? 慣習だよ」
「おかえり……」
「そう」
秋春は満足そうに頷いてリビングに向かう。
「……」
その背中を追う少女の表情に、彼が気付くことはなかった。
自宅でも、彼の悩みは尽きない。
久しぶりに引き出した、キッチンに繋がるテーブルで夕食をとった。
が。
「箸の持ち方は、こう」
「??」
力の加減が分からず、回転しながら彼方へ吹っ飛ぶ片箸。
ドスッ、と柱に刺さったような音がしたのは流石に気のせいだろう。
暫く食事はパスタにしようか、秋春は本気で悩んだ。
それが表情にでてしまっていたのだろう。
「……」
落ち込んだ様子に、秋春は笑う。
「何でもない。気にするな」
パスタは嫌いではない。
風呂に入ろうと脱衣所に入り、上着を脱ぐ。
その視界が遮られる僅かな時間の合間に、
「ちょ、待て!!」
「?」
守護者はすでに侵入済み。加えて上着も脱いでしまっていた。
黒×紫ですか!?
という突っ込みは、叔母の手の平で躍らされることを嫌い飲み込んだ。
「……いいか? 一緒には入れないの」
「……?」
キョトンとした表情に、秋春は頭を悩ませると同時に不安を感じた。
「いいか。人の形をしたものは、容易く肌を他人に見せちゃいけないんだ」
「はあ……」
分からない、といった表情。
然も有りなん。他の守護者は常に裸なのだから。
二階の、秋春の部屋の斜向かいの位置する部屋は、かつて母親が使用していた名残なのか、多くの家具が残されていた。
その中に、ベッドもあった。
「この部屋が、これからお前の部屋。ここで寝て、起きる。服の着替えとかもな」
「え……」
(ぅえ……!?)
浮かんだ表情は、絶望によく似ていた。
表情の乏しい少女の、明かな感情。
さすがに秋春は狼狽した。
「こ、これ以上いいベッドなんて家にはないぞ……!?」
いくら説明しても、ふるふると首を振るだけで少女型の守護者は納得しなかった。
宥めるように、それでも結局命令してしまい、罪悪感と共に秋春は床に着いた。
思えば昨日も録に睡眠をとっておらず、彼が眠りにつくのにそう時間はかからなかった。
※※※
時を遡り、空を覆う黒が勝ちはじめた夕方。
別の区画のマンション、その一室に明かりが点る。
鞄をベッドの上に放り投げ、続いて自身もベッドに寝転ぶ。
制服に皺が寄ってしまいそうだが、今はどうでも良かった。
それを見詰める彼の守護者は、表情が分からない筈なのに心配しているように見えて、尚彼の心地を悪くする。
寝返りを打ち、目を瞑ると浮かぶあの顔。
(……くそっ)
恐れているわけではない。もう、ない。
かつて見た、本物のレギオン。
その恐怖を覚えて以来、よほどのことでなければ彼は動じなくなったというのに。
しかし、それ以上に彼を苛むのは、自分自身に生じた迷い。
「……」
あの怒り。
自尊心を守るための怒り。
自らの誇りを汚された怒り。
大事な物を傷つけられた怒り。
今までに見てきた、どの種類の怒りとも違う気がした。
(生命を、侮辱したとでもいうつもりか……)
あの男自身でないのだから、彼にできるのは推測に過ぎない。
しかし、そう思い浮かんでしまっている時点で、自身の言葉に非があったと認めているようなもの。
それが、彼をどうしようもなく苛立たせる。
無音の部屋に、ノックの音が響く。
「リヒター、夕食できたよ」
「……わかった」
怠さを訴える身体を起こす。
「……?」
身体が軽くなった心地がして、気付けば白い毛に包まれた紐が彼の身体を支えていた。
紐の先には、ふんわりとした毛玉。
元を辿ると守護者の尻尾だと分かった。
こんな技能があったのか、と呆けるのも束の間。
乱暴に払いのけ、ずかずかと部屋を出てリビングへ向かう。
表情を変えず、何も言わずに後をついて来るのが、背中越しの気配でわかった。
リビングにつくと、金髪を頭頂部で結った青い目の女性がテーブルに座っていた。
並べられたスプーンとフォークは、彼女のものと合わせ二組。
「……父さんと母さんは?」
「また残業だって。例の上司が五月蝿いんだってさ」
リヒターは口を結ぶ。
部下を道具としか見ていない、大嫌いな奴も日本人。
レギオンに襲われ、逃げ惑う人々を押しのけて我先に逃げたのもモンゴリアンの集団。
あのひらべったい顔は、人間のできそこないだから。
悪魔みたいなもの。
そんな風に考えていた。
「……」
女性の背後に佇む、金色の鬣を持つチーターに似た獣を見る。
こうして眺める限りでは美しさばかりが目を引き、大きな身体以外、強さなど微塵も感じられない。
しかし、三大名門校の一つ、リンス女学院で雷公の名を知らぬ者はいない。
「……姉さん」
「?」
彼の胸を内にある迷い。
その答えを、彼女なら知っているかもしれない。
そう考えて、
「……何でもない」
尋ねられなかった。
この強い姉が言うことは想像できる。
だから、口にした問いは全く別のものだった。
「……リディアに食事はあげるのか?」
「何言ってるの?」
姉は笑う。
「守護者は食事、必要ないじゃない」
と。
「……だよな」
そんなことは、彼も重々承知している。
だが、彼は知っている。
都市の店舗には、守護者用と喧伝された嗜好品があることを。
※※※
同時刻、秋春と同じ区画の中流階級の住宅街。その一軒。
脱衣所で服を脱ぎ、音々は鏡に映った自分のシルエットを見て、ふと既視感を覚えた。
「……?」
どこだったか分からないというよりも、どうして毎日見ているものに既視感を覚えたのかすら分からず、
「ま、いっか」
と浴室へ入る。
ドアは開けたまま。音々がシャワーの蛇口を捻る頃には守護者が入り、器用にドアを閉める。
家族と過ごしていた時からの習慣で、この行為に思うところは全くない。
当然、彼女の思考は別の方向に向けられる。
「君の名前、どうしよっか……」
四つの白く長大な尻尾の生えた、基本は黒い猫。
襟から背中にかけて羽のように流れる薄い半透明な羽衣がなんなのか、今の彼女には分からない。
黒い毛並みが光りを反射して、幾重もの光りの輪を作り出しているのが綺麗だと思った。
「……セイサイかな。聖彩。どうかな?」
尻尾を振り、羽衣が揺れて綺麗な音色を奏で始める。
「すごい……喜んでくれてるのかな? 良かった」
※※※
場所は戻り、バルト家。
門番宜しくドアの前に立つ守護者を、横になっているベッドから一瞥する。
その限りなく黒に近い青の双眸は見られていることを察しているのだろうが、こちらから呼び掛けない限りリヒターに向き直ることは無い。
不遜なのではなく、部屋全体を把握する為だ。
常に生成者の傍らに有って、危機の際には身を挺して彼の者を守る。守護者自身がそれを一番理解している。
それを、リヒターは身を以って知っている。
未だに時折彼を苛む記憶。
迫るレギオン。
生成者を守ろうとする守護者。
その戦力差は、少なめに見ても十対一。
勝てる見込みのない戦闘。
それでも、守護者たちの行動に躊躇いはなかった。
僅かにでも、ほんの少しでも、生成者を逃がす時間を稼ぐ。
それが、守護者の在り方なのだと知った。
「……」
身体を起こして守護者を改めて見据える。
何の変哲もない、亜人型。
それだけだと考えていた。それが悔しく、情けなかった。
「……ウルス」
守護者の名。
呼んで、その瞳がリヒターに向けられる。
その眼差しを、正面から受け止めることができない。
「……出掛けるぞ」
諦めるには、早すぎる。
そう言い聞かせて立ち上がる。
※※※
同時刻、蓮華から海を隔てた、山間部の中腹。
要塞国家、アルダー。
外敵の侵入を防ぐ堅牢な防壁と、備えられた兵器群により駆逐する大艦巨砲主義に準ずる設計思想は明確にして単純。故に強固。
その監視システムが捉えているのは数十キロ先の平原。
空も陸も、夜を尚漆黒に染める闇が浸蝕してくるようだった。
『だ、第二防衛ラ……ぎゃっ 』
ノイズが走り、ぶつ切りにされた様な音がして途切れた。
「第二防衛線、突破されました!!」
管制員の悲鳴にも似た報告。
手元のモニターでは、五本のラインのうち一本は瓦解、二本目は中央から「く」の字に裂かれてしまっている。
「……」
指令室。
その中央最奥に座る男、前面に大きく展開されているディスプレイを眺める視線は揺るがない。
「第一、第二配備の生体反応、八割減!!」
レギオン。
強靱な身体、巨大な体躯、炎や氷塊など無から有すら生み出す特殊能力。
しかしその最大の脅威は、数にある。
一体であれば、混乱以前の兵器でも十分に渡り合うことができた。しかし、それも“数で勝れば”の話に過ぎない。
より多くの敵に襲われれば、人はやがて飲み込まれていく。
その全体の数さえ知れず、今もこうして守勢に回るばかり。
だが、ただ手を拱いているばかりではない。
「司令」
背後から男が近付き、何かを耳打ちする。
すると司令と呼ばれた男は重く頷き、立ち上がる。
「スレイアとカノンを呼び出せ」
「は、はい!」
女性管制官の一人がボードを操作。
直ぐさま司令席の手前に四角のモニターが浮かぶ。画面には音声限定という文字が表示されている。
『はいはーい。こちらスレイアだよーん』
『カノンです…………お呼びでしょうか』
おちゃらけるような調子の声と、感情の読み取れない平淡な声がモニター越しに届いた。
顎の逞しい髭を弄びながら、司令は溜め息を零さんばかりの調子で二人に告げる。
「護衛の任務は終了だ。急ぎ、前線へ向かってくれ」
沈黙の数秒。
『はぁーーーー!? 今更!?』
『……あのバ、……王が、認めたのですか?』
予想通りの反応に、司令は苦笑を浮かべたのも僅か。
すぐに引き締め、告げる。
「そうだ。至急、援護に向かえ」
『ぬぁに考えていやがんだあのジジィ!! そんなら初めからっ痛っ! 何すんだよカノン!』
『了解……。十秒後、全天防衛機構の解除をお願いします』
司令は椅子に座り直す。
ゴウ、と外気が流入する音がして要塞の空が開けたことを知らせる。
『カノン! 開いた!』
『うん……』
直後。
ドン、と大きな揺れが指令室を襲った。
慌てる数人の管制官を尻目に、殆どの者は動じない。
やがて監視システムは、平原に降り立つ巨大な影を捉えた。
『いやっほーぅい!!』
着地の衝撃で柱のように舞い上がる土砂が、その重さの尋常で無いことを教える。
やがて薄れていく砂煙に浮かぶ姿は、四つの足が生えた城塞。
浸蝕していた黒が群がり始める様は、城塞が黒を吸い込んでいるようにも見える。
『邪魔……』
肘が突き出し、塔の様な脚が傾き、浮かび、振り下ろされる。
その度下敷きとなり、潰れ、拉げるレギオンの数は片手では収まらない。
『スレイア……まだ?』
『そー焦んなって!!』
城塞の上。
揺らめく赤に、白い靄が集まり出す。
やがて靄は、光りの輪を形成していく。
光に誘われるように飛び掛かる黒を、城塞の腕が振り払い、潰し、薙ぎ払い、掴み、投げつける。
『い、けぇぇえええええええええ!!』
指令室に響く怒号。
一閃の光が、夜の闇と狂気の黒を切り裂く。
敵に中央突破されたことが好転した形である。
防衛線を死守しようとして散った命も無駄ではなかった。
そう歓喜に湧く指令室に在って、司令席に座る男だけは、その光をただ無表情で見据えていた。
初めから、せめてもっと早く戦線に投入できていたら、被害者数は全く違っていただろう。
戦力の出し惜しみ、後手の増援など暗愚の所業に他ならない。
人の傲慢や我欲。
そんなものが、より多くの命を奪う。
それが現状。
意思や思想など介在する余地のない無慈悲な戦い――それがレギオンとの戦いだというのに。
「司令」
後ろで動いた影に、男は見返すことなく頷いた。