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餞別

作者: 異形喫茶店

セピア色をした風景が 私の記憶を呼び覚ました


ぼーん ぼーん

ぼーん ぼーん


壁に掛けられた古時計が時を知らせた。

きりきりと軋む様な音を立て、秒針が進む。

氷の様に凍てついていた時間が、ゆっくりと動き出していた。


私はその音に半分耳を傾け、船を漕いでいた。

窓からは穏やかに日の光が差し込み、暗い部屋をぼんやりと照らし出している。

まどろむのには絶好の機会に違いない。

外を見ると、丁度渡り鳥達の群れが見えた。

皆、きっと遠い異国から暖を取りに此処へ渡ってきたのだろう。

群れは左へ大きく旋回し、やがては南の方に点となって消えていった。

鳥達を見送ってから、しばらくして――



にゃあ


翡翠色をした眼がふたつ、私を見つめていた。


猫だった。

見たところ、首輪や名札は身に付けていない。

捨て猫だろうか?

しかし、白い毛並みのつやから見て、野良猫ではない。

間違いなく飼い猫だろう。

私がそんな事を考えているのも構わず、猫はひょいと膝元に飛び乗った。

全く図々しい奴だな、と頭の片隅で思いながらも追い出すことはしなかった。

なぜなら、この獣を追い出したところで私の退屈が紛れる訳でもないからだ。

一人でいることの退屈さよりかは、たとえ獣だろうと二人の方がずっとましである。

私は膝に獣を乗せたまま、机に置かれている老眼鏡と古新聞に手を伸ばした。

それに安心したのだろうか、獣は体を小さく丸め静かに目を閉じた。

最近目がたいそう悪くなってしまって、眼鏡がないと書物に目を通すことも難しい。

加えて年を取ったせいなのかそうでないのかは良く分からないのだが、よく物の置き場所を忘れてしまう。

だから、いつも私は古新聞と一緒に必ず老眼鏡を置く事にしているのである。



突然、向かいの扉がきいと開けられた。

薄暗い部屋の中が白く照らし出される。

私は思わず目を細めた。

眩しい。

ちくちくと目の奥の方を刺されているような感覚に襲われる。

「開けるなら、開けると言ってくれると嬉しいのだがね」

片手で目を庇いながら私は扉の方を睨んで言った。

「すいません。そういえば、いつも電気を消してるんでしたね」

時間が経つにつれて、白一色だった視界が少しずつ色を帯びて来た。

身の周りにある椅子や、机と自分との境界線も明瞭になって行く。

目が明るさに慣れてきたのだろう。

扉の向こうに、男の姿が一人見えた。


「もう行くのか」

私は彼に尋ねた。

彼は返事をせず、代わりに小さくそうだと笑った。

「行く前に挨拶でもしようと思いまして」

旅立つ前だと言うのに、彼の服は土で汚れており、ほのかに鉄や石の香りがする。

髪も相変わらずぼさぼさで、カラスの巣か何かのようだ。

「酷い有様だな」

私は正直に見た感想を述べた。

どう返答して良いのか分からなかったのだろう、彼は少し困った顔をした。

「仕方ないですよ。でも少し安心したんです。あ、この姿なんだって」

彼は、いや正確に言うと彼の心は数年前からずっと変わっていない。

三つ子の魂百まで、とは誰だかは知らないが上手い言葉を考えたものである。


ぼおーん ぼおーん


部屋に音が木霊した。

音の主は壁に掛かった古時計である。


「残念だが、時間が迫ってきたようだな」

私は時計を一瞥して彼に言った。

彼は同じく時計に目をやりながら

「そうみたいですね。……もっと貴方と話したかったのに」と小さく呟いた。

「我侭はいかんよ」

彼を嗜めながら、私は重い腰を上げた。

それに驚いた獣が膝元からひょいと飛び降りる。

白い獣は文句を言うかのように一声鳴いた後、やがて消えるように姿を消した。


「飼い猫ですか」

一部始終を見ていた彼が私に尋ねた。

「いや、違う」

私は歩きながら返した。

戸棚は、壁に掛けられた時計とは反対側に位置している。

いくつも小さな引き出しが付いていおり、所々白いラベルが貼られている。

一つずつそれを目で追っていくと、視線は上の列から2段目の引き出しに止まった。

彼は私が何をしようとしているのか分からないのだろう。

その光景を不思議そうに眺めている。

引き出しの中身を取り出し、確認した私は彼に向かってそれを放った。

「落とすなよ」

ついでに一言付け加えてやる。

「うわわっ」

急に投げられたのをなんとか受け止めようとして、彼が間抜けた声を上げた。

それが何とも可笑しいので、つい声を出して笑ってしまったのだが。

「酷いですよ。何がそんなに可笑しいんですか」

彼が口を尖らせる。

「よく見てみな」

私の言葉に、彼は手のひらを恐る恐る開いた。

紅い色をした結晶が、彼の手の中できらきらと輝いている。

「餞別にくれてやる」

彼はしばらくぽかんと口を開けたまま沈黙していた。

「頂いても良いんですか……こんなに綺麗なものを僕なんかが」

石と私に視線を交互させながら、恐る恐る問う。

「それは、旅の”道しるべ”だ。大事にするんだな」

自分で意識したつもりではないのだが、自然と口元が緩んでいた。

彼は、言葉を聞いて意味を悟ったのだろう。

「有難うございます……」

その小さな体全部を使って深々と礼をした。

そして、肩から提げていた大きな布製の鞄へ石を仕舞った。

とてもとても大切そうに。


ぼーん ぼーん

ぼーん ぼーん


古時計が先ほどよりも一層大きな音を立てた。

これが最後だ、とでも叫ばんばかりに。

動き出した時が少しずつ、少しずつまた元に戻っていく。

「じゃあ、お世話になりました」

彼はもう一度小さく頭を下げて、扉の方へと足を向ける。

扉が、まるで彼の意思を読み取ったかのように開いた。

「……良い旅を」

私は彼の背中に向かってそう言った。

すると、彼が突然私の方に振り向いた。

驚く私に、彼は満面の笑みを浮かべて

「いってきます!!」

――姿を消した。

扉が硬く閉まる音を最後に、私と薄暗い部屋だけが、其処に残された。


その後、とある男が死んだという噂を聞いた。

男は鉱夫で、岩や鉱石を削った時に出る土埃に肺をやられたらしい。

だが男の死に顔は、苦悶に満ちたものでは無く、不思議と穏やかな死に顔であったという。





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