1 父体
ぼくが初めて三体学園高等学校の制服を着て外に出たのは、入学式ではなく、葬式でだった。
丈が腰あたりまでで短い、グレーの学ラン、同色のくるみボタンに、スラックス。その制服を着た生徒を一目見れば大体の人がわかるのに、胸元にはわざわざご丁寧に白い糸、明朝体で「日ノ本」という苗字の刺繍。
着るのが待ち遠しかった、三体学園・日ノ本組の制服だ。
それを今ぼくは、三体学園・鼎組の見知らぬ少年――ぼくの入学後は、ぼくの一学年上の先輩になるはずだった――の葬式で着ている。
彼の名前は、鼎ハジメというらしかった。葬式の招待状(後から知ったのだけれど、葬式においては「招待状」とは言わず――まあそうだよね――そういうのを知らせる案内のことは「訃報」と言うらしい。最初は「とほう」と読んでしまっていたけど、「ふほう」と読むと母が呆れずに教えてくれた)に書いてあったから知ったし、葬儀場の看板(これは「看板」でいいのかな)にも「鼎ハジメ」と書いてあったから、誰なのかよく知らなくても名前はわかった。
葬儀には、彼の親族の他には、三体学園の教師や関係者はもちろん、鼎組・日ノ本組の在校生が呼ばれて、それに加えて、四月から入学が決まっている鼎組と日ノ本組の新入生も呼ばれて、ぼくはその一人だったというわけだ。
在校生もだが、新入生のぼくたちの喪服は、まだ家の外では着たことがなかった各々の組の制服で指定されていた。
たくさんの青い花に囲まれた棺の中は見えなかったので、鼎ハジメの姿は見れなかったが、鼎組の新入生であろう二人(白のブレザーがぱりっとしていて新品そうだったので、なんとなく新入生だとわかった)がヒソヒソと小声で話していて、
「腰だけじゃなくて、顔もなくなってたらしい」
「やめろよ……」
「俺たちもいつああなるんだか」
「まじでやめろって」
ということなので、棺が開いていたとしても、ろくに彼の姿を見ることはできなかっただろう。興味があるなら、学園のホームページで彼の顔写真つきのプロフィールを見ることができたかもしれないけど、ひょっとしたらもう消されているかもしれないし、死人の顔写真やプロフィールをあとからわざわざ覗きにいくのは、何か悪趣味なかんじがするから、ぼくはあえてそうしない。それに、三体学園の生徒だったのなら、顔が整った美少年だったというのはもう事実だし、それに優秀だったに違いない。こんなに惜しまれているのだし。
ぼくは、別に彼に対して興味が一切ないとか、これから入学する学園の生徒の葬式なのに飄々としていた、とかそういうわけではなくて、同じく葬儀に参列していた一人の人物にどうしても気が取られてしまっていただけだった。
ぼくには身内が母しかいないし、その大好きな母は、まだ生きてくれている。何か病気したり、事故に遭わなければ、まだ死ぬような歳でもない。それに、男性のほうが女性より圧倒的に死亡率が高い今の世の中だ。だから、葬式に参列したのは初めてだ。初めてなのもあってか、その場はまるで夢のように非現実的だった。
ぼくのずっと遠くの斜め前に彼は立っていたのに、なぜかすごく近いところに立っているような気がした。
鼎ハジメではない。別の彼だ。
ぼくは思わず、かけていた黒縁のメガネを外して、まだ新品の学ランの袖でレンズを拭ってしまった。普段からレンズは綺麗に拭くようにしているけど、レンズが曇ったり、おかしくなったのかと思ったのだ。それくらい、彼は近くにいるような気がした。別にレンズは曇ったり汚れたりはしていなかった。
メガネをかけなおして、ぼくは改めて彼を見た。
正面の棺の方を向いて、誰かの話を無表情で聞いている彼は、ぼくと似たようなメガネをかけていた。パーマをあてているのか癖っ毛なのか、髪はすこしだけくるんとしていて、ただの黒スーツを着ているけど、それだけでかなりオシャレに感じた。
眉の下に深く収まった、大きいのに鋭さのある目。頬から顎にかけて骨の輪郭がはっきりしている。目鼻立ちは華やかなのに、無表情だからか、どこか無機質だった。整いすぎているせいで、親しみやすい美青年ということはなく、まるで宗教画に描かれた天使のような、不思議な顔つきだ。
鼎組か、日ノ本組の父さん――「父体」か?
いや、「父体」の人が、葬式だからってこんな人前に堂々と現れるわけがない。いや、自分の息子なら、来て当然なのか? いや、まって、もし日ノ本組の父体なら、すなわちずっと会いたかったぼくの父親ってことだ。いやいや、鼎組の父体だろうが、日ノ本組の父体だろうが、いくらなんでもあの人は若すぎる。三十歳くらいにしか見えないぞ――ぼくら新入生はもう三期生だ――
葬儀そっちのけであれこれ考えていると、ふと彼が振り向き、思わずぼくはびくっと肩を震わせてしまった。
目が合ったような気もするし、合ってないような気もする。二、三秒、彼はぼくのいるあたりを見つめると、振り返るときは一瞬だったのに、どこが気だるげにゆっくりと前を向きなおした。
そこからは、あっという間に時間が過ぎ去っていった気がした。入学前で当然仲のいい生徒もいないし、葬式という場に来ておいて慣れあうのも何か嫌なかんじがしたし、他の新入生もそう思っていたのか、新入生たちは大体は一人で足早に出口へと向かっていった。
ケータイを取り出し、母に「今から帰る」と簡単にメッセージを送ろうとしていたその時だった。
「おい」
低めの声がして、ぼくは振り返った。
新入生や、他の関係者が出口へ向かう流れの奥に、彼がいた。その姿を見て、無意識にぼくの顔はこわばってしまう。さっき、ぼくがじろじろ見ていたのに気づいていて、それで怒って声をかけてきたとか?
謝ろうかどうしようか考えている間に、彼はすたすたとこちらに歩いてくる。やはり声をかけられたのは間違いなくぼくだったらしい。
文句をつけられるのかと思ったら、葬儀中のさっきと同じ無表情の口から出てきたのは、意外な一言だった。
「送る」
ぼくは思わず数回瞬きをして、「え?」
「家に送る。お前を」
「どうして……ぼくを?」
彼は何と言おうか考えているようで、新品の黒いローファーを履いたぼくのつま先を見て、少し黙った。その間に、ぼくの考えはすっかりポジティブなものになっていた。
「ひょっとして、お父さん?」
ぼくは、笑顔だったと思う。まだ、葬儀場の出口を抜けていないのに。
この大勢の中でぼくには彼がやたら目について、彼がそれに気がつくのも、彼がぼくのことを家に送ってくれると言っているのも、それはぼくが彼の息子だからで、彼が日ノ本組の――ぼくの父体だからだ。それなら説明がつく。が、
「はあ?」
顔をしかめて、彼は言った。
どうやら違うらしかった。
「お前が可哀相で危ないから送るんだよ。頼まれてるんだ」
「えっと」
「日ノ本アオイ。入学前の試験、全項目で日ノ本組最下位。入学前の国民投票数、日ノ本組最下位。プロフィール写真も、メガネで写るし。家族も母親のみで、兄弟も親戚もなし……こんな地味でかわいそうで弱いやつが新品の日ノ本組の制服着て一人で歩いてたら、真っ先に飛縁魔に狙われて死ぬだろ」
事実だし、言い返せなかった。それに、言い返したところで、ただの言い訳だし。
彼がぼくの父体だからだ、なんて説明がつくわけがなかった。そう、こんなに何かと最下位で、地味なやつ、が、わざわざ日ノ本組の父体の人に贔屓されて家まで送ってもらえるわけがないからだ。この人が日ノ本組の父体ならば、ぼく以外の、日ノ本組の今年の新入生どころか、日ノ本組の一期生から三期生までまるっと全員が、この人の息子なのだ。その中から、ぼくひとりがわざわざ選ばれて優しくされる理由はない。
ぼくの頭の中でお花畑が広がっていたのは一瞬だった。もう消え去った。肩を落とし、「そうですね……」と言うしかなかった。
「でもでも、入学したらもっと頑張って、せめて十五位以内には! 気持ち的には一位になって、リーダーになりたいですけど! たしかに不評だったんで、次写るときにはメガネとろうかなと……」
中学生になったあたりで、ぼくの視力はがっつり落ちた。そこで、母がプレゼントしてくれたのが、この黒縁でスクエア型のメガネだった。ざっくりどういうデザインのがいいと伝えたら、次の日母が家で渡してくれた。てっきり、メガネ屋に作りにいくものかと思っていたが、メガネ屋に行っていないのにも関わらず、ぼくの健康診断での視力検査でも参考にしたのかなんなのかわからないがとりあえず度数はぼくの目にぴったりと合っていて、そこから視力がさらに落ちるということはなかったので作り直しはしていない。
どうせ目が悪いので言われなくてもメガネはずっとつけるが、母に「基本、メガネはつけていなさい」と言われていたので、ずっとつけるようにしているし、なんとなく思い入れがあるものだから、レンズを変えることはあってもこのフレームからは変える気はない。
コンタクトに変えることも特に考えてはいなかったけど、そうしたら、メガネは家用として、外ではそろそろコンタクトか。
「メガネ」と言ったからなのか、彼は自分のメガネを外して、胸ポケットにそれを仕舞った。
彼の端正な顔立ちがよくわかるようになったので、ぼくは「ぼく、コンタクトにします」と言うと、彼はぼくのメガネも取り上げた。
「顔はいいのになあ」
彼は変わらず無表情だった。ボソッと言って、ぼくのことを見つめる。黒い瞳に、ぼくが映っているのが見えた。
「たまに性格悪そうな顔って言われますけど……たしかに母からは褒められます。美少年だって。母からしか言われたことないけど」彼に見つめられて、ぼくはつい早口になる。「でも日ノ本ってことは美少年に決まってますよね。ほら、笑うとかわいいし、ぼく。狐とか猫みたいで」
ぼくがにーっと笑って見せようが、彼の表情は一切変わることがなかった。ぼくが笑顔のまま、どことなく気まずい沈黙がその場で流れ始めたので、ぼくはしゃんとした。ぼくがそうしたところで、彼は無言のまま両手でぼくの顔にそっとメガネをかけなおさせた。それは優しい仕草だった。
「で、その……ぼくのこと知ってるってことは、学園の先生とか、OBの方ですか?」
「そんなところ……入学したらわかるかと」
彼はぼくの父親ではないにせよ、誰かに、しかも学園の関係者に、こんなかっこいい人に、親切にしてもらうのは光栄なことだった。親切にしてもらえる理由が理由だけど。
「あの、母に一応連絡入れておきたくて。母も心配してると思うんです」母は、仕事がなければぼくの送り迎えをしてくれようとしていた。「誰に送ってもらうか伝えたいので、名前聞いてもいいですか」
「本田鉄虎。って言っといて」
割と変わった名前だったが、即答のあたり本当なのだろう、「本田さん……」言いながら、ぼくは学校関係者の本田さんという人が家まで送ってくれるらしいというショートメッセージを一言だけ母に送信した。




