処刑エンドを回避するため、嫌われようと悪女ムーブを極めた結果、なぜか狂信的なヤンデレ皇太子を錬成してしまいました
舞踏会の大広間のバルコニーで、セリアーナ・フォン・グラディス公爵令嬢は、持っていたシャンパングラスを思わず取り落としそうになった。
(思い出したわ……! 私、このままだと三年後に断頭台の露と消える悪役令嬢じゃないの……!?)
頭を激しく殴られたような衝撃とともに蘇ったのは、自らの前世の記憶――そして、自分が愛読していた乙女系恋愛小説の世界に転生していたという戦慄の事実だった。
この物語におけるセリアーナは、冷徹無比な第一皇太子ルシアンの婚約者。
嫉妬に狂って平民出身の可憐なヒロインを虐げ、最後は「帝国に仇なす傲慢な毒婦」として、ルシアン直々の命令で処刑台に送られる運命にある。
しかも、その婚約者であるルシアン皇太子は、眉目秀麗ながらも感情を一切表に出さず、政敵を冷酷に粛清し続ける『氷の支配者』。命乞いなど通用する相手ではない。
(冗談じゃないわ! 誰が好き好んで首チョンパされなきゃいけないのよ! ……こうなったら、ヒロインが現れる前に徹底的に嫌われて、円満に婚約破棄してもらうしかないわ!)
セリアーナは硬く決意した。
目指すは「あまりのワガママと品性のなさに愛想を尽かされ、皇室から一方的に放逐される穀潰しの無能悪女」である。
作戦第一弾は【理不尽な贅沢と散財】。
ルシアンとの定例茶会の日、セリアーナはあらかじめ用意させた、領内の特産である『乾燥しきった干し肉と固い保存用パン』をテーブルの上に山積みにさせた。
「ルシアン殿下! わたくし、本日のお茶菓子には帝国全土からかき集めさせた、この極めて下品で粗野な軍用糧食を要求いたしましたの! 優雅なスコーンなど、もう飽き飽きですわ! さあ、お召し上がりになれませんでしょう!?」
どうだ、とセリアーナは胸を張った。
気品を重んじる皇太子に対し、あえて最前線の兵士が食べるような不味くて固い非常食を叩きつける暴挙。眉をひそめて「品性を疑う」と婚約破棄を突きつけてくるに違いない。
ルシアンは無表情のまま、乾燥肉を一切れ手に取り、口に運んだ。
咀嚼し、紅茶で流し込む。
そして――氷のように冷たかったはずの紫紺の瞳が、微かに揺れた。
「……セリアーナ」
「何かしら殿下! お怒りになって婚約を白紙に戻してくださっても――」
「君は、北方の前線で補給路が滞り、兵士たちの士気が低下しているという極秘の軍事報告を、すでに察知していたのだな」
「……はい?」
「『贅沢に飽きた』とうそぶきながら、自らこの粗食を口にすることで、皇族たる私に前線の困窮を身をもって示そうとした。……なんと気高く、慈悲深い娘だ。宮廷の貴族どもが湯水のように税を浪費する中、君だけが帝国の足元を直視している」
「えっ、ちょっ、違――」
「君の意図は痛いほど伝わった。直ちに輜重部隊の予算を倍増させよう。……私のために、泥をかぶるような真似をさせてすまなかったな」
ルシアンは椅子から立ち上がると、動揺で固まるセリアーナの手を取り、熱い吐息とともに口づけを落とした。
その瞳には、かつてないほどの深い敬意と熱が宿っていた。
(ち、違う! そうじゃないのよ殿下ぁぁぁっ!?)
作戦第二弾は【職権濫用と横暴な人事介入】。
ある日、セリアーナは宮廷でルシアンが最も重用していた若手文官――実は隣国の間者である男を、わざと大声で罵倒して罷免に追い込んだ。
「殿下! あのような陰気で眉間に皺を寄せた男、見ているだけで私の肌が荒れますわ! 今すぐ追放して、もっと愛嬌のある無能な道化でも雇いなさいな!」
ヒステリックな悪女の完璧なムーブ。これで「国政に口を出す愚鈍な女」として愛想を尽かされるはずだった。
しかし翌日、その文官の私室から他国への軍事機密漏洩の証拠がごっそり押収された。
報告を受けたルシアンは、息を切らしてセリアーナの屋敷に駆け込んできた。
部屋の扉を乱暴に開け放ち、そのままセリアーナを抱きしめる。
「セリアーナ……! 君は命がけで私を守ってくれたのだな!」
「へっ……?」
「奴の不審な挙動にいち早く勘づき、私に疑いがかからぬよう、あえて『感情的な我儘』を装って奴を告発し、証拠隠滅の隙を与えずに失脚させた……! もし奴を野放しにしていれば、帝国の防衛網は崩壊していた。私を暗殺の魔の手から救うため、君は社交界での悪名を背負ったのだな……!」
「あ、あの、本当にただ顔が生理的に無理だっただけでして……」
「謙遜するな! 君の深謀遠慮、神仏の域だ。ああ……これほど賢明で、これほど私を深く愛してくれる伴侶が他にいるだろうか、いやいない!」
ルシアンの腕の力がギリギリと強まる。
骨が鳴るほどの抱擁。見上げる彼の瞳孔は、もはや敬意を通り越して、狂信的な愛の炎でギラギラと燃え盛っていた。
(待って、ヤバい。完全にヤバい方向にハンドル切っちゃってる……!!)
そして運命の舞踏会。
ついに原作ヒロインである、清楚可憐な男爵令嬢がルシアンの前に現れた。
(ここよ! ここが最後のチャンスだわ!)
セリアーナはドレスの裾を翻し、二人の間に割って入った。
そして、周囲の全貴族が見守る中、男爵令嬢がルシアンに差し出そうとしていた特製の焼き菓子を、パシリと扇で叩き落としたのだ。
パリン、と皿が割れる音が響き渡り、大広間が静まり返る。
「殿下! このような素性も知れぬ下賤な女が作った毒味もされていない菓子など、殿下の口に入れる価値もございませんわ! 身の程を弁えなさい、薄汚い泥棒猫!」
完璧な悪役令嬢。完璧な断罪フラグ。
これなら、誰もがセリアーナを「度し難い嫉妬深き毒婦」として断罪するはずだ。
さあルシアン、私を睨みつけ、「お前のような冷酷な女との婚約は破棄だ!」と叫びなさい!
だが。
ルシアンの顔から、すべての温度が消え去った。
彼が向けた殺気は――セリアーナではなく、床にへたり込む男爵令嬢に向けられていた。
「……捕らえろ」
低く、地獄の底から響くようなルシアンの命令に、近衛兵が一斉に令嬢を取り押さえた。
令嬢の懐から転がり出たのは、微量の精神支配薬。ルシアンを籠絡するために隣国の残党が仕掛けた、本物の遅効性毒薬だった。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「私のセリアーナの神眼を欺けると思ったか」
ルシアンは大剣の柄に手をかけたまま、氷よりも冷たい声で宣告した。
「我が最愛の婚約者を『嫉妬深い悪女』に仕立て上げ、私に毒を盛ろうとした大罪、一族郎党もろとも八つ裂きにしても生温い。地下牢へ叩き落とし、すべて吐かせろ」
悲鳴を上げながら引きずられていく令嬢。
静まり返る広間の中、ルシアンはゆっくりとセリアーナに向き直った。
その瞬間、冷酷な支配者の顔は跡形もなく消え去り、今にも泣き出しそうな、狂おしいまでの執着を宿した少年の顔へと崩れた。
「セリアーナ……また、私を救ってくれたのか」
「えっ、あ、いや、その……」
ルシアンは貴族たちの前であることも構わず、セリアーナの前に跪いた。
そして、彼女の両手を自らの頬に押し当て、熱烈にすがりつくように見上げ求婚した。
「君は最初からすべてを見抜いていた。私が毒に侵されぬよう、社交界の全員から爪弾きにされるリスクを冒してまで、あの女の罠を暴いてくれたのだな……! ああ、私の知恵の女神、私の唯一無二の光……!」
「で、殿下、お立ちになって……! 皆が見ておりますわ!」
「見せつければいい! 誰が何と言おうと、君を妻にするのは私だ! 来月、前倒しで結婚式を挙げる。君を狙う輩がこれ以上現れぬよう、私の私室の最奥に軟禁……いや、世界で最も豪奢な神殿を建てて君を囲い込もう。どこへも行かせない。生涯、私の腕の中から一歩も出さないと誓う!」
全貴族から「なんと尊い絆」「国母にふさわしき名采配」と割れんばかりの拍手が湧き起こる中、セリアーナは遠い目で天を仰いだ。
(……どうしてこうなったのかしら)
悪女になって処刑を回避するはずが、出来上がったのは帝国最強のヤンデレ皇太子。
逃げ場を完全に塞がれたセリアーナの、激甘で胃の痛い新婚生活の幕が、今まさに上がろうとしていた。
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