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ハンスはしあわせとてもしあわせ :約5500文字 :パロディ

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/02/17

 ハンスは工場に七年勤め続けました。毎日同じ時刻に門をくぐり、油にまみれ、鉄の匂いを浴びながら真面目に働いてきたのです。手には小さな切り傷が絶えず、服には洗っても落ちない黒ずみがこびりついていました。それでも、働けることが誇りでした。

 ですが、ある日突然、工場長が閉鎖を告げました。淡々とした声で、覆りようのない事実を置いていったのです。

 ハンスはとてもびっくりして言葉を失いました。機械の音が止まり、同僚たちが去っていった工場内は、ひどく広く、空虚に感じられました。

 けれど、しばらくしてはっと我に返ると、ハンスは工場長にこう言いました。


「どうにか、お手当をいただけませんか」


 工場長は目を伏せ、しばらく黙り込んだあと、静かに頷きました。


「君はよく働いてくれた。今、ここで渡せるだけ渡そう」


 そう言って机の引き出しからオレンジほどの大きさの布袋を取り出し、ハンスの手のひらに乗せました。ずっしりと重く、軽く揺らすとじゃらりと硬貨同士がぶつかり合う音がしました。

 ハンスはぱっと顔を輝かせ、何度も頭を下げて工場を後にしました。

 うきうきとした足取りでしばらく歩いていると、通りを行き交う電動キックボードが目に留まりました。何台もすいすいと走り抜け、乗り手たちは風を切りながら実に気持ちよさそうに頬を緩ませているのです。


「いいなあ! キックボードいいなあ!」


 ハンスは思わず大声を上げ、近くを歩いていた通行人がぎょっとして振り返りました。


「歩かなくていいなんて最高だなあ。靴はすり減らないし、どんどん先へ進めるんだもんなあ!」


 その声を聞きつけたのか、キックボードに乗っていた男の一人がハンスの横に停まりました。


「あんたも乗ればいいじゃないか」


「乗れるものなら乗りたいですよ。この塊を家に持って帰るのが大変ですから」


 ハンスはそう言って袋を揺らし、中の硬貨を男に見せました。


「ほとんど小銭だね。それは重たいだろうに。……なあ」


「はい?」


「取り替えてあげようか。君にこのキックボードをあげるよ。代わりに、その袋を僕にくれないか」


「えっ、喜んで!」


 ハンスは考える間もなく即答しました。男はキックボードを渡して袋を受け取ると、満足げな笑みを浮かべてハンスの背中を軽く押しました。

 ハンスは勢いよく地面を蹴り、風の中へ飛び出しました。人も車も次々と追い越し、すいすいと進んでいきます。あまりの爽快さに、ハンスは声を上げて笑いました。

 しかし――ガクン!


 前輪が道のくぼみに取られ、バランスを崩したハンスは、派手に地面へ倒れてしまいました。視界がぐるんと回り、息が一瞬止まったのです。


「おいおい、大丈夫かい?」


 それを見ていた中年の男が、慌てて駆け寄って声をかけました。


「はい……いてて」


 ハンスは体をさすりながら立ち上がりました。


「ああ、この辺りは道がデコボコしてるからねえ。それ、最近流行ってるみたいだけど気をつけないと危ないよ」


「ええ。下手をしたら首の骨を折るところでしたよ。せっかく買ったのに、もう二度と電動キックボードなんて乗らないぞ」


「買った? それ、レンタルのやつだろう?」


「いいえ。乗っていた人から買ったんですよ」


「あー……なるほどね。それはそうと、もう乗らないなら私が引き取ろうか。代わりにこれをあげよう」


 中年の男はそう言って、鞄から金色の長財布を取り出しました。嫌なほどにぎらぎらと光り、太陽の光を跳ね返しています。

 ハンスは中を覗き込み、唇を尖らせました。


「なんだ、空っぽじゃないですか」


「はははは! 今はね。でもこれは幸運の財布なんだ。持っているだけで金運が上がって、お金がどんどん集まってくるんだよ」


「それはすごい! ぜひ交換しましょう!」


「いいとも。今度セミナーもあるんだ。この紙に住所と名前を書いてくれるかな? 引き寄せ、最高!」


「最高!」


 ハンスは大喜びでサインしました。中年の男はキックボードに乗って去り、あっという間にその姿は見えなくなりました。

 ハンスは金色の財布を眺めながら歩き、うまくいった取引のことを考えました。


 ――持っているだけでお金が手に入るなんて、こんなに楽なことはないなあ!


 ところが、しばらくすると喉がからからに渇いてきました。自動販売機を見つけましたが、財布は空っぽ。ポケットの中にあるのは埃だけです。

 ハンスは道端に腰を下ろし、大きなため息をつきました。

 そのとき、一人の男が近づいてきました。


「どうしましたか? どこか具合でも悪いんですか?」  


「いえ、ちょっと喉が渇いてしまいまして……」


「それはいけない。今日は暑いですからね。これをどうぞ」


 男はそう言ってペットボトルを数本差し出しました。ラベルには『超健康天然水素水』と書かれています。

 ハンスは水を受け取り、ごくごくと喉を鳴らして飲みました。そして大きく息を吐くと、男にお礼を言いました。


「ありがとうございました。おかげで助かりました」


「いいんですよ。気分がいいでしょう? その水を飲めば、健康になれる可能性が高いんです。まだ何本かありますが、よかったらいかがですか?」


「それはすごい! そうだ、この財布とぜひ交換しましょう!」


 そう言ってハンスは金色の財布を差し出しました。


「ありがとう。でも、これだけでは申し訳ないから、あとであなたの自宅にたくさん届けますよ。この紙に住所とサインを書いてください。そうそう、いいですよ」


「あなたの親切には、きっといいことがありますよ」


 ハンスはペットボトルを大事そうに胸に抱え、再び歩き出しました。

 よく考えてみれば、財布なんてなくても困らないじゃないか。水を飲むだけで健康になれるなんて、こんなに楽なことはないよな。それにしても、今日は何から何までうまくいくなあ。困ったことがあれば、必ず誰かが助けてくれるもの。天はちゃんと見てるんだなあ、とハンスはしみじみ思いました。


 しかし、しばらく歩くと、腕に抱えたペットボトルの重みがじわじわと堪えてきました。

 減らそうと思って口をつけても、味のないただの水なので、あまり喉を通りません。おなかの中でぽちゃぽちゃと音を立てるばかりです。

 ハンスはまた道端に腰を下ろし、額の汗を拭いながら大きなため息をつきました。

 そのとき、通りすがりの男が足を止め、心配そうに覗き込んできました。


「どうしました? 大丈夫ですか?」


「ええ、まあ、ただ……」


 ハンスは、工場が閉鎖された話から始め、キックボードや財布、水――これまでのいきさつを一つ残らず話しました。男は相槌を打ちながら聞き、同情するように眉を寄せ、最後には深く頷きました。そして鞄の中をごそごそと探り、白い錠剤が入った小瓶を取り出しました。


「はは、水だけ飲んでもダメですよ。こちらのサプリメントと交換しましょう。それから、ご自宅には特製のお酢を送ります。水よりもずっと健康効果が高いですからね。うちの会員が届けますから、そのときに詳しい話を聞いてみてください」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 ハンスは目を輝かせ、大喜びで差し出された紙に住所と名前を書きました。胸の内はすっかり晴れやかになり、軽い足取りで家へ向かって歩き出しました。

 僕はなんて運がいいんだろう。今日一日で、どれだけ得をしたんだろうか。そう上機嫌で歩いていると、道の端に座り込んでいる男に呼び止められました。


「お兄さん……お金、ちょっと恵んでくれないかい……?」


「お金? 持ってないよ。あるのはこれだけ」


 ハンスはサプリメントの瓶を取り出して見せました。


「なんだい、それ……。『ノーベル賞成分配合』……? 買ったのかい?」


「買ったんじゃないよ。超健康天然水素水と交換したんだ」


「へえ……で、その水は?」


「金運が上がる財布と交換したんだ」


「財布は?」


「電動キックボードと交換した」


「じゃあ、そのキックボードは?」


「これくらいの袋いっぱいに入ったお金と交換したんだ」


「で、その金は?」


「僕が七年勤めた工場の給料だったよ」


「なるほどね……」


 男は静かに頷くと視線を落とし、足元に落ちていた小石を、ハンスに見えないようそっと手のひらに包み込みました。


「……でもね、もっといいものがあるんだ。ほら、これさ」


「それはなに?」


「パワーストーンだよ。持っているだけで健康もお金も……ええと、それからいろんな運勢を全部引き寄せるんだ。どうだい、交換するかい?」


「聞くまでもないよ!」


 ハンスは即答し、サプリメントの瓶と石を交換しました。そして、満足げに歩き出しました。

 その目は喜びに満ち、きらきらと輝いていました。


「僕は後光に包まれて生まれてきたに違いない! 何だって望んだようにうまくいくんだもの。まるで天使だ! ママもそう言ってた!」


 ハンスは跳ねるように駆け出し、家のドアを勢いよく開けました。


「ただいま!」


「お帰り、ハンス。ふふ、なんだかとっても嬉しそうね」


「うん! 工場が閉鎖したんだ! でも、この石を――あれ?」


 ハンスはポケットに手を突っ込みましたが、石の感触がありません。代わりに、破れたポケットの隙間から指がひょっこりと顔を出しました。


「あらあら、また縫い直さないといけないわね。それに、工場が閉鎖だなんてかわいそうに。何かすごいものを作っていたんでしょう? なんだったかしら……波動機?」


「うん、そうだよ。波動で癌細胞を消滅させるんだ! ノーベル平和賞も受賞する予定だって工場長が言っていたのに、閉鎖なんてついてないや」


「落ち込まなくていいのよ。きっと、それも救いなの。さあ、一緒に仏壇の前に座って、お題目を唱えましょう」


「うん!」


 ――物があるから、なくしたときに苦しくなるんだ。仏さまは、僕を苦しめていたものから、とてもうまく救ってくださったんだ。


 ハンスと母親は涙を浮かべて仏さまに感謝し、お題目を唱え続けました。

 仏さまは心を軽くし、すべての重荷から解放してくださるのです。さあ、みなさんも一緒に唱えましょう。



 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経

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