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ラッキーガールな泣き虫お姉さまと、アンラッキーガールな妹ことわたくし ~悪役令嬢の汚名を着せられ、処刑台から一発大逆転を狙って見せますわ!!~

作者: まぴ56
掲載日:2026/02/05

 刃が、上がっておりますの。


 処刑場は、王都の外れにある石畳の広場でした。

 見上げれば空は抜けるほど青く、雲ひとつない。なのに足元は冷たい。石が冷えているのか、空気が冷えているのか、わたくしの血が引いているのか——それすら判別できませんの。


 広場の中心に、木の台。

 台の上に、鉄の板。

 ギロチン。


 青空を切り取る鉄が、きらりと光って——その下に、わたくしの首が、木枠でぴたりと固定されている。


 木は古い樹脂の匂いがします。削れたところから甘い匂いが立つ。血の匂いは、思ったより薄い。たぶん、丁寧に拭かれているから。

 丁寧に人を殺すのって、逆に怖いですわね。


 左右には衛兵が二列。

 槍の穂先が、少しでも動けば首筋に触れそうな距離で揃っている。

 正面には司祭の小さな壇。聖印が彫られた木の柱と、布の垂れ幕。厳かな顔をしているけれど、目は忙しい。観衆の熱に酔っている目。


 そしてその後ろ——処刑場を取り囲むように、人、人、人。


 貴族の席は前列に設けられていました。柵の内側、少し高い場所に、簡易の天幕。

 日陰になって涼しそうで、そこだけ別世界みたい。


 そこで。


 白髪の少女が、宣告しています。


「聖女フィーネの名において、ミルフィ・フォン・ルーヴェンを——」


 まっすぐな声。透明な目。まるで硝子。

 でも、その透明さが、わたくしの知っているフィーネちゃんじゃない。


 同い年。同じ学園。

 平民出身で皆に見下されて、それでも背筋だけは折れなくて。

 わたくしだけが隣に立って、同じ教科書を覗き込んで、笑って。


 ——笑って、いたはずなのに。


(……違う)


 フィーネちゃんの瞳は、わたくしを見ていない。

 “わたくし”ではなく、“罪状”を見ている目。読み上げるための目。


 目の奥に、“よそ者の言葉”が居座っておりますの。

 声の内側に、命令の匂いがする。甘くもない、苦くもない。無味の刃みたいな匂い。


(催眠……)


 分かりやすすぎますわ。

 それに、こういう手口を使う人間の顔も——分かっておりますの。


 貴族席の最前。

 天幕の縁、影の中。


 涼しい顔をしている男が一人。


 レオハルト。


 青い髪。青い瞳。センター分け。

 侯爵家嫡男らしい、完璧な姿勢。白い手袋の指先だけが、ほんの少し強く握られている。

 口元だけ、わずかに歪む。笑いではない。歪み。


(……あなたですのね)


 わたくしの婚約者。

 体面のために破棄できない。だから破棄せず、消す。

 伯爵家がどうなろうと、知らない顔で。


 ——証拠さえ、残らなければ。



 牢の中で訴えたときも、そうでしたの。


「侯爵家の嫡男が、聖女に催眠を——」


 言い終わる前に、天井の鎖が切れて灯りが落ちました。真っ暗。

 看守が慌てて転んで鍵束が水たまりに沈んで、話が霧みたいに散った。


 ああ、そうですわ。

 わたくしの不運は、肝心なところだけ、わたくしの味方をしない。



「——処刑を執行せよ」


 司祭の手が上がる。

 刃を固定していたロープが軋む。

 観衆の息が、一斉に吸われる。広場の空気が一枚薄い膜になる。


 わたくしは唇だけ持ち上げました。

 泣き顔を見せたら、負ける気がしたから。


「……ええ、どうぞ。わたくし、運が悪いだけですのにね」


 運が悪いだけ。

 それなのに、今日のわたくしは“悪役令嬢”。


 聖女様に嫌がらせをした。

 わざと災厄を起こした。

 平民を見下した。

 神を冒涜した。


 ——そんなこと、一つもしていないのに。


 むしろ。

 わたくしは、唯一、フィーネちゃんの味方でしたのに。


 そのとき。


「ミルゥゥゥ……っ!」


 空気を裂く泣き声が、処刑場の中心に突き刺さりました。


 ……あ。


 この泣き声、知ってる。心臓の裏に一瞬で届く。

 悲鳴じゃない。怒号でもない。

 ただの、みっともないくらいの“好き”の音。


 人垣が割れる。


 衛兵が止めようとして——なぜか自分の槍の柄に足を引っかけて転ぶ。

 司祭の袖が柵に絡んで、壇の段差で派手にこける。

 観衆が「えっ」と息を呑む。


 こういうときだけ、世界が勝手にコメディになるの、やめてほしいですの。


 そして、飛び込んできたのは——


 金髪のショートボブ。赤い垂れ目。涙でぐしゃぐしゃの顔。


 寝間着。


 左右違う靴。


 髪は片側だけ寝癖が跳ねて、片目の下に枕の跡まで付いている。

 走ってきたせいで息が上がって、喉がひゅっひゅっと鳴っている。


 香りだけは無駄に華やか。

 バラとキンモクセイが混ざって、むせるほど甘い。


 寝間着で香水って何してますの!? お姉さま!!


「ミルぅ……ミルぅぅ……しんじゃやだよお……っ!」


「お姉さま!?」


 セラフィナ・フォン・ルーヴェン。

 伯爵家の長女。婚約破棄されて家で風当たりが強くて、でも本人がポンコツネガティブで、放っておくとすぐ泣く人。


 ——そして、わたくしの、世界でいちばん大事な人。


 セラは衛兵の列をよじ開けるみたいに突っ込んで、ギロチン台へ駆け上がった。

 木枠越しに、わたくしへ抱きつく。


「近いですわ! 首! 固定! 固定されてますの! 息が——!」


「やだぁ……やだよぉ……ミルがいなくなるの、最悪ぅ……!」


「最悪って言いながら抱きしめるの、今はやめてくださいまし!」


 涙と香水で世界がべたべたですの。

 嫌じゃないけど——今じゃない!


 ぎゅう。

 抱きしめる力が強い。

 普段ふにゃふにゃなのに、わたくしを守るときだけ腕が本気になる。


 そのとき、わたくしの視線がセラの指に止まる。


 蛇が巻き付いた金の指輪。ダイヤモンドの目が涙の光を拾って、赤く瞬いている。

 胸元には銀のロザリオ。

 そして寝間着の紐に雑に結びつけられた、重い輝き——銀と金と、伝説のオリハルコンの飾り。エルダーロザリオ。


「……お姉さま」


「なに……? ミル、こわいの……? だいじょうぶ……?」


「今、わたくしが助かるには、四つのアイテムが必要なんですの」


「うん……うん……」


「それ、お姉さまが全部、身に着けてますわ」


「……え?」


 セラはぽかん、と口を開けて——次の瞬間、泣き顔のまま叫ぶ。


「なにそれぇぇ!? しらないよぉぉ!? わたし、なにもかんがえてないよぉぉ!!」


「でしょうね!! 香水二本つけてる時点で!!」


「まちがえたのぉ……ミルの好きな匂い、わかんなくてぇ……両方ぁ……っ」


「今は匂いの好みの話をしてる場合じゃありませんの!!」


 観衆が凍っている。

 司祭が固まっている。

 衛兵が呆然としている。

 貴族席の天幕の下で、レオハルトの手袋だけが——ぎゅ、と音を立てた。


 ——でも、わたくしは見た。


 フィーネちゃんの瞳が、ぴくりと揺れたのを。


 香りが渦を巻く。

 銀の鎖が偶然みたいにエルダーロザリオの飾りへ絡む。

 蛇の目が光り、祈りの銀が冷え、オリハルコンが鈍くうなる。


 セラは、何も考えていない。

 ただ、わたくしが死ぬのが嫌で、泣きじゃくって飛び出してきただけ。


 なのに——世界が勝手に、儀式の形になる。


 甘さが膜みたいに広がって、何かが“ほどける”気配。

 蛇が見えない糸を噛み切るような、鋭い気配。

 祈りの鎖が、呪いの鎖を引きはがす気配。


 鍵穴が、開く音がした気がしましたの。


「……ミル?」


 フィーネちゃんの声が戻った。

 昔の、やわらかい呼び方で。


 胸が、きゅっと痛い。

 嬉しいのに、泣きたいのに、笑ってしまいそうになる。


「フィーネちゃん……っ」


 フィーネはふらりと一歩前に出た。

 聖女としての威厳が薄紙みたいに剥がれ、代わりに“少女”がそこに立つ。


「……わ、たし……何を……」


 白い指が自分のローブの裾を掴む。震えている。

 でも——そこで終わらなかった。


 フィーネは息を吸って、顔を上げた。


「処刑を止めてください」


 声が、はっきりした。


 司祭が反射で言いかける。


「しかし聖女様、先ほどご自身が——」


「先ほどの私は、“私ではありませんでした”」


 フィーネは壇の前へ進む。

 処刑場の中心に立つ位置。観衆の視線が集まる位置。

 そこに、逃げずに立った。


「教会法に基づき宣言します。ミルフィ・フォン・ルーヴェンの処刑は即時停止。裁きは再審に移行。——私は証人です」


 司祭の顔色が変わる。

 観衆が息を呑む。


 “聖女が言った”——それだけで、場のルールが塗り替わる。


 フィーネはさらに続けた。


「私は外部から精神に干渉されていました。言葉が勝手に口を通っていました。……私の口で、友だちを殺す命令を出させた者がいます」


 友だち。

 その一言が、刃より鋭い。


 司祭が震える声で問う。


「……誰が、それを?」


 フィーネの視線が、貴族席の天幕へ落ちる。


 レオハルトへ。


 処刑場が氷みたいに静かになる。


 レオハルトの表情が、ひび割れた。


「……っ、ふざけるな」


 彼は無意識に一歩前に出てしまった。止めようとして止められなかった足。


「催眠が——」


 空気が凍る。


 “言ってはいけない一言”が、本人の口から零れた。


 レオハルトははっと口を押さえた。遅いですわね。


「……違う。今のは——」


 その視線がセラの指輪とロザリオに吸い寄せられる。

 唇が勝手に動く。


「その香水の比率、誰が教えたと思ってる。……あの蛇の指輪だって、元は——!」


 司祭が青ざめる。

 衛兵の手が槍を握り直す。

 観衆のざわめきが怒号に変わり始める。


「今、催眠って言ったのか?」

「聖女様に……?」

「侯爵家嫡男がそんな——!」


 フィーネは青ざめたまま、逃げずに言う。


「……レオハルト様。あなたが、私を操ったのですか」


 柔らかいのに、逃げ道を切る声。


 レオハルトはフィーネを見下した。

 そして——その見下しを隠せないほど追い詰められていた。


「黙れ。平民が」


 場の温度が一段落ちた。


「お前が入学式で余計なことを言ったせいで……!」


 彼の声が、急に生々しくなる。


「聖女の“随伴席”は、学園と教会と貴族の象徴だ。あそこは、次代の政治と権力が生まれる場所だ。——うちの侯爵家が代々、聖女の右後ろに立ってきた。俺が継ぐはずだった!」


 観衆がざわめく。

 貴族たちの何人かが、顔を強張らせる。分かるから。あの席の意味が。


 フィーネが小さく呟く。


「……随伴席は、誰かが“継ぐ”ものじゃない。神が選ぶの」


 その一言で、レオハルトの顔が歪む。


「神? 笑わせるな。お前が、勝手に奇跡を見せびらかしたせいで……ミルフィが、お前の隣に立ったんだ」


 彼の視線が、わたくしに刺さる。


「伯爵家の娘が平民の横に立って“友だち”ごっこ。——そのせいで俺は外へ押し出された。侯爵家の面子が潰れた。だから、元に戻すだけだ。席も、秩序も、全部」


 ああ。

 だからわたくしを消す。

 わたくしがいなければ、“平民の隣”は空く。空けば、そこに自分が戻れる。

 そういう算段。


 フィーネが、きっぱり言った。


「衛兵。侯爵家嫡男レオハルト——彼を拘束してください。聖女への精神干渉の疑い。ならびに、処刑執行の不正介入の疑い」


 司祭も反射で頷いた。


「……教会も同意する。拘束しろ!」


 衛兵が一斉に踏み出す。

 正義が、やっと向きを変えた。


 レオハルトの顔が歪む。


「……触るな」


 手が懐へ伸びる。短い杖。魔術の媒介。


 フィーネが息を呑む。

 セラがわたくしを抱きしめる腕に力を込める。


「ミル、こわい……なにあれ……」


「……大丈夫ですわ」


 わたくしは、息を整えた。


 ここで震えたら負け。

 ここで一歩踏み出せたら勝ち。


 そして何より——フィーネちゃんの目の前で、フィーネちゃんを二度折らせるわけにはいきませんの。


「セラ、お姉さま」


「なに……?」


「一回だけ、ぎゅってして。今、ぎゅって」


「う、うん……っ」


 香水が強い。涙が熱い。

 蛇の目が光る。銀の鎖が冷たい。オリハルコンが重い。


 わたくしは首の固定が外れた隙を突いて、台から転げるように飛び降りた。


 着地の瞬間、足が滑った。

 転ぶ——と思った。


 でも、転ばなかった。

 滑った勢いで、衛兵の槍の間をすり抜けた。


 ……不運って、こういう形もあるんですのね。


「ミル!?」


 セラの叫び。

 フィーネの息。

 レオハルトの苛立った声。


「どけ。邪魔だ。お前さえ消えれば——」


 杖が構えられる。

 指先に青い光が集まる。雷じゃない。もっと静かで、汚れない殺し。


 衛兵が距離を詰める——その瞬間。


 誰かの鎧の留め具が外れた。

 槍が一瞬もつれて衛兵がよろける。

 司祭が段差で足を取られて体勢を崩す。


 小さな不運が連鎖して、“間”が生まれる。


 わたくしの番ですの。


 わたくしは走った。

 真正面から、レオハルトへ飛び込んだ。


「え——」


 彼が目を見開く。


 わたくしは彼の胸にぎゅっとしがみついた。


 鎧みたいに硬い胸板。

 冷たい匂い。鉄と紙と、上等なインクの匂い。

 こういう匂いの人が、いちばん汚いことをしますの。


「な、何を——離せ!」


「離しませんわ」


 わたくしは、にっこり笑って言いました。


「だって、わたくしの運の悪さ、あなたにだけは似合いますの」


「ふざけるな! 放せ! 離せ!!」


 魔術が放たれる——その直前。


 空が、鳴った。


 雲ひとつない青空なのに。

 腹の底まで響く雷鳴。


 観衆が一斉に空を見上げる。

 司祭が十字を切る。

 衛兵が武器を落とす。

 セラが「ひっ」と声を漏らす。


 フィーネが、震える声で言った。


「……やめて。ミルに、触らないで」


 祈りみたいな声。


 わたくしは胸元のエルダーロザリオを握った。

 銀と金とオリハルコン。伝説の重みが、祈りの形でわたくしの輪郭をなぞる。


「やめろ! なにを——!」


「不幸の力で、自爆特攻ですの」


 怖いからこそ、明るく言う。


「お姉さまのラッキーで一発逆転、の前に。わたくしのアンラッキーで、あなたを落としますわ」


 ——そして。


 落雷が、直撃した。


 白い閃光。耳が潰れる。空気が焦げる匂い。

 身体の芯まで震える衝撃。


 でも、痛みは来なかった。


 エルダーロザリオが、わたくしの周りで光の膜になって、雷を“無いこと”にした。

 熱も衝撃も音も——わたくしのところだけ世界が少し静かになる。


 わたくしは、ただ。

 レオハルトの胸に抱きついたまま立っていた。


 レオハルトだけが。


 運悪く。


 ——崩れ落ちた。


 青い髪が土に落ちる。

 青い瞳が、どこも見ない。


 倒れる音が、やけに軽い。

 さっきまで世界の中心にいた人が、ただの肉になる音。


 その瞬間。

 わたくしの胸元で、エルダーロザリオが——一度だけ、低く鳴った。


 鈍い音。

 鍵が、奥まで回ったみたいな音。


 そして、ほんの一瞬。


 耳の奥に。

 わたくし以外の声が、囁いた気がしましたの。


 ——「開いた」。


 何が、とは言っていない。

 でも、言われた気がした。


 観衆が叫び始める。


「神罰だ……!」

「侯爵家が聖女に手を出した罰だ……!」

「拘束を——!」


 神罰。

 便利な言葉ですわね。


 でも、今はそれでいい。

 少なくとも“処刑の正義”は崩れた。


 フィーネが膝をついた。

 白い髪が揺れ、肩が小さく上下する。震えが、やっと来たみたいに。


 わたくしは一歩、彼女へ向かう。

 足がふらつく。遅れて震えが来る。

 ……不運は、いつも遅れてくるタイプですの。


 セラがふらふら駆け寄って、わたくしに抱きついた。


「ミル……ミルぅ……っ、しんでない……? しんでない……!?」


「ええ、生きてますわ。お姉さまの香水が濃すぎて、死ねませんの」


「うわぁぁぁん……よかったぁぁ……!」


 セラの泣き声が、処刑場の空気を溶かす。

 さっきまで“正義”を掲げていた人たちが、急に現実に戻っていく。


 正義って、泣き声に弱いんですのね。


 フィーネが顔を上げた。

 涙が頬を伝う。でも目は逃げない。


「ミル……わたし……わたし……」


「謝らないで」


 わたくしは、笑って言った。

 笑えるうちに言わないと、泣いてしまうから。


「フィーネちゃんは、騙されただけですの。……それに、今戻ってきた。わたくし、それで十分ですわ」


 フィーネの唇が震える。


「……怖かった。ミルを……自分の手で……」


「大丈夫。ほら、触って」


 わたくしが手を差し出すと、フィーネは迷ってから、そっと握った。

 冷たい指。震えが残っている。


 その瞬間、セラが横から割り込んで、両手でわたくしたちの手を包み込む。


「……最悪。こわい。……でも、ミルとフィーネが、手、つないでる。……よかった」


「お姉さま、感想が小学生ですわ」


「ミルぅ……」


 泣き声がまだ止まらなくて、わたくしはつい笑ってしまった。


 処刑場の空気が、ゆっくりほどけていく。


 ——終わったのだ。


 わたくしたちは、生き延びたのだ。


 しかも、わたくしのアンラッキーは、誰かを守れたのだ。


 ……救い方が派手すぎますけど。



 数日後。


 学園の廊下は、陽だまりの匂いがした。

 石造りの壁が温まって、窓から入る風が甘い。


 事件のあと、学園は一度休校になって。

 わたくしたちは色んな大人に囲まれて、たくさん質問されて、たくさん書類を書かされましたの。


「雷は偶然か?」

「聖女への精神干渉は誰の術か?」

「エルダーロザリオはどこから?」

「——“よそ者”とは何だ?」


 最後の質問だけ、少しだけ声が低かった。

 大人たちは“誰が”より、“何が”を恐れている顔をしていましたの。


 ……知りませんわ。

 わたくしはただ、運が悪いだけですの。


 でも貴族社会は、説明が欲しい。

 説明があれば、何でも“整う”。


 レオハルトの件は、侯爵家にとって大事件でした。

 けれど——彼が吐いた言葉は致命的で。


 「催眠」と言った瞬間、もう戻れない。

 「平民が」と言った瞬間、もう隠せない。

 「席が」と言った瞬間、もう小物ですの。


 侯爵家は体面を守るために沈黙しました。

 教会は聖女を守るために沈黙しました。


 そして伯爵家——わたくしの家は。


 両親がわたくしの顔を見て、何も言えなくなりました。


 ……それが、少しだけ、ざまあですの。

 でも、ざまあって、ちょっと苦い。


 その苦さは、夜に来ますの。


 金属音がすると喉が詰まる。

 刃が落ちる音が夢の中で鳴る。

 起きたら、首筋が冷たい。


 わたくしは、笑って誤魔化します。

 笑えるから、わたくしは生きている。


 ——だけど。


「ミル、今日こそ転ばないでね」


 フィーネちゃんが心配そうに言う。

 白髪のストレートロングが光を受けて柔らかく揺れる。


 事件のあとフィーネちゃんは、泣くのを我慢しなくなった。

 そして、我慢しないぶん、たまに“手”が震える。


 廊下の端で誰かが鋏を落とす音がすると、フィーネちゃんの肩がびくっと跳ねる。

 次の瞬間、彼女は深呼吸して——わたくしの方を見る。


 逃げない目。


「大丈夫ですの。今日は、お姉さまが——」


「……最悪」


 セラが小さく呟いた。


 制服姿。……ちゃんと制服を着ているだけで奇跡ですの。

 髪も整ってる。枕の跡もない。香水も——一本。


 ただ、その「最悪」は、前より少し低い声だった。

 冗談みたいに聞こえて、でも目が本気ですの。


「……今、花瓶が落ちそう。ミル、避けて」


「え?」


 次の瞬間、廊下の端の花瓶が、誰も触っていないのにぐらりと傾いてこちらへ倒れてきた。


「ミル!!」


 フィーネちゃんが叫ぶ。


 わたくしが避けるより早く、セラが真顔のまま花瓶を受け止めた。


 花瓶は——なぜか、セラの腕の中でぴたりと止まる。


 落ちない。割れない。水もこぼれない。


 セラは息を吐いて、肩をすくめる。


「……ほら。最悪って言ったから」


「お姉さま、予知みたいに使うのやめてくださいまし」


「……だって、こわいんだもん」


 セラの指が、わたくしの袖を掴む。

 前より少し強い。


「ミル、また……ああいう所に行くの、最悪」


 冗談じゃない。

 でも泣き声でもない。


 ——あの日の続きの言葉。


 フィーネちゃんが、そっと息を吐いた。


「……ミル。今日、放課後、一緒に図書室行こう。授業、ちゃんと受けたい」


「ええ、もちろんですの。わたくし、教科書を落としても拾いますわ」


「落とさないでって言ってるんだよ」


 ツッコミが昔みたいで。

 胸がふわっと軽くなる。


 事件のあと、わたくしたちは少しだけ距離をとっていました。

 フィーネちゃんが悪いわけじゃない。


 でも“自分の手で殺しかけた”記憶は、彼女の心を噛み続ける。


 だからわたくしは、わざといつも通りにしました。

 いつも通り笑って、いつも通り隣に立って、いつも通り歩く。


 そうすれば、戻ってくると信じたから。


 セラはそれを見て、ちょっとだけ拗ねますの。

 お姉さまはネガティブだけど、嫉妬はちゃんとする。


「……ミル」


 袖を引く。


「なんですの?」


「……フィーネと話すの、いいけど……ミル、わたしのことも、見て」


「見てますわよ」


「……もっと……」


「……お姉さま、欲張りですのね」


「最悪……でも……ミルが好き……」


「最悪って言うのやめてくださいまし!」


 フィーネちゃんが、くすっと笑った。

 その笑いが、胸の奥の硬いところを少しだけ溶かす。


「……二人、仲いいね」


「仲いいですの。お姉さまはポンコツですが」


「ポンコツじゃないよぉ……」


「ポンコツですの」


 セラが唇を尖らせて、フィーネちゃんはまた笑う。


 こういう日常が欲しかった。


 処刑台なんて、いらなかった。


 でも——あそこまで行かなければ、わたくしたちは手を繋げなかったのかもしれない。

 そう思うと、貴族社会って、やっぱり最悪ですわね。


 セラが、わたくしの手をぎゅっと握る。

 フィーネちゃんが反対側からそっと重ねる。


 あの日、処刑場で戻ってきたものが、今、ここにある。


「大丈夫ですわ」


 わたくしは明るく言いました。


「わたくし、運が悪いだけで——負けませんの」


 セラが鼻をすすって、フィーネちゃんが笑って。


 わたくしたちは三人で、昼下がりの廊下を歩いていく。


 たまに落雷の気配がしても。

 たまに花瓶が倒れてきても。

 たまに階段の段数が増えてても。


 セラが「最悪」と呟けば、なぜか助かって。

 フィーネちゃんが「ミル、こっち」と手を引けば、なぜか転ばなくて。

 わたくしが笑えば、なぜか世界がちょっとだけ優しくなる。


 ただ——胸元のエルダーロザリオだけは、ときどき低く鳴りますの。


 鍵が、どこかで回っている音。


 何の鍵かは、まだ分かりませんわ。

 でも、分からないままでも——わたくしたちは手を繋いで歩ける。


 それでも。


 楽しい学園生活を送りましたとさ。

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