第4話 深き森の殺意と、見えざる守護者
「いいかアテナ。今回のミッションは、あくまで『薬草採取』だ。決してドラゴンを狩りに行ったり、魔王城の裏口を探したりするわけじゃない。いいね?」
「は、はいっ! 分かってますダイチさん! 薬草ですよね! 村の皆さんのための!」
村から少し離れた「迷わずの森」。俺とアテナは、腰にカゴをぶら下げて歩いていた。
ことの発端は、村の薬草在庫が切れたことだ。本来なら村の狩人が取りに行くのだが、生憎と風邪が流行っており、人手が足りない。そこで「賢者様と聖女様なら安心だ」という村長のキラキラした瞳に断りきれず、こうして森へ入ることになったのだ。
(……怖い。めちゃくちゃ怖い)
俺は平静を装いながら、周囲をキョロキョロと警戒していた。ここは魔物が少ない森と言われているが、ゼロではない。俺の戦闘力は、怒った野良猫にも負ける自信がある。
「あ、ありました! 『月光草』です!」
アテナが嬉しそうに駆け出す。木漏れ日の中、可憐な白い花が咲いていた。彼女が丁寧に摘み取る姿は、まさに絵画のようだ。
「ふふっ、これでお婆ちゃんたちの咳も止まりますね」
「そうだね(早く帰りたい)」
順調だ。順調すぎる。カゴがいっぱいになった頃、俺は「撤退」の二文字を口にしようとした。
その時。
ピタリ、と森の音が止んだ。鳥のさえずりも、虫の羽音も、風の音さえも。
「……え?」
アテナが不思議そうに顔を上げる。俺の背筋に、冷たい氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。この感覚、知っている。「雪山」でナイフを突きつけられた時と同じ。「死」の気配だ。
「グルルルル……」
茂みの奥から、地を這うような唸り声が響いた。 一つ、二つ、三つ。闇の中から浮かび上がったのは、燃えるような紅い瞳。
現れたのは、狼だった。だが、普通の狼ではない。 体長は牛ほどもあり、漆黒の毛並みは闇そのもののように揺らめいている。
「『シャドウ・ファング(影牙狼)』……!?」
アテナが悲鳴のような声を上げた。俺の脳内検索も即座にヒットする。Bランクモンスター。集団で狩りを行い、獲物を骨の髄まで食らい尽くす森の殺し屋。 それが五匹。
(終わった……。また、ここからやり直しか……?)
俺の足が震える。逃げられない。囲まれている。 だが、隣でアテナがガタガタと震えながら、杖を構えた。
「だ、ダイチさんは……私が、守ります……!」
涙目だ。足もすくんでいる。それでも彼女は、俺の前に立とうとした。その姿を見た瞬間、俺の中で恐怖よりも「情けなさ」が勝った。
(ふざけんな俺。女の子を盾にして死ぬのか?四度目の人生だぞ?)
俺は震える足を踏ん張り、アテナの前に出た。
「下がっていろ、アテナ」
「えっ、でも……!」
「いいから下がれ!」
俺は狼たちに向き直り、ハッタリ全開で両手を広げた。
「――去れ。今なら見逃してやる。俺は今日、機嫌がいいんだ」
精一杯のドヤ顔。声の震えを必死に抑える。さあどうだ。賢者の威圧感に恐れをなして逃げろ!
だが。リーダー格の狼は、嘲笑うかのように鼻を鳴らした。コイツらには通じない。「強者」のオーラがないことを見透かされている。
「ガアァァァァッ!!」
合図と共に、三匹が一斉に飛びかかってきた。速い。目で追えない。死ぬ。喉笛を喰いちぎられる。
「嫌だぁぁぁぁっ! ダイチさんっ!!」
アテナの絶叫が響く。俺は反射的にアテナを抱きしめ、背中を向けた。せめて、痛みが一瞬でありますように。
……
…………
しかし、痛みは来なかった。代わりに聞こえたのは、ヒュンッという風切り音と、ドサッ、ドサッという重いものが落ちる音だけ。
「……?」
恐る恐る目を開ける。そこには、信じられない光景が広がっていた。
飛びかかってきたはずの三匹の狼が、地面に突っ伏してピクリとも動かない。残りの二匹が、恐怖に顔を歪めて後ずさりしている。
そして、俺たちの前に、**「誰か」**が立っていた。
逆光で顔は見えない。ボロボロの灰色のマントを羽織っている。その手には、身の丈ほどもある「日本刀」のような細身の長剣が握られていた。
「グルッ……キャインッ!!」
残った狼たちが、脱兎のごとく逃げ出した。謎の人物は、それを追おうともせず、ただ静かに刀を振って血糊を払った。
「あ……あの……」
俺が声をかけようとした瞬間、強烈な睡魔――いや、何らかの「波動」が俺たちを襲った。意識が急速に遠のいていく。
(……助けて、くれたのか……?)
視界が暗転する直前。その人物が、こちらを振り返った気がした。フードの奥で、金色に輝く獣のような瞳が、一瞬だけ見えた。
***
「――んっ!?」
俺はガバッと起き上がった。そこは森の中だった。夕暮れの光が差し込んでいる。
「ダイチさん! よかった、気がついたんですね!」
アテナが泣きそうな顔で覗き込んできた。彼女には怪我ひとつない。
「アテナ……狼は? あの剣士は?」
「え? 剣士……ですか?」
アテナはキョトンとして、周囲を指差した。
そこには、三匹の『シャドウ・ファング』の死骸が転がっていた。一撃。すべてが首を一刀両断されている。神業のような剣技だ。だが、あのマントの人物の姿は、どこにもなかった。
「私、怖くて目を瞑っていて……気がついたら狼たちが倒れていて、ダイチさんが気を失っていたんです」
アテナは頬を染めて、熱っぽい視線を俺に向けた。
「また、助けてくれたんですね。ダイチさんが」
「……はい?」
「私には見えましたよ? ダイチさんの体から、すごい魔力が溢れ出して、目に見えない速さの『風の刃』が狼たちを切り裂いたのが!」
「い、いや……俺はずっと君を抱きしめて……」
「そう! 私を守りながら、無詠唱で、しかも一歩も動かずに敵を全滅させるなんて! やっぱりダイチさんは最強の賢者様です!」
アテナの中で、またしても「俺の伝説」が捏造されていた。違う。俺じゃない。誰か別の、とんでもない強者がいたんだ。
だが、その人物は名乗りもせずに去っていった。 一体何者なんだ? なぜ俺たちを助けた?
俺は狼の死骸に残る、鋭利な切断面を見つめた。 背筋が震える。
この村の周辺には、俺の知らない「何か」がいる。
「さあ、帰りましょうダイチさん! 今日はご馳走にしますからね!」
アテナが俺の手を引く。その温もりに安堵しつつも、俺は森の奥闇をもう一度だけ振り返った。
……とりあえず、今日のところは生き延びた。謎の救世主に感謝しつつ、俺は「自分が倒した」という濡れ衣(名誉)を着たまま、村への帰路につくのだった。




