第3話 賢者(仮)とポンコツ聖女の救急医療
黄金色の麦畑を渡る風が、穏やかな朝を告げていた。 木造の古びた小屋の窓から、やわらかい陽光が差し込んでいる。
俺、杉田大智にとって、この世界で迎える三回目の朝だった。 三回目。たったそれだけのことだが、過去の「雪山(滞在五分)」「ジャングル(滞在十分)」「海底(滞在数秒)」というハードコアな転生遍歴を持つ俺にとっては、奇跡的なロングラン記録である。
「……死んでない。今日の俺も、生きてる」
寝台の上で自分の手掌を見つめ、生存確認を行うのが日課となっていた。天井がある。床がある。そして何より、キッチンからトントンという包丁の音(時折、ダンッ! という不穏な音も混じるが)が聞こえてくる。
「ダイチさーん! 起きてますかー? 朝ごはん、もうすぐ爆発……あ、いえ、完成しますよー!」
可愛らしい声が聞こえた。俺の命の恩人であり、この家の主。そして、俺がこの世界で守るべきヒロイン、アテナだ。
アテナ。戦女神や知恵の女神を連想させる高貴な名前だが、実態は少し違う。
俺はベッドから起き上がり、着古したジャージの埃を払って、リビングへと顔を出した。
「おはよう、アテナちゃん。……あのさ、今『爆発』って言わなかった?」
「お、おはようございますダイチさん! い、言ってません! ただちょっと、かまどの火加減が難しくて、薪を入れすぎたらボワッてなって、鍋の蓋が天井に刺さっただけです!」
アテナは顔を煤だらけにして、エヘヘと笑った。栗色の三つ編みが揺れる。
彼女は元々、王都の教会で「聖女見習い」をしていたらしいのだが、あまりのドジさと、肝心な時に魔法を失敗するあがり症が原因で、辺境のこの村に左遷――もとい、「長期出張」を命じられたのだという。
俺が見上げた天井には、確かに鍋の蓋が見事に突き刺さっていた。 物理攻撃力が高すぎる。
「そ、そうか。元気で何よりだ。手伝おうか?」
「めっ、滅相もございません! 賢者様であるダイチさんに家事なんてさせられません! 座っていてください!」
アテナは俺の肩を押し、椅子に座らせた。そう、ここには一つの重大な「勘違い」が存在する。
俺は彼女に、自分が「異世界から来た」とは伝えたが、「何の力もない」とは言っていない。 結果、アテナの中で俺は『異界の知識を持つ高名な賢者様』ということになってしまっているのだ。
「お待たせしました! 本日の朝食は、黒パンと、森のキノコの特製スープです!」
ドン、と置かれた皿の中身を見る。パンは硬度的に鈍器として使用可能。スープは……毒沼のような紫色をしており、得体の知れない泡がポコポコと湧き上がっていた。
「……アテナちゃん。このスープの色は?」
「はい! 『シビレダケ』というキノコを間違えて入れちゃったんですけど、煮込めば毒も抜けるかなって!」
「抜けないよ!? 煮詰まって濃縮されてるよ!?」
俺は心の中で悲鳴を上げた。ジャングルでの毒死の記憶がフラッシュバックする。だが、アテナのキラキラした期待の眼差しを見ると、「食べない」という選択肢は選べなかった。
(……落ち着け。ジャングルの毒で死んだ時、一度『解毒』された経験がある。俺の体には抗体ができている……はずだ!)
根拠のない自信でスプーンを口に運ぶ。
「……んぐっ!!」
舌が痺れる。視界が明滅する。だが、俺は震える手で親指を立てた。
「う……うまい……(意識が飛びそうだ)」
「よかったぁ! やっぱり賢者様ですね! 普通の人が食べたら三日は寝込むって後で気づいたんですけど、ダイチさんなら大丈夫だって信じてました!」
殺す気か。だが、この笑顔が見られるなら、少々の麻痺毒くらい安いものだ。俺はスープを完食し、気絶しそうになるのを必死で耐えた。
***
朝食後を終え、俺は家の裏手で薪割りをすることになった。 賢者設定を守るため「魔力の循環を高める運動だ」と嘘をついているが、単に居候としての罪悪感を減らすための労働である。
「よし……やるか」
目の前には太い丸太。手には鉄の斧。 俺は大きく息を吸い込み、斧を振り上げた。
「せいっ!」
カィン。軽快な音が響いた。斧の刃は丸太に数ミリ食い込んだだけで、ビクともしない。逆に衝撃で俺の手首が悲鳴を上げた。
「いっ、たぁ……!」
なんだこの硬さは。この世界の木は鉄分でも含んでいるのか。それとも俺の筋力がスライム以下なのか。 斧を引き抜こうとするが、抜けない。足をかけて踏ん張る。抜けない。
その時、洗濯物を干していたアテナが通りかかった。
「あれ? ダイチさん、どうしたんですか? 斧を握ったまま固まって……」
「あ、いや……これはね」
俺は脂汗を流しながら、必死で言い訳をひねり出す。
「この斧と、木との『対話』をしているんだ。無理に力で断ち切るのではなく、木が自ら割れたいと願うポイントを探っているというか……」
「な、なるほど……! 物理的な切断ではなく、概念的な切断の準備…… すごいです!私、ただ力任せに振ればいいと思ってました!」
アテナは尊敬の眼差しでメモを取り出した。チョロい。チョロすぎるぞ元聖女。
「ちなみにアテナちゃん、これ、君なら割れる?」
「え? はい、普通に」
アテナは俺から斧を受け取ると(俺が五分かけて抜けなかった斧を片手で引き抜き)、「えいっ」と軽く振り下ろした。
パコォォォン!!
小気味よい音と共に、丸太が真っ二つに弾け飛んだ。ついでに下の薪割り台まで真っ二つになった。
「……」
「ああっ! また台まで割っちゃった! ごめんなさい、私ってば力の加減ができなくて……」
「いや、いいんだ。……すごいね(ゴリラか?)」
この世界、やはりステータスの格差が激しい。俺は改めて、戦闘などは彼女に任せ、自分は「知恵」で生きていこうと心に誓った。
その時だった。村の方から、土煙を上げて誰かが走ってくるのが見えた。村長のハンスさんだ。白髪の老人が、血相を変えて叫んでいる。
「アテナ様ーっ! アテナ様はおられるかーっ!!」
ただ事ではない雰囲気。アテナが洗濯カゴを取り落とす。
「そ、村長さん!? どうしたんですか!?」
「大変なんじゃ! わしの孫のレオが……レオが、農具置き場で遊んでいて、鎌で足を切ってしもうた!」
「えっ……!?」
「血が止まらんのじゃ! アテナ様、どうか治癒魔法を……!」
アテナの顔色がサァッと青ざめるのが分かった。彼女のトラウマ。治癒魔法の失敗。震える声で彼女は言った。
「わ、私……私が行っても、また失敗したら……もっと酷いことに……」
「そんなこと言ってる場合じゃないんじゃ! このままじゃレオが死んでしまう!」
村長の悲痛な叫び。アテナは恐怖で足がすくんでいる。彼女の脳裏には、過去に教会で「役立たず」と罵られた記憶が蘇っているのだろう。
俺は、震える彼女の肩に手を置いた。
「行こう、アテナちゃん」
「だ、ダイチさん……でも……」
「大丈夫だ。俺がついている。賢者の俺がサポートするから、絶対に失敗しない」
根拠? そんなものはない。俺にあるのは、中途半端な現代知識と、虚勢だけだ。
だが、ここで引いたら男じゃない。それに、俺はこの平和な生活を守りたい。そのためには、彼女に自信を取り戻してもらう必要がある。
「……はい」
俺たちは村長の案内で、村の中心へと走った。 ……正直、俺だけ開始十秒で息切れして遅れそうになったが、アテナに手を引かれて(引きずられて)なんとか現場に到着した。
***
村の広場には人だかりができていた。その中心で、十歳くらいの少年、レオが横たわっている。
太ももから大量の血が流れていた。錆びた鎌で深く切ったらしい。顔面は蒼白で、意識が朦朧としている。
「ひっ……!」
傷口を見た瞬間、俺の視界がクラリと揺れた。
ダメだ。自分の死に様(ナイフ、毒、出血)を思い出してしまう。吐きそうだ。逃げ出したい。
だが、隣のアテナはもっと重症だった。血を見ただけで過呼吸になりかけている。
「あ、あ、あ……」
「しっかりしろアテナ! まずは傷を見るんだ!」
俺は自分を奮い立たせ、レオの傷口に近づいた。
深い。だが、動脈まではいっていない……多分。静脈性の出血だ。これなら、現代の応急処置でなんとかなる。
村人たちが不安そうに俺を見ている。「誰だこのジャージの男は」という視線が痛い。
「村長! 綺麗な布と、あと『火酒』はあるか!? 度数の高い酒だ!」
「さ、酒!? こんな時に宴会をするつもりか!?」
「違う! 消毒に使うんだ! 急げ!」
俺の剣幕に押され、村長が走り出す。
数分後、酒瓶と布が届けられた。
俺は酒を傷口にぶっかけた。
「ぎゃあああっ!!」
意識を取り戻したレオが激痛で叫ぶ。村人たちがどよめく。
「な、何をするんじゃ! 傷口に毒水をかけるなんて!」
「黙って見ていろ! これは『見えない悪魔』を殺しているんだ!」
俺は叫び返すと、清潔な布を傷口に当て、全体重をかけて圧迫した。
直接圧迫止血法。 地球では常識だが、魔法に頼りきったこの世界、特に田舎の村では知られていない概念かもしれない。
「アテナ! 君は何が見える!?」
「えっ……えっ!? ダ、ダイチさんが、レオ君の足を……押して……」
「違う! 俺は今、血管の暴走を物理的に封じ込めている! だが、傷を塞ぐのは俺にはできない。それは『聖女』の仕事だ!」
俺は汗だくになりながら、アテナを見上げた。
「アテナ、魔法を使え」
「む、無理です! 私、詠唱を間違えるし、魔力のコントロールも下手で……」
「詠唱なんて飾りだ! イメージしろ!」
俺はハッタリを重ねる。
「いいか、傷口が塞がる様子を具体的にイメージするんだ。細胞の一つ一つが手を繋ぎ、皮膚が再生していく映像を脳内で再生しろ! 神に祈るな! 自分に命令しろ!」
「イ、イメージ……」
「そうだ! 俺が悪い菌は殺した! 血の流れも止めた! あとは君が『治れ』と命じるだけだ! 君はアテナだろ!? この村を守る女神なんだろ!?」
アテナの瞳が揺れた。彼女は深呼吸をし、震える手をレオの足にかざした。俺の手の上から、彼女の温かい手が重なる。
(お願い……治って……!)
アテナが閉じた瞼の奥で、必死にイメージを紡ぐ。 それは、いつも教会で教わっていた堅苦しい祈りの言葉ではなかった。ただ純粋に、目の前の少年を助けたいという願い。そして、ダイチさんが「大丈夫だ」と言ってくれた安心感。
「……《ヒール》ッ!!」
彼女の口から、短く、力強い言葉が放たれた。
カァァァッ!
眩い光が溢れ出した。いつもの頼りない光ではない。直視できないほどの純白の輝きが、俺の手とレオの足を包み込む。温かい。いや、熱いほどの生命エネルギーの奔流。
数秒後、光が収束した。俺は恐る恐る、圧迫していた手を離した。
「……嘘だろ」
そこには、傷跡一つない、綺麗な肌があった。塞がった、というレベルではない。カサブタすら残さず、完全に再生していた。
静寂が場を支配する。やがて、レオがむくりと起き上がった。
「あれ……? 痛くない……」
その言葉が引き金となり、ワァァァァッ!と歓声が爆発した。
「すげぇ! 完全に治ってるぞ!」
「アテナ様がやったんだ! 奇跡だ!」
「いや、あの旅人の男もすごかったぞ! 『悪魔殺しの水』を使ったんだ!」
村長が涙を流して俺たちの手を取りに来る。 もみくちゃにされる中、アテナが俺を見た。その瞳は、潤んでキラキラと輝いていた。
「……できました。私、できました……!」
「ああ。完璧だったよ、アテナちゃん。……ちょっと効きすぎて、レオの足のムダ毛までフサフサに再生してるけど」
「も、もう! ダイチさんっ!」
アテナは泣き笑いのような顔で、俺に抱きついてきた。 柔らかい感触と、日向の匂い。俺は硬直しながらも、彼女の背中にそっと手を回した。
「ありがとうございます……! ダイチさんが導いてくれたからです。あの『イメージしろ』という言葉、魔法の極意だったんですね! 古代呪文の省略詠唱法……噂には聞いていましたが、まさかこんな間近で見られるなんて!」
また一つ、盛大な勘違いが生まれたようだ。俺はただ「気合いで治せ」と言っただけなのだが。
「まあ、……結果オーライってことで」
俺は苦笑いをした。 村人たちの笑顔。アテナの自信に満ちた表情。この瞬間、俺は確かに思った。
ここだ。俺の居場所はここにある。 もう、理不尽な死なんて訪れない。この「賢者(偽)」と「聖女(覚醒)」のコンビなら、どんな困難も乗り越えていけるはずだ。
空を見上げると、いつの間にか太陽が高く昇っていた。 四度目の人生。どうやら今度こそ、ハッピーエンドのルートに入ったらしい。
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