第10話 名の無き剣
カン、カン、カン……。
鉄を打つ音が、俺の心臓の鼓動と重なる。
三ヶ月。
俺がこの煤だらけの街で、ガンテツ親方の弟子になってからそれだけの時が流れていた。
「腰が入ってねぇぞ! 鉄の呼吸に合わせろ!」
「はいッ!」
俺はハンマーを振り下ろす。
ジュワァァァッ!!
打ち終えた鉄を水につける。
出来上がったのは、一本の鋤の刃。
不恰好だが、土を掘るには十分だ。
「……ふん。前よりはマシになったな」
親方がぶっきらぼうに検品し、棚に置いた。
合格だ。
俺は安堵の息を吐き、煤で汚れた手拭いで顔を拭った。
***
その日の夜。
夕食の席で、ミナさんが嬉しそうに言った。
「来週はポチの六歳の誕生日ね。とびきりのシチューを作るわ」
「わーい! お肉! お肉たべたい!」
ポチが椅子の上で飛び跳ねる。
ガンテツ親方も、髭の奥で目尻を下げている。
――ドクン。
俺の心臓が、嫌な音を立てた。
幸せ。祝い。誕生日。
それらは全て、あの「白い少年」を呼び寄せる狼煙だ。
(……怖い)
スプーンを持つ手が震える。
もし、ポチの誕生日にあいつが現れたら?
魔法も使えない、剣技も錆びついた今の俺に、何ができる?
「ダイチにいちゃん!」
ポチが俺の服の裾を引っ張った。
その無垢な瞳。俺を信じ切っている眼差し。
「ボクね、たんじょうびプレゼント、にいちゃんのつくったものがいい!」
「……俺の、作ったもの?」
「うん! パパみたいな、つよくてかっこいいやつ!」
断れない。
俺は震える声で答えた。
「……わかった。最高に強いのを、作ってやるよ」
約束してしまった。
もう後戻りはできない。
なら、作るしかない。
魔法に頼らず、神に頼らず、ただの物理法則だけで、あの「理不尽」を切り裂く武器を。
***
深夜。
家族が寝静まった工房に、俺は一人立っていた。
炉の火は落ちているが、残り火が俺の顔を赤く照らしている。
俺は作業台に向かい、素材置き場から硬度の違う数種類の鉄屑を選び出した。
脳裏に浮かぶのは、4度目の人生での記憶だ。
あの日。魔王軍の幹部に追い詰められ、アテナもガロンも倒れ、俺の魔法も尽きた絶体絶命の時。
颯爽と現れた**「あの人」**。
名前も名乗らず、顔も見せず、ただ一振りの剣で敵を両断した謎の剣士。
あの剣には、魔力なんて微塵も宿っていなかった。
なのに、魔法障壁ごと敵の装甲を紙のように切り裂いた。
後でその剣の破片を見た時、俺は戦慄した。
――積層。
数千、数万回と叩き、折り返し、鉄の純度を極限まで高め、分子レベルで結晶の向きを揃えた**「ただの鉄」**。
魔法ではなく、狂気じみた技術の結晶。
(あれなら……作れるかもしれない)
今の俺には魔力がない。だからこそ、鉄と対話することだけに集中できる。
俺はハンマーを握った。
カン……カン……。
音を殺して、慎重に鉄を叩く。
硬い鉄を芯にし、粘りのある鉄で包む。
叩く。伸ばす。折り返す。
叩く。伸ばす。折り返す。
一回、十回、百回……。
腕が悲鳴を上げる。
皮が破れ、血が柄に滲む。
それでも止めない。
(不純物を追い出せ。弱さを叩き出せ)
俺の弱さ。甘さ。過去の後悔。
それらすべてを鉄の中に叩き込み、熱で焼き尽くす。
「守りたい」という祈りだけを残して。
カンッ! カンッ!
いつしか、俺の視界から工房の風景が消えた。
あるのは赤熱した鉄と、ハンマーの軌道だけ。
無心。
あるいは、ゾーン。
俺は、ただ鉄を打つ機械になった。
***
翌朝。
朝日が昇る頃、俺の手には一本の短剣が握られていた。
装飾は一切ない。
武骨で、黒ずんだ鉄の塊に見える。
だが、その刃の断面には、肉眼では見えないほどの微細な波紋が無数に走っていた。
物理特化型対抗刃。
魔法を弾き、硬度を無視して噛みつく「鉄の牙」。
俺は、床に転がっていた太い鉄の鎖を拾った。
短剣を軽く振るう。
ヒュン。
音がしなかった。
鎖が、音もなく真っ二つに分かれて落ちた。
「……できた」
成功だ。
これなら、どんな装甲も、どんなバケモノの皮膚も切り裂ける。
あの白い少年の「物理的な肉体」さえも。
「……おい、早起きだなダイチ」
背後から声をかけられ、俺はビクリと肩を跳ねさせた。
ガンテツ親方だ。
眠そうな目をこすりながら、切断された鎖と、俺の手にある短剣を交互に見ている。
「ん? 何を作ってたんだ。……見せてみろ」
隠す間もなく、親方に短剣を取り上げられた。
終わった。
人殺しの道具を作ったと軽蔑される。
親方は鞘から刃を抜き、朝日透かしてじっと見つめた。
長い、長い沈黙。
親方の目つきが変わる。職人の目だ。
「……お前、魔法は使えねぇと言ってたな」
「……はい。使えません。才能がないんです」
「だろうな。こいつには魔力のカケラもねぇ。だが……」
親方は指で刃の平を弾いた。
キィィィィィン……と、澄んだ音が長く響く。
「こいつは、執念の塊だ。鉄が悲鳴を上げるほど叩き締められてやがる。……尋常な神経じゃ作れねぇ」
親方は俺の目を見た。
全てを見透かすような、厳しくも温かい目。
「いいか、ダイチ。こんな物騒なもん、ポチには渡せねぇ」
「……はい」
「これはお前が持っておけ。……ポチには、俺が作ったペーパーナイフをやる」
親方は短剣を鞘に戻し、俺に返した。
「その牙は隠しておけ。平和な街で抜くもんじゃねぇ。だが、どうしても守らなきゃならねぇもんができた時だけ……それを信じろ」
親方は、俺の過去も、この短剣に込めた殺意も、すべて飲み込んで許してくれた。
「……ありがとうございます、親方」
俺は短剣を懐にしまった。
ずっしりとした重み。
それは魔法のような万能な力ではない。
壊れれば終わりの、ただの物質だ。
だが、だからこそ信頼できる。
俺はもう、英雄にはなれない。
ただ、この煤だらけの街で、鉄を打つ一人の職人として、大切なものを物理的に守る。
(来れるものなら来てみろ、バグチェッカー)
懐の奥で、鉄の牙が静かに冷気を放っていた。
俺は煤で汚れた顔を上げ、朝日に向かって大きく息を吸い込んだ。
杉田大智、五度目の人生。
職業:鍛冶屋見習い。
装備:無銘の短剣
反撃の準備は整った。




