プロローグ
世界から音が消えた。
正確には、音が雪に食われてしまったのだ。空から舞い降りる結晶は、無数に降り積もる沈黙となって、森のざわめきも、遠い街の喧騒も、すべてを等しく無に帰していく。
その「無」の真ん中で、杉田大智は仰向けに倒れていた。
大智の視界には、ただ重く垂れ込めた鉛色の空だけが広がっている。 胸元に深く穿たれたナイフの柄が、彼の心臓の鼓動を刻むたびに小さく震えた。肺を抉るような冷気が鼻腔を抜け、喉の奥を凍らせる。
「……あ、が……」
声にならない呻きが、薄い白濁の吐息となって空に溶ける。 傷口から溢れ出した鮮血は、純白の雪を熱で溶かし、不規則な紅いクレーターを描いていた。それは雪原に咲いた、あまりにも毒々しい彼岸花のようだった。
意識が、指先の感覚から順に遠のいていく。 脳裏をよぎるのは、昨日の温かいコーヒーの湯気か、それとも誰かに向けたはずの、今となっては無意味な微笑みか。
なぜ、自分がここで果てなければならないのか。 その答えを知る者は、もうここにはいない。ただ、彼を見下ろしていた冷徹な瞳と、雪を蹴って去っていった靴音の残響だけが、急速に凍りつく大智の意識の淵に残っていた。
雪は残酷なほどに平等だ。 善人も悪人も、未練も執着も、すべてをただ冷たく、静かに、優しく包み込んで隠してしまう。
大智の瞳に映る空が、ゆっくりと白く濁っていく。 やがて彼の体温が雪と同じ温度になったとき、この紅い惨劇もまた、白銀の静寂の下へと埋葬されるだろう。
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