第3話 動いていては、殺せない
「姉弟探偵の二人が、船着き場へ向かう途中の桟橋で、
一羽の海鳥が嘴で何かを突いていた。
二人が近づいてみると、このあたりのカラフルな南国魚ではなく――
極寒の海が似合いそうな、青みがかった大きなサンマのような魚だった。
魚の胴から下は食われてしまったのか、頭だけが残っていた。
名探偵の姉は、それを見つめ、ひとつの違和感に気づく。
――これが、プロローグじゃ」
話を聞きながら、僕は、マグボトルの麦茶をまた一口飲んだ。
向こうでも、ひと息つく音。権造――なぜかワンカップを想像した。
「はいはい、分かりました。
レティーシャにも推理しろって事ですね。
じゃあ、事件の背景を教えてください」
僕は、権造の気が済むまで付き合うしかないと観念した。
「殺された男はな、五年前――通信機器の部品を作る小さな町工場を、
外国人労働者への長時間労働で“告発”した。
だが、それは虚偽だった」
「虚偽の……暴露?」
「ああ。だがネットの噂は止まらん。
風評被害で、大手との取引が次々と切られた」
「風評被害。ネットとか見ても、よくありますね」
「結局、従業員二十人足らずの町工場は、一年後に多額の借金を抱えて倒産。
経営者の女性は――自殺をした」
権造の声が、ほんの少しだけ低くなった気がした。
「その工場を立ち上げた夫は三年前に癌で亡くなっとる。
残された従業員を守ろうと、事務をしていた妻が引き継いだんじゃが……」
「……」
僕は、胸の奥に小さな重さを感じた。
「その時、大学生だった一人息子のAは、翌年卒業すると名字を母方に変え、
殺された男の手伝いをはじめた」
「え……?」
「もちろん、Aがその息子だったと分かるのは、物語の最後の最後じゃ。
今日は特別サービスで先に教えてやっとる」
「はぁ、どーも」
思わず、モニターの前で頭を下げてしまった。
権造が、ふっと笑って続けた。
「それで二年が過ぎる頃、
Aは危険な事も厭わず、多少の法を犯すことさえ、男の指示があれば躊躇しなくなった。
そんな従順な態度を見て、半年前に男はAを側近のスタッフの一人として雇ったんじゃ」
「んーん、なんだか悲しい話ですね。……それで、死体発見時の状況は?」
僕は、母親が苦労する話は好きではなかった。
「潜水艇から連絡が途絶え――十時十五分、クルーザーの傍に引き上げた。
殺害予告が事実なら、まだ艇内に犯人がいる可能性がある。
だからスタッフの多くは『警察が来るまで待て』と主張したが、Aは違った。
無線だけでなく電源系にも異常があれば、このままでは酸素供給が止まってしまう――
そう考えたAは、『社長を早く助けなければ死んでしまう』と言って、他の者を押しのけてハッチを開けた」
僕は画面の前で、思わず息を呑んだ。
「スタッフは遠巻きにAの様子を見ていた。
Aは大声で社長の名を呼んだが、返事はない。
それで中へ降りていくと――突然、Aの悲鳴が上がった」
「えっ!? まさか、……Aも」
「いや。間もなくAがハッチから這い出してきた。
シャツの胸や腕には真っ赤な鮮血がつき、甲板には血で汚れた足跡が残った。
その瞬間、Aは足を滑らせ――海へ落ちてしまう」
「海に……。それで、凶器は?」
「クルーザーは潜水艇を吊り上げたまま、
まるで“捕獲した獲物”のような格好で錨を下ろし、その場に停泊した。
やがて警察関係の船が十隻以上、クルーザーの周りを取り囲んだ。
潜水艇とクルーザーの艇内はもちろん、海底までダイバーが捜索したが――
凶器になるものは、何ひとつ見つからなかった」
……僕は、昨日見た捜査資料を思い出した。
『エレベーター内殺人事件』――あの密室の状況。
それはあまりにも、似ていた。
*
警察がクルーザーに乗り込んで来て、その場にいた全員の話を聞いた。
Aも、血が滲んでいるずぶ濡れの衣類のままで、バスタオルで髪の毛を拭きながら、聴取を受けた。
その時の供述内容は……。
【Aの供述】
■潜水艇の中に入った時の話をしてください
「梯子を降りると、社長がうつぶせで倒れていました。
背中から血が流れていて、思わず悲鳴を上げました。
止血しようとして抱き起こした時に、自分の服に血がついたんです。
さすった感触で……もう息がないと分かりました」
■潜水艇の中に他に誰かいましたか
「誰もいません、社長だけです」
■凶器のようなものを見ましたか
「分かりません。そんな余裕は無かったので」
■それから、どうしました
「少しして、頭が冷静になったので、ここを荒らしてはいけないと……。
それで艇内から急いで外へ出ました。
潜水艇の甲板に出た時に、靴底の血か何かに滑ってしまい、海に落ちてしまいました。
それでスタッフに浮き輪を投げ込んでもらって、ひき上げてもらいました」
勿論、Aが落ちた辺りの海底は、翌日まで何度も浚われた。
金属探知機を使っても、磁気反応はゼロ。
潜水艇、クルーザー、積荷、海底――凶器らしきものは、影すら見つからなかった。
【他のスタッフの供述】
■Aが潜水艇に入る時と、出る時に何かを持っていましたか
「Aは入る時も出る時も、何も持って無かったと思います」
(もう一人の供述)
「そういえば、Aが潜水艇に入る前に、Aから社長用のマグボトルを手渡されたので、受け取りました」
■それには、何が入っているのですか
「おそらく、ホットの抹茶風ドリンクです。社長が好きなので……。
ああ、たしか潜水艇に乗り込む前にも、社長が飲んでいました」
そのスタッフが預かっていたマグボトルを検査すると、スタッフが言った通りの抹茶風ドリンクが入っていて、毒などの成分は発見されなかった。
■潜水艇を引き上げている時に、最後にクルーザーの甲板に出て来た人は誰ですか
「操舵室の操縦士を除くと、警察に通報をしていた、Aが最後だったと思います」
Aに、なぜ遅かったのかを聞くと、
「通報した後に、抹茶風ドリンクの残りが少ないのに気が付いたので、それを補充していて遅くなりました。
その時は、社長が死んでいるなんて想像もしていなかったので」と答えた。
*
「どうじゃ、レティーシャ、何か分かったか?」
僕には、謎が、全く解けなかった。
「……その潜水艇に、中村青司が作った、四人目が乗れる秘密の小部屋があったとか」
勢いで言ってみたが、モニターの向こうで、(それは無いだろ)と、権造に鼻で笑われたような気がした。
そのあと、姉弟探偵のトリック暴き――そしてAの動機。
一気に語り切った権造は、午前一時ちょうどに、少し眠そうな声で言った。
『グッドラック!』
そして、オークの姿が画面から消える。
夜の部屋には、PCファンの低い唸りだけが残った。
*
その時、僕の頭の中で――
エレベーターの扉が、ゆっくりと開く光景が浮かんだ。
凶器が見つからない。動く密室。
潜水艇と、あのエレベーター。
――権造が話してくれた“動いていては殺せない”。
まだ形にはならない。
けれど、微かな推理の線が――一本、脳裏に灯った。
「……そういうことか」
思わず、口元が緩む。
そして気づけば、モニターの中で、レティーシャが微笑んでいた。
――◇――
“虚構の密室が、現実の密室を解く鍵になるのか?”
――その完全犯罪を暴く者が、いよいよ現場にやって来る。
“規格外の無邪気すぎる天才”と、“律儀で善良すぎる天然”のバディ。
彼らが来れば、どんな現場でも一日で事件を解決する。
……そして、だいたいいつも――現場は混乱する。




