第1話 虚構が暴く真実――空を飛んだ凶器
エレベーター内の殺人は、安由雷と悠真の手で解かれた。
だが、その余韻の奥に、まだ別の「密室」が潜んでいた。
それは──現実ではなく、昨夜ゲーム内で権造が語った虚構だ。
『動いていては殺せない』。
潜水艇という、もう一つの「動く密室」。
そこに残る真相を暴かなければ、この物語は終われない。
――◇――
物語の終盤で、ひとりの男――「A」が自白した。
【犯行前】
その日は北から流れてきた乾季の風のせいで、 クルーザーの上は少し肌寒かった。
俺は、睡眠薬入りのドリンクをマグボトルから紙コップに注ぎ、 それを社長に差し出した。
社長は何の疑いもなく飲み干し、 ゆっくりと潜水艇のハッチをくぐり、 一人で艇内に乗り込んでいった。
俺は幼い頃から家業を手伝っていて、通信機器には詳しかった。
だから、出航前にクルーザーの無線機に小さなタイマーを仕込んだ。
午前十時――潜水艇との無線が自動で遮断されるように。
【犯行時】
社長を乗せた潜水艇が潜り始めるのをスタッフが確認した頃、
俺は調理場へ向かい、マグボトルの残りを捨てて、
普通の抹茶ドリンクにすり替えた。
――万が一、後で調べられても、薬物が検出されないように。
午前十時ちょうど。
予定通りに潜水艇との通信が途絶えた。
慌てふためくスタッフたちをなだめながら、俺は警察へ通報した。
そして、その混乱の中で、甲板に急ぐスタッフを尻目に、俺は無線機に仕掛けた細工を外した。
甲板へ出ると、クルーザーの横に、潜水艇を引き上げていた。
俺は恐怖に立ちすくむスタッフを押しのけ、その潜水艇の中へ降りていった。
艇内には、革張りのシートが三つ。
中央の座席で、社長は穏やかに眠っていた。
俺はその体を椅子から下ろし、床にうつ伏せに転がし、 持っていた凶器で背中をめった刺しにした。
父の会社を引き継いで一生懸命に働いていた母を自殺に追い込み、職を失った従業員たちの恨みを、俺は絶対に許せなかった。
怒りが、刃の代わりに腕を動かしていた。
何度も、何度も。
――息が切れるまで突き刺してやった。
【犯行後】
俺は、潜水艇の外に出て、わざと足を滑らせて、海に落ちた。
海中に沈みながら、背中のシャツの中に隠し持っていた凶器を投棄した。
凶器は、他の魚に食われるか、遠くに流されてしまえば、跡形もなく消える。
――これで、完全犯罪は成立する。
――◇――
Aは、最後まで「凶器がなければ殺せない」と抵抗していた。
だが、姉弟探偵の指示によって、その抵抗は崩れた。
名探偵の姉が桟橋で海鳥に突かれていた魚の頭部を見つけた際、違和感に気づいていた。
その魚は、この海にはいない。そして胴体がなかった。
(もし海鳥に食い散らされたのなら、頭部だけがきれいに残るはずがないと)
この違和感から、姉弟探偵は、胴体がまだ残っていてくれることに賭けた。
そして、それがあるとしたら、何処のあるのかを考えた。
姉弟探偵の指示で、男たちが宿泊していたコンドミニアムの大型冷凍庫から、頭を切り落とした大きな魚の胴部が発見され、桟橋にあった魚頭の残骸とともに回収された。
その魚の名は――ダツ。
ダツは、サヨリやサンマと同じく、前後に細長い体を持ち、僅かに湾曲し、両顎が前方に長く尖っているのが特徴で、国内でもダツが刺さって死亡した事故が発生していた。
Aはそれを数日前に食用として購入していた。
冷凍の胴体は、
「後日、唐揚げにしてスタッフと食べれば証拠も胃袋の中に消える」―― そう考えていたのだ。
凶器無き殺人。 完璧な完全犯罪――そのはずだった。
残念なことに、桟橋から回収されたダツの頭部からは血液は検出されなかった。
だが、被害者の背中に残された刺創の形は、あの尖った顎の形状とぴたりと一致した。
Aは、凶器さえ見つからなければ捕まらないと思っていた。
まさか、ダツがこれほど早く突き止められるとは夢にも思わなかった。
Aは、その事実を聞かされたとき、 ただ、笑うしかなかった。
凶器が消えたと思い込んだ俺の完全犯罪は、
まさか――空を飛んで運ばれていたとは。
――◇――
これで、この物語の中のすべての謎は解かれた。
――そして、現実と虚構、二つの“動く密室”は、
静かに互いの影を映し合いながら、夜の海に沈んでいった。




