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迷宮のアユライ ~ 二重密室のトリックを暴け! ~  作者: 霧原零時
第七章 トリックの答え合わせ
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第3話 弁当理論の逆襲とチョイすご先輩

安由雷は、両肘をテーブルにつき、指先をピラミッドのように合わせた。

非常灯の白光の中で、その長い指が鼻先の影をつくる。


「――この最後の謎を解くカギは、おまえの一言だった」


その指先を、静かに悠真へ向ける。

切れ長の目が、意味ありげに細められた。


「僕の言葉……ですか?」


「ああ」

安由雷は、わずかに口角を上げた。

が、悠真はまだピンと来ていない様子で、首を傾げる。


「おまえが言っただろ。

 “弁当の注文の変更は、買う前なら有効だけど、買った後は無効にしたい”って」


「はい、本音ですけど」


「本郷が乗った“8号機”じゃなく――一階に呼ばれている“8号機”に本郷が乗ったんだよ」


「……え? どういうことですか?」


安由雷は笑みを浮かべ、静かに続けた。


「『買った後は無効、でも買う前なら有効』。

 エレベーターも同じだ。

 中で《地下一階》を押した後に、一階ホールの『上行ボタン』を押しても無効。

 だが――一階の『上行ボタン』でロックされた後に、そのエレベーターに乗り込み、地下一階を押すことは《有効》になる」


悠真の目がぱっと開かれた。

「つまり、……本郷は、一階に呼ばれて“下りてきた8号機”に途中から乗り込んだんですね!」


「そういうことだ」


安由雷の声は穏やかだった。

「たぶん、十五階か十六階などの上にいた“8号機”が、一階ホールで天宮たちの『上行ボタン』でロックされた。

 その途中で、本郷が十三階ホールの『下行ボタン』で止めて乗り込み、地下一階を押した。

 その偶然が、あいつの“完璧なアリバイ”を作り上げた。

 ……そして、俺たちは、さっきの実験で、それを崩してみせた」


悠真は感嘆の声を上げ、椅子を軋ませた。

「へぇ~っ、そういうことだったんですね!

 一階に呼ばれた方が早かったのか……スゴイ!」


彼は完全に納得したというより、ただ純粋に尊敬していた。


「やっぱり先輩はスゴイや!

 でも、今回は僕の助言がなかったら詰んでましたよね?

 つまり、僕、完全に超えたってことですよね」


安由雷は小さくため息をついた。

「……はぁ」


「先輩は“チョイすご”だけど、僕は“マジすご”ですよね!」

悠真は大きくガッツポーズを作り、自分で頷く。


「そうだ、チョイすご先輩!」と続ける。


「まだ僕には、ひとつだけ疑問があるんですよ――

 あの実験のとき、一階で“6号機”のドアが閉まらないようにしていた捜査員に向かって、

 先輩、“グッドジョブ”って言ってましたよね。あれ、なんですか?」


「……ああ、あれか」

安由雷が少し意味ありげな笑みを浮かべた。

「あれはあんまり気にするな」


「えー、気にするなって。

 やだなぁ、それじゃあ余計気になりますよ。

 ――先輩、教えてくださいって」


安由雷は長いまつ毛を伏せ、静かに言った。

「実は。――あの実験、最後に“もう一つの登場シーン”を考えてたんだ」


「もう一つの……登場シーン?」

悠真が聞き返すと、安由雷はゆっくりと頷いた。


「一階ホールに、先に帰った犯人役の本郷が“6号機”で最初に登場する。

 次に、おまえ――被害者役の悠真が一人乗った“10号機”が一階に着く。

 そうすれば、当日の状況そのままになる。

 本郷が先に着き、被害者があとから到着する構図だ。


 そして――本郷が降りて、“6号機”のドアが閉まる。

 全員が唖然としている中、“チン”とチャイムが鳴り、

 その“6号機”のドアが、再び静かに開く。


 ……その中から俺が、『何かありましたか?』という顔で降りてくる。

 ――それが最初に考えていた演出だった」


悠真の目が丸くなる。

「えっ、それって……本郷の背後でドアがまた開いて、

 “6号機”に乗って先に出発していた先輩が、少し遅れて、何食わぬ顔で降りてくるってことですか!?

 まるで、“6号機”に二つの箱があって、

 先輩がタイムスリップの寄り道をしてきたみたいじゃないですか!」


「だろ」

「けど、……そんなことが出来るんですか?」


「ああ」

安由雷は苦笑しながら続けた。


「地下一階で本郷を“6号機”に乗せて一階へ行かせたあと、

 “10号機”にはおまえ一人で上に行ってもらう。

 それから俺は、地下一階の『上行ボタン』を押して、一階にいる“6号機”を呼ぶ。


 玄武たちが乗って一階に降りて来たエレベーターは、十一階のボタンを押して、最初の位置にでも戻しておいてもらえば、地下一階へ一番早く着くのは、一階にいる“6号機”になるからな。 


 ――そうすれば、“再登場のトリック”は成立する」


悠真は感嘆の声を上げた。

「おお! すごい! 

 なんで、それにしなかったんですか!?

 最後の《エンディング》としては、そっちの方が完璧じゃないですか!」


「そうだな」

安由雷はカップを指で軽く回した。


「ただ――もし本郷が降りたあと、気を利かせた捜査員が

 “6号機”のドアを“開けたまま”にしていたらどうなる?」


悠真が瞬きをする。

「……降りてこない?」


「そう。“6号機”は永遠に一階に留まったまま。

 俺は地下に取り残されて、登場できない」


「ああ!!」


安由雷はコーヒーをひと口。

「まぁ、その時は、非常階段を駆けのぼって、非常口から華麗に登場する事はできるけど……。

 ――息切れしていない振りをして、説明をするのは、ちょっと切ないだろ」


悠真は吹き出しそうになりながら笑った。

「それで! ――あのとき、“6号機”のドアを閉じないようにしていた捜査員に“グッドジョブ(予想通りに良くできました)”って言ったんですね!」

悠真は大きく頷いた。


安由雷は、捜査にはどうでもいいようなことにも周到であった。


――◇――


安由雷は、静かにコーヒーを飲み干し、窓の外へ目を向けた。

ガラス越しに、横浜の夜景が滲んでいる。

ランドマークタワーの赤い点滅が、規則正しく瞬いていた。


「……じゃあ、そろそろ行くか」


安由雷が立ち上がる。

悠真もそれにつられて立ち上がり、

安由雷の空き缶を受け取って、ホール端の回収ボックスへ小走りに向かった。


――二〇階のエレベーターホール。


本庁へ報告をするために地下に止めてある車へ戻ろうと、二〇階のエレベーターホールに出たところで、三人の捜査員と立ち話をしている辰巳警部と出くわした。


辰巳警部は一瞥すると、二人へ向かってゆっくりと歩いて来た。


「おまえたち、ここにいたのか。そろそろ帰るのか」


「はい。いまから本庁へ戻ります」

安由雷が答える。


辰巳警部は頷き、

「今回はよくやった。ご苦労さん」と低い声で言った。


その言葉に、悠真が小さく肩を張る。

安由雷が、横の悠真に首だけ傾ける。


「――悠真!」

「はい?」


「いつものやつ――」


「え? あ、はい!」


一瞬ためらったが、悠真は胸を張って前に出た。

警部の背後にいた捜査員たちが、何が起きるのかと目を向ける。


「警部殿!」


「ん?」


「今回の犯人は、確かに頭の切れる人でした。

 でも――たった一つ、大きなミスを犯しました」


辰巳警部が眉を上げる。


「それは、僕と先輩――いや、先輩と僕がこの事件の担当になることまでは、予想していなかったことです。以上!」


悠真は深々と一礼し、颯爽と安由雷の隣に戻った。


安由雷は苦笑しながら、悠真の腹を軽くグーで叩く。

「ぐおぉぉぉ!」

悠真は大げさに腰を屈めて、痛がって見せた。


――◇――


エレベーターのドアが閉まり、二人の姿が消えた。


「あっ……」

辰巳警部が小さく声を上げる。


本郷を県警へ護送するのに同行した奈々花から、悠真に渡してほしいと頼まれていたメモを思い出した。

――白い紙には、十一桁の数字が書かれている。


「……まあ、いいか」



辰巳警部は、天井を仰ぎ、ひとつ深く息を吐いた。


「……『24時間のアユライ』――か」


その名を反芻するように、唇がかすかに動く。


笑顔を滅多に見せない辰巳警部だが、

エレベーターホールのガラス窓に映った横顔は、

夜景の光を受けて――静かに、満足げな笑みを浮かべていた。


まるで、終わった夜を見送るように。

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