第3話 完璧な再演 ― 光の下の安由雷
――その少し前。
玄武に“ちゃお”した安由雷は、“6号機”のエレベーターのドアが閉まると、中の行先ボタンを押した。
安由雷を乗せたエレベーターは、十一階から下りて行った。
悠真は、安由雷に頼まれた文字を両面に書いた厚紙と、ある男を連れて、そこで待っていた。
安由雷からの指示は、それだけ――理由は一切、告げられていない。
「ここで、いいんだよな……?」
悠真の不安そうな顔を、男がちらりと見た。
その時――。
いきなりチャイムが鳴って、一番左側の“10号機”のエレベーターが到着して、ドアが開いた。中は空だった。
悠真が男を連れて、中へ歩き出そうとした、そのとき。
再び別のチャイムが鳴った。今度は、“6号機”。
振り向くと、そこには――。
「先輩!」
悠真が声を上げる。
エレベーターの中には、あの気楽な笑みのままの安由雷が立っていた。
「あなたは、こちらへどうぞ」
安由雷は、乗ってきた“6号機”の中へ、男を促す。
男は、戸惑いながらも、不安そうな顔つきで、言われるままに“6号機”へ乗り込んだ。
安由雷は、傍に来た悠真の脇に抱えている大きな厚紙を引き抜いて、その男の胸の前に持たせた。
「はい、そのままで。できれば笑顔で」
ウインクを一つ。
軽やかな指先で閉ボタンが押され、“6号機”のドアが静かに閉まった。
◇
「ちゃんと書いてきたな、デカい字で」
安由雷が笑い、悠真は胸を張る。
「はい、言われた通りに!
裏にもちゃんと書きました!
『“ボク罰ゲーム中! へたり込んでる第一発見者役”です!』と」
言いながら、どこか誇らしげだ。
(罰ゲーム……第一発見者? そんなのあったか?)
だが、考えるよりも早く笑顔が勝つのが悠真だ。
上司の役に立てたという満足感で、目を輝かせていた。
安由雷はその背を軽く押し、閉まりかけた“10号機”に走り込む。
扉が閉まる刹那、軽い口笛が鳴ったように聞こえた。
◇
一階――。
奈々花は、硬直したまま、その場の空気に飲まれていた。
玄武は、とうとう頭が混乱して、その場にへたり込んでしまった。
自分の出世のために全てを計算づくで、傲慢に生きてきた人間ほど、自分の想定を超えた領域に足を踏み入れた時には脆かった。
空回りを続ける玄武の頭からは、白い煙が出ているようだった。
◇
辰巳警部が短く命じる。
「それで、本郷さんはどちらから?」
男――本郷が、周囲を見渡しながら答える。
「ち、地下1階ですけど……?」
まだ何が起きているのか、理解ができていなかった。
奈々花の喉が、ごくりと鳴る。
(地下一階……? つまり、先に出た“10号機”と――)
安由雷の描いた“見えない線”が、頭の中でゆっくりと繋がり始めた。
辰巳警部が顎をしゃくり上げると、その合図で捜査員の二人が、本郷に手錠を掛けた。
本郷の持っていた厚紙は、捜査員経由で安由雷の手元に戻ってきた。
本郷は、狐に摘まれた顔で、手錠をされたまま、呆然と立ち尽くしている。
安由雷は、その本郷の横を通り過ぎて、へたり込んでいる玄武の前で立ち止まると、笑みを崩さず、まるで幼子に玩具を渡すように、厚紙を裏返して、彼の腹に優しくそっと押し当てた。
それを見た悠真が、ぽんと手を叩いた。
「おおっ!犯人役に、被害者役の僕、そして確かに――へたり込んでいる第一発見者!
これでばっちり全員集合ですね!」
その無邪気さに、奈々花は思わず口元を緩めた。
(もう……この人たち、ほんとに……)
『エコの為に厚紙の両面を使うなんて、やっぱり先輩は抜け目がないや!』
と、崇高なものとは、かけ離れた安由雷に対して、悠真は歪んだ畏敬の念を感じ、何度も小さく頷いている。
(……おまえが感心したのはそこかい)安由雷が笑顔のままで、首を振った。
◇
白い蛍光灯の下。
手錠をかけられた本郷、放心する玄武、笑う悠真、黙って見つめる奈々花。
そして――
すべてを支配するように立つ安由雷。
その光景は、まるで舞台のラストシーンだった。
―――これで、安由雷の“再現劇”は完璧に幕を閉じた。
だが、物語はまだ終わらない。
“トリック”の論理的な種明かしは――これから始まるのだった。




