第2話 消えたペテン師と、帰ってきた“犯人”
一階のエレベーターホールは、重苦しい空気に沈んでいた。
静まり返った空間の中で、わずかに照明の唸る音だけが響く。
「警部、“6号機”が来ます!」
奈々花の声が、緊張でわずかに震えた。
彼女の視線の先、安由雷が乗った“6号機”の上にある△ランプが点滅を始めている。
もうすぐ――何かが起きる。
そんな予感が、肌を刺した。
辰巳警部が静かに顔を上げ、“6号機”を見つめた。
一階の空気が、張り詰めた糸のように硬くなる。
短いチャイムが鳴り、ドアが開いた。
「――ああっ!?」
その瞬間、一階のホールで待機をしていた、捜査員全員の驚愕の声が上がった。
安由雷が、十一階から下りてきた筈の“6号機”の中で、
その男が、不思議な笑顔を作って立っていた。
胸の前に掲げられた厚紙には、何かの文字が記されていた。
沢山の捜査員に見つめられながら、男が一歩外に出ようとした瞬間――
隣の“7号機”のチャイムが短く鳴り響き、ドアが開く。
その中から、五人の捜査員と玄武が、勢いよく飛び出してきた。
「ええっ!?」
玄武が降りてくる、その男を見て絶句した。
小走りに“6号機”の前まで来ると、慌てて奥を覗き込む。
――だが、そこに安由雷の姿は無い。
(うそだろ……? 安由雷が……消えた!?)
ついさっき、憎たらしい笑顔で「ちゃお~♪」とバイバイをして、この“6号機”のエレベーターで一階へ下りた安由雷の姿が、そこからは完全に消えていた。
「え……消えたの?」
奈々花は、息を飲んだまま目を見開いた。
その時、捜査員の一人が、男が降りて閉まりかけていた“6号機”のエレベーターに走り込んで、ドアが閉まらないように、『開ボタン』を押した。
◇
玄武も、他の捜査員とともに、ビル責任者のエレベーターのレクチャーは受けていた。
“6号機”は、十一階から、一階までは直通の筈だ。
一階ホールの『上行ボタン』で、下に来いとロックをされている“6号機”に、確かに安由雷は乗り込んだ。
(一体これはどういう事だ?)
安由雷がエレベーターに乗り込んで、ドアが閉まるまでに行先ボタンを押した気配は無かったが、たとえ十一階よりも上の階の行き先ボタンを押したとしても、(キャンセルされて)エレベーターは一階へ向かう。
一階にロックをされた時点で、《《“6号機”は下へ向かうしかない》》運命なのだ。
(では――どこかで入れ替わったのか?)
“6号機”は、十一階から一階の間の何処かに、何かをすることで停止をして外に出入りする事ができるのか?
玄武の頭の中が、カラカラと乾いた音を立てて、空回りを始めた。
そこへいきなり、少し先に出発した筈の“10号機”のチャイムが突然鳴って、一番左側にエレベーターが到着した。
そして、その“10号機”のエレベーターのドアが開くと――
そこから、安由雷が澄ました顔で降りて来た。
「は~い、みなさん、見てください!
この中に、立ってはいますが、彼が《《被害者役》》です!」
と、安由雷が後ろを振り向いて指を差した。
“10号機”のエレベーターの中で、長身の悠真が片手をあげて、それに応えた。
捜査員の視線が注ぐと、悠真は頭を掻きながら、“10号機”のエレベーターから降りて来た。
安由雷からは何も聞いていない悠真には、いま何が起こっているのか全く分からなかった。
「どうです。みなさん、楽しめましたか~」
と、安由雷が、大げさに両手を広げて言った。
まるで、ミステリー小説の最後に、全員を集めて、名探偵が「謎は全て解けた!」と言うクライマックスシーンのようであった。
そして安由雷は、なぜか“6号機”のエレベーターの中で、ドアが閉まらないように『開ボタン』を押し続けている捜査員に向かって、『グッドジョブ!』と口パクをしてから、その捜査員に親指を立ててみせた。
玄武は、現状で起こっている出来事の把握を、まだ完全には理解ができていない様子で、安由雷と、先に“6号機”から下りて来た、その男の顔をポカンと口を開けたまま見比べている。
彼の中で、理解という名の歯車が完全に空転しだした。
“6号機”のエレベーターから降りてきた、その男が持っている厚紙には、『《《少し先に帰っていた犯人役です》》』と、大きな文字が書いてあった。
………安由雷の事件当日の再現が終わった。
●ラーメンを食べて、一階ホールで、本郷の乗る“6号機”(当日は“8号機”)の
エレベーターを待っている二人組役の捜査員たち
●そこに、“6号機”のエレベーターが到着して、
少し先に帰った厚紙を持つ犯人役の男
●そして、“10号機”のエレベーター(当日は“7号機”)の中で殺されていた
馬場の被害者役の悠真
安由雷は、この再現で――
犯人が乗った“8号機”と、被害者の乗った“7号機”が、
一階に到着する前にどこかで接触し、乗り換えることができたことを、
見事に実証してみせたのだ。
奈々花は思わず息を呑んだ。
一日でどんな難事件も解決してしまうという。
――これが、“24時間のアユライ”。
◇
これで、あの日の再現が完璧に終わった。………完璧?
いや、当日の重要な登場人物が、これでは、まだ一人足りないではないか。
完璧なものを見せると言った安由雷が、まさか………、ミスを犯してしまったのか?
いや、伝説の『24時間のアユライ』にとって、そんなことはある筈がない。




