第1話 静謀のエレベーター ― “ちゃお”を残して
――午後五時五十分。
館内放送が静かに終わる。
スピーカーの残響だけが、十一階の空気を震わせた。
各フロアのエレベーターホールには、
『エレベーター使用禁止 17:45~18:15』と赤文字で書かれた張り紙。
白い蛍光灯の光を受けて、まるで警告灯のように浮かび上がっている。
碧星総研ビル――。
その十一階のホールで、安由雷は腕時計をちらりと見た。
隣には、長身の悠真ではなく――小柄な玄武が立っている。
互いに言葉はない。
その頃、一階のホールでは――。
辰巳警部のグループがすでに集合していた。
その旨を奈々花が無線で上階の玄武へ報告を入れた。
◇
高層階用のエレベーターが、ひとつ、またひとつ、静かに開く。
金属音が短く響き、やがて並んだ五つの箱が、無機質な光を放った。
“6号機”から“10号機”まで――すべて十一階に集められていた。
五人の捜査員がそれぞれの機内に立ち、
ドアが閉じないように『開ボタン』を押し続けている。
五つの光の口が、規則正しく開いたまま静止していた。
――準備は整った。
安由雷が腕時計をもう一度見る。針はちょうど、午後六時を指していた。
「玄武君、無線で一階ホールに伝えてください。
――『上行ボタン』を押して、どの号機のランプが点いたかを報告してもらいます」
返事はない。
玄武はぶ然とした表情で、無線機のスイッチを入れ、一階へ連絡を送った。
数秒後、通信の発信音。
玄武が無言で、安由雷へ無線機を突き出す。
「“6号機”です。一番右側、高層階用のエレベーターです」
一階からのスピーカー越しの声が届く。
「……了解です」
安由雷は、短く答えると歩き出した。
革靴の音が、無人のホールに乾いた反響を残す。
「え?」
玄武は思わず声を漏らす。
安由雷は、一階のロックがかかった“6号機”ではなく――反対端、“10号機”へ向かっていた。
「ちょ、ちょっと……聞いてました?
ロックしたのは“6号機”ですけど……そっちは……?」
安由雷は答えず、“10号機”の中に上半身を滑り込ませる。
中にいた捜査員へ目で合図を送り、外へ出させた。
そのまま操作盤に手を伸ばし、何階かのボタンを押す。
階数は見えなかった。
けれど、“10号機”のドアが静かに閉まり――
無人のエレベーターが、唸りを残して立ち去った。
「……?」
玄武の眉が寄る。
安由雷は振り返り、軽やかに“6号機”へと乗り込んだ。
「中の方も、外に出てください」
淡々とした声。
捜査員が降りると、安由雷は左手でドアを押さえたまま、右手の指先で隣を示した。
「では、玄武君。辰巳警部に無線で、
《《私が“6号機”で一階へ向かった》》と報告をしてから、
あなたは“7号機”で捜査員と一緒に下りてきてください。――“7”ですよ!」
「え……?」
玄武の戸惑いに気づいているのかいないのか、
安由雷は右手で軽く「あっちあっち」と示してみせた。
そして――最後に。
「それでは――ちゃお~♪」
いつもの軽い調子で右手を振ると、
安由雷は押さえていたドアを離した。
金属音とともに、扉がゆっくりと閉まる。
銀色の反射が、彼の笑みを一瞬だけ照らした。
玄武は、ただそれを見送ることしかできなかった。
無線を握る手が、わずかに震えている。
「……ただ今、安由雷警部補が十一階から“6号機”に乗って、一階へ向かいました」
かすかに掠れた声で報告を入れる。
応答のノイズが、耳の奥でじりじりと弾けた。
(あいつは一体、どんな実験をするというんだ?)
胸の奥で、疑問と焦燥が絡まり合う。
(“6号機”で一階に下り、そのあと俺たちが“7号機”で一階に着く……
これが、いったい何の意味になる?)
考えれば考えるほど、輪郭がぼやけていく。
(……いや、待て。先に――“10号機”が、動いた)
無人のまま、どこかへ消えたエレベーターの残響が頭を離れない。
だが、今は考えている暇はなかった。
玄武は、息を短く吐き、顔を上げた。
「行くぞ」
残る捜査員たちと視線を交わし、半信半疑のまま、“7号機”へと小走りに乗り込んだ。
扉が閉まる直前――
安由雷が乗り込んだ“6号機”の方向から、微かに“下降音”が聞こえた気がした。
それは、まるで地底へと吸い込まれる呼吸のように、静かで、不気味だった。




