第1話 集結、そして推理開始
午後四時半の、
二十階のレストランラウンジの一角――。
三十帖ほどのスペースを折りたたみパーテーションで仕切り、
中央に縦長のテーブルを四つ繋げ、その周囲に椅子がU字型に並んでいた。
県警の要望で、午後四時以降、レストランの使用は一時的に止められていた。
その静けさは異様だった。金属椅子の軋みすら響かない。
そしてU字型に、十五名の黒服捜査員が、背筋を伸ばして座っている。
その上座――U字の頂点には、辰巳警部と玄武小鉄。
背後には、二台のホワイトボードが並び、その一台に、容疑者たちの写真と、時系列のメモが貼られていた。
玄武の左隣には、坂下奈々花。
手帳を開き、視線は正面に向けたまま。
指先が微かに震えている。
――それが罪悪感なのか、それとも別の熱なのか。
自分でも、まだ判別がつかなかった。
安由雷と悠真の姿が、衝立の外から現れた瞬間――
その手の動きが、ぴたりと止まった。
まだ時間前だったが、既に全員が椅子に座って待っていた。
玄武の太い眉がピクリと動く。
腕を組んだまま、訝しげにその姿を横目で追った。
言葉はない。
だが、玄武を中心に、部屋の空気が一段階沈んだような気がした。
捜査員たちが二人へ振り返る。
安由雷は軽く会釈をし、悠真は一瞬、会釈のタイミングを迷い、慌てて頭を下げた。
二人は窓際に立てかけてあったパイプ椅子を広げ、
一番遠い位置――U字の下にあたる場所に並んで座った。
奈々花がわずかに顔を上げる。
視線が交わる。
だが、すぐに彼女は目を伏せた。
その一瞬の沈黙に、玄武が視線を細めた。
*
「全員そろったな。……では、始める前に、本庁から来た二人を紹介しよう。
安由雷警部補と岡本巡査だ。――二人から、一言もらえるかな」
捜査主任の辰巳警部の地を這うような低い声だった。
安由雷は、ゆっくりと立ち上がった。
黒いスーツの裾が、わずかに揺れる。
その眼差しは、部屋の全員を静かに見渡した。
「会議室の確保など、……ご協力、感謝します」
声は低く、よく通る。
「ここまでの聴取で、だいぶ輪郭が見えてきました。
犯人を――一緒に逮捕しましょう」
それだけを言って、静かに一礼した。
一瞬、空気がざわつき、苦笑が上がった。
室内の温度が、わずかに下がる。
そして誰もが思った。
――着任して、たったの三時間で、何を言っているのかと。
続いて、長身の悠真が勢いよく立ち上がる。
スーツの前ボタンを掛けながら、
「みなさん、えっと……安心してください!」
と、唐突なソプラノ声に、数人の肩がピクリと動いた。
「もう――この事件、僕たちが解決したも同然です!」
胸を張るその顔は、無邪気なほどの自信に満ちていた。
だが、二週間苦労を積み重ねてきた捜査員たちの表情は硬い。
誰も笑わない。
むしろ、その言葉の軽さに、静かな嫌悪感が漂った。
安由雷は、ため息まじりに、小さく首を振った。
辰巳警部が軽く頷く。
「よし。
では本庁の協力を得て、これより――事件解決に向けた最終検討に入る!」
ホワイトボードの前で、空気が再び引き締まった。
その瞬間、奈々花の胸の奥に、言葉にできない熱が静かに灯った。
*
「まずは、みんなで考えた仮説と、今までの捜査によって判明した事実から、矛盾を排除していきたい」
辰巳警部の低く重い声が、会議室を満たした。
一同を一通り見回してから、静かに告げる。
その圧が、場の緊張をさらに高めていた。
「では、玄武君。――個々の仮説の説明をしてくれ」
「はい」
立ち上がった小柄な玄武が前へ出て、
「ではまず、当時の事件前後に、関係者がどこにいたのかを説明します」
と、もう一台のホワイトボードに、事前に書いておいた図を指さした。
奈々花は姿勢を正し、ペン先をわずかに浮かせた。
真剣そのものの眼差しが、ボードの図と玄武の指先を追う。
彼女の視線の動きが、捜査会議室の静寂の中で唯一、呼吸のようにリズムを刻んでいた。
「事件当日――午後七時過ぎ。
被害者の**馬場雷太**は、十一階から“7号機”のエレベーターに乗り込みました。
仮にその時刻を、午後七時〇分三〇秒としておきます」
玄武がホワイトボードに時刻を書き足す。
その音に合わせて、奈々花のボールペンが小刻みに走った。
【補足図:午後七時〇分三〇秒】
「同時刻、既に**本郷健次郎**は十三階から“8号機”のエレベーターに乗って一階へ向かっている途中。
**三木塚瑛太**は十一階ホールで、**馬場**とすれ違って、自席に向かっていて、
**吉川志季**はレストランハウスから、ビジネスビルに戻って来たところになります」
全て頭に入っている辰巳警部は、玄武の説明の合間にもホワイトボードを見ない。
ただ、言葉と反応の間――その“呼吸”を測るように、一人ひとりの顔を見ていた。
◇
「そして死体発見時刻を――仮に午後七時一分二〇秒とする。
**馬場**を乗せた“7号機”のエレベーターが、一階に到着してドアが開く。
そこへ外から戻って来た**吉川**が、エレベーターの中で死んでいる**馬場**を一階ホールで発見する。
**本郷**を乗せた“8号機”のエレベーターは少し前に一階に着いて、**本郷**はビルの外を歩いている。
**三木塚**は二十階の自販機で煙草を買って、再び十一階に戻って来たところだと思われます」
【補足図:午後七時一分二〇秒】
――◇――
そこまでの説明を終えると、玄武は一同を見渡し、
ホワイトボードを裏返すと――
そこには、事前に書き込まれた四つの仮説が並んでいた。
A.馬場雷太の自殺説
十一階から一人で乗った**馬場**が、
エレベーターの中で何らかの方法で自殺をした。
【動機/理由】
**吉川**との別れ話、
もしくは**本郷**に貸した三百万円を返してもらえないことを苦にしての自殺。
――◇――
B.本郷健次郎の犯行説
先に十三階からエレベーターに乗った**本郷**が、十階から二階の間に、
何らかの方法で乗っているエレベーターを止めておき、
後から来る**馬場**のエレベーターを横に並べて停止させる。
それから**本郷**は、天井ハッチから屋根に登り、
隣のエレベーターへ乗り移って、**馬場**を殺害。
再び元のエレベーターに戻り、先に一階に着いて帰宅する。
【動機/理由】
**馬場**への三百万円の借金。
――◇――
C.吉川志季の犯行説
一階でエレベーターのドアが開くと、
中には――**馬場**が一人で乗っていた。
その瞬間、外から戻ってきた**吉川**は、
手にしていたパン屋の袋の中から、
鋭い刃物を取り出して、その胸をひと突きした。
犯行後、凶器は何らかの方法で処分されたか、
もしくは現場付近のどこかに巧妙に隠した。
【動機/理由】
**馬場**に別れを拒まれたことによる犯行。
――◇――
D.三木塚瑛太の犯行説①
**三木塚**が、**馬場**と十一階の通路ですれ違ったとき、
手にしていた“氷の剣”のような自然消滅する凶器で、
その胸を一突きした。
そのまま**馬場**は、致命傷を負いながらも歩いてエレベーターに乗り込み、
ドアが閉まった。
【動機/理由】
**吉川**への愛――“自由にしてあげたい気持ち”。
――◇――
E.三木塚瑛太の犯行説②
**三木塚**が、**馬場**と十一階の通路ですれ違ったとき、
「吉川志季の話がある」と言って、すぐに行くので、
地下一階で待っていてほしいと呼び出す。
**三木塚**は自席に戻ってアリバイを作り、すぐに地下へ行って、
そこにいる**馬場**の胸をひと突きし、凶器を隠し持ったまま自席へ戻る。
その後、殺された**馬場**を乗せたエレベーターが一階へ上がって発見される。
【動機/理由】
上記D案と同じ。
◇
玄武は、ホワイトボードの前で振り返った。
「以上が、現在残っている仮説です」
その声が途切れた瞬間――
室内に沈黙の膜が張った。
マーカーのキャップを閉じる小さな音が、やけに響く。
安由雷は、腕を組んだまま、下を向いている。
その隣で、悠真が小声で呟いた。
「氷の剣って、溶けるん……」
「――シッ!
まずは話を聞こう」
安由雷が首をわずかに振る。
ホワイトボードには五つの仮説。
自殺説、本郷説、吉川説、三木塚説①②。
どれもが、「真実を外れた仮定」であるかのように、重く並んでいた。
坂下奈々花は、膝の上で両手を組み直した。
その指先が、かすかに震えている。
彼女のメモ帳の中――〈矛盾点〉の文字が居心地悪そうに揺れていた。




