第6話 ロックの条件とロックされるもの
安由雷と悠真は、二十階の仮設本部に戻ると、参考人聴取の結果を辰巳警部へ報告した。
「次は、地下の管理室に行ってきます」
安由雷の言葉に、辰巳が小さく頷く。
その二人の姿が、エレベーターホールに消えるのを待って、小柄な玄武が、坂下奈々花を呼んで、一つの指示を与えた。
蛍光灯の光が二人の横顔を照らし、静かな密閉空間の中に、わずかな緊張の空気が流れていた。
地下へ向かうエレベーターの中――
「カメラが死んでいた件ですね」
悠真がぽつりとつぶやく。
「ああ。――それと、エレベーターの仕組みを聞きにな」
安由雷の声は、低く、ほとんど独り言のようだった。
地下一階――エレベーターのドアが開き、二人は非常口脇の金属扉を押し開けた。
そこは――ビル管理室。
灰色の壁に囲まれ、操作パネルとモニターが並んでいる。
その前で椅子に腰を下ろしていた男が立ち上がった。
ねずみ色の制服。胸にはエレベーターの中にあったマークと同じものが付いている。
――大路 和彦、ビル管理責任者。
「すいません、お忙しいところを」
「ええ、結構ですよ」
穏やかに笑いながら、大路は会釈した。
安由雷は、事前に訪問理由を伝えていた。
*
「事件当日、監視カメラが故障していたと伺いましたが」
「はい。水曜日に不具合が出まして、週末の休館日に全基止めて修理予定でした」
「金曜の夜――事件当日も、まだ修理前だった?」
「そうです。録画機能は落ちたままでしたが、運行には支障がありませんので」
安由雷は、腕を組んで、手を顎にそえた。
「つまり、“見られていないまま、運行はしていた”……と」
「ええ、そうなります」
その時、横から悠真が顔を上げた。
「カメラって、誰かがリアルタイムで見てるんですか?」
「いえ、通常は録画だけです。
エレベーター内の非常ボタンが押された時にだけ、ブザーが鳴り、ここに内部映像が映るんです」
大路が一台のモニターを指差す。
その指先が、暗い室内に白く浮かんだ。
――コンコン。
そのとき、管理室のドアがノックされた。
安由雷がちらりと目を向けると、ドアの開けて入って来たのは、奈々花だった。
ブルーの制服の襟元を整えながらも、その表情には微かな影がある。
まっすぐな瞳の奥に、何かを押し殺したような、曇りがあった。
「奈々花……」
悠真が驚いたように振り返る。
「どうしてここに?」
「……お話を、一緒に伺っていてもよろしいですか」
声は冷静だった。
けれど、その声音の奥には、どこか自分でも割り切れていない迷いがあった。
「構わないよ」
安由雷は微笑むと、淡々と答えた。
(――命令だな)
彼には、奈々花の困ったような顔の後ろに、しっかりと玄武の思惑が浮かんでいた。
「え、な、奈々花? なんで?」
悠真は首を傾げたまま、事情をまるで飲み込めていない。
目の前の同期が、別の“任務”を背負って来ていることなど、夢にも思っていなかった。
奈々花は、そんな悠真に短く微笑んで見せた。
だが、その笑みには、わずかな痛みがあった。
職務と感情――そのあいだの、誰にも見えない葛藤が、胸の奥に押し込められていた。
「彼女も一緒にお願いします」
安由雷が、大路に向き直って静かに告げる。
「ああ、はい」
大路は、特に気にする様子もなく笑って頷いた。
奈々花が入ってきた瞬間、部屋の空気がほんの少し変わった。
鉄と機械の匂いに、人の体温が混ざる。
そして――
誰にも言葉にできない「信頼と疑念の温度差」だけが、薄く残った。
*
「では、続けさせてください」
安由雷は、すぐに本題に入った。
「たとえば、仮に今。
高層階用のエレベーターが二台――左が1号機、右が2号機の二台しかないとします」
「はい」
「どちらのボタンも押されておらず、どこからも呼ばれていない状態のとき、エレベーターはどうしていますか?」
「その場合は“フリー”です。今いる階で扉を閉じ、停止したままです」
「では――1号機が十五階、2号機が十八階に停止していて、十一階で“上”ボタンが押されたら?」
「近いほうの1号機が優先され、十一階へ降ります」
大路は左手(1号機)を下げて見せる。
「そして十一階に着くと、エレベーターの中の行先表示が“下”から“上”へ切り替わります」
悠真は、メモ帳に小さな四角いボックスを描き、上下の矢印を書き加えた。
「……なるほど。呼ばれたところに到着すると、行先表示が変わるんですね」
「では」
安由雷が、腕を組んだまま問いを重ねた。
「そのとき、十五階で1号機のドアが閉まる直前に人が乗り込んで、“二十階”のボタンを押したら?」
「その操作は無効になります。
十一階へのロックが先なので、上の階を押しても無視されます。
ただし、“十三階”など、今の階より下のボタンを押した場合は、途中で止まってドアが開きます」
「なるほど。……下の階でロックされて下る最中に、その階より“下”を押したら有効、でも“上”は無効――ですね」
「その通りです」
大路の答えに、奈々花が、静かに息を飲む。
目の前の数式のような会話に、
――理屈の中に潜む“人の意思”を探している自分に気づく。
「では、十一階の上行ボタンで下りてきている途中で、1号機に乗っている人が、“一階”のボタンを押したらどうなりますか?」
大路は、止めていた左手を、下に動かしながら続けた。
「その場合は、十一階を素通りして、まずは一階まで行き、その乗客を降ろしてから十一階へ戻ります」
大路の左手が、一番下まで降りて、Uターンして登ってきた。
その言葉を聞き、安由雷の眉が動く。
「……素通りする、ということは――その間、十八階の2号機は何をしています?」
「特に何も。
2号機の中もホールも、どこも押されていなければ、十八階に停止したままです」
「だけど、十一階に行くなら、十八階から2号機が下りた方が早いはずですよね?」
「ええ。しかし十一階のボタンを押した時点で、1号機がロックされてしまいます。
そのロックが解除されるまでは、他の機体は反応しません」
安由雷は、納得がいかないという顔で、大路を見ると、
「もしも、ロックされた1号機がですよ、ずっと一階で停止していたら、他のエレベーターは、十一階に来ないんですか?」
「そうです」と、大路が頷いた。
安由雷が釈然としない顔つきで首を傾げた。
大路が、それに気が付くと、
「ただし、十一階に1号機が上行でロックされた状態でも、他のエレベーターを呼ぶ方法は二つあります」
と、指を二本立てた。
「一つは、2号機の中に乗って、十一階の行先ボタンを押す。
もう一つは、十一階で、“下行ボタン”を押す。
1号機が、もし上の階にいれば、それに反応して、十一階に止まります。
もし通り過ぎていたら、2号機が選ばれて下りてきます」
「なるほど」
安由雷は、ゆっくりと頷いた。
「では、最後に一つ。
1号機が十五階、2号機が十八階に停止中。
十五階から1号機に乗り込んだ人が“一階”を押した後に、十一階ホールで“上行ボタン”が押された場合は――?」
「その場合、2号機のランプが点灯します。
十一階で押したのが下行ボタンなら、勿論、一階へ向かう途中の1号機が選ばれて十一階に止まりますが、上行ボタンだと2号機が選ばれて、1号機は十一階を素通りして一階へ向かいます。
自分の行きたい方向とは逆の階(十階以下)を指示されている1号機は、いつ戻ってくるのかの予測が難しいので、《《選択順は最下位》》になります」
「最下位ですか、……それは、どの階でも同じですか」
「はい。このビルの設定ではそうです」と、大路がきっぱりと言った。
安由雷は、急に険しい表情になった。
なぜならば、これでは安由雷が考えている推理が破綻してしまうからである。
(本郷が乗った8号機は、これでは一階ホールの上行ボタンではロックされないのだ。
8号機が一階ホールの上行ボタンでロックをされたということは、やはり一階に下りて来ていたという事なのだろうか?)
(どうしたのだろう?)
奈々花が安由雷の顔に迷いを見て、首を傾げた。
その後、大路に礼を言って、奈々花は二〇階へ、
二人はオフィスビルの横にあるレストランハウスへと別れた。
午後四時半からは、捜査員全員のミーティングが二〇階で予定されているが、まだ少し時間があった。




