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迷宮のアユライ ~ 二重密室のトリックを暴け! ~  作者: 霧原零時
第四章 捜査・情報収集
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第1話 灰皿の向こうの真実

二人は、十九階の小会議室のドアを開けた。

端の内線台の上に、使い古された灰皿がひとつ、置かれていた。

安由雷はそれを手に取り、無造作に椅子へ腰を下ろす。

すぐ横で悠真が、エアコンと空気清浄機のスイッチを入れた。

低い唸りが室内を満たし、紙と煙草と乾いた埃の匂いが混ざり合う。



最初に呼んだのは、殺された**馬場雷太**から三百万円の借金をしている、

――**本郷健次郎**であった。


「あの日の話を、もう一度お願いできますか」

と、安由雷が正面に座ってタバコに火を点けると、一本突き出して、本郷へ勧めた。


「何度も話したんですけどね」  

頬が痩け、眼鏡の奥のギョロリとした眼が印象的な本郷が、軽く頭を下げて煙草を受け取った。

三十一歳にしては、少し老けているようにも思えた。

安由雷が火の点いたライターを突き出すと、本郷は身を乗り出して火をもらった。


「どこから話しますか」

本郷が、浮かせた腰を元のイスに戻した。


安由雷はライターの火を消すと、

「そうですね。帰宅時のエレベーターに乗る所から、お願いできますか」

と、言って背もたれに寄り掛かった。  


悠真は横に腰を下ろし、黒い手帳を開いたままペンを構えていた。


「帰るときですか。デスクを片づけてホールへ出て、エレベーターのボタンを押しましたよ。そして……」


「――どの階から?」

ほぼ同時に、悠真のペン先が紙の上で止まった。


「十三階です。私のデスクはそこにあります」


「大体の時間も、一緒にお願いできますか」  


本郷は、話の途中で遮られたので、一瞬不快な顔を見せたが、

「えーと、七時ちょっと前ですかね。

 すぐにエレベーターが来たので乗りました」


「何号機の?」

「ああ、真ん中の“8号機”です」


「一人で?」

「ええ」


「それから」と、安由雷は、タバコの灰をアルミ製の灰皿に落とした。


「エレベーターに乗って一階のボタンを押して、下に降りました」

「途中で、エレベーターは止まりませんでしたか?」


「ええ、一階まで」

「じゃあ、十三階から乗ったエレベーターは、一階に着くまでに、何処にも止まらなかった」


「ええ」と、本郷がくわえタバコのまま、腕を組んで頷いた。

その煙が、ゆっくりと天井の蛍光灯の白に溶けていく。


悠真は、普段下ネタと軽口ばかり叩く先輩が、捜査に入ると一変する姿に、毎回のように息を呑む。

――だが同時に、上層部は安由雷に対して、いい加減で、軽くてチャラい男という印象しか持っていない。

それが一緒に行動をしている悠真にとっては、とても残念でならなかった。


「で、一階に着いてからは?」

「一階に着いて、エレベーターのドアが開いたので降りました。

 そういえば二人の男性が、私と入れ替わりに、私の乗ってきたエレベーターに乗り込みました。

 確か、……金融業務部の人です」


「それで?」

「それで、出入口へ歩いていきました」


「時間は?」

「そうですね、七時過ぎです」


「七時過ぎとは?」

「七時一分位じゃあないですか」


「警備員の前をすれ違うときに、誰かとすれ違いませんでしたか?」

「ええ、パン屋の袋を持った女性と」


「女性の、お名前は?」


「分かってるんでしょう。

 T社の吉川志季さんですよ。

 今回の第一発見者だと聞いていますが――」


「吉川さんの事は、以前から知っていましたか?」

「ええ、東部さんには、何度か仕事をお願いしましたから」


短い沈黙。

安由雷はタバコの火を灰皿に落とし、

煙の向こうから本郷の目をじっと覗いた。


視線だけで、言葉以上の圧を与える。

本郷の喉仏が、ごくりと上下する。


安由雷は一息つくと、隣の悠真に顎を傾けた。

気づいた悠真が、そっと耳を寄せる。

安由雷が短く何かを告げると、

悠真は無言で頷き、立ち上がって小走りに部屋を出ていった。



安由雷は、顔を戻すと静かに聞いた。

「それと、もう一つ伺いたいんですけど。

 あなた、結婚されていますよね?」


「ええ」

本郷は、悠真の出て行ったドアを見つめたまま、気のない返事をした。


「さっきの若い刑事さんは、どちらへ?」

「いえ、別に」

安由雷は長いまつげの目を上げ、軽く首を振る。


「ところで――お子さんは?」

「いません」

本郷は顔を戻し、無表情のまま首を横に振った。


「奥さんは、職場では別姓と聞いていますが」

「ええ、家内も結婚前の職場で、今もフルタイム勤務ですから」


夫婦の苗字も口座も別。

必要以上に干渉しない――いまどき珍しくもないが、本郷の言葉からは、どこか冷えた距離を感じさせた。


「ところであの日、あなたは馬場さんに、お金を返す約束をしていましたよね?」

「ああ、あれは、お金が……どうしても工面できなくて」


「で?」

「馬場さんに話して、後日にしてもらいました」


「じゃあ、あの日は返さないことにした」

「ええ」

本郷はきっぱりと答えた。


(……延期? なら手帳には×印が残るはずだ。

 それに、告訴まで辞さなかった馬場が、あっさり引き下がるとは思えない)


灰皿の煙の奥で、安由雷の瞳がわずかに細くなった。

言葉を選ぶより先に――彼の直感が、目の前の男の“嘘の温度”を嗅ぎ取っていた。

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