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古代中国短編

風雨と霹靂

掲載日:2025/10/04

 まだ刃になりきらぬ鉄が、赫灼の光を放つ。その様を眺めている時、その男は、どんな妖艶な美女を前にしても起こり得ぬ興奮が総身を支配するのを感じるのであった。

 (ふくろう)のように黒く輝く明眸と、頬に走る、第三、第四の眼のようにも見える赤い(いれずみ)。熱の輝きを受けたそれは、まるで本当に眼力があるかの如くに、自らが鍛えている鉄を凝視していた。

 その錬鉄は、一人の童子によって遮られた。(ゆう)どのと、荒い声で名を呼ばれ、男は手をとめた。

 この男――姜尤(きょうゆう)は、苗民(びょうみん)という族の長である。まだ年若いが、錬鉄を生業とする苗民族では並ぶ者のない腕前であり、鍛える刃は七つの鎧を一振りで断ち、しかしてその作業の速さは、熟練の他の鍛冶師たちをして、腕があと四本あっても並べない、と言わしむるほどであった。


「どうした、軒轅(けんえん)どのから使者でも来たか?」


 軒轅というのは、姜尤の主君である。

 姜尤の治める苗族というのは、洞庭湖(どうていこ)彭蠡湖(ほうれいこ)の間を拠点としていた族である。さらには夸父(こほ)という、泰山に棲む族とも繋がりがあり、大陸の東南に君臨する一大勢力であったと思ってもらえばよい。

 一方、軒轅はその西に棲む黄華(こうか)という族の長であった。軒轅とは、軒はひさし、轅は長柄の棒のことを指す。つまりは天蓋のついた馬車のことである。

 苗族では獣を用いての移動といえば、虎狼に跨るのがもっぱらであったが、黄華族は木製の車を牛馬に曳かせるのが常であった。その車を始めて作ったのが軒轅なのである。

 かつては、苗族と黄華族は対立していた。しかしある時、黄華族から友誼の使者がやってきたのである。

 苗族の中では、跳ね除けるべし、という意見が多数であった。

 車を好む黄華族は、他にも礼や徳というものを好み、仁愛を謳っていた。それに対して苗族は、剛腕と蛮勇を好んだ。強き者が最も偉く、それに従うことこそが道理なのである。

 故に苗族は黄華族のことを、惰弱で口三寸ばかりの腰抜けと見下していたし、黄華族も苗族のことを、粗野で野蛮な未開人と蔑視していた。それがために、両者の間には諍いが絶えなかった。

 その使者が来た時、姜尤は父に先立たれ、苗族を継いだばかりであり、まだ十二の若さであった。

 だがそれ故に、両族の因縁に疎く、そして、見知らぬ土地や習俗に対する好奇心を強く持っていたのである。

 姜尤は反対を押し切って、西へ赴いた。そこで軒轅に見えたのである。

 無論、姜尤にも苗族の長としての誇りはある。もしも黄華族が侮蔑を以て報いるのであれば、その場で軒轅を殺し、東に帰るや大挙して黄華族を鏖殺せんという気概はあった。

 しかし、そんな血気を秘めた姜尤を迎えた軒轅の初めの言葉は、


「苗族には、鉄という、石を溶かして鍛えたものがあるそうだな。さらにそれを研ぎ澄まして作る刃というのは、石刃よりも切れ味がよいと聞いている」


 という、慮外にも、苗族の錬鉄を称えるものであった。

 軒轅は、壮年で美髯を蓄えた男であった。これまで敵対していながら、姜尤に対してまるで敵意といったものを有しておらず、山林の中で木々の吐く濃い吐息を浴びている時と同じような心地よさを感じたのである。


「は、はい。木や石よりも堅く、それでいて形を自由に加工できます。我らはそれを、日々の散髪や、獣肉の解体に用いております」


 姜尤は、無意識に、敬語を使っていた。軒轅に対して、山川の神に向けるようなものを感じていたからである。


「ではそれを用いて、こういうものは作れないだろうか?」


 軒轅は姜尤に歩み寄り、白帛に墨で書いた図を見せる。それは、服飾を鉄器で覆った防具であったり、長杖の先に刃をつけた武器であった。

 これまで鉄や刃を、日々の細々としたことにしか用いてこなかった苗族にとって、軒轅の示したそれは廻天の発想であった。これらを作ることが出来れば、人は獣に近寄らずとも獣を狩ることができ、肉薄を許したとしても、その獰猛なる歯牙から身を守ることが出来る。姜尤は若い双眸を輝かせた。

 そして、必ずやこれらを作り、献じますと誓ったのである。

 会談が終わった時には、姜尤はすっかり、軒轅という男に心酔していた。


 ――この地には、我らの知らぬ智慧が溢れている。そして、黄華族の長たる軒轅どのは、我らを蔑むことなく、私が黄華族に向けるように、苗族の独自性に敬意を向けてくださった。


 こうなると、姜尤としては、黄華族の智恵をさらに見聞したいと熱望した。

 その意を汲んで軒轅は、蒼頡(そうけつ)という老臣を、姜尤の泊まる宿舎に遣してくれた。目の下に深い隈のある、痩身の人である。

 蒼頡は姜尤に様々なことを教えたが、とりわけ、姜尤の気を惹いたのは、文字と薬学である。

 文字があれば、これまでは口伝であった錬鉄の妙を、後の世に残すことが出来る。

 薬学の知識をもってすれば、これまでは死を待つしかなかった死傷者を大きく減ずることが出来る。

 そしてこれらのうち、文字は蒼頡が作り、薬学は軒轅が修めたとあって、姜尤はいよいよ、苗族は黄華族と争うべきではなく、むしろ、その智慧を学ぶことで、族としての繁栄を目指すべきだと考えるようになった。

 姜尤は東に戻ると、黄華族と和することを決めた。さらに自らは、苗族としての立場は変わらずだが、実質的にはその任を弟に任せ、自らは軒轅の臣となって、東西を往来する春秋を過ごすようになったのである。

 これでは、苗族は黄華族に膝をついたのと変わらない、と不満を漏らすものは多かった。しかし、姜尤が西から持ち帰る数多の知見は確かに苗族に実りをもたらしたので、強弁出来なかったのである。

 そうして十数年の時が経ち、黄華族と苗族は、時に悶着することはあれど、友好を築いていた。

 姜尤は、今は彭蠡湖にいて錬鉄に明け暮れているが、黄華族の地で何か起きたのだろうかと思ったのである。時折、両族の間で喧噪が起きるので、そこで何かしら悶着しているのかもしれない、くらいの考えであった。

 しかし、汗をぬぐいながら、駆けつけてきた童子の目に血光が走っているのを見て、妙な胸騒ぎがしたのである。

 実際にそれは、風雲急を告げるものであった。

 黄華族が大挙して攻め寄せてきたというのである。姜尤は耳を疑い、何度も聞いた。あるいは、視察か巡行の一団を敵と見間違えただけだと思ったからである。

 しかし黄華族は間違いなく、戦意を以て苗族の邑を侵し、既に涿鹿(たくろく)の平野まで迫っているとのことであった。

 涿鹿の地は苗族にとって喉元といっていい要地であり、ここを越えられては、苗族は立ち行かない。

 未だ逡巡と疑念はあるが、姜尤は族長として、邀撃を決断せざるを得なかった。

 迷いに反して、姜尤の動きは早く、黄華族が涿鹿を越えるより先に、苗族は陣を敷いた。

 陣といっても、各邑の長たちが、率いてきた兵をまとめて点在しているだけのまばらなものである。

 一方、苗族を遠望した黄華族も、隊列を動かした。ただしこちらは、太鼓と軍旗の合図によって一糸乱れぬ統率を見せた。

 突破に優れた戦車隊を前列に二つ並べ、歩兵を五つの隊に分けて中列に控えさせ、聳え立つ木造兵器を有する後陣が背後を固める。軒轅が考案した、水陣と呼ばれる陣形であった。

 姜尤は陣頭に立ち、叫ぶ。


「軒轅どのよ、何ゆえに大挙して我が地を侵す!?」


 すると、水陣が割れてその中から一台の戦車が現れる。その上には軒轅の姿があった。


「貴様ら苗族が、我が子である神荼(しんと)鬱塁(うつりつ)を殺したが故である。知らぬとは言わせぬぞ!!」


 神荼、鬱塁とは、黄華族において、風紀と規律を正す務めを果たしていた人物である。無論、姜尤もその二人のことは知っていたが、死んだことなどは知らず、殺したと言われても覚えのないことであった。

 しかし軒轅の言葉に対して、苗族の陣から、怒りの叫びが上がった。

 姜尤は振り返り、話を聞いた。すると、軒轅の言葉が正しいということが分かったのである。

 神荼と鬱塁は、黄華族の秩序を苗族にまで強制し、従わぬ者を抑圧していたらしい。二人の手によって、罰として殺された苗族は百を越えているという。姜尤はまったく知らぬ話であったが、それが事実であれば、殺された二人に咎があることになる。

 姜尤は抗弁した。

 しかし軒轅は、姜尤よりもさらに大きく、涿鹿の広野を震わせんばかりに声を(いか)らせた。


「我が子らは、羈束(きそく)なく、鳥獣のように野放図に生きているお前たち野人に徳を示し、礼によって教化せんと志したのだ。畜生でも、ならぬと躾けられればその矩を越えぬというのに、それを怨んで牙を剥くような者どもを、この大陸にのさばらせてはおけぬ!!」


 叫びに応じて、後陣の兵器から太鼓の音が響き渡った。その兵器というのは、泰山のように巍々として屹立した高さを誇り、八つの車輪をついて移動が出来る櫓のような――指南車と呼ばれるものである。

 太鼓の音と共に、苗族の陣の後方で裂帛の喚声が響いた。黄華族の伏兵が吶喊してきたのである。

 姜尤との口論は伏兵を配置するための時間稼ぎであり、指南車の高みから、軍が苗族の背後に回ったのを確かめて、突撃の合図を下したのだ。虚を突かれた苗族は、たちまち混乱に陥った。

 姜尤は背後の黄華族に兵を当たらせたが、その時には、軒轅は、自らの軍に突撃を命じていたのである。

 実に狡猾な挟撃である。つい先ほどまで徳を語ったその口で、陋劣で姑息な策を平然と行わせたのである。

 黄華族には指南車があり、苗族がどのように動こうともすべては悟られてしまう。一切の策は封じられ、野火が草原を焼くように、たちまちに苗族はその数を減らしていった。

 しかしここで流れが変わった。突如として、風が吹き荒れ、蒼天に運び込まれた暗雲が、篠つくような豪雨を降らせた。涿鹿の野は、夜よりも暗く、視界が悪くなったのである。

 こうなると、指南車は意味をなさない。姜尤はこれを好機だととらえた。

 涿鹿は苗族にとって、見知った地である。前が見えずとも、どこに何があるかは手に取るように分かるのであり、この嵐を遮蔽として軒轅に迫らんとした。

 黄華族は指南車からの差配をなくして混乱し、まずは同士討ちを避け、隊列を組みなおすことを優先させている。姜尤はその間に、手近な兵を纏めると、先ほどまでの記憶をたどり、ひたすらに軒轅の戦車を目指した。

 他の兵には見向きもしない。狙うは、ただ軒轅のみである。

 一歩、また一歩と、その距離が狭まる。かつては主君として敬恭した相手であるが、今は、苗族を脅かす怨敵でしかない。姜尤は、苗族のために、自らの命と引き換えてでも軒轅を殺す覚悟であった。

 やがて姜尤は、軒轅の戦車まで十歩のところまで来た。姜尤は目が良く、この嵐雨の中でも、それくらいの遠くは見える。軒轅の戦車は、降り出す前と同じところに留まっていた。

 剣を握る手に力を込めて、駆け出す。悟られぬよう、激情を殺さねばならぬと分かっていたが、胸のそこから湧き上がる赫怒が、喉の奥からとめどなく溢れ出た。その叫びさえも、風雨の天籟がかき消してくれた。


 ――苗族の命運を、この一振りに賭ける!!


 後三歩。姜尤が一人、そう決意を定めた時である。

 けたたましい轟音が鳴り渡った。霹靂である。一たび金色の閃きが走ったかと思うと、たちまちに雨が止み、曇天の奥に蒼天が見えた。

 姜尤は思わず足を止め、そして、その姿はたちまちに黄華族の兵にさらけ出されたのである。

 その霹靂はまるで、蒼穹を大弓として、姜尤の剣を防がんとして放たれた巨大な矢のようであった。しかし霹靂は本来、風雨と共に有るものである。然るに今は、連れ合いであるはずの風雨を仇敵のように引き裂いて、蒼天に与したのだ。

 風雨がなくなってしまえば、姜尤のいるそこは、敵陣の只中である。たちまちに兵が殺到し、姜尤は囚われてしまった。

 そして、手足を押さえつけられ、軒轅の前に晒しだされる。

 かつては、言われずとも(こうべ)を垂れていたのに、今は、剛力で抑えられてもなお耐えられぬほどに、それは屈辱であった。


「姜尤よ。礼徳も知らぬ、蛮族の王よ――」


 軒轅は冷ややかな声で、姜尤に言葉を投げる。


「貴様は鉄を造り、それを以て武器とした。今、天下に擾乱あるはすべてお前の罪である」

「ふざけるな!! それは、お前が命じたからであろう!!」

「改悛の心さえ持たぬか。ひとひらでも、その心があれば、許してやったものを」

「誰が、お前の赦しなどを求めるものか!! 俺たちは、罪など一つも犯していない!! 貴様らは徳とう名の衣を纏って己の貪婪を覆い隠し、礼という名の装飾を以て掠奪を正義と言い張る大悪人だ!!」


 姜尤は悪態の限りを尽くした。しかし軒轅にその言葉は響かない。それどころか、近くに控える兵に、躊躇いなく斬首を命じた。

 かつて軒轅に命じられ、姜尤が生み出した鉄製の剣が、今は凶刃となり姜尤の首に迫る。地に吹き飛んだ鮮血は、まるで楓の葉のようであった。




 軒轅は、中国において太古の伝説とされる五人の帝、五帝の一人目であるとされる。後の世に黄帝(こうてい)と呼ばれる彼は、涿鹿の野にて悪逆なる四目六臂――四っつの目と六つの胴体を持つ怪物、蚩尤(しゆう)を打ち倒して天下を平定したと言われている。そして蚩尤の悪行の中には、鉄で武器を造り、世に争いを蔓延らせたことも挙げられている。

 仔細に差異はあれど、いかなる書においても、黄帝が徳を知る賢君であり、蚩尤が暴虐な野心家であったという事実は変わらない。ただし一つだけ、『管子(かんし)』と呼ばれる書においてのみ、黄帝は蚩尤に命じて鉄で武器を造らせたと、まるでこの二人が君臣であったかのような記述がある。

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― 新着の感想 ―
鉄!指南車! 私自身古代ローマをテーマに作品を書いているため、非常に楽しく読ませていただきました。 重厚かつ興味深い、素晴らしい短編ですね。
ペンギンの下僕様、こんにちは。 楽しく拝読いたしました。 私も史書の書かれ方について…後世にどう解釈され残されるのかについて作品で先日、軽く言及しました。 人の数だけある真実の中から誰かに都合の良い、…
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