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3Gと5Gの生活  作者: えり氏
3Gと5Gの生き方。
4/6

震源地は実家

これは自宅で起きてる話。救われるまでは自分が耐えるしかなかった。

精神疾患を抱えながら母という立場でなんとか堪えるそれが役割だった。

父親はいわゆる昭和親父で亭主関白。

母親は楽観的で少し面倒くさがり。

姉はいわゆる腐女子で、父親が大嫌い。

兄1は引きこもりで、でも兄妹ではいつも俺は偉いんだぞって見栄を張る。

兄2は知的障害者。小学校低学年くらいの知能かな。

あとオスの柴犬。嬉ションを子犬の頃良くしてたけど最近は甘え上手なお天馬さん。


実家はそんな家族構成。

姉と兄1はとりあえず独り立ちしたけど、週1とか月1で帰ってきたりしては私の事を悪口言って追い出そうとする。

注意をしない父親と気にする事はないと母親は言う。

両親ともにのんびり過ごして居たらいいと言う割に子育てはあまり手出してこない。

私の「手伝って」が飛んでこない限り。

私がどれだけ手伝ってにプレッシャーを感じているか家族はわかっていないのだ。

そんな中のうつ病急性期と、夏休みのぶつかり。

夏バテなのか、病状なのか、食欲は無く、「お腹すいた」の感覚だけが胃からのメッセージとして鳴っている。

起き上がるのがやっとの中散らかったペットボトルと、寝返りをしそうな娘との添い寝。

泣いてもすぐに動けない罪悪感と、もう少し寝ていたいと思う気持ちとは裏腹にやってくる上の子の保育園のお迎え。

さっき作り笑顔でバイバイしたのに地域の夕方のチャイムと共に娘をおんぶ紐で背負ってゾンビのように歩いて無感情でお迎えに行く。

そんな日々を迎えては、週末の父親の気まぐれで朝から子供たちとテーマパークへ出かける。

朝起きる事が苦痛で仕方ない上に、父親の気まぐれに付き合わされて、子供たちのめんどうも見ないくせに車に乗せて私を同伴させながら危険運転してなんだかんだ子供たちの1日を充実させる。

父親の危険運転が始まったのは今に始まったことでは無い。元々の性格の問題もあるのだろう。

父親は「煽り運転」が罪になるずっと前から煽り運転を家族の乗った車でしていたり、急発進、急停止は当たり前で、幼少期の私や兄妹はそれによって車酔いが酷かった。

大人になった私と子供たちを乗せている今日この頃は、ボケが始まってきたのか、以前受けた糖尿病の目の手術のせいなのか、曲がる時の歩行者に気がつくのに遅れたり、一般道の線ギリギリを走ってみたり、スピードメーカーを見ていないのか、道路に合わせた運転ができなくなっている。

私は母親に「免許返納をしたほうがいい」ともう何年もいい続けている。だが、車は父親の所有物で、免許が無くなってしまえば車も無くなるだろう。そう言ってなかなか父親と話すタイミングがないらしい。

無理やり外に出された事でかなり私にとって疲労でしかない中、何も無い状態に納得がいかない父親が私と子供たちを動かす事で無理やり回復へ向かうことになった。

好きな事はできていないし、父親のやり方も好きではない。力技でうつ病を治そうとしている意図が義両親とそっくりなところが気に食わない。

そんな日々を迎えながらもやってきた下の子の1歳の誕生日。

実家に帰ってきて、面会に一度も来ない旦那、メッセージ1つ来なかった。

別居の時点で離婚は覚悟していたが、旦那はなんとも思っていないようで、引き止めることも子供たちのことも何も言ってこなかった。

そして、下の子の誕生日に渡された離婚届。

私が別居前に先に書いていたものを実家に持ってきた。

「本当にいいんだね?」私が作ってきたものや、旦那の名誉、旦那が義実家に帰った時の顔は泥を塗ったも同然になるだろう。

そんな意味が込められていたにも関わらず旦那は何も言わずにタバコを吹かしながら帰っていった。


そして年が明けて少しした頃、急性期から少し回復をした私は役所のスタッフと同伴してもらいながら手続きをして離婚となった。

この後の作業もなかなか大変で、ひとり親になった時の役所の仕事やイベントの勧誘や、戸籍の入れ替え、姓の変更で役所から家庭裁判所、子供たちの検診とであっという間に2ヶ月は過ぎていただろう。

やっとの思いで下の子も兄妹揃って保育園に入園。

一人の時間が作ることができて、少しずつ自分なりの回復ができるようになった。

今まで見れなかったSNSや動画も見ることが出来て、ドラマやバラエティをテレビで観れるくらいまで回復していた。

やりたいことも増えて、資格もとりたい。仕事もやりたい。

うつ病ながらに意欲が湧いてきて良くなってると実感した。

そんな中、なんでもない晩御飯の日兄2が父親と揉め事を起こした。

兄2は一度癇癪を起こしてしまうと大声を出したり、大人の身体と知りながらものを投げたり殴ったりと自分の納得がいくまで止まらないのである。

リビングでしかも晩御飯の最中に起きてしまい、食事中の子供たちを部屋に避難させて、慰める。私にも言い聞かせるように抱きしめながら「大丈夫だよ。心配しないで。」そう言うしかなかった。

震える手と、堪えないといけない涙を子供たちを抱きしめることでなんとか抑えた。

月2回はそんな事が起こるようになり、子供たちから「お部屋でご飯が食べたい」と言った声が出るようになった。

子供たちもリビングが良い空間だと思えなくなってしまったんだと思い、私が使っている小さなちゃぶ台テーブルを片付けてそこで身を寄せるように食事をした。

子供たちも安心できたのか、部屋で食べるご飯の完食が増えて、すぐ隣に布団があることや、パソコンで観れる子供向け動画を就寝時間いっぱいまで思う存分楽しんでいた。

部屋での食事やおやつを禁止していたが、それでも子供たちはリビングでの騒がしさより部屋の安心感が優先したのだろう。

兄2がいくら詫びてきても子供たちはケロッとした様子で次の日にはリビングで走り回っておもちゃを広げて遊んだ。


兄2が起こした癇癪の日の事や、家族の事を主治医に相談したところ、やはりパニック障害が併発しているかもしれないと言われ、眠れない日々に眠剤が増錠した。

毎晩眠剤で倒れるように寝るにも関わらず深夜や早朝に目が覚める。いわゆる早朝覚醒が起きてしまった。

子供たちの夜泣きが無いものの、夜明け前の私がうつ病で泣いてしまう。

悩みながらも私は兄2が家にいる以上は子供たちの危険を感じ、家を出て暮らしたいと思うようになった。

その為にも働きに行かなければならない、役所との相談や就労支援のパンフレットを片手に子供たちのご飯を作っていた。

そう、そこでマッチングアプリを始めたのである。

片手間で人の事を知ることができる上に、子供たちもろとも受け入れてくれるような人がいたらいい。

パパと言う存在がいない子供たちに素敵なパパをプレゼントしてあげたいと思うようになった。

それが始めたきっかけ。

そして、毎日のように何十人もの「いいね!」と「足あと」やり取りが始まり、私の頭の中はてんやわんや。

まるで子育てしてない父親のようにスマホに齧り付いて、あの父親に注意される程私は返信に熱中していたようだ。

条件がなかなか合わなかったり、いわゆるパパ活目的だったり、若すぎて子供たちは無理。私しか興味無い。そういった人たちで溢れていた。


スマホが手放せない現代。それでも子どもたちは成長していく。

どこで何が起こるかわからない。目を離したら連れ去られるかも。車に轢かれるかも。沢山の不安の中で条件の会う人を探すのも精一杯だった。

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