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3Gと5Gの生活  作者: えり氏
3Gと5Gの生き方。
2/6

産後のぐちゃぐちゃ

27歳、170cmの私。女子の中ではだいぶ背が高いよね。

そんな私が彼と会うまでのちょっとしたプロフィール。

会うまでに色んなことが巻き起こってたなんて誰も思わないよね?


「付き合ってください!」

メッセージで伝えました。

あ、そうそう、私は27歳。バツイチ2人の子供がいるよ(´-ω-`)

そして彼は41歳。年の差カップルってやつだね!


今の彼に会うまでの私の少し前の話をするね!

私は、経済的DVだったり、元旦那の実家でいびりを受けたり、精神的苦痛が多くてうつ病になってるんだ。

子供たちが産まれる前からうつ病だったから産後鬱ってのがかなり大変で、本当に毎日気を使って義実家で暮らしながら、いわゆる「うつ病は甘え、みんな辛いのは一緒」なんて言われながら過ごしてたよ。

経済的DVがあったから病院にも行けなくて、限られた義両親と決めた生活費でなんとか私はやりくりしてたけど、今思えばなんでもっと早く離婚…というより結婚してしまったんだろうな。なんて思う。

うつ病が酷くなって実母から「旦那が謝るまで帰ってきたら?」と言ったから夜荷物まとめて免許は当時持ってなかったから次の日の朝子供の離乳食を朝あげて一緒にそのまま実家に帰ったの。

その考えは良かったと思うよ?だけどね、私4人兄妹の末っ子。しかも上3人は全員独身実家暮らし。

居場所なんてあったもんじゃないし、子供に理解ない兄妹もいたから、もちろん子供の夜泣きがうるさい!って言ったり「夜9時以降は泣かせないでくれ」なんて言ったり、お風呂にゆっくり入りなと言いながらも両親は「子供がお腹すいたって泣いてるよー」なんて抱っこしながら呼びに来るんだもん。休めたもんじゃないよね。

そんな事もあって上の子が3ヶ月になったくらいかな…?突然おっぱいが出なくなったの。

え???って思ったよ。自分でも張りがないとか、授乳しなきゃと思うのにいつも通り出ないっておかしいって思ったんだよ。

だからめっちゃネットで調べた。

「ストレスが溜まりすぎると授乳より、自分を守ることが優先される」って書いてあった。

あぁ、私めっちゃストレスたまってたんだ。もう、諦めてミルクにしよう。そこからミルクと離乳食生活だったよ。1人目はそんなかんじ。

2人目はめっちゃビッグベイビーって感じでさ!3890g(平均は2500~3200g)だったの!

最初陣痛って気が付かなくて、なんかお腹痛いなぁ…食あたり?冬なのに?みたいに夜中にトイレに駆け込んではぁ。部屋に帰ってきて「なんか、漏れた…?」一応アプリで陣痛感覚調べようって思ったらまさかの5分だったの!(初産は5~7分、経産は7~10分感覚になったら病院に連絡しないといけないです。)

しかもワンチャン破水したっぽい?!(破水した場合細菌感染対策の為入院になるケースがほとんどです)

これはヤバイ。しかも、深夜2時…。誰起こしたらいいんだろう。(実家の近所に住んでたので里帰りしてました。)

母親は酒飲んでるし、父親は運転怖いし、兄はペーパードライバー。旦那は仕事で爆睡してて絶対電話出ない。

これはとりあえず母親を一旦起こしてから相談しよう。

2時半。「母、多分陣痛っぽい。病院には連絡したから行けそう?」

寝ぼけながらも母親はどうやら酔いは覚めていたようで、水を飲んで10分程で出発できた。

陣痛は本当だったようで、車の段差でもギュッとなる感覚や、信号待ちになった途端強めの陣痛が来てる感覚があった。

「あんまり痛そうじゃないね」

いやいや、母よ、痛そうに見せてないだけだぞ。

そんなこと思いながら深めの深呼吸をして、少しずつ破水の水が出ている感覚と、腰の痛みが増してくるのがわかった。

朝ごはんが8時頃届いて私は既に1分~2分間隔、子宮口8cmから中々進まない。

ご飯は無理です…ごめんなさい

看護師さんに辛うじて伝えた気がする。

本当に腰が取れそうなくらい痛かった。

スムーズに行かなすぎて、看護師さんに「お腹切って!まじ痛すぎるお願い!」

って言ったのは覚えてる。

めっちゃ痛かったもん。

あ、私ね身長170cmあるんだけど、それでもビッグベイビーだよね笑

体重20kgくらい増えちゃってさすがに怒られたけど絶対産後痩せてやるって思ってたから気にせずにいたよ。

そんな中やっと産まれた我が子。

旦那は仕事だからって立ち会わなくて一人で出産したけど、みんなに報告して、旦那が1番冷たい一言だったなって今では思う。

私からしてみれば女の子だ!やったぁ!って思ってたのに、どうして旦那は嬉しくないんだろうって思ってた。

うつ病を病棟のひとに伝えるためにバースプランの裏にビッシリと出来事や手紙を看護師さんに届いてほしいと思いながら書いていたのに届かなかった。

「私さんは2人目だからサポートなくて大丈夫だよね!」

私は人のことを見て学ぶことが多く、人に聞く事をしてこなかったから、1人目の時からしっかり教えてもらえなかった。家でも私が起こすトラブルも多かったし、2人目もかなり心配だった。

案の定その言葉が出てしまい、すごく落ち込んだ。

母子同室もなるべく避けて、自分の治療や、休むことを優先したい事を書いていたのにそれを叶えてはくれなかった。

やっぱり夜中の授乳は起こされるし、昼間でも子供の泣き声で私も泣きたい気持ちになった。

退院する少し前、子どもがうんちをした。それが子供の服にも着いてしまい、オムツも取替えないといけない。

でも私にはそれが、パニックになってしまい、固まってしまった。

助けてもらいたいと思い、ナースコールを押した。

看護師さんからはなんでもないような事だったし、お説教のようにあれしなさいコレしなさいと言われたが、頭が全然回らずそこでまるで心が無くなってしまったかのようになった。

「わかりました。すいません」

看護師さんにはそれくらいしか話すことができず、退院後、一人で上の子を見ながらこの子の世話をするのか。とものすごいプレッシャーのなか涙目で退院した。

1ヶ月検診では私の身体は正常なものの、精神はボロボロになっていて、診察室で大泣きしてしまった。

帰ってきてからも上の子はまだ小さく、話すのも曖昧だったことから泣くことも多かった。

家の中で泣き声が飛び交う中、私はついに起き上がることが出来なくなってしまった。

授乳しなきゃ、ご飯作らなきゃ、家事しなきゃ、トイレ、お風呂、全部がぐちゃぐちゃになってしまい、寝ながらずっと泣いていた。

泣いていたと言うより目からずっと蛇口を捻ったようにぽたぽた涙が垂れてきていた。

なにも考えてないのに、考えたのに。身体が指が、口が、全部動かなかった。

今思えばあの頃はある意味孤独だったんだなと思う。

その頃、祖母から1本の連絡が来た。

「私一人で抱えてないかい?子供たちの泣き声が聞こえるけどちゃんと休めてるかい?」

最初こそ強がって「大丈夫」と電話を切った。

だけど、独りで生きることの難しさや、私の話す事の能力の低さ、適応力がかなりキャパオーバーしていた事を再確認できた瞬間でもあった。

誰かに「助けて」という事が出来なかった私が大人になって初めてに近いSOSを出した。

「やっぱり大丈夫じゃない。帰りたい。」

たまたま近くにいた叔母が「よし。」と立ち上がり最低限の荷物もって来なと夜逃げのように家を出て祖母の家に来た。

夕飯時で、祖母は晩御飯の支度をしていた。

叔母は職場でもらったお弁当だけど…と言いながら小さな肉寿司のお弁当をくれた。

人の作ったご飯はいつぶりだろう。外食なんて味わって食べていた事がどれくらい前の事なんだろうと何ともないはずの弁当を泣きながら食べた。

祖母が作ったお味噌汁はまるで高級料理を食べている気分になるくらい心が温かくなった。

話をそのまま叔母と祖母に聞いてもらい、しばらく祖母の家で子供たちと共同生活することになった。

お金は気にせず、と叔母はミルクやオムツを大量に仕入れてくれて、「頼っていいんだよ」と教えてくれた。

今まで家族や身内に頼れなかった私は初めてここで誰かに頼っていいんだと思えるようになった。

少しして実家に帰るがそこにも心がぐちゃぐちゃになるような事が待ってるなんて思いもしなかった。

祖母の家を出て実家で暮らす事になるが、「家族」の中でも訳ありが…

その訳っていつから始まったの?そこからどうなるの?

誰がこんな事を?

私に平和は来てくれるのかな…。

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