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 それからというもの、聖女はつねにわたしの先を行った。


 まず、筋肉は三日で堕とされた。……そう、堕ちたのである。

 真面目だからな……タイプだったんだろうな、聖女の。

 熱心に剣の稽古ばかりしているはずなのに、練習場で筋肉の姿を見ることはなくなった。聖女について回っているのである。


 殿下はまだ持ち堪えている……一応。

 一応というのは、心は完全にイッちゃってるけど、婚約者がいるのに迂闊なことはできないっていう、良識が殿下を押しとどめている状態だ。

 最近、わたしと話していても殿下の注意が逸れがちなんだよね。視線は聖女を追ってるし……。

 もう挽回できる気がしない。


「こんなことなら、いっそ悪女になってしまった方がいいのかも」


 ゲーム開始から十日の、お昼休み。

 昼食も、最近はひとりでとっている。テラス席の向こう、庭園のベンチでは殿下とリリアン、筋肉の三人が、楽しそうにランチを広げている――ピクニック・バスケットを広げて眼をかがやかせるリリアン、敵ながら可愛い。


 ほんと、どうしようかなぁ。リリアンの妨害プレイを試してみる?

 いやでもなぁ、リリアン万事わたしの先を行くからなぁ……それに、変な動きをすると即座にわたしへのマイナス評価につなげてきそうで怖いんだよなぁ……。

 筋肉を従えて善行にいそしむリリアン、学園内での評判は上々だ。とにかく人心操作がうまいというか……いやNPCはAIだから、AI操作がうまいというべき?

 ジョンにどれだけ探らせても、欠点も弱点もなにもない。最近ではもう無駄な気がして、ジョンを呼び出すのもやめてしまった……。

 結果、ジョンは健康的な生活を手に入れたはず。

 おめでとう、ジョン。庭師として精進するといいよ。


「まだ諦めたくないのに」

「なにをです?」


 悲鳴をあげかけたわたしの口を、大きな手がふさいだ。

 腹黒眼鏡だ。

 くちびるに指を当て、静かにするんですよと言い聞かせるようにしてから、眼鏡は手をはなした。

 ……いや年頃の女性の口をいきなりふさぐの、VRでもナシだろ! ナシ! 泣いちゃう、怖くて!


「申しわけない、そんなにおどろくとは思わなくて」


 ほんとに目が潤んでしまったせいで、腹黒眼鏡との会話は謝罪からスタートすることになった。


「いえ……なにかご用ですか?」

「あなたを傷つけるのは本意ではないのですが……率直にいいましょう。最近、殿下となにかありましたか?」

「なにも……」


 なにもないのが問題なんでございますわよ!

 ロマンティックな台詞のやりとりも、うふふなシチュエーションでのデートも、胸がキュンとなるようなイベントも! なにもないんですのよ……もう虚無ですわ。心が虚無。

 頑張ってもちやほやされない乙女ゲーム、最悪。


 現実では二時間とはいえ、体感百日なのだ。あと九十日、残ってるんだよ?

 ぜんっぜん楽しめる気がしなくない?

 いっそさっさと百日終わらせて断罪されたい。つよくてニューゲームしたい。


「なにも? ですが、殿下の様子がおかしい」

「……想うかたがいらっしゃるのは、存じております」

「婚約者であるあなたを、ないがしろにするほどの、なにがあったのです?」

「ですから、わたくしとは……なにも。殿下を動かしたのは、恋……だと思いますわ、……」


 負けを認めたくはないけど、わたしが楽しむつもりだったロマンスは、すべてリリアンに奪われてしまった……。

 思わずこぼれた涙に、自分でびっくりした。いやぁ、VRでも泣けるんだね。


「恋? そんなもののために、あいつはダービッシュ卿の支持を捨てるというのですか?」


 そうか。kawai3697は腹黒眼鏡は攻略してないのか。

 アレが好きそうなタイプじゃないからなぁ、腹黒。むしろ同類嫌悪って感じか。ありそう〜!

 未攻略の腹黒眼鏡は、恋も愛も理解しないはず。なにそれ美味しいの? くらいの感覚かな。


「あなたには『そんなもの』でも、殿下にとっては違うのでございましょう。……失礼」


 その場を立ち去ろうとしたわたしの手首を、ラルフが掴んだ。


「あなたはまだ、俺の問いに答えていませんよ」

「……もうお答えしたと思いますが」

「はじめの問いですよ、ディシネア嬢。諦めようとしているのは、なんです?」


 敗北宣言を強いられているようだ。なんでゲームでこんなにがっくり来なきゃいけないの……。


「殿下のお心ですわ。わたくしが手に入れることができるなど、思い上がっていたのです」


 ゲーム・スタート時の殿下は、もっとやさしかった。わたしの眼を見て話してくれたし。

 でも、今は全然だ。


「……あなたも、殿下に恋をしているのですか?」


 うーん……。

 あらためて問われると、難しいな。


「婚約者ですもの。激しくはなくとも、恋を……できると思っておりました」


 腹黒眼鏡の眼鏡の縁が、キラーンと光った。


「なるほど。嘘ではありませんね」


 し……真偽判定!? こんなとこで繰り出す?

 いやまぁ嘘じゃないけども。エルマン王子といちゃいちゃキャッキャするのを楽しみにしてたのは、事実だけども!

 嘘じゃない発言で、よかったー。kawai3697の暗躍を待たず、腹黒眼鏡からも距離を置かれるところだった。


「お疑いですの? 信頼の置けない者と話すのも時間の無駄でしょう。では、これで」


 今度こそ失礼しようとしたわたしの手を、再度、腹黒眼鏡が掴んだ。

 さっきから距離が近いっていうか、おさわりやめい!


「ラルフ様、困ります」

「俺も困るんです。あいつが君を捨てるようなことがあれば、貴族社会の勢力図が変わってしまいますからね」


 ぶっちゃけて来たぞ、こいつ!


「不敬でしてよ」


 ふっ、とラルフは鼻で笑った。鼻で笑うのが似合う男、やべぇくない?


「婚約者としての君の地位を盤石にすることを、俺に手伝わせてくれませんか?」

「え?」

「もちろん、君にも頑張ってもらいます。あいつは恋に憧れているところがありますからね」


 いや存じてますけども……。亡き兄君の一件――運命の出会いを果たしたロットマー侯爵未亡人との大恋愛からの悲劇的事故死が、殿下の胸には深く、するどく刻まれているのだ。

 乙女ゲームの設定なので、読み込んだよ。


「ですが、殿下のお心は、もう」

「戦わずして去るというのですか、ディシネア嬢。君はもっと闘志のある令嬢だと思っていました」

「闘志……」


 いや、対戦ゲーム要素も面白そう! と軽率に参戦したものの、負け気味で諦めかけるレベルの闘志しかございませんが?


「俺が補佐しましょう。まだ遅くありません。あなたの、婚約者としての地位を盤石なものにしましょう」


 なにこれ。

 腹黒眼鏡が軍師になった!

 ……いや乙女ゲーム展開ちゃうやん。こいつ攻略対象のくせに、なにやってんの。

 まぁいいか、味方ができたのは心強い。


「……もう少しだけ、頑張ってみるわ」

「もう少し? 甘いですね。死ぬ気で頑張るくらい宣言してください」


 なにいってんの、こいつ。


     *     *     *


 とはいえ、腹黒眼鏡は有能だった。腹黒眼鏡なので。

 いつどこに殿下がいる、リリアンが誰某を取り込んだ、次はあれを狙うだろうから先回りして調略を済ませておいた、内通させた誰某からリリアンの工作の情報を得た――いやもう大活躍だ。


 彼の目的は貴族社会の安泰、王国政界のバランス維持なんだけど、そのために殿下とわたしの婚約が重要なのは事実。

 はじめもいったけど、うちって譜代大名みたいなもんだからね。忠臣の代名詞みたいな家で、親王家派の重鎮なの。

 たしかに、婚約破棄とか……あり得んわね。

 べつに恋も愛もなんもなくても、殿下とわたしが婚約から結婚までこなせば、腹黒眼鏡としては問題なかったんだろうけど……聖女リリアンは、わたしの断罪に向けて着々と準備してるみたいだからなぁ。そうなると、婚約破棄からの政情不安に進みかねないので、腹黒眼鏡的にアウトみたい。


 問題は、情報収集にけている腹黒眼鏡、恋愛にうと過ぎて打つ手がトンチキ、という点だ。

 腹黒眼鏡が参謀になってから三十日、ゲーム開始からは四十日目の今日の作戦はといえば。


「君はこの四阿あずまやで殿下を待ち、なにか気のいたことを話してください」

「そんな漠然とした……。具体例くらい、おっしゃって」

「二日前に『あなたは男女の会話がわかっていない』と駄目出しをしたのはディシネア嬢ですよ」

「だって、殿下との会話に、シャランベール大使はかつらを使っていて、ハゲをひた隠しにしている……なんて」

「国家機密です」

「馬鹿おっしゃい」

「そこを突けば、大使に重要な情報を話させることもできますからね」


 ため息をついても、許されるよね?


「だとしても、それで殿下のお心が動かせると思って?」

「有用な情報ですが?」

「政治的に有用な情報だからといって、殿下のお心に響くとは限らなくってよ。聖女リリアンのことを考えれば、わかるでしょう。そもそも、政治的な利害関係を考えるなら、殿下はわたくしをお選びになるはずなのだから」


 ……虚しいな。自分でいっといて、なんだけど。

 でもまぁ、それが事実よね。恋は政治と関係ない。

 さすがの腹黒眼鏡も、まっすぐ打ち返すことはできなかったようだ。


「……聖女には提供できない情報を君が補えることを、利点として押せばいいでしょう」


 こんな感じ。ダメ過ぎる。


「いいはずないでしょう……。あなたの伴侶になるかたに同情するわ。愛でも恋でもなく、利益や損失を語るだけの殿方を、夫とせねばならないなんて。……ラルフ様だって、いずれは婚約されるんでしょう?」


 腹黒眼鏡には、婚約者がいない。それはゲーム情報なので、確実だ。こんな家柄財産優良物件、なんで婚約者がいないのかは不明だけども……。


「いませんが、焦ってもいないですね」

「まぁ。まさか、ご結婚をお考えではないの?」


 大貴族の嫡男に、それが許されるとでも? という顔になったわたしに、ラルフはぞんざいに説明した。


「俺には弟がふたりいます。俺が結婚しなくても、後継者に不足はありませんしね」

「よろしゅうございましたわ。お気の毒な婚約者様も奥方様も、存在しないようですから」


 ここでサラッと「よろしゅうございました」なんていえるの、お嬢様っぽくてよくない?

 実はこのゲーム、お嬢様言葉のサジェストがあるのだ。

 なにしろ思考加速を使ってるくらいだからね。発話前に「この言葉遣いにするとソレっぽいですよ」と、わかる。謎技術! 便利!


「そんな心配をするより、自分の未来を案じた方がよいのでは? もっと真剣に王子を落としてくださいよ、ディシネア嬢」

「わたくしは真剣よ」


 頑張ってはいるが、わたしがヘボいとか、軍師がトンチキだとかいう以前の問題なのだ。

 リリアンが――kawai3697が、強い。

 初手から王子の好感度を上げまくったのは記憶に新しいが、ゲームも中盤に入った現在、王子の好感度はデータをマスクする意味ある? ってくらいリリアンに向かっている。もう見え見えだ。

 それどころか、わたしが話しかけると、鬱陶しそうな表情を隠さなくなった。


「でも……さすがにもう諦めるしかない気がしてきたわ」

「いいから君は、君のなすべきことをしてください。俺がかならず、王妃にします」

「婚姻と恋は別ではなくて? たしかに、あなたなら殿下とわたしを結婚させることが可能でしょうね。けれど……心を移した殿方に、報われぬ恋をいつまでもつづけろと?」


 不毛・オブ・不毛では? 胸がキュンとはするが、わたしはそういう方向性のキュンは求めてない!


「結婚で報われるでしょう」

「いや拷問」


 思わず、お嬢様言葉サジェストを待たずに素で答えてしまったが、ラルフは気にしなかった。


「夫婦仲がどうでも、王妃は王妃。権力、財力――君が望むなら、国を乱さない範囲での政治力も提供します」


 ……できるんだろうなぁ。

 腹黒眼鏡、そういう方面は優秀だからなぁ。


「大丈夫、君の恋が破れても、悪いようにはしませんから」


 悪いようにはしないって、悪いようにするやつの台詞じゃない?


「あなたこそ、頑張らねばならないのではなくって?」

「俺がなにを頑張るべきだと?」

「殿下と一定の距離を置いているようではないの。あなたは権力を握るおつもりのようだけど、うまくいくかしら。宰相になれる見込みはあるの?」

「無論。あいつには、俺がいないと政治のことはわからないと教え込んでありますからね」


 腹黒過ぎる! いつから仕込んでるんだ!

 たしかに、設定では幼馴染だ……親戚だったんじゃなかったかな? はじめに読んだきり、そのへん確認し直してないけど、たしかそう。


「あなた……そんなことまで、わたくしに教えてもいいの?」

「よくはないですね」


 しれっと答えて、ラルフはわたしを見た。


「忘れてさしあげましょうか?」

「いえ、結構です。この程度のこと、機密の内にも入りませんからね」

「そう?」


 殿下に申しあげたら……いや無理かぁ。殿下、わたしより腹黒眼鏡のことを信頼してそうだし。わたしの話すことなんて、完全に右から左だし。


「……君と話していると、つい気が抜けてしまう」

「それって、わたくしが間抜けだからとでもおっしゃりたいの?」

「婚約者を目の前でさらわれる程度には間抜けでいらっしゃいますね、ディシネア嬢は」


 ぐぅぅぅ。

 わたしがキッと睨むと、ラルフは悪い笑顔を見せた。


「そういう表情を、あいつにも見せてやったらどうです?」


 なかなか魅力的ですよ――そうささやいて、ラルフはその場を立ち去った。

 ……え。

 なに、今の。

 ……なに? 今の! 今のなに!?


 呆然としたまま、わたしは四阿に来た殿下を迎えた。

 ぼんやりしていたので、なにを喋ったかよく覚えていないけど……まぁ、殿下もわたしの話なんて適当に聞き流しているだけだから、お互い様だ。

 殿下が立ち去ってから、わたしはそのまま四阿の椅子に腰かけた。


 ねぇ待って。これラルフの好感度が上がってない?

 ぶっちゃけ話も多いし、君といると気が抜けるっていうの、もうルート入ってない?

 わたしは殿下狙いのはずだけど、ラルフに切り替えてもいいのかな……。


 や、システム的にはいいと思うよ?

 思うけど、ラルフの望みは政情の安定であり、わたしと殿下の婚約維持からのご成婚オメデトー! だよね……。

 ここで、実はラルフが好きかもって態度をとれば、恋愛脳が発育していないラルフのことだ、使えないコマだと切り捨てる方向に動きかねない。

 ……めんどくせぇ男だな、おい。


 その場合、どうなるんだろう。

 ラルフが溺愛に目覚めてわたしを拾ってくれるならいい。でも、そうならなければ、孤立無縁の断罪コース確定では? ラルフは我が侯爵家の離反を防ぐため、別の手を打つだけじゃない? たとえば、聖女の有能さをアピールして世評爆上げ、王太子とのご婚姻が妥当という雰囲気に持って行くとかさ……恋愛脳がなくても、そういう発想はあるでしょ。

 しばらく考えてから、わたしは決めた。

 もういいや、なりゆきで進めよう。

 なるようになぁれ!


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