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今日は何の日?

「うららちゃん」


 女の人に慣れた声がしてあたしが振り返ると、そこには黒本賢介さんが立っていた。 賢介さんは、出島さんと同じ水棲種の河童で、NSKでは情報部に所属しているらしい。 出島さんに負けず劣らず、ものすごーく見目麗しいひとで、女の子が大好きで、出島さんよりかは変態ではない。


 「あ、お久しぶりです。賢介さん」


 ぺこりとお辞儀をすると、賢介さんはヘリンボーンのマフラーにくるまれた首を少しだけすくめて、


 「元気?」


と笑う。


 その、何もかも見透かしたような笑みに、あたしは何故だか嘘がつけない。


 「まあまあです」


 正直にそう答えれば、賢介さんは優しく吹き出してから、学校の近くの繁華街の方を指さした。


 「急いでる?」

 「いえ、ちょっと図書館で調べ物をしたかっただけだし、もう用事は終わったので、時間には追われてません」

 「そう。 じゃあ、あとで送ってくからさ。 お茶でも付き合ってくれない?」

 「あ、えっと……」

 「おれとじゃ、嫌?」

 「いえ、そういうわけではないですけど」

 「学校のこに見られたら嫌だなって思ってる?」


 出島さんと付き合っているということは、一部の友達しか知らないことだけど、出島さんや賢介さんみたいな年上のひとと、二人きりでお茶をしているところを見られたら、変な噂をたてられるかもしれない。 学校の皆が皆、嫌なひとだとは思いたくないけれど、残念ながら、皆が皆、善人なわけではないわけで、そのへん、バランスが難しい。


 あたしが返事に窮していると、賢介さんは、困っているだろうあたしの顔を覗き込むと、とびきり魅力的な笑みを深めて、


 「手を出したりしないからさ」

 「あ、あったり前です!」

 「そうそう、その意気。 うららちゃんは、そうでなくっちゃさ」


 ようやく、からかわれたことに気付いたあたしは、ばつが悪くなって黙り込む。


 「じゃあ、おれは、あの道を少し奥に入ったところで車のエンジンかけてるから。 ちゃんと、家まで無事に送り届けてあげるから、乗ってきなよ」


 そう言うと、さっさと賢介さんは歩き出してしまう。 この、さっぱり感というか、諦めの良さというか、引き際の良さみたいなものが、賢介さんの女の人の経験値の高さを物語っていると感じるあたしは、まだまだおこちゃまなのだろうか。


 何はともあれ、先日、おじいちゃんと岡崎に言われたクリスマスイブの話に、割と精神を乱されていたあたしは、学校までの長い道のりで身体的にも疲れていたし、賢介さんのお誘いに乗ることにした。


 イブ、ねえ。





 岡崎の家から戻ってくると、出島さんが他人に感染しそうな暗い雰囲気を醸し出して、玄関に体育座っていた。


 いつも不思議に思うんだけど、出島さんって、あたしが帰ってくるって分かってから、急いでこの体勢に入るのかしら? それとも、本当にずっとこうやって拗ねてたのかなあ? あたしには、前者の気がしてならないんだけど。


 「どうしたんですか、出島さん」


 さっき、おじいちゃんにもちょっと苛められていたし、このまま無視するのも可哀想なので、仕方なくあたしは声をかけた。


 「うららさん……。 僕を嫌いにならないでくださいよ……」

 「は?」


 いつものことだけど、出島さんの話運びは唐突すぎて、あたしにはついていけない。


 そんなあたしを置いてけぼりにして、出島さんは、うじうじと膝を抱え、めそめそと鼻を啜った。


 「僕はね、うららさん……。 キリスト教徒でも何でもないですから、クリスマスだのイブだのってのを祝う義務も義理も理由も責任もないんですよ。 でもね、周りの風潮的に、イブは恋人たちの日ってことになってるじゃないですか。 それでね、僕は思ったわけですよ。 それって一石二鳥だな、と。 この日に、うららさんといちゃこらついている姿を、考え得る限り可能な場所で見せびらかせば、世間に僕とうららさんが何人たりとも邪魔の出来ない完全無欠の恋人同士であることを証明出来るばかりか、そんじょそこらのくそカップルよりも遙かに、僕とうららさんの方が勝っていることを実感出来、尚かつ、僕はうららさんを合法的に独り占め出来るって寸法です。 イブ万歳!とまで僕は思いましたよ。 でもね、僕は甘かった……」

 「えっと、出島さんのスピーチ、前半には理解を示せますが、一石二鳥の辺りから常軌を逸しているので、まったく理解出来ないどころか、同情も出来ません」

 「イブに出張を命じられました。 龍神さまから直々にです。 有給取ってたのにも関わらずにです。 しかも、海外にです! こんな不条理があってなるものか! ノン! 人生とはいつでも不平等ですね。 嗚呼、可哀想な僕とうららさん!」


 ノン!のところだけ、いやに外人臭く言う出島さんは、疑う余地もないくらいに気持ち悪い。


 「あ、そうなんですか」

 「えええええええええ! そ、それだけですか! うららさん! イブですよ? 聖夜ですよ? 恋人たちの日ですよ? 合法的にいちゃついても良い日ですよ? キリストに悪いと思わないんですか????」

 「いや、キリストは、イブにいちゃついてくれなんて、一言も言ってないと思いますけど」

 「それはきっと、キリストが、うららさんみたいにキュートな照れ屋さんだったからですよ。 本当は、イブにめちゃくちゃいちゃつきたかったのに、何の不幸があったか知りませんがそれが叶わなくて、だったら、他のひとにいちゃついてもらおうかなっていう、そういうにくい配慮だと思います。 そう思いませんか?」

 「思いません。 ていうか、あたしは、出島さんの他宗教の無知さ加減に、どん引いてます」

 「世界とは、自分の手で開拓するべきものなり!」

 「言ってることが、最早意味不明です」


 冷たくあしらうと、出島さんは、ふと我に返ったように、掲げていた拳を下げて、ついでに眉根も情けなく下げてから、


 「イブ、うららさんと一緒にいたかったんです。 ごめんなさい」

 「出島さんのせいじゃないんだから、謝って貰わなくても結構ですよ」

 「うららさん……」


 公園に置き去りにされる子犬の声で、出島さんが呟くのを後ろにして、あたしはわざと顔を上げて廊下を歩き出した。






 という出来事があったわけなんだけど、もちろん、あたしはこれを誰にも言えず。


 だって、そうじゃない?


 イブなんて関係ないわ、って態度を取っておいて、出島さんがイブにいないの、なんて言えば、否が応にもあたしは出島さんがイブにそばにいてくれることを期待してたのかもって思うじゃない? それに、もしかしたら、あたしの知らないところで、ものすっごく不本意なんだけど、あたしはどこかでそれを望んでいたのかもしれないし。 そういうのって、考え出すと、どつぼに嵌っちゃうから、出来るだけ考えないでいたいし、思い出したくないから、誰にも話したくない。


 だったんだけど、賢介さんの話術はあたしの想像以上に巧みで、気付けば一連のことをすっかり話してしまっていた。


 「で、どうなの?」

 「な、なにがですか?」

 「がっかりしてる?」


 賢介さんは、こちらが答えにくい質問をするとき、わざと軽い口調で、それから目線をこちらに向けないで言う。


 「がっかり……は、してないと思います」

 「本当に?」

 「はい。 だって、別にあたし、イブに誰かと一緒にいたいなんて思ったことないですもん」

 「そう。 じゃあ、イブ以外の日は?」

 「バレンタインとかってことですか?」

 「ううん、そうじゃなくてさ。 恋人関連のイベントじゃなくて、うららちゃんの毎日。 いつもの、どこにでもある、ありふれた一日。 そういう日の中で、浩平のことを思い出すことはある?」

 「それは……」

 「それが、たまたまイブの日だったら?」

 「そ、それは、えっと……。 不幸ですよね」

 「不幸? どうして?」

 「だって、一緒にいられないから」

 「浩平は、うららちゃんにとって、一緒にいられないひとなの?」


 ああ、そうかもしれない。 出島さんがいるだけで、あたしの毎日は色彩を増すみたいだけど、いつも一緒にいてくれるわけじゃないから。


 だから、余計に恋しくなるだけなのかもしれない。 手に入れられないものだから。


 もしかしたら、あたしが出島さんのことを好きなのかもしれない、なんていうのはただのまやかしなのかも。 手に入れられないものをねだる子供のように、あたしは出島さんをそばに欲しいと願っているだけなのかもしれない。


 そんなの、恋愛っていうのかな?


 「手に入れられないものを欲しいと思うのは、ただのわがままですよね」


 質問にしては弱々しく、意見としても弱々しい調子であたしが言うと、賢介さんはバックミラーであたしに目配せをする。


 「さあ、どうかな? それが、簡単に分からないのが、恋愛の醍醐味だよ」

 「でも、いつかは答えを見つけ出さないといけないでしょう?」

 「そんなに急ぐことはないと思うけれど、そうだね。 答えが見つかるんなら、それにこしたことはないだろうね」

 「でも……」


 見つけようにも、相手が必要なのだ。 ひとりでは、見つけられない。 どれだけ、あたしがその答えを欲していても。 本当。 人生って不条理で不平等だわ。


 「でも?」

 「いえ、何でもないです」


 賢介さんを安心させるようにバックミラーに向かって微笑んでから、あたしは窓の外を見た。


 出島さん。今日、イブなんだよ?


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