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聖夜は誰のため?

日常茶飯事になっていることが恐ろしいような出島さんとの出来事があったあと、あたしは何とか出島さんを振り切って、自室に逃げ込むことが出来た。 うちは、典型的な和風の家なので、ドアなんて大層なものはなく、せいぜい襖を閉めるくらいのことしか出来ないんだけど、利点としては、襖を一度破いてお母さんに叱られたことのある出島さんは、それから襖にだけは乱暴をしなくなった。 なので、一旦、出島さんの目の前で襖をぴしゃんと閉め切ってしまえば、出島さんはおのずとこちらに入って来られなくなるというわけ。


 「まったく……。 出島さんてば、相変わらずなんだから」


 出島さんのお仕事は、水棲種と猿人種の河童の橋渡しをすること。 誰にも知られていないけれども、そして、誰にも知られていなくても一向に不思議ではないけれども、河童には二種類存在するらしい。 ひとつは水棲種。 こちらに、出島さんたちは属するらしい。 水棲種は、龍神をボスとする水妖の一種。 猿人種の場合は、同じ『河童』というカテゴリーにいるものの、ボスは山神である。 そして、山神はもちろん、水妖ではない。 というわけで、同じ妖怪のなかで、二つの種類が同時に存在することになり、これが水棲種と猿人種の仲違いを決定的にしていたそうだ。


 長い間啀み合ってきた二種の確執に、龍神がピリオドを置こうと動いたのが数ヶ月前。 彼の行動は無事認められ、かくして、水棲種と猿人種は、NSK(日本水妖協会)の傘下に置かれることになった。 元々、NSKに組み込まれることをよしとしない猿人種はこれに反発、加えて、元々龍神に従ってきた水棲種の一部も、猿人種と手を組むことに不満をぶつける者が現れた。 そういうひとたちのところに行って、説得したりするのが、今の出島さんのお仕事らしい。


 いつも出張だらけで、殆ど家にいられない出島さんは、本当なら、こんなどがつく田舎じゃなくて、もっと交通の便の良いところに住むべきなんだけど、出島さんはああみえて頑固だから。 ここに住むって聞かなかったのだ。


 「久しぶりに会ったっていうのにさ……」


 新学期が始まってからというものの、同じ屋根の下に住んでいるとは思えないほどに、あたしは出島さんに会えなくなっていた。 出島さんはそれを、


 「たまにしか帰って来れませんけど、でも、だからこそ、たまに帰ってくる場所に、うららさんがいて下さるのは、何よりも嬉しいです」


と言ってくれたけれど。


 でも、本当にそうなのかな。


 会えなくなる期間が長くなればなるほど、あたしは、出島さんを遠く感じてしまう。 なのに、久しぶりに会っても、出島さんはいつもの出島さんで、あたしは戸惑ってしまう。 どう反応していいか分からないし、うまく笑えない。 出島さんの顔が直視出来ない。 出島さんが傍にいなければいないで、もしかしたら、夏休みのことは、全部夢だったんじゃないかなって。 だって、どう考えても、妖怪が自己紹介しに来るとは思わないし、河童があんな美形だなんて信じ難いし、出島さんくらい変態なひとが存在するってのも眉唾もの。


 久しぶりに会ったら、もっと、こう、穏やかに時間を過ごせたらなって思う。 玄関で慕いごっことか、床で膝を強打するとか、タコみたいなキスを迫られるとか、廊下を全力疾走して自室に逃げ切るとか、そういうんじゃなくて。 もっと、穏やかに……。


 「誰に久しぶりに会ったっていうんだよ、うらら」


 そんな物思いに耽っていたから、背後からの声にあたしは肩を震わせた。


 「おじいちゃん」


 その声に聞き覚えがあることを思い出して胸を撫で下ろすあたしを、おじいちゃんは、低くからかうように笑う。

 

「よ」


 極上の絹糸で刺繍が施された着物をだらしなく着て、おじいちゃんが片手を挙げてこちらに一歩足を踏み出した。


 さらさらと流れる髪は、清廉な滝を彷彿とさせる。 しどけなくはだけた胸元からみえるのは、透き通るような、というよりも、透き通っている真っ青の肌。 中性的な顔立ちでありながら、男性的なその射貫くような視線。 長く青い睫毛に縁取られた、切れ長な瞳は、底が見えない湖の色。 もう何百年も生きているらしいのに、見た目は青年のようなおじいちゃんは、何を隠そう、うちの神社で祀られている龍神であり、出島さんの上司である。


 「いつ来たの?」

 「いつだったかな。 絹の顔が見たくなってよ。 そんで、ついでだから、うららの顔でも見てくかなとこっちに来たんだが、お前はまだ学校だったろう。 それで、まあ、しばらくすりゃあ帰えって来るだろっつんで、ここで寝っ転がってたらよ、いつの間にか寝ちまってたみてえだな」


 絹というのは、あたしのおばあちゃんで、離れに住んでいる。 おばあちゃんは、れっきとした人間なんだけど、おじいちゃんがおばあちゃんに一目惚れして、おじいちゃんの住む世界に連れていっちゃったんだって。 おばあちゃんは、おじいちゃんの世界では長生き出来ないから、というのでおばあちゃんはこちらに戻って来ているけれど、おじいちゃんはちょくちょくおばあちゃんに会いに来ているみたい。


 「それよりよ。 誰と久しぶりに会ったんだよ、お前」

 「あ、出島さんが帰ってきてて」

 「かーっ、あのエロボケくそ河童がか! あいつまた、お前に何か変なことしてねえだろうな? いいか、うらら。 あいつが、お前のケツでも触ろうもんなら、首の骨をへし折ってやれ。 それから、俺様に報告しろ。 俺様が、灰になるまで焼き尽くしてやっからよ」

 「う。 うん……」


 ちょっと過激なおじいちゃんである。


 「お、うらら! お前に聞きてえことがあったんだ」

 「なに?」


 学習机に備え付いている椅子の上に学校のカバンを置いて、あたしはおじいちゃんに笑顔を向けた。


 「お前、くりすますっちゅうもんを知ってるか?」

 「クリスマス?」

 「おうよ」

 「えっと、知ってると思うけど……。なんで?」

 「なんかよ、くりすますには、好き合ってる奴らがちょちょくりあうっていうじゃねえか」

 「ちょちょ……。 それって、クリスマスイブのことなんじゃないかな」

 「いぶ? 誰だ、それ」

 「クリスマスの前日のことをクリスマスイブって呼ぶの。 元々は、西洋の宗教行事なんだけど、日本ではクリスマスイブは恋人の日って位置づけになっちゃってるみたい」

 「ふーん」


 つまらなさそうに言ってから、おじいちゃんは横目で壁にかかったカレンダーを見た。 おじいちゃんのこの世のものとは思えない美貌は、乱暴な口調や乱雑な振る舞いで、何とかおじいちゃんを手の届く存在にしているんだなと思う。 だって、こうやって黙って虚空を見つめているおじいちゃんは、龍神であって、おじいちゃんではないみたいだから。


 「うららよう」


 ガラの悪い、それでいて甘えたような声音で、おじいちゃんがこちらを見ずに言った。


 「くりすますいぶは、あのエロボケくそ河童と過ごすつもりなのかよ」

 「し、知らないよ!」


 顔を赤くして答えれば、おじいちゃんはきりりとあたしに向き直る。


 「お前は、誇り高き龍神の孫娘なんだぞ。 くりすますいぶなんてぇ、腑抜けた行事に参加してんじゃねえぞ。 何が恋人たちの日だ! くりすますいぶに出島の野郎が、うららの周りをちょこちょこしてやがったら、頭の皿を完全に乾かしてやっからな!」


 徐々に熱さを増していくおじいちゃんは、それから、締め切られた襖にその鋭い目をやると、


 「ちゃんと聞いてんだろうな、出島!」

 「はい……」


と、半泣きの出島さんの声が、襖越しに聞こえてきたことは、言うまでもない。





 お夕飯のあと、ちょっとしたおつかいを頼まれて、あたしは家を出た。 行き先は、クラスメイトで幼なじみの岡崎の家。


 「あれ、黄本じゃん」

 「よ」


 先程のおじいちゃんよろしく、片手を挙げて挨拶をしたら、岡崎がにかりと歯を見せた。


 「あ、おふくろ?」

 「うん、何か、お母さんがこっちに注文したとかって」

 「分かった、伝えてくるよ。 外寒かったろ? 炬燵にでも入ってろよ、今、お茶持ってくっから」

 「あ、ありがと」


 岡崎の気の利いた言葉に甘えて、あたしはいそいそと居間に置いてある炬燵の中に足を入れた。 ちょっとの距離なのに、体はしっかり冷えているみたい。


 「今持ってくるから、もうちょい待ってろってさ」


 この寒い中、何故か薄手の長袖Tシャツに半パン、靴下なしという格好の岡崎は、寒がる素振りも見せずに、炬燵の上に湯気のたつ湯飲みを二つおいた。


 「最近、どうよ?」

 「うーん、まあまあってところかなあ。 数学は相変わらずやばいし、生物も化学も訳分かんなくなってきちゃったし。 文化祭とか体育祭って、楽しいんだけど、準備とかで時間食うから大変だよね。 岡崎は?」

 「うーん……」


 岡崎は、その人の好さそうな顔を困ったというようにしかめて、ずずっとお茶をすすった。


 「いや、おれが聞いてたのは、そういうことじゃないんだけど……」

 「?」


 意味が分からなくて、あたしが首を傾げると、岡崎はじれったそうにあたしを伺い見てから、


 「出島さん! お前と、出島さん、最近どうなのって聞いたの」

 「あ」


 恥ずかしそうにしている岡崎に悪くて、わざわざ皆まで言わせてしまった自分が恥ずかしくて、質問の内容が答えにくくて、あたしはずずずっとお茶をすすった。


 「クリスマスイブ、どうしてんの?」


 なんで、みんな同じことを聞くのかな。


 あたしは誓ってキリスト教徒ではないし、従って、クリスマスを祝う理由も義務もない。 なのに、いつの間にか、イブは恋人同士で過ごす聖なる日、なんてイメージがくっついてしまったせいで、みんながみんな、強迫観念に襲われたみたいにしてイブイブイブイブってぴーちくぱーちく煩いのだ。


 出島さんのお仕事なんて、超がつくほど不定期だし、いつ帰ってくるのかも言わないし、聞いたって「分かりません」とかふざけた答えが返ってくるし、どこに出張に行ってるのかだって分からないし、そもそも本当に出張なのかどうかも分からないし、だったらあたし、何で出島さんのことを待ってたりするの?って不安になっちゃうし!


 そんな出島さんと、イブの日を一緒に過ごすなんて夢見るほど、あたしはナイーブじゃないはずだわ。


 「知らない」


 思ってたよりも、冷たい言い方になってしまったのかもしれない。 岡崎は、ばつが悪そうに、二、三度軽く頷いて、


 「まあな。イブを一緒に過ごさないといけないってわけじゃないしな。 出島さん、忙しそうだし」


 明るく言ってから、岡崎は、幾分か真面目な顔になってから湯飲みに目を落とした。


 「でも、出島さんはさ、黄本と一緒にいたいと思ってると思うぜ?」

 「知らない、そんなこと」

 

そう答えてしまったあたしの、何と進歩のないことか。


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