閃光
周囲は黒い霧に包まれ、わずかな外光が霧の隙間から差し込んでいる。
末木さんお手製の電磁シールドに黒い粒子が触れるたび、バチバチと青白い光を放つ。どうやら、この黒い霧自体が何かしらの攻撃を仕掛けてきているらしい。シールドがなければ、防ぎようがない。
僕はやられても、ヘッドセットを外せば現実に戻れる。しかし、末木さんはそうはいかない。
「末木さん、すぐにログアウトしてください! このままだと、本当に危ないですよ!」
「そうしたいところなんだが……退路を塞がれたようでね。ログアウトできないんだ」
末木さんは肩をすくめて、おどけて見せる。こんな状況で冷静すぎるだろう。恐怖を感じていないのか?
突然、黒い霧の中から武田の狂気に満ちた声が四方八方から響き渡った。
『キケケケケ、死ね死ねシネしねしねぇぇぇ!』
耳を塞がずにはいられない。頭に直接響くような甲高い声と青白い閃光で頭が変になりそうだ。
音量調整を試みるも制御不能になっているし、シールドに黒い霧が当たると身体が押される感覚もある。
気が散って考えがまとまらないので、コントローラーを闇雲に操作する。末木さんどこだ?
次の瞬間、視界が真っ白に染まり、目が明かりに順応すると、長い黒髪の女性が目の前にいた。
「山内さん!」
声を聞いて、ようやく桔梗さんにヘッドマウントディスプレイを外された事に気がつく。
「桔梗さん……か。あの、末木さんは?」
「シールドがあるから暫くは大丈夫そうです。ただ、内部から攻撃を受けていて、こちらから強制ログアウトは潰されてます」
「末木さんとのプライベートチャットは?」
「それも無効化されています」
「クソッ……。とにかく、僕は戻ります」
再びヘッドマウントディスプレイをかぶろうとした瞬間、寛さんが僕の腕を掴んだ。
「待て、山内。無策で戻っても意味がない」
「分かってます。でも……」
「落ち着け。一枚目の切り札を切るぞ」
「……もしかして、場所が分かったんですか?」
「ああ。俺がそこに向かう。雫ちゃんを借りるぞ。二枚目を使えば、この状況も打開できるだろ。使うかどうかはお前に任せる。どうする? 」
それは、まだ早い。早いのはわかっているが、どうすればいい?
シールドに弾かれた黒い粒子は閃光と共に消滅しているようだが、数が多いし、一部を消滅させただけでは武田を止められそうもない。
時計の秒針が目に入り、焦燥感が募っていく。時間をかけるほど、末木さんの命が危なくなっていく。
喉の渇きを覚えた僕は、ふとテーブルの上に置かれたペットボトルに手を伸ばす。ペットボトルを握ろうとした瞬間、手が滑って、ボトルは軽い音を立てて床に転がっていった。
「あっ……」
床を見下ろしながら、ぼんやりと考える。
黒い霧、末木さん、ログアウトできない状況。シールドに叩きつけられる粒子と、武田の狂気。
冷静に考えると、武田は身体を霧に変化させられる割に、それ以外は超常的な能力を見せていない。
うまく言語化できないが、なんというか、想像を超えてきていないのだ。
言語化できない理由を考えながら、ペットボトルを拾いあげると、思ったよりも重く感じた。
思ったよりも中身が入っていたんだな……。
「──あっ、そうか! 」
僕は思わず、立ち上がると、桔梗さんと、寛さんがこちらに視線を向ける。
「桔梗さん、寛さん、ちょっと思いついたことがあるんです。実は──」
「──なるほど、単純明快で実現可能性も高い」
「その方法なら私がいれば何とかなるし、行けそうですね」
「そうと決まれば、僕は仮想空間に戻ります」
桔梗さんと寛さんも立ち上がり、それぞれの行動に向けて動き始めた。
「山内、俺が到着するまでしんがりを頼む」
「私もサーバールームに戻ります」
「了解です。二人共、また、あとで」
再びヘッドマウントディスプレイをかぶると、黒い霧と粒子の攻撃が再び視界に広がった。仮想空間は相変わらず、雷鳴のような音がとどろき、視界は揺れ動いていた。
「末木さん! イレイサー! 返事をしてください!」
何度も叫んだが、返答はない。仕方なく、黒い霧の中へ足を踏み入れた。霧の中で閃光と音が炸裂し、耳障りな雑音が全身にまとわりつく。
目をつぶり、コントローラを限界まで倒して強引に前に進む。音が聞こえなくなるまで走り、目を開けると、そこは広大な海だった。腰まで水に浸かっていたが、視界は良好だ。
振り返ると、黒い霧が球体状に凝縮され、その位置で動かずに留まっていた。仮想空間の空には、黒い霧を中心に無数の穴が広がっている。
「桔梗さん、僕の武器を火炎放射器に変更してください」
「……変更してあります。でも、武器変更はこれが最後かも。武田に侵食されて、制御が効かなくなってます」
「これ一丁あれば十分です」
僕は黒い霧に向かって火炎放射器を放った。霧が燃え始め、巨大な黒い塊が溶けるように、ゆっくりと崩れていく。
黒い霧は怒ったように僕へと向かって動き出した。火炎放射を続けながら、全速力で走って逃げるが、黒い霧はドーナツ状に分散し、火炎を避ける。
これは都合が悪いな。反撃せずに走り続けるしかない。
始めは大きな黒い塊だったが、走れば走るほど、後をついてくる黒い霧は細い棒状に間延びしていく。
「今だ、桔梗さん!」
「重力制御開始します」
突然、アバターの動きが重くなった。振り返ると、黒い粒子が地面に落ち、帯のように黒い線を描いていた。
『ガアアアあああぁぁぁ!』
武田の叫び声が黒い帯から響いてきた。これで、もう彼は動けない。仮想空間の重力が大幅に上がり、武田の粒子はそのまま地面に縛り付けられたのだ。
僕は黒い帯に向けて再び火炎放射器を放った。アバターの動作が緩慢になったが、僕自身に影響はない。
少しずつ、確実に黒い帯を焼いていく。だが、黒い帯があと僅かとなって、手が止まった。
怨嗟の声や阿鼻叫喚、ここに至っては命乞いする武田の声がブレーキをかけた。そうだ、人の形はしていないが、これは人間なのだと。
『い、い……やダ。死二、た……く、ない』
汗が頬を伝い、拭おうとするとヘッドマウントディスプレイに手にあたる。
そうか、これはゲームじゃないんだ。僕は罪悪感でそこから動けなくなった。
「甘いね、山内くん」
声の主を振り返るよりも早く、閃光が辺りを包む。目が眩みそうな程の明かりと爆音が全てを吹き飛ばす。
な、何が起きた?
飛び散る砂埃で状況が確認できない。黒い霧が吹き飛び、飛び散る砂の粒子が世界を遮った。
「あれは人間ではない。君が気に病む必要はない」
末木さんの声がした。あの重力化でこの世界にダイブしている人間が動ける筈がない。だが、間違いなく、武田にとどめを刺したのは彼なんだろう。
砂埃が風に流され、視界が晴れると後ろ姿の末木さんが立っていた。
何故だかわからないけど、彼が泣いているのではないかと思わずにいられなかった。
末木さんの足下にはイレイサーが横たわっていた。身体中に虫食いのように武田が侵食した後がある。
「イレイサーもデリートしないとな」
再び、世界は閃光に包まれた。
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