多重人格
「おい、起きろ」
平坦な声で顔を蹴飛ばされる。
床に尻をつけて、壁に寄りかかりように眠っていたところを蹴り飛ばされ、床に倒れてしまった。
倒れた横目に、淡いグリーンのニットセーターに、ジーンズ、スニーカーに帽子という出で立ちの人物が見えた。
僕は後ろ手に両手の親指を何かで拘束されていて、一度倒れてしまうと起き上がるのが困難な状態にある。
打ちっぱなしの床は冷たく、ガチガチと歯を鳴らすくらい身体は凍えていた。
髪の毛を掴まれ、無理矢理身体を起こされる。窓のない部屋に長時間閉じ込められたせいか、時間間隔がなくなってきている。
何日経過したんだろうか?
口の中はカラカラになり、食事もとっていないので、徐々に身体を動かす気力もなくなり始めていた。
「そろそろスマホの場所を吐いてくれないか? うっかり、殺してしまうかもしれないからな」
そう言いながら、楽しそうに僕の腹を蹴りつける。
「うっ……」
愉快犯的な言動や一人称に"僕"を使っていた人間が"俺"に変わっただけで、こうも性格が変わるものだろうか。
歩き方や目つき、態度、まるで男そのものだ。彼女は精神的な疾患があるのかもしれない。
「……中原美奈、何を考えている? 間違いなく、俺の友人が警察に通報している頃合いだ」
焦点の合わない目でこちらを見る。
「ああ、俺に言ってるのか……」
目が合うとニンマリと彼女は笑った。
「どうでもいい。そんなことより、お前の持っているARIAの情報の方が重要だ」
「捕まっても構わない……と? 」
彼女はチッと舌打ちをし、話す前に腹を蹴飛ばす。
「まだ、その話続けんの? 」
そう言うと、彼女は腰を落とし、俺と同じ目線までしゃがみ、じっと瞳を覗き込んでくる。
「今日、何をしていたと思う? お前の部屋のガサ入れだよ……。雫はパソコンを経由して、何かをしていた……俺はそれが知りたい」
「……知らないと言ってるだろ」
中原美奈は右手で頬を握りつぶすように俺の顔を掴み、後頭部を打ちっぱなしの壁にガンガンと激しく打ちつける。
激しい衝撃に頭はクラクラとし、世界が歪んで、中原美奈の顔が人ではない、化け物に見えた。
「まあいい、お前が知っているARIAの情報を話せ……」
「何度でも……言うが……雫と暮らした日々が全てだ。それ以上……話すことはない」
「お前は勘違いしている。雫の話ではない。他のARIA……AK006の話だ」
AK006……? 何を言っているんだ、こいつは?
俺の顔を見て、また舌打ちをする。中原美奈は立ち上がると、また、腹に蹴りを入れた。
「俺が知りたいのは4番目のARIAだ」
その言葉に僕はズンと暗く、重たい気分になる。
「山内くんは分かりやすいなぁ。お前、何か知ってるな? 」
「……お前に話すことは無い」
「そう言うと、思ってね。良い物を持ってきたんだ」
そう言うと、部屋を出て、タイヤつきの小さなラックに銀色のトレイを乗せて戻ってきた。
そして、中原美奈はわざわざ俺に見えるように銀色のトレイを俺の目の前に置いた。
アイスピック、包丁、のこぎり、金槌、半田ごて、メスに、縫い針のようなものから、ペンチまで、不思議な組み合わせの道具が入っていた。
悪寒が走った。寒さなんかじゃない、これは……恐怖だ。
凍てつくような寒さが全身を包み、中原美奈の一挙手一投足から目が離せなくなっていた。
うっとりと垂れ下がった瞳が鈍く光る。呼吸は荒く、激しく、はあ、はあ、と白い吐息が空気に溶ける前に、白い吐息を吸って吐くを繰り返していた。
吐息というより蒸気だ。彼女は異様に興奮しているのだ。
「さあ、拷問の時間だ。君がどこまで耐えられるか、我慢比べしようか? まずは爪を剥ぐ」
そう言って、彼女は銀色のトレイに手を伸ばす。
僕は気力を振り絞って、身体を持ち上げ、銀色のトレイに向かって身体を倒れこませた。
ガシャンと音がして、中に入っていた道具が床に散乱する。
「おい、おい、おい。暴れんなよ。どうせ、ここには俺とお前しかいないんだ。抵抗したところで、苦痛までの時間が延びるだけだ」
中原美奈はそう言うと、床に散乱した道具の中から、ところどころ赤黒く変色したペンチを拾い上げた。
中原美奈の恍惚した表情を見た瞬間、拷問自体が本来の目的なんだと全てを察した。
いかれた奴だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
「さあ、始めようか──」
中原美奈は俺を蹴飛ばして、うつ伏せにすると、馬乗りになり、片手で俺の両手を押さえつける。驚くほど、彼女は軽かったが、それでも僕はまともに動くことさえ出来なかった。
「まず、親指の爪から行こうか……おいおい、動くなよ」
そう言うと、床に落ちていたメスを拾い上げ、僕の手の平に突き刺した。
「…………ぐぁっ!!」
「動くなって、言ってんだろうが」
メスを引き抜くと、2回、3回と何度も突き刺した。思わずのたうち回り、馬乗りになっていた中原美奈も立ち上がり、退避する。
血の着いたメスをその辺に投げると、ペンチを振り上げ、勢いよく振り下ろし、頭を殴ってきた。
「椅子に拘束しておくべきだったな。ま、殴ったほうが気持ちいいけどな」
殴られるたびに視界がチカチカと明滅を繰り返していた。
「はあ、はあ、はあ、クソッ。思ったより血が出ないな、俺の筋力がたりないのか」
頭から流れ出た血が額を伝って、片目に入り、目を開けることすら、ままならない。
ガタン、ガタン、ドタ、ドタ、ドタ……
天井から複数の人の足音が聞こえた。中原美奈は天井を見上げる。
「チッ……」
彼女は背負っていたリュックから、ハンドガンを取りだし、リュックを投げ捨てる。スライドを引き、弾丸を装填する。
中原美奈の一連の動作が流れるように自然で、普段からハンドガンを触っていないと出来ない所作だった。
「逃げた方が良いんじゃないか? 」
「あっ?」
僕を見下ろす彼女の瞳は狂気が宿っていた。
「舐めてんのか。全員殺して、拷問再開に決まってんだろ。そこで待ってろ、お前の横に死体を転がしてやる」
中原美奈が部屋を出たのを見計らって、思い切り息を吸い込む。
「銃を持ってそっちに向かった! 来るなっ! 」
中原美奈はその声を聞いて、部屋の前まで戻ってきた。ニヤニヤしながら、こちらに歩み寄る。
「ここはな、地下室だ。しかも隠し扉を通らないと来れない。お前の声なんて届きやしない」
そう言うと、立ち上がり、僕の顔面を蹴り飛ばした。
「無駄な努力ご苦労さま」
そう言うと、彼女は去って行った。
正直、生きた心地がしなかった。彼女が拷問を始めたときは死を覚悟したほどだ。
両手の親指を拘束していたバンドが中原美奈のメスによって千切れたのか、拘束が解けた。
俺は血まみれの両手を床について、立ち上がる。激痛で気が遠のいたが、奴との決着をつける。
「寛さん、聞いていたと思いますが、そっちに行きました」
暫くすると部屋の隅から音声が聞こえてきた。
「……ああ、分かっている。後は任せろ」
茶番はここまでだ。中原美奈、いや──
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