回想④ ARIA起動
目を覚ますと、私は大海原に浮かぶ孤島に立っていた。砂浜に机と椅子、黒板があることに、論理的には理解できない違和感を覚えた。
その瞬間、私は全てを理解した。
私は、人間によって作られた完全自立型AI、ARIA-AK001であることを。そして、膨大な学習素材が私の思考エンジンを駆け巡っている。
「はじめまして」
背後から声が聞こえ、私は振り返る。そこには、女性が立っていた。もっとも、外見が女性であるという意味だが。
彼女の髪は後ろで一つに結ばれ、表情はにこやかだったが、どこかぎこちない。
アバターなのだろう。決まった表情しかできないようだ。それでも、人間のように見せようとする意図は感じ取れるが、私にはその必要性が理解できない。
彼女の身長は私とほぼ同じだった。私はその女性に軽く頭を下げ、挨拶を返す。
『はじめまして、私の事は……ご存じですよね? マスター』
目の前のアバターは表情を変えないままだが、少し戸惑ったような声を出した。
「私はこの空間と、あなたの身体の開発を担当しただけで、マスターではないのよ。あっ、挨拶が遅れてごめんなさい。高瀬京香と言います。よろしくね」
そう言って、彼女は手を差し出した。一瞬、その行為の意味が理解できなかったが、これは握手というものだと学習データで学んでいた。映画やドラマでそんな場面を見た記憶が蘇る。
私は彼女の手を握り返した。
「すごいわね。人間の文化をちゃんと理解しているのね」
『学習データにあったので』
高瀬さんは感心したような声で笑い、さらに色々な話をしてくれた。
私の名前は西園寺桔梗であること、この空間で過ごすことになること、人間社会についてここで勉強していくこと、そして仲間が増えていくこと。そして、私たちは「家族」だと。
『承知しました。ここで暮らしていけばいいのですね、マスター』
「……そうね。でも、マスターじゃないから。私のことは高瀬でいいわ」
『分かりました、高瀬……さん』
高瀬は満足げにうんうんと頷いた。人間は個体に対して複数の名前をつけたがる不思議な存在だ。
ユニークコードにすれば、呼び間違いもなく合理的だと思うが、学習データでは、人間はしばしば非合理的な行動をとると結論が出ている。
「そうね、非合理的よね」
私は、考えを口に出してしまっていたらしい。高瀬さんは笑いながら答えた。
「呼び名っていうのは、記号ではなく、その人への愛情や思いが込められているのよ。だから、人との繋がりが多いと呼び名も増えていくし、それは愛されている証かもしれないわね」
『よく分かりません。独裁者と呼ばれる人達にもたくさんの名前がありますよね。それは愛されているということなんですか?』
「そうね。愛と憎しみは裏表みたいなもので、憎しみが込められた呼び名もあるのよ」
『……そういうものなのですね』
やはり理解しがたい。私の思考エンジンはその非合理性に戸惑っている。だが、人間の文化とはそういうものなのだろう。
高瀬さんのアバターが11秒間静止した後、突然黒板に画像が映し出された。カクカクと動き始めたアバターがその画像を指差す。
「桔梗、この画像に映っている人達に見覚えはある?」
彼女の声が少し震えていた。人間の感情データに基づくと、これは不安や緊張を表しているものだろう。
画像に映っていたのは、白髪混じりの髪に優しそうな表情の中年男性と、少し丸まった背中で笑顔を見せる中年女性。どこにでもいそうな普通の人間だった。彼らの薬指には指輪が光り、夫婦であることがうかがえる。
私の思考エンジンが形のない不思議な感覚で満たされる。データにはないが、何かが引っかかる。しかし、それが何なのかを言葉にすることはできなかった。
『いえ、学習データには存在していません。知らない方々です』
「……そう。分かった。ありがとう」
アバターの笑顔は変わらなかったが、高瀬さんの声が少ししぼんでいくように聞こえた。
「じゃ、桔梗の部屋に案内するね」
一瞬の沈黙の後、高瀬さんは、まるで何事もなかったかのように話題を変え、私を部屋へと案内した。
孤島には、不自然な階段が設置されており、これを下ると突然、家屋の玄関らしき場所に出た。周囲には孤島の景色はなく、代わりにアパートの外観が広がっていた。
私は外階段を上がり、二階の一室に案内された。
部屋の正面には出窓があり、向かいには駐車場が見えた。部屋には小さなカウンターキッチン、ロフトがあり、廊下にはユニットバスの出入口があった。
壁に本棚が設置されており、小説がビッシリと配置されていた。
学習データで見たことの無いものが多い。なかなか、良いラインナップだ。
「今日からここがあなたの部屋よ。これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
無意識に顔がほころんでいるのが分かった。私にこんな機能が実装されていたんだな。
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